むっつめのかたり「夏もふけし候 山中に篭もりて 勉学に勤しむ 」

 時計がある訳ではなかったが、朋彦とナオヨシが着物を着て一息つくと、日も既に高く上っており昼が近くなっていた様だった。

「・・・取り敢えずメシにするか・・・。」

 今更ながら空腹になっていた事に朋彦は気付き、改めてテーブルの前に腰掛けた。

 朋彦は向かい側にナオヨシを座らせ、テーブルの上の道具袋に手を伸ばした。

 しばらくの間ここで暮らすのか、他に移動するのかも朋彦はまだ全く考えておらず、食材をどうするのかすらも考えていなかった。

 取り急ぎ今は蛙人形の力で食事を作り出す事にした。

「何か食べたい物とかあるか?」

 朋彦が尋ねると、少しの間ナオヨシは首を傾け考えていた様だったが、

「うーん・・・。あ! 昨夜の雑炊また食べたいな。それか、山の中で食べた何か挟んだヤツとか・・・。」

 チキンのサンドイッチの事だと朋彦は思い出し、ナオヨシの希望通りに蟹雑炊とサンドイッチを道具袋の中で作り出してテーブルの上に並べた。

 折角想像通りの物が作り出せるのだから、これからはもう少し食事内容を考えた方がいいとも朋彦は思った。

 サンドイッチを頬張りながら朋彦は、蟹雑炊を嬉しそうに食べるナオヨシに問い掛けた。

「これからの事だけどさ・・・。ナオヨシはどっか行ってみたい場所とか、何かしてみたい事とかあるか?」

 朋彦の問いにナオヨシは手にしていた匙を止めて少し考え込んだ。

「え・・・? うーん・・・・。」

 しばらくしてナオヨシは申し訳無さそうに俯いた。

「ごめん・・・。何も思い付かない・・・。オレ、今迄村で皆に頼まれた仕事しか出来なかったし・・・。字も判らないし・・・。」

「あ、いや! そんなに深刻にならなくてもいいってば!! ちょっと聞いてみただけだし!」

 朋彦は慌てて頭を横にぶんぶんと振った。ナオヨシを困らせる意図は無かったので、ナオヨシの心底申し訳無さそうな反応に朋彦の方がうろたえてしまった。

 朋彦の慌てて混乱した様子にナオヨシは小さく笑ったので、朋彦はほっとした。

 食事を続けながら、朋彦はこれからどうしたものかと考えた。

「村から外は全然出掛けた事無いんだよな・・・。」

「うん。・・・あ、でも山の中には柴刈に行ったり、罠を仕掛けて鳥を取ったりしに一人で行ったりはしてたよ。」

 ナオヨシの言葉に朋彦は、一番最初の日にナオヨシに山の中で助けてもらった事を思い出した。

 精々が村の周囲の山の中数キロの範囲が、恐らくナオヨシにとっての世の中の全てだったのだろう。

 美味そうに蟹雑炊やチキンサンドイッチをがっつくナオヨシの様子を微笑ましく眺めながらも、朋彦はあの村の低いであろう識字率や教育普及率に考えを巡らせた。

 これから一緒に生活していくに当たって、自分の事もきちんとナオヨシに説明しておきたいとは思ったけれども、この様子では朋彦の話を何処まで理解してもらえるか不安だった。

 食事を終えて取り敢えず空の食器を流し台に置くと、朋彦はナオヨシと向かい合って改めて椅子に腰掛けた。

「ナオヨシ・・・あのさ、これから一緒に暮らしていくんだし、一応改めて俺の事を説明しとくな。」

「うん。」

 ナオヨシの事を決して侮っていると言う訳ではないものの、幾らかでも理解してもらう為にはどうやって説明したものかと、朋彦は頭を悩ませた。

「うーんと・・・とにかく、この国からずっとずっと・・・とにかくとんでもなく遠い国から、俺はやって来たんだ。」

「うん。」

 朋彦の説明をナオヨシは素直に聞いていた。朋彦がどれ程遠くからやって来たのかナオヨシには想像も付いていない様だったが。

「えーと、それで・・・何て言ったらいいのかな・・・。この袋の中の人形が・・・。」

 朋彦は説明する言葉に悩みながらテーブルの上に置いていた道具袋に手を突っ込み、中から蛙人形を取り出した。

「何と言うか、これは不思議な人形で、俺だけが使えるんだけど、握って念じたらどんな願いも叶える事が出来る人形なんだ。今迄の料理や道具、それにこの家なんかもこの人形の力で作り出したんだ。」

「へえええ!! すげえな!! マジナイの人形なんだな。」

 朋彦の手の中で相変わらず白目を剥いてだらんと垂れている蛙人形を見ながら、ナオヨシは無邪気に感心していた。

「・・・取り敢えず・・・判った?」

 朋彦はとても不安を感じながらナオヨシに問い掛けたが、ナオヨシは笑いながら、

「ごめん・・・。すごく遠い国という事と、すごい人形という事しかわかんねぇ・・・。でも、朋彦さんがオレでも判る様にと一生懸命考えてくれてるって言うのはよく判った!!」

 ナオヨシの健気さに朋彦は微笑み、それから困った様に溜息をついた。

「結局あんまし判ってないのか・・・。まあ、いいか。慌てる事でも無いし。」

 そう――何一つ慌てる事等無かった。もう大学に行かなくてもいいしバイトに行かなくてもいい。どんな願いも叶うし、好きな様に生きていい。

 朋彦はパイライフの言葉を思い出していた。

 精々好きな様に生きて我を楽しませるがいい――。

 自由ではあったものの――いざ何でも出来る、何をしてもいいと言われても、却って朋彦は戸惑うばかりだった。

 朋彦は竹筒の水筒と湯呑みを道具袋から出し、水を一杯飲んだ。

 何気無く横を見ると台所の横の壁にも簡素なサッシ窓があり、そこからも青空や山々が見えていた。

 何となくあの山々を越えた先には朋彦の住んでいた町や道路、電車等・・・元の世界の景色が広がっている様な錯覚を抱いてしまったものの、手の中の蛙人形の――硬いのか軟らかいのか中途半端でぐにぐにとした感触がそれを打ち消した。

「・・・取り敢えず二~三日はこの辺りで過ごすかな・・・。」

 朋彦の呟きを聞いたナオヨシは素直に喜んでいた。

「オレ、このお屋敷に居てもいいのか? やった~!!」  

「いやいや、ナオヨシ! いいのか、じゃなくて、俺と一緒に居るんだろ、ずっと!!」

 ナオヨシのまだ今ひとつ状況を理解し切れていないらしい言葉に、朋彦は思わず訂正を入れた。

「え? ずっと・・・? ほんとに? いいの?」

「あ・・・うん・・・。」

 言葉の綾ではあったが、思わず言ってしまった自分のプロポーズの様な言葉に朋彦は自分で一方的に照れてしまっていた。

 ナオヨシはやはり言葉の意味は深く考えていなかった様で、朋彦の言葉を無邪気に喜んでいた。

 照れ隠しに朋彦は蛙人形を道具袋に戻し、中から携帯端末機を取り出した。

 電源を入れ、何とは無しに地図機能を起動させると自分達の現在位置を表示させた。

「ほんとすげえな~。こんな板に地図が出て来るんだもんな・・・。」

 朋彦が操作する様子をナオヨシは興味深そうに覗き込んで来た。

「オレ、地図の見方もあんまり判んなくてさ・・・。」

 そう言うナオヨシの顔を朋彦は見上げると、朋彦は椅子を持って向かい側のナオヨシの隣に移動し並んで座る事にした。

「丁度いいや。一緒に勉強しようぜ! 俺もこの世界・・・いや、この辺りの事はよく判らないし。」

 パイライフからもらった知識の参照自体は便利ではあったが、自分からどんな事を知りたいのか積極的に意識を向けなければ何も判らない状態だった。それでは咄嗟の時にも対応出来ないだろう。

 朋彦は道具袋の蛙人形を掴んで携帯端末の機能を拡張し、空中に映像を投射出来る様に改造した。

 今は平面的な地図を見るだけだったので、投射する位置を調節してテーブルの上に実際の地図を広げるかの様な状態にした。

「すげええ!! 」

 すかすかと手を素通りする地図の映像をナオヨシは面白そうに何度も繰り返し触っていた。

「えーと、この模様が東西南北を表していて・・・。」

 早速説明を始める朋彦の言葉をナオヨシは真面目な表情で聞き入っていた。

 学が無いと言う事で村では嫌な思いもした事があったのだろうとも朋彦は思ったが、それには触れずに説明を続ける事にした。

 ナオヨシが住んでいた村はナギシダ村と言う名前で、山奥にあり周囲を深い山に囲まれていた。

 地図の倍率を小さくしていくと、ナギシダ村は大きな楕円形をした島の北東の山中に位置していた。

 更に倍率を下げていくと、世界地図が表示された。

「ええ? オレの居た村ってこんなにちっさいのか?」

 テーブルの上に投射された世界地図の中の小さな赤い点を覗き込み、ナオヨシは驚きに声を上げた。

 この世界も朋彦の元居た世界と同じ様な宇宙の構造をしているらしく、太陽系とその周囲を回る惑星や、その衛星から成っていた。

 この星の上には海と大きな四つの大陸、そしてその大陸の周辺にある大小様々の島があり、ナギシダ村は東の大陸の横にある四つの島から成る島国の片隅――一番西の端の島の中にあった。

「・・・朋彦さん、これ何て書いてあるんだ?」

 朋彦が倍率を調節し直し、ナギシダ村のある島国を画面の中心に来る様に表示させると、ナオヨシが島国を指し示す矢印の文字を指差した。

「あ、この国の名前だな。えーと、ヨモアシナラって書いてるな。」

「へえ~。」

 朋彦が知識の参照を行なうと、この世界の大部分の地域では元の世界で言う所の現代日本語が使われていた。平安や江戸等の古い時代の物ではなく現代日本語である為、却って朋彦は異世界で言葉が通じる不思議を今まで意識する事が無かったのだった。

 文字も現代文の漢字仮名混じり文で、使われる文字も元の世界と全く同じだった。

 ただ、人名と地名については元の世界と違う決まりがあった。

 厳密ではなかったがある程度の公家や武士、商人や農民等の身分制度があり、低い身分の者は苗字がなく表記もカタカナのみと決められていた。

 地名についても漢字表記はあるものの公文書等の正式な文書でのみの使用が多く、殆どの場面ではカタカナ表記が行なわれていた。

 ナギシダ村は菜岸田村という表記らしいが、殆ど忘れ去られた様な表記の様だった。

「字の勉強もしないとなー。」

 朋彦の言葉にナオヨシも大きく頷いた。

「うん! ちゃんと勉強して朋彦さんの商売の役に立ちたい!」

 向学心に目を輝かせて朋彦を見てくるナオヨシに、少し照れながらも朋彦は微笑み返した。

「じゃあまあ、特にする事も無いし、ちょっと勉強でもするか?」

「ほんとか!? やった!」

 だらけ気味の朋彦とは対照的に、ナオヨシは実に嬉しそうに笑顔を浮かべて朋彦を見た。

 勉強をする体裁をまずは整えようと、朋彦は道具袋に手を入れてナオヨシの分のノートと鉛筆を作り出した。

 うっかりと元の世界の大学の購買で売っていた文房具を思い浮かべてしまった為に、この世界では意味の無い大学名や鉛筆のメーカーの社名まで入ってしまっていた。

「やっぱり最初は自分の名前の読み書きからかな・・・?」

 端末の画面に触れ、朋彦はカタカナで「ナオヨシ」と大きく表示させた。

 さっきの大画面の地図を出しっ放しにしていた為にテーブル一杯にカタカナで文字が表示されてしまったので、朋彦は慌てて画面を調節し、ナオヨシの近くにA3程度の大きさで投射される様にした。

 ナオヨシがノートを開いてたどたどしい手付きで字を書いている間に、朋彦は国語の教科書を作り出した。

 いろはの五十音や、簡単な漢字に短い幾つかの文章が載っているそれは、元の世界では小学一~二年生くらいの内容と思われた。

「すげぇ! これ、本って言うんだろ? オレ、初めて見た!」

 朋彦から教科書を受け取り、ナオヨシはぱらぱらとめくってみた。

 朋彦は教科書のイメージを漠然としか思い描いていなかったが、どうやら知識の参照能力の補正が入ってくれた様で、カラー印刷の絵や写真がふんだんに使われている見易く読み易い作りになっていた。

「これが平仮名でこっちがカタカナ。後は漢字が沢山あるから少しずつやっていくか・・・。」

 ナオヨシと一緒にページをめくりながら朋彦は五十音の表を指差した。

「さ・・・く・・・ら・・・。う・・・め・・・。も・・・も・・・。や・・・ま・・・ぶ・・・き・・・。」

 この世界でも植物や動物は殆ど似通っているらしく、鮮やかな色彩の写真に大きな平仮名と漢字で桜や梅、桃、山吹等の花や、犬、猫等の動物が教科書には順番に載っていた。

 一つ一つ指差して読み上げたり、ノートに字を書き写したりしてナオヨシは一生懸命に学んでいた。

 何となく親戚の小さな子供に勉強を教えているかの様な感じになってしまい、朋彦は微笑ましくナオヨシの勉強している様子を眺めた。

「あ、朋彦さんの字はどんな風に書くんだ?」

 ふと思い立ったのかナオヨシは朋彦の方を向いた。

「あ、うん。えーと、む・ろ・じ・・・ともひこ・・・。」

 朋彦はナオヨシからノートと鉛筆を受け取り、カタカナと漢字で自分の名前を「ナオヨシ」の横に書いた。

「朋彦さんは苗字があるから名前は漢字でも書くんだな~。」

 ナオヨシは朋彦から返してもらったノートに書かれた字を眺め、しきりに感心していた。

 途中何度か休憩を挟んだものの、ナオヨシは意外と集中して勉強をし、付き合う朋彦の方がくたびれてしまった。

 字の書き取りや音読、簡単な足し算引き算に、ナギシダ村の周囲の地理・・・と、そうした内容の勉強をする内に時間はあっと言う間に過ぎていき、気が付くと台所の窓の外の景色は夕暮れになっていた。

「面白かったけど疲れたな~!」

 教科書とノートをテーブルの上に広げたまま、ナオヨシは大きく伸びをした。

「もっと字が読み書き出来る様になったら街に本でも買いに行こうな。」

 朋彦は大きな欠伸をしながら携帯端末の電源を切った。

「うん。」

 ナオヨシも嬉しそうに頷きながら自分の教科書とノートを閉じてテーブルの隅へと片付けた。

 何度か大欠伸をしながら朋彦が椅子から立ち上がると、窓の外で陽は大分傾いており山々の稜線だけが薄赤い空に浮かび上がっていた。

 朋彦が死んだ時に拾い上げられた、あの夕暮れの不思議な世界の事を思い出さない訳ではなかったが、今窓の外に広がる景色はあの世界よりも遥かに現実的で、五感できちんと捉える事が出来ていた。

 何気無く朋彦が窓を開けると、夏の名残のまだ生温い湿気た風が入って来た。

 今朋彦が居るこの夕暮れの山の中にはきちんと地面があり、山や空や、山の生き物達の気配もあり――あの世界での訳の判らないパイ皮の塊も、果てしなく流れ去っていく得体の知れない空も無かった。

「こんな高い所から山を見るなんて、まるで天狗か仙人になったみたいだ・・・。」

 窓から外を眺める朋彦の背に、ナオヨシの大柄な姿が重なった。

 片側の窓ガラスに薄く反射して映るナオヨシの人の良さそうな笑顔に、朋彦もそっと微笑んだ。



 色々と勉強をしたいというナオヨシの強い希望で朋彦が勉強を教える内に、山の中に家を構えてから二日があっと言う間に過ぎていった。

 三日目の朝になり、朋彦が蛙人形で作り出したご飯に油揚げの味噌汁、焼き魚の朝食を食べ終えると、

「なあ、今日はちょっとこの近くを散歩とかしないか?」

 朋彦の方からナオヨシに外出の提案をしてみた。

 流石に二日も三日も家の中に篭もって勉強ばかりでは退屈になってしまったのだった。

 しかし意外な事にナオヨシの方は外出には消極的な様で、表情を曇らせて少し俯いた。

「うん・・・。でも・・・オレ、こんな山奥までは一人で来た事なんて無いし・・・。それに山奥には化生(けしょう)が出て襲われるって村の皆が言ってたし・・・。」

 ナオヨシや村人達が罠を仕掛けて鳥や兎等を捕えるのは精々村から五~十キロ程の範囲の山だと言う事で、獣道も有るか無いかの様なこうした山奥には村人達も滅多に入る事は無いというナオヨシの話だった。

「村人達がやって来れないんなら俺達にとっては安心なんだけどな・・・。しかし化生ねえ・・・。」

 朋彦は腕組みをしながら考え込んだ。大柄な体格に似合わずナオヨシは意外と怖がりで臆病な所がある様だった。

 朋彦が化生についての知識を参照すると、化生とは元の世界でのマンガやゲームに出て来る様な妖怪やモンスターの様な存在と言う事だった。

 この世界の人間や神々、精霊等と言った心を持つ存在から放出される精神エネルギーの内、憎悪や怨恨、憤怒といった様な負のエネルギーが凝縮して誕生するもので、彼等には知能等は無くただ攻撃的で人間や他の野生動物等を殺す為だけに襲う――と言う説明が朋彦の頭の中に表示された。

 その姿形も千差万別で、朋彦の元の世界で言う鬼や龍の様な姿の者も居れば、狼や熊に棘や角が生えている様な姿の者も居る様だった。

「神々や精霊とか化生とか、やっとファンタジーというか異世界っていう気がしてきたな・・・。」

 合板で出来たテーブルと椅子に、朝食の食器や携帯端末、大学のロゴの入ったノートが置かれた台所で、呑気に朝の山の景色を眺めている今の状況では全く朋彦には実感も無かったけれども。

「ナオヨシは化生を見た事はあるのか?」

 食べ終えた食器を流しの方に一緒に持って行きながら、朋彦はナオヨシに尋ねてみた。

 ナオヨシは頭を大きく横に振って答えた。

「全然!! 大体、化生が出る様な所に出掛けようとも考えた事も無かったよ!! ――あ、でも、村長様が若い頃、お兄さんと一緒に山奥に狩りに出掛けた時に熊みたいな化生に出会って殺されかけたって・・・。」

「そっか・・・。」 

 恐ろしそうに語るナオヨシの話を聞きながら、朋彦は何か武器や防具を作った方がいいかも知れないと考え始めた。

「化生はともかく、この先行商とかで旅をする時に何も身を守る物が無いのも困るよな・・・。盗賊とか、普通の山の動物とかでも危険だし・・・。」

 最初から攻撃的な化生とは違うかも知れないが、熊や狼の様な野生動物でも充分に危険な存在と言えた。

「そうだね・・・。すげぇ大変なんだな・・・旅をして生きていくって。」

 村から物理的にも社会的にも離れて、危険な場所も通って生きていかなければならなくなった事を、ナオヨシもまた今更ながら実感し始めていた。

「取り敢えず何か武器とか防具とか考えようか・・・。」

 朋彦はナオヨシと並んで椅子に腰掛け直すと、携帯端末の電源を入れて白紙のノート機能を呼び出した。

 何となく思いつくのはファンタジーな物語の定番な鎧とか皮のジャケット、青銅とかの剣。ここは日本的な世界観だから後は刀とか時代劇に出て来る様な方の鎧や兜・・・。

 朋彦の思念に反応して、雑然とした落書きの様な線ではあったがそうした武器や防具の大まかなイメージが、端末の画面の中に広げられたノートの中に幾つか浮かび上がっていった。

 しかし朋彦が明確にイメージ出来そうな武器や防具といえば、せいぜいが剣道の竹刀と防具ぐらいだった。

 それに何より、今のナオヨシとお揃いのハダカチョッキにフンドシ状態の格好に何かを着込んだり武装したりというのは、余り朋彦の歓心をそそるものではなかった。 

「これ、オレ達が身に着けるのか? 何か動きにくそうだな・・・。」

 ナオヨシが余り気が進まなさそうに、表示された鎧兜や刀剣のラフスケッチの様な画像を朋彦の真横から覗き込んだ。

「これは竹の刀なのか? 何か何も切れなさそうだけど・・・。」

 朋彦が明確にイメージ出来た剣道着と竹刀だけは鮮やかで精細な人形の様な画像として画面のノートに描かれていた為、ナオヨシが興味深そうに指差した。

「ああ、これは剣道の格好で、あんまりこの格好で戦闘したりはしないんじゃないかな・・・。」

 手慰みに、適当なマネキン人形に剣道着を着せた立体映像を即興で仕立て、テーブルの上に投射した。

 剣道、柔道、合気道、そして相撲――朋彦の世界でもあったそれらの武道は、この世界でも同じ様なルールや心身の鍛錬の手段として存在していると知識の参照で知る事が出来た。

 しかし辺境の田舎では神事や娯楽と結び付く事の多い相撲だけがよく知られている様で、ナオヨシは相撲以外の武道については殆ど知らない様だった。

 気分転換の手慰みが脱線し、テーブルの上の立体映像はどんどんと増えていき、それぞれの武道の格好をしたマネキン人形が並んでいった。

「あ、相撲の格好だ。」

 やはり馴染みのあるマワシ姿の人形をナオヨシは一番興味深く見つめていた。

「こう言う事も出来るぞ~。」

 朋彦の心にちょっとした悪戯心が起こった。

 蛙人形を握るとプラスチック人形の様な味気ない質感の立体映像に思念を加え、モデルを全てナオヨシそっくりな姿へと入れ替えてみた。

「すっげええ! オレが色んな格好してる!!」

 ナオヨシは驚きながらテーブルの上に投射された自分の人形を覗き込んだ。

 マワシや剣道着を身に着けた五十センチ程の大きさの立体映像の自分自身を面白そうに見続けるナオヨシの様子を横目で見ながら、朋彦は更なる悪戯心が湧き起こってきた。

 立体映像のナオヨシを全裸にして剣道着の面だけ、小手だけ・・・と、着せ替え人形の着替え途中の様な状態の物を朋彦は幾つか作りだしてみた。

「なっ! 何してるんだよ~。」

 滑稽で恥ずかしい様な自分の立体映像を見て、顔を少し赤くしながらナオヨシは朋彦に口を尖らせて抗議した。

 御丁寧に立体映像のナオヨシの股間も本物の様に丁寧に作りこまれていた。

「イイ!! これ、すっげぇイイっすわ!!」

 目の前の映像として映し出されたナオヨシの全裸と剣道着の一部分の組み合わせは、朋彦に妙な喜びを感じさせていた。

「朋彦さん~・・・!!」

 ナオヨシの咎める様な声にも構わず目をきらきらと輝かせて朋彦は、全裸に面だけを着けたナオヨシの立体映像を特に凝視した。

「ナオヨシ・・・。なあ、ちょっと剣道ゴッコしねぇか・・・?」

 ちょっと何かに酔っ払ったかの様な上気した頬と眼差しで、朋彦はごくりと唾を飲み込んでナオヨシの方を向いた。


(パイライフの検閲により削除)


 朋彦、蛙人形の力によりて 二階に剣道場を作りにけり

 全裸に 防具着こしめて 肉の竹刀 打ち合ふに及ぶ


 


 二人がシャワーを浴びて一息ついた頃には既に昼を大分過ぎてしまっていた。

 二人の汚れが付いた剣道着は、きちんと拭いて手入れをしようかどうか朋彦は迷ったが、汚れプレイも捨て難かった為にそのまま置いておく事にした。

「取り敢えず昼飯にするか~。」

 例によって朋彦は蛙人形を使って食事を作り出し、テーブルの上へと並べた。

 ごはんに味噌汁、青菜と油揚げの煮びたし、魚の切り身の焼いた物――と、漠然と朋彦が覚えている実家での食事を思い出して作った物だった。

「メシ食ったら今度こそちゃんと武器とか作らないとなー。」

 魚の切り身を解して食べながら話す朋彦にナオヨシも頷いた。

「そうだね~。」

 川魚くらいしか見た事の無いナオヨシは、マグロのイメージで作り出された切り身を物珍しげに箸でつついたりしながら口に運んだ。

「三食、米のメシ食うなんてお公家様にでもなった気分だな~。」

 嬉しそうにナオヨシはそう言いながらすぐに食事をたいらげてしまった。武器や防具については朋彦に完全に任せてしまっている様だった。

「あ、そうか。三食の食習慣はまだそんなに広まってないんだっけか。」

 ナオヨシの言葉に朋彦は何となく相槌を打ちながら、少し食習慣についての知識を頭の片隅で呼び出した。

 大部分の地域で三食何かしら食べる習慣自体は確立はしていたものの、食糧事情等の違いで二食だけ或いは一食食べて後はごく僅かな軽食のみという場所も珍しくはなかった。

 ナギシダ村周辺の地域についても主に朝昼どちらか一食で、夕食は食べたり食べなかったりという状態だと朋彦の頭の中に表示された。

「・・・やっぱ、家の中に閉じこもってばかりは良くないな。」

 きちんと三食取るのは良いとして、労働や運動もせず家の中で過ごすばかりではナオヨシにも自分にも良くないと朋彦は一人で結論付けた。

 何より、食べ過ぎや運動不足で肥満になっては健康等の面からも不都合だった。朋彦は残念ながらデブ専ではなかったのだった。

「よーし、さっさと武器と防具を作って外に出て体を動かすぞ!」

 突然立ち上がってそう告げる朋彦の様子に、ナオヨシは驚いて食べていた手を止めてしまった。

「う・・・うん。」

 よく判らないままも頷くナオヨシを見て、朋彦はうんうんと頷いた。



 食事を終えて台所の隣の居間に移り、朋彦は畳の上に胡坐をかいて座った。

 後から付いて来たナオヨシも邪魔にならない様に朋彦から少し離れて腰を下ろした。

 朋彦は腹に貼り付けていた道具袋に手を入れ、いつもの様に蛙人形を掴むと精神を集中した。

 よく考えなくとも、朋彦はそもそも武器や防具の類には余り思い入れがある方ではなかったので、この世界で一般的に使われている安物の刀を取り急ぎ実体化させる事にしたのだった。

 また後で気に入ったデザインに修正する事も出来るし、もっと違う種類の武器を思い付いた時には新しく作っても良かった。

 そう思い切ると朋彦は刀と腕輪を二つずつさっさと作り出し、実体化した物に向けて色々と機能をイメージして付与していった。

「お揃いだ!」

 傍らに胡坐をかいて座っていたナオヨシが嬉しそうに畳の上に並べられた刀と腕輪を眺めた。

 漆塗りの黒い鞘に収められた刀を朋彦は手に取り、試しに抜いてみた。 

 六~七十センチ程の長さの白銀に輝く刀身には曇り一つ無く、朋彦の顔を鏡の様に映し出していた。

 安全の為、刀はそれぞれの持ち主でないと抜けない様にし、切れ味も鍔に付けた赤、青、黄の小さな石のボタンで変更出来る様にした。赤は物体の分子結合を切り離す力を持ち、どんな物でも切り裂ける。青は普通の刀剣レベル。黄は果物ナイフレベル――と。

 腕輪の方は木製の簡素な作りで幅一センチ程の細い物に、緑、水色、白の三色の小さな石のボタンが付けられていた。鎧を身に着けるのを好まなかった朋彦は、この腕輪が必要に応じて防御シールドを展開する様にと設定したのだった。

 防御以外の機能として緑色の石には通信機能、水色には自分や相手に対しての治療魔法の発動、白には浮遊や飛行の魔法の発動と設定した。

 やはり二人の身の安全の為に、朋彦が念じない限りは腕輪は外れず、お互いに遠くはぐれてしまっても現在位置が判る至れり尽くせりの一品だった。

「――と、言う訳で、これで盗賊や暴漢、化生が襲って来ても大丈夫!!」

 何かの通販番組の様な調子で朋彦はナオヨシに説明し、ナオヨシは目を輝かせて聞き入っていた。

「すげ~!!」

 ナオヨシは拍手をした後、朋彦から刀と腕輪を受け取り、それぞれ腰と腕に装着した。

 本来ならば帯等に差すのだったが、寸足らずの袖無しの上着に褌という殆ど半裸に近い姿だったので、朋彦は鞘が腰の辺りに自動で付く様に機能を追加した。

「・・・えーと、緑が・・・何だっけ・・・。」

 ナオヨシは左手に嵌められた腕輪の石を見ながら困った様に呟いた。

 朋彦はナオヨシの頭を撫で、

「まあ、その内覚えるよ。取り敢えず外に行こうぜ。」

 ナオヨシの手を引いて朋彦は玄関へと向かった。

 そのままドアを開けると空中に放り出されてしまう為、玄関のドアは安全の為に開かない様になっていた。

 家の出入りは玄関に下りて念じるだけでいい様になっていた。

 朋彦はナオヨシと手を繋いで玄関に下りると、家の外に出る様に念じた。

 すぐに二人は足下から照らされた光に包まれて、吸い込まれる様にして消えていった。

「お?」

 突然に家の外に移動したのでナオヨシが驚いて辺りを見回した。

 二人が立っていたのは家を支える鉄柱のすぐ真横だった。

 外――と言うか、上空はまだ明るかったものの、既におおよその時刻としては夕方になっていた。

 杉や檜、椎の木等、針葉樹と照葉樹が入り混じって生えている山の中は鬱蒼と太い枝葉が絡み合い、朋彦達が立っている木々の根元は既に薄暗くなり始めていた。

 下草もまた背の高いナオヨシですら覆い隠すばかりに伸び放題で、周囲の見通しは全く良くはなかった。

「・・・俺、ちょっと散歩やハイキングしたかっただけなんだけどな・・・。」

 玄関からずっとナオヨシの手を握ったまま、朋彦は疲れた様な溜息を吐いた。

 何処かに歩いて行くにしても、まずは目の前の藪を切り払って道を作らなければならなかった。

「まあ折角外に出たんだし、ちょっとだけいいか?」

 朋彦は傍らに立つナオヨシを見上げて尋ねた。

「うん、いいよ。でも夜になる前には帰ろうな。」

 ナオヨシは朋彦に笑いながら答えた。

 取り敢えず適当に道を作る事にして朋彦は自分の刀を抜き、鍔の青いボタンを押して普通の刀剣程度の切れ味に調節した。

 密集する蔓草や、痩せて細長く伸びた低木は刃を適当に振り回すだけではなかなか切れず、朋彦は思う様に前へは進めなかった。

「オレが代わるよ。」

 刀を振る朋彦の不器用な手付きに微笑みながら、ナオヨシも自分の刀を抜いて朋彦の前に進み出た。

 ざっざっと軽快な音を立てて手際良く草や木の枝が刈り払われ、ナオヨシは慣れた手付きでそれらを横へと押しやって進んで行った。

「おお~! 流石だな~。」

 ナオヨシの後ろにゆっくりと付いて歩きながら朋彦が感心した声を上げた。

 本当はそのままナオヨシの頭を撫でたり尻を触ったりして誉めたかったけれども、流石に刃物を振り回して作業している最中だったので思い留まった。

「へへ・・・。」

 朋彦に誉められ、ナオヨシは嬉しそうに笑った。

 村で使っていた借り物の鉈や包丁に比べて、刃こぼれも無く切れ味も安定している朋彦の作り出した刀はすぐにナオヨシの手に馴染んだ様だった。

 十分から十五分程そうして藪の中を切り開いて歩いていたが、距離にして二百メートル進んだかどうかといった所だった。

「何か散歩って言うか・・・山歩き・・・いや、ジャングル探検な感じだな・・・。」

 朋彦はふと後ろを振り返って溜息をついた。

 自分達の家は木々の茂みの向こうにまだ充分見える距離だった。

 特に目的も無く外に出ただけなので、日が完全に沈まない内に引き返そうかと朋彦は思いナオヨシの方を向き直った。

「あ、朋彦さん! 山芋の蔓だ!」

 ナオヨシが刀を振るう手を止め、切り払った草の中から一本の蔓草を手に取った。

「へ~! よく判ったな。凄いな!」

 朋彦は感心してナオヨシの手にあるハート型の葉っぱをした蔓草を覗き込んだ。

 スーパー等で売られている山芋は見た事があったものの、山の中に生えている蔓草から見分ける事は朋彦には出来なかった。

「へへへ。いつも村の近くの山で採ったりしてたからな~!」

 朋彦に誉められてナオヨシは得意そうに笑った。

「あ、蔓があるって事は、芋もどっかにあるんだよな。」

 朋彦は辺りを見回したが見分けは付かず、どれも似た様な蔓草にしか見えなかった。知識の参照でもしてみようかと朋彦が思った所で、ナオヨシが山芋の蔓を見つけた様だった。

「あ、あった!」

 ナオヨシが朋彦達の前方にある一本の蔓草を指差した。

 ナオヨシは今度はゆっくりと山芋以外の蔓草だけを注意して刈り払い、目当ての場所に近付いて行った。

 さっきの蔓草と同じハートの形をした葉が朋彦の目にも判った。

 ナオヨシはその一本を残して周囲の草をゆっくりと刈り払い、取り除いた。

「あ・・・朋彦さん、何か、鍬とか無いかな?」

 ナオヨシも段々朋彦の能力が判ってきたのか、朋彦の腹部の道具袋を指差した。

「無いけど今から作るよ。」

 朋彦は苦笑しながら道具袋に手を突っ込み、村人達に作った物と似た様な鍬や細身のシャベルを作り出した。

 刀を鞘に収めて朋彦に預け、ナオヨシは鍬を受け取った。

 鉄製の鍬やシャベルを軽々と振り回す割には地下の芋を崩さない様にと、ナオヨシは丁寧に少しずつ地面を掘り起こしていった。

 枯葉や腐葉土がナオヨシの汗ばんだ体に貼り付き、おろしたての上着や褌も黒く汚れてしまっていた。

 鍬を振るう度にナオヨシの剥き出しの腕や尻の逞しい筋肉が強張り、揺れる様子を心ときめかせながら朋彦は眺めていた。

 農作業はよく判らない素人が手を出しても却って邪魔になるだろうから――等と、誰に言う訳でもない言い訳を内心で行ないながら、朋彦はニヤニヤと下心に満ちた目でナオヨシの作業を見守り続けた。

 ――しばらくして、

「あ・・・・!」

 ゴリッという鈍い音が地面から聞こえ、ナオヨシが慌てて鍬を放り出して手で土を掻き出し始めた。

 地面の中から黒い土やぽろぽろと崩れる枯葉にまみれた山芋の大きな塊が出て来たが、それは途中で折れてしまい白い口が見えていた。

「あー・・・。」

 ナオヨシはがっくりと肩を落とし、山芋の土を手で払い落とした。

 途中で折れてはいたが四十センチ程の長さの山芋は太くごつごつしており充分に大きかった。

「ごめん・・・。折角朋彦さんにいいとこ見せようと思ったのに・・・。」

「謝る事なんて無いよ! 充分でけーじゃないか。今晩は山芋料理食べようぜ。」

 ナオヨシから山芋を受け取り、朋彦は道具袋の中に仕舞い込んだ。

「こんな短い時間の内に山芋見つけるなんて大したもんだと思うぜ?」

 慰める様にナオヨシの体と着物にこびり付いた土や枯葉を朋彦は払い落とし、軽く尻を叩いた。

 こっちの山芋もまた食べたいなあ――等と、朋彦は土で汚れたナオヨシの褌の股間に目を落とした。

「取り敢えず、帰って風呂入ったらメシにするか。」

「うん!」

 すぐにナオヨシは機嫌を直した様で、大きく頷くと朋彦と手を繋いで元来た道を引き返していった。

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