よっつめのかたり「ナオヨシの身、「産めぬ民」なると聞こし召して」

 午後はずっと曇りのままだったのでいつ日が傾いたのかは判りにくかったが、辺りも暗くなり始めた為、ハルサブロウは皆に今日の仕事の終わりを告げた。

「疲れた~。」

 朋彦はよろよろと畑から這い出す様に出て来ると、昼間休憩を取った木の下でぐったりと座り込んだ。

「行商人様、今日は有難うございました・・・。」

 朋彦が座り込んでぜえぜえと息をしていると、ハルサブロウ達は朋彦に一応丁寧に頭を下げ、すぐにそれぞれの家へと帰っていった。

 疲れているのもあるだろうし、恐らくはナオヨシをこれ以上雑に扱って朋彦の機嫌を損ねたくなかったという打算もあったと思われた。

「・・・朋彦さん・・・大丈夫か?」

 木の鍬を肩に担ぎ、ナオヨシが心配そうに朋彦の所へとやって来た。

「あー・・・・大丈夫・・・。何とか。」

 しばらくして呼吸も幾らか落ち着いてくると、朋彦は懐から竹の水筒を取り出してぐびぐびと水を飲んだ。

「あ~~ッ! 生き返る~~!」

 大きな息を吐き、朋彦はやっと人心地ついた気がした。

「ほら、ナオヨシも喉渇いてるだろ?」

 ずっと心配そうに見ているナオヨシに朋彦は水筒を差し出した。

「あ、ありがと。」

 ナオヨシは朋彦の疲れがましになった様子を喜びながら水筒を受け取った。

 飲み終わった水筒を朋彦が返してもらっている所で朋彦の腹が大きく鳴った。

「そういや腹減ったな~。それに今夜の宿はどうすっかなー・・・。」

 水筒を懐の道具袋に仕舞い込み、朋彦は軽く腹をさすった。

 つい、農作業の手伝いに夢中になってしまい、これからの行動をどうするのか全く考えていなかった。

 多少の頭痛を我慢すればテントでも寝袋でも――恐らく山小屋の一軒二軒でもすぐに作り出す事は出来るだろうが、この村で泊まるならば是非ともナオヨシの所で泊まりたいと朋彦は思っていた。

「それならオレのとこで寝ていけばいいよ。・・・ボロ小屋でもよければ、だけど・・・。」

 朋彦の願いが通じたのか、そうナオヨシが提案してきた事に朋彦の目が強い輝きを即座に放った。  

「そそそそそ、そうか!! 有難う! 是非とも頼むよ!」

「わかった!」

 ナオヨシは朋彦の目の異様に激しい輝きに気付きもせず、呑気に笑いながら朋彦の背中を軽く叩いた。

「じゃあ、オレ、村長様の所に鍬を返してくるからここで休んでて。」

「あいよー。」

 慣れない農作業で疲れた朋彦を気遣い、ナオヨシはそう言うと鍬を担いだまま行ってしまった。

 朋彦は木の下に座り込んだままナオヨシの後姿を見送った。

 いちいち村長の所に道具を借りにいくのも不便だろうし、ナオヨシの性格だと村長にも気を使うだろうから、ナオヨシにも金属製の農機具を贈ろうか・・・とも、朋彦は遠ざかるナオヨシの後姿を眺めながら考えた。

 助けてくれたり泊めてくれたお礼という事ならば受け取ってもらえないだろうか。

 そんな事を朋彦がとりとめも無く考えている内に、曇り空の向こうの太陽は沈んでしまったのか辺りはどんどんと薄暗くなっていった。

 木の下で座って休んでいる内に朋彦の疲れもましになり、丁度そこに鍬を返し終わったナオヨシが戻ってきた。

「お待たせ、朋彦さん。」

「おう。」

 側に来たナオヨシに笑いかけ、朋彦は立ち上がった。

「じゃ、帰ろうか。・・・でも、ボロ小屋でホントにいいのか?」

 立ち上がった朋彦の顔を今更ながら申し訳無さそうに見下ろしながら、ナオヨシは呟く様に尋ねてきた。

 今夜の寝床に困っていた朋彦の助けになればと提案したものの、やはりお偉い行商人様を自分のボロ小屋に泊める事への気後れが後から湧き起こってしまったのだった。 

「全然気にしないってば。平気平気。一緒に山で野宿した仲じゃねえかよ!」

 朋彦は明るく笑って言い放ったが、ナオヨシは昨夜の朋彦との野宿を思い出して思わず顔を赤くしてしまった。

「そ・・・そうだな・・・。じゃ、行こうか!」

 赤くなった顔を隠す様に慌ててナオヨシは後ろを向き、自分の家に向かって先に歩き始めた。

「おいおい、置いてくなよ~。」

 ナオヨシの顔が赤くなった事に何となく気付きながらも、朋彦は指摘はせずにナオヨシの後を追った。

 ハルサブロウの畑から西の方の山へと向かい、二つ三つ田畑や草むらを過ぎた所でやっと小さな小屋が見えてきた。

 ナオヨシの家は村外れの西の山の近くにあった。

「あ、あれだよ。」

 ナオヨシが指差した先に、確かにナオヨシの言った通りのボロ小屋があった。

「あ、ああ・・・。」

  ナオヨシの家族がもう死んでいる事や、十年近くも村人達の助け合いで何とかナオヨシが生き延びて来た事等を、朋彦は聞いてはいたけれども――話で聞くよりも雄弁に、ナオヨシの住むボロ小屋がそれらの月日の苦労を物語っていた。

 小屋と言うよりも、朽ちかけた木の板と棒で作ったテントと言うか、テントの様な物と言うか・・・朋彦の感覚ではテントですらなかった。

 所々虫食いらしき小さな穴の開いた柱を立てかけた入り口には扉も無く、ボロ布が暖簾の様に垂れ下がっているだけだった。

 それをくぐって中に入ると、柱と板を立てかけて囲った四畳半あるかないかの板敷きがあった。

 ほつれかけた二枚のむしろは多分、敷布団と掛け布団の代わりなのだろう。

 天井はナオヨシの頭の高さぎりぎりで、随分と窮屈そうに見えた。

「ナオヨシも疲れただろ? メシにしようぜ。」

 朋彦は板敷きの上にナオヨシと向かい合う様にして腰を下ろした。 

 小屋は確かに狭かったが、これはナオヨシと密着したり接近するのにはとても都合の良い状態だとも言えた。

 朋彦は何処までも無駄に前向きだった。

「え、でも・・・食べ物あんまり無いよ・・・?」

 板敷きの隅に置かれた、残り少ない干し肉や稗の入った小さな木箱をナオヨシは申し訳無さそうに見た。ナオヨシの一食分にも満たない量で、とても朋彦をもてなす事は出来なかった。

「ああ、ちょっと外で用意してくるよ。美味いモン食わせてやるからな~。」

 朋彦はナオヨシにそう言うと、ボロ布の暖簾をくぐって小屋の外へと出た。

 余りに自分の価値観や常識と違い過ぎるナオヨシの暮らしぶりに、せめてもう少し美味い物でも食べさせてやりたいと朋彦は思った。

 それに、朋彦はこの世界にやって来てから碌な物を食べていなかった。朋彦自身が何よりも、もうちょっとましな飯を食べたいと思っていたのだった。

 朋彦は小屋の裏に回るとカセットコンロとステンレス鍋、二人分のお椀に木のスプーン、レトルト食品のパックを蛙人形から作り出した。

「おおー!! 何だこれ!! マジナイか? すげええ!!」

 後から朋彦の様子を見に出てきたナオヨシは、朋彦が取り出した品物の数々を見て驚きの声を上げた。

 スイッチひと捻りで炎を噴き出すカセットコンロが鍋の湯を沸かす様子を、ナオヨシは目を見開いて覗き込んだ。

「あ、いや・・・。よその国から仕入れた物で・・・。」

 ごまかす様に朋彦は笑顔を浮かべた。

 童話に出て来る様などんな食べ物も出て来るテーブル掛けでも作り出せない事は無かったが、余り村人達の理解を超え過ぎた事を行なって騒がれたくはなかったので、外国からの進んだ文明の品物だと言うぎりぎり納得してもらえそうなレベルの物を作り出すに留めたのだった。

 それでもナオヨシにとってカセットコンロやレトルトパックは魔法かまじない事の様に見えるらしかったが。

「ほら、出来た。食おうぜ!」

 海老と蟹の卵とじ雑炊三百グラムパックを二つ。温め終わった鍋の湯を近くの草むらに捨てて朋彦は小屋の中に鍋を持って入った。

「あ、お椀と匙を・・・。」

「あ、うん。」

 朋彦に言われナオヨシは椀と匙を手にして朋彦の後に続いた。

 板の上に座ると朋彦はレトルトパックの端をちぎり、それぞれの椀に中身を注いだ。

 ふんわりと温かく、塩気と旨味を感じさせる湯気が小屋の中に立ち上った。

 生まれて初めて温かな料理を間近に見て、香りを嗅ぐナオヨシは、ただただ匙と椀を手にしたまま呆然としていた。

 先に食べ始めた朋彦の様子に気付き、ナオヨシも恐る恐る雑炊を掬って口に運んだ。

「・・・・っ!!」

 蟹の味のとろりとした汁と軟らかくふやけた米が舌の上で絡み、するっとナオヨシの喉を滑り落ちていった。

 ナオヨシにとってそれはとてつもなく美味かった。こんな美味い物は村長ですら食べた事は無いだろう。昨日の飴玉と言い、この雑炊と言い、とんでもない贅沢品を持つ朋彦は本当に凄い行商人様なのだろう・・・。

 ナオヨシはますます朋彦を憧れの目で見るのだった。

「すっげぇ美味いよ! オレ、こんなの生まれて初めて食べた!!」

 あっと言う間に蟹雑炊を平らげるナオヨシの様子を朋彦はにこにこと微笑みながら眺め、自分も雑炊を口に運んだ。

 この世界に転移してきてたった三日程の事なのに、朋彦は随分長い間元の世界の食べ物を食べていなかった様に思ってしまった。

「美味いな~。」

 朋彦もしみじみと呟いた。

 レトルトではあったがきちんと味付けされた温かい料理を、ナオヨシと一緒に食べていると一層美味く感じるのだった。

 雑炊を食べ終わり、朋彦は竹の水筒を懐から取り出した。

「あ、先に飲めよ。」

 ナオヨシに水筒を渡すと、遠慮がちに受け取った。

「あ、有難う・・・。」

 ナオヨシが水を飲む様子を見ながら、朋彦はふと思い付き問い掛けた。

「あ、ナオヨシの分の水筒も作ろうか? 山仕事とかの時にすぐ水が無いと不便だろ?」

 初めて山でナオヨシと出会った時に、自分の怪我を木の実の果汁で洗い流した事を朋彦は思い出した。

「え・・・でも、いいよ。自分で作るから・・・。」

 ナオヨシはそう言って遠慮したが、竹を切ったり穴を開けたりする道具をナオヨシは持っていない様だった。

 村人達のナオヨシへの扱いを考えると、道具も貸してくれない事は朋彦には簡単に予想が付いた。  

「いいっていいって。助けてくれたお礼だよ。後であげるからな~。」

「あ・・・有難う・・・。」

 朋彦の半ば強引な言葉にもナオヨシは気分を害した様子も無く、むしろ嬉しそうに笑って礼を言った。

「じゃ、ちょっと食器洗ってくる。」

 空になった二つの椀を持って朋彦が立ち上がると、

「あ、オレも。」

 忠犬宜しく嬉しそうにナオヨシも朋彦に続いて立ち上がった。

 外でナオヨシの分の水筒を作り出そうと思っていた朋彦は少し困ってしまったが、また後で作ろうと思い直し、ナオヨシと一緒に小屋の外に出た。

「すっかり暗くなったな~。」

 月も星も雲に隠されている暗い夜空を朋彦は見上げた。

「そうだなあ・・・。」

 朋彦の横に立ってナオヨシも夜空を見上げた。

 朋彦は小屋の裏の草むらに屈み込むと、懐から水筒を取り出して椀をすすいだ。

 当然の事ながら上下水道も無い村の事であり、汚れを洗い流した水は草むらの中に吸い込まれていった。椀二つを洗うだけで、洗剤も使っていないので周りの土や水を汚す心配は無かったが、いずれ排水の事等も考える必要があるか――と朋彦は思った。

 水を切った椀を手に朋彦が立ち上がると、草むらの向こうに小さな提灯を下げ背負い籠に柴を詰め込んだ男が通り掛ったのが目に入った。

「あ、ハルサブロウさん・・・!」

 ナオヨシは通り掛った男――ハルサブロウに頭を下げた。

 朋彦はナオヨシの事しか眼中に無かった為に充分には記憶してはいなかったが、昼間ナオヨシ達と一緒に畑仕事をしていた中年の男だった。

 ハルサブロウはあれから近くの山に入って柴を刈っていた様だった。

 朋彦も取り敢えず頭を下げた。

「あ・・・ああ。ナオヨシか・・・。行商人様も・・・!」

 ハルサブロウはひどく驚いた様な表情で朋彦の顔とナオヨシの顔と――そして小屋とを何度か見比べ、小さく頭を下げてすぐに小走りで立ち去っていった。

「何だ・・・?」

 朋彦は首をかしげたが、大して気にも留めずナオヨシと共に小屋の中に戻った。

「あ~、今日も疲れたなあ~。」

 ナオヨシは板敷きの上に腰を下ろすと、軽く両腕を上げて伸びをした。

 明かりの蝋燭等も無いので小屋の中は既に暗く、後はもう横になって寝るだけだった。この辺りの地方の村の夜は、どの家もこの様なものだった。

「も・・・もう、寝る、か。」

 暗がりの中に微かに見えるナオヨシの丸顔へと笑いかけつつも、朋彦は胸が高鳴った。

 山の中でナオヨシと野宿した時は怪我の痛みで気持ちに余裕が無かったが、回復した今はナオヨシとの夜を過ごす期待で朋彦の目は激しく輝いていた。

「うん。・・・でもごめんな、朋彦さん。こんな粗末な小屋で・・・。」

 ナオヨシは謝りながら板の上にむしろを敷いた。

「いや、大丈夫だよ! 旅では野宿もあるからな~。あ、そうだ、一昨日のブランケットも出すか。」

 朋彦は何度も謝るナオヨシにそんなでまかせを言って気を使わせないようにして、懐の道具袋から一昨日の山で使ったブランケットを取り出した。

「あ、これ、すげぇよな! ちっとも寒くなかったもんな!」

 ナオヨシは嬉しそうに朋彦からブランケットを受け取ってむしろの上に広げた。

「・・・・。」

「・・・・。」

 暗がりの中でほんの数秒、朋彦とナオヨシは向かい合って座ったまま黙り込んでしまった。

 暗かったので判らなかったが、朋彦もナオヨシもお互い顔を赤らめていた。

 これは、強く押したらイケるか・・・? 「産めぬ民」と村人に噂されているくらいだから、きっとイケる・・・といいなあ・・・。

 ――等と、朋彦は数秒の内に悶々と思考を巡らせたものの、結局出て来たのは無難な言葉だけだった。

「じゃあ、そろそろ寝ようか・・・。明日も早いだろうし・・・。」

 朋彦の言葉にナオヨシも、何処かほっとした様に返事をした。

「あ、うん・・・。今日も疲れたからなぁ~・・・。」

 二人はごそごそとブランケットの中に潜り込むと、向かい合って横になった。

 板敷きの小屋の中でナオヨシは少し窮屈そうに手足を曲げていたので、朋彦はナオヨシと密着に近い状態になった事を喜びながらも少し申し訳無い気分にもなった。 

 暗くて殆ど見えない分、ナオヨシの息遣いや体の匂いが一層鮮やかに認識されてしまい、朋彦はますます胸の鼓動が早くなってしまうのを感じた。

 手を出したい! もんのすごっく手を出したい!!

 目の前に横たわっているナオヨシは、朋彦にとってはまるでまな板の上の食材だった。

 いや、調理どころか生のままでも美味しく頂けてしまう!!

 もし今明るかったら、血走った眼でナオヨシの顔を凝視している朋彦の姿がナオヨシにも見えた事だろう。

「・・・え、ええと、朋彦さんは明日出発すんのか?」

 慣れない他人との雑魚寝にナオヨシも少し緊張していた様で、掠れ気味の声で朋彦へと尋ねてきた。

「あ、あ・・・ええと・・・! そ、そ、そうだな・・・。明日、出発・・・した方が・・・いいのかな・・・。」

 何ともはっきりしない言葉で朋彦は慌てて返事をした。

「次は何処に行商に行くんだ?」

 ナオヨシの問いに、朋彦は何と答えたものか困ってしまった。

「うーん・・・。特には決めてないなあ・・・。あ、ナオヨシも・・・一緒に来るか? ・・・と言うか、来て、欲しいなあ・・・なんて・・・。」

 ハハハ、とごまかす様な笑いを挟みながら、朋彦は少し冗談めかしてナオヨシに訊いてみた。

 勿論、朋彦は冗談ではなくとてつもなく本気ではあったが。

「ほ・・・ホントに!? オレ、一緒に行ってもいいのか?」

 暗くてよく見えなかったが、ナオヨシは嬉しそうに勢い込んで朋彦の肩を掴んできた。

「ほ・・・ホント! マヂ本気。旅の道連れが居るといいな~・・・なんて思ったし・・・。」

 ナオヨシに肩を軽く揺さぶられながら、朋彦は笑って答えた。

「じゃあ、明日、村長さんに俺から頼んでやるよ。」

 貧しい村での都合のいい労働力としてナオヨシは期待されている様ではあったので、ずっと一緒に何日も村を空けるのは難しいとは思ったが、数日ならば大丈夫なのではないかと朋彦は楽天的に考えた。

 ナオヨシを連れて行く分に見合った食料や日用品の提供をしたり、何か村の生活環境の向上に役立つ知識や技術を教えたりすれば、きっと大丈夫だろう・・・。

 朋彦は何処までも呑気にそんな事を考えていた。

「余所の土地も色々と見て回ろうぜ。」

 朋彦の言葉にナオヨシはとても嬉しそうな声で頷いた様だった。

「うん! すっげぇ楽しみだ! ――ここの山の向こうにも村とか町とか沢山あるんだよな? そこにも行くんだよな?」

「お、おう! 何処でも行けるぞ。」

 予想以上に嬉しそうに食い付いてくるナオヨシの様子に、朋彦も釣られて嬉しくなってしまった。

「この村の近くの村とかはどんな所なんだ? 朋彦さん、山の中で迷う前は何処に居たんだ?」

 あれこれと他の土地の話等をナオヨシにせがまれたものの、朋彦は取り敢えず知識の参照で掻き集めた通り一遍の話しか出来なかった。

 それでもナオヨシは満足げに朋彦の話を聞き、そうする内に、すやすやと寝息を立て始めた。

「ナオヨシ・・・? 寝たのか・・・?」

 大した食事も出来ないで毎日働き詰めなのだから疲れているのも無理は無かった。

「・・・おやすみ。」

 朋彦は大きな欠伸をすると、自分も目を閉じて眠る事にした。

 


 自宅に戻ったハルサブロウは、苛々とした表情をしながら柴の入った籠を家の裏に下ろすと、残りの作業は明日にする事にしてもう眠る事にした。

「・・・お父? 何か怖い顔してどうしたの?」

「具合でも悪いの? 」

 寝床の用意をしていた二人の娘――姉のウメコと妹のアサコが口々に心配げに尋ねてきたが、ハルサブロウは頭を横に振るだけだった。

「いや・・・何でもねぇ。」

 狭い六畳程の板敷きの部屋に布団を敷いて横になったが、ハルサブロウは先程見掛けた行商人とナオヨシの事が気懸かりで落ち着かなかった。

 ナオヨシの野郎、一体どうやって行商人様を騙して取り入ったのか・・・? ハルサブロウは怒りを感じながら何度も寝返りを打った。

 あのいつも俯きがちで自信無さそうにしている愚図で親無しのナオヨシが、あの行商人と居る時だけは明るく嬉しそうにしていた。

 ナオヨシのあんな明るい表情は今まで村人の誰も見た事が無かった。

「・・・お父・・・。もう、ほんとに今日はどうしたのよ?」

 ハルサブロウの隣に布団を敷いて横になっているアサコが呆れた様に尋ねた。

「ああ・・・。」

 アサコに返事をしながら、ハルサブロウは暗がりの中で目を開けた。

 暗くてよく見えなかったが、隣に横になっている娘達の姿がぼんやりとハルサブロウの目に映った。

 熱病で妻を数年前に亡くしてから、ハルサブロウは男手一つで何とか娘二人を育ててきた。

 勿論、村の女衆の手助けも多くあったが、年頃にまで何とか病気一つせずに育ってくれた娘への愛情はとても大きかった。

 村で一番下に見られているナオヨシをどういう成行で気に入ったのか、アサコは去年の夜這い祭りでナオヨシに言い寄った。

 ハルサブロウにこっそりとナオヨシに言い寄ると打ち明けた時、アサコはただの気紛れだとごまかしはしたが、ナオヨシの事を憎からずは思っている様子だったのは、父親の勘なのか何となくは判った。

 早くに親を亡くし、村人達のお情けで生かされている様な境遇ではあったが、村の中では体格も良く恐らく一番体力も腕力もあるであろうナオヨシなら、まあアサコの夫としてそれ程悪い男でもなかった。

 気紛れと言ってはいたが、ナオヨシに振られた翌朝、アサコが少し泣いていた事にハルサブロウは気付いた。

 可愛い自分の娘をないがしろにしたナオヨシへの憎しみはその時からずっとハルサブロウの胸の内に燻り続けていた。

 アサコの誘いを断り、行商人を嬉しそうに自分の家に引っ張り込んだのだ。もう決まったも同然だ。ナオヨシは女と交われない「産めぬ民」に違いない・・・。

「――!!」

 布団を蹴り上げる様にしてハルサブロウは立ち上がると、提灯に火を点けるのももどかしく、引っ掴むようにして家を走り出た。

「え? お父? 何なの?」

「どうしたの、一体?」

 ウメコとアサコが突然の父の様子に驚いて声を上げたが、ハルサブロウは怒鳴る様に返事をしてそのまま村長の家へと走っていったのだった。

「村長様の所に行ってくる!! ナオヨシの野郎、ぶっ殺さなきゃなんねえからな!!」

 理解出来ない父の突然の言動に、ウメコとアサコはただ心配げに顔を見合わせる事しか出来なかった。

 ハルサブロウの走る勢いで提灯の火はすぐに消えてしまったが、点け直す時間も惜しく、そのまま途中の知り合いの家々を周りながらハルサブロウは襲撃の仲間を増やしていった。

「ナオヨシの野郎、行商人様を騙して自分の小屋に連れ込みやがった!!」

「やっぱり、アイツ、「産めぬ民」だったのか!?」

「行商人様を助けるんだ! 」

 ハルサブロウの言う事を疑いもせず、善良ではあったが思慮の足りなかった血の気の多い村人達は少しずつ仲間を増やして村長達の家へと詰め掛けていった。

「村長様!!」

 提灯や松明の火で辺りを照らしながら、村人達の代表とでも言う風に先頭に立ったハルサブロウが村長の家の引き戸の前で声を張り上げた。

「な・・・何だ何だ!? 何があったんだ!?」

 村人達の様子に顔色を変えて村長が戸を開けて出てきた。

「村長様!! ナオヨシはやっぱり「産めぬ民」に違いねぇ!! 行商人様を騙して自分の小屋に引っ張り込んだんだ!!」

「あいつ、「産めぬ民」だから行商人様を手篭めにするつもりだ!!」

「ナオヨシのヤツをぶっ殺して行商人様を助けるんだ!!」

 集団ヒステリーの心理によるものか、村長の家へとやって来るまでにハルサブロウや他の村人達の頭の中では、すっかりナオヨシが行商人様を騙して小屋の中へと引っ張り込み、そこでよからぬ事を致そうとしている・・・と言う事になってしまっていた。

「待たないか! 早まるな!! ナオヨシはまだ「産めぬ民」と決まった訳ではないだろう? 今年の秋祭まで・・・。」

 村長も確かにナオヨシの事を疑ってはいたし、見下してもいたが、かと言ってハルサブロウ達の様に殺そうとまでは考えてはいなかった。

 力も強いし体も大きい。言う事もよく聞くから村にとって都合のいい働き手として今までも重宝してきたし、これからもそうやって使っていくつもりだった・・・。

「皆、落ち着きなさい! そんな殺すだなんて乱暴な!!」

 村長は焦りながら、怒りにのぼせ上がっているハルサブロウ達へと説得を続けた。

 幾ら辺境の山奥の、滅多に他の村や町との交流の無い場所だとはいっても、一人の村人を皆が寄ってたかって殺した等と――万が一にでも余所に知られれば役人も派遣されるだろうし、村長の責任も追及される事になる。

「騒ぐな! 落ち着きなさい!」

 しかし村長の言葉も、ハルサブロウを中心に口々に騒ぎ立てる村人達には既に届いていなかった。

「よし! ナオヨシの所に行くぞ!! 武器は持ったか?」

「おお!!」

「村長様! 物置の鍬も借ります!!」

 ハルサブロウを中心に物置の木の鍬や、行商人から買ったばかりの金属の鍬や鎌がすぐに集められた。

 それを手にすると村人達は、松明を掲げてナオヨシの住む小屋の方へと歩き始めた。

「やめないか! 皆!! 待ちなさい!!」

 既に村長の声を聞く者は一人も無く、ハルサブロウ達は足早に村長の家から立ち去っていった。

「あなた・・・。皆さんは一体どうしたの・・・?」

 村人達が立ち去ってすぐ、妻のナカコと母のツネコが恐る恐る家の中から顔を出した。

 彼女等の問いに答える気力も無く、村長は半ば泣きそうになりながら地面に膝をついた。

「・・・何でこんな事に・・・。」



 大勢の村人達が村の西の外れ――ナオヨシの住む小屋へとやって来る様子に、途中の通り道の近くに住むタカキ夫婦も気付いた。

「・・・何なの・・・?」

「判らん・・・。」

 暗い夜道を明々と照らす松明や提灯の赤い炎が、一直線に村の西へと向かっていた。

 松明の赤い火に照らされて鈍く赤黒く光る鍬や鎌の先が、村人達の肩に担がれて揺れていた。

 家の木の窓をそっとずらして外を覗くタカキとトヅコは、そうした光景に何か禍々しい物でも見るかの様にそっと息をひそめて身を縮めた。

「――もうすぐだ! 行商人様を助けるぞ。」

「ナオヨシをぶっ殺せ!」

「あいつはどうせ「産めぬ民」なんだ! 遠慮は要らねぇ!!」

 口々にそう騒ぎ立てる村人達の目は、松明の炎のせいで余計に赤く血走って正気を失っているかの様にタカキ達には見えた。

 買ったばかりの金属の鍬を両手で持って歩いている村人の若者の一人――あれは、タカキの三歳年上のミチヒロだったか。

 家の前を通り掛ったミチヒロがふと、タカキノ家の窓を振り返った。

「――!」

 タカキとトヅコは見つからない様に思わず身を縮めて窓の下に蹲った。

 ミチヒロはそのままタカキとトヅコに気付いた様子も無く歩いていってしまった様だった。

 ミチヒロやハルサブロウ・・・タカキもよく知っている筈の村の友達や知り合いが、手に手に鍬や鎌、棒切れ等を持って、タカキもよく知っている筈のナオヨシの所へと向かっていた。

 ナオヨシを殺しに、と彼等は言っていた。

「・・・あんた・・・。ナオヨシが、殺されるの・・・?」

「一体・・・何が・・・。」

 タカキにしがみつく様にして体を震わせながら、トヅコが泣きそうな声で呟いた。

 確かに村人達は正気を失ったかの様な、何かの怒りや憎しみに燃えた表情をしていたが・・・しかし同時に、タカキには見覚えのある表情も、彼等はしていた。

 山の猪や熊等の獲物を大勢で徒党を組んで狩りに行った時の様な、そんな表情でもあったのだった。

 「産めぬ民」――女と交わる事が出来ず、子供をなす事が出来ない男。この村に限らず、何処の村や町でも爪弾きにされ、人間扱いされず嬲り殺しに合う事も珍しい事ではなかった。

「・・・ナオヨシ・・・。」

 ナオヨシが「産めぬ民」だという事をタカキもトヅコも知らなかった。

 「産めぬ民」とは、何か得体の知れない、普通ではない何か恐ろしい存在の様に漠然としか思っていなかった。

 ナオヨシが「産めぬ民」だと言う事がタカキとトヅコの中では全く結び付かず、ただ、村人達に殺されようとしている事実だけが、彼等の心を恐怖に震えさせていた。 

「あんた・・・どうしよう・・・。ナオヨシが殺される・・・。」

「・・・。」

 涙声になりながらトヅコはただ、タカキにしがみついたまま震えていた。

 タカキもまた、トヅコの手を握りながら座り込むだけだった。

 たった二人だけで、怒りに荒れ狂う村人達をどうにかする事等出来はしなかった。

 ただ、暗がりに座り込んで騒ぎが過ぎ去る事を待つ事しか出来なかった。



 ぱちぱちと火の爆ぜる松明の音と、剥き出しの地面を踏み締める大勢の人間の足音と気配に、朋彦はすぐに目を覚ました。

 疲れて寝ていたものの、やはり慣れない板の上の寝床では朋彦は安眠する事が出来ず眠りが浅かった。

 小屋の板壁や柱の隙間から差し込む松明の赤い光に、訝しげに朋彦は体を起こした。

 朋彦が体を起こした動きを感じ取り、ナオヨシも欠伸をしながら目を覚ました。

「ん・・・朋彦さん・・・? どうした?」

「うん・・・。どうしたんだろうな・・・?」

 ナオヨシの問いに、朋彦も外の様子が判らずに首をかしげた。

「何だろうな・・・?」

 朋彦はブランケットの中から這い出して立ち上がると、欠伸をしながら小屋の入り口のボロ布の暖簾を上げた。

 小屋の外には、辺りを取り囲む様に村人達――主に中年や若者の男衆が、松明や提灯、鍬や鎌等を手にして立っていた。

 村人達の顔は皆一様に険しく殺気立っていた。

 最初に顔を出したのが朋彦だった為に、村人達は多少困惑し、何人かが互いに顔を見合わせた様だったが、先頭に立っていた中年男――ハルサブロウは殺気に血走った眼で朋彦の前へと進み出た。

 昼間の農作業の時にナオヨシを蹴った奴か――と、ハルサブロウの顔を見て誰なのか認識し、朋彦は警戒しながらハルサブロウを見た。

「・・・どうしたんですか、皆さん・・・。これは一体何が・・・?」

 取り敢えず丁寧な言葉と笑顔を取り繕って朋彦はハルサブロウと村人達に尋ねた。

「――朋彦さん・・・。村の皆も・・・どうしたんだ?」

 朋彦が問い掛けるすぐ後ろに、ナオヨシものそのそと小屋の中から出て来た。

 ナオヨシが姿を現すと、ハルサブロウも他の村人達も一瞬で緊張に強張り、鍬や鎌を持つ手に力が入った。

 ハルサブロウは険しい顔で叫ぶ様に朋彦に答えた。

「行商人さん! あんたはナオヨシに騙されてる! 」

「へ!?」

 ハルサブロウの敵意の篭もったナオヨシへの視線に、朋彦は理解が追い付かず呆然と村人達を見渡した。

「ナオヨシの野郎、行商人様を手篭めにする為に小屋に引っ張り込んだんだ!!」

「行商人様に取り入って、騙してるんだ!!」

「行商人様、早く逃げろ!!」

 ハルサブロウに続いて村人達は次々に叫び、朋彦とナオヨシの方へとにじり寄って来た。

「て、ててて手篭めっっ!?」

 むしろして下さい! むしろの上で!! むしろだけに!!

 内心でそんなオヤジギャグを飛ばしながらも、朋彦はふと背後に立っているナオヨシを振り返った。

「・・・・みんな・・・。何で・・・?」

 村人達から向けられる激しい敵意と殺意にナオヨシは大きな体を縮こまらせ、今にも泣きそうな顔で俯いていた。

「行商人様を早くどかせろ! ナオヨシをやっつけるんだ!」

「そうだそうだ!!」

「こんな「産めぬ民」なんて邪魔だ!!」

 一昨日はあんなににこにこと笑いながら朋彦から鍬や鋤、塩や薬草等を買って行った村人達は、今はその同じ鍬や鋤を振り上げ、朋彦の後ろで立ち尽くしているナオヨシを睨み付けていた。

「・・・「産めぬ民」・・・ね・・・。」

 背後のナオヨシを庇う様に軽く片腕を広げ、朋彦もまた村人達を見る表情が硬くなっていた。

 女と交われない、その為に、子供を作る事が出来ない男――。

 村人達はまだナオヨシを完全には「産めぬ民」と断定はしていない様だったが、既にハルサブロウは確信している様な口調と表情でナオヨシを睨み据えていた。

「二回も三回も「夜這い祭り」で娘っ子に夜這いをかけんどころか、うちのアサコの誘いも断りやがって!! そいつは「産めぬ民」に決まってる!!」

 ハルサブロウは自分の娘可愛さの気持ちもあって、余計にナオヨシを憎憎しげな口調で責め立てた。

「俺、知ってるぞ!! そいつ、こないだトモジロウのケツをこっそりじいーっと見てたぞ!!」

 村人達の中から上げられた誰かの言葉に朋彦がナオヨシを振り返ると、ナオヨシは唇を噛み締めてますます泣きそうな――いや既に目尻に涙がたまってぶるぶると震えていた。

 きっと、ナオヨシは村人達の言う通り「産めぬ民」なのだろうとは、朋彦も思ったが。

 だが、ここまで責め立てられ憎まれなければならないのかと、朋彦は絶望にも似た気持ちを抱いた。

 昨日朋彦が知識の参照をした様に、この世界の大部分の地域で、特に生活の厳しい辺境や田舎等では村等の共同体を維持する為に子供を産めよ増やせよという価値観が優勢だった。

 病気や遺伝的な体質等の為に男女の間でも子供を作れないと言う場合もあったものの、そうした者達よりは、そもそも女に興味の持てない――女と交わる事の出来ない男に対する攻撃的な差別心が人々に根強く存在していた。

 閉鎖的な田舎でのストレス解消や、特定の仮想敵を作って村人達の結束を強める為の生贄としての側面も、「産めぬ民」に対してあった。

 今、ナオヨシはそうした村人達の差別的な攻撃心への生贄にされようとしていた。

「あんたら・・・。」

 朋彦は少しだけ後ろに下がり、村人達を睨み返しながら――ナオヨシの手を握り締めた。

 ――差別って言うのはですね。自分が自分であるという、ただそれだけで誰かから傷付けられる事を言うんですよ。

 大学の講義でそんな話を聞いた覚えがあった。

 何の講義での話だったかは忘れてしまっていたけれども、どの教授が行なっていたのかは覚えていた。

 もう、元の世界で朋彦は死んでしまっていた為に、彼にはもう二度と会う事は出来なかったけれども。

 微かに胸の奥に物悲しく疼く痛みの様な物があったが、今は朋彦にはそうした感傷に浸る時間の余裕は無かった。

「と、朋彦さん・・・。」

 ナオヨシの涙混じりの声が聞こえ、朋彦が握った手は震えていた。

 村人達からの説得にも耳を貸さず、それどころかナオヨシを庇う様に手を握って立っている朋彦の姿に村人達は大きく困惑した。

「いいからやっつけろ!!」

 ハルサブロウの苛立った叫び声を合図に、何人かの男達がナオヨシに向かって弾かれた様に進み出て鍬を叩き付けてきた。

 ナオヨシへの怒りに、行商人である朋彦の事を配慮する理性は既に村人達から消えてしまっている様だった。

「危ねぇな!!おい!!」

 反射的に朋彦はナオヨシの体を庇う様に突き飛ばした。

 大柄なナオヨシの体は朋彦程度の力では大して動じる事は無かったが、それでも鍬の直撃は避ける事が出来た。

「――!」

 ナオヨシの体に当たらなかった鍬は朋彦達の横の木の板の壁をあっさりと突き破り、それだけでナオヨシのボロ小屋は半壊同然に崩れてしまった。

 砕け散った板や柱の破片や木屑がすぐ間近で飛び散り、ナオヨシや朋彦の体にもぶつかった。

「危ない!」

 朋彦を庇ってナオヨシは覆い被さってきたが、ナオヨシの体を打ちつけてきたのは板の破片や木屑だけではなかった。

「この野郎!!」

「やっちまえ!!」

 ハルサブロウを先頭に村人達は、朋彦に覆いかぶさったナオヨシの背中へと一斉に鍬や天秤棒を叩き付けてきた。

「ッッ!!」

 痛みや衝撃にナオヨシの体が大きく仰け反ったが、朋彦に当たらない様にとナオヨシは必死で蹲っていた。

「ナオヨシ! どけよ! 逃げるぞ!!」

 朋彦は自分を庇うナオヨシの体の下から何とか必死に這い出そうとするが、ナオヨシ自身もよってたかって攻撃してくる村人達によって、あっと言う間に打撲や怪我を負って身動き出来なくなっていた。

「やめろよお前等!! クソバカ!! ナオヨシが死んじまうだろ!!」

 恥も外聞も無く泣き喚く様に朋彦は叫んだが、既に怒り狂っている村人達には聞こえていない様だった。

「・・・っ・・・・う・・・。」

 ナオヨシの呻き声が聞こえ、朋彦の頭や肩にナオヨシの血や涙が滴り落ちてきた。

「ナオヨシ!!」

 朋彦の叫び声も、既に意識を失っているらしいナオヨシには聞こえていなかった。

「ナオヨシ!! ナオヨシ!!」

 何でこんな目にナオヨシが遭わされなきゃならない――朋彦は理不尽な暴力に怒りながらも、何も出来ない自分の無力さにも怒りを感じた。

「――!!」

 いや違う――今は自分は無力ではなかった。

 朋彦は自分に与えられた力を思い出した。

 意識を失っているナオヨシの体重が自分の全身にのしかかり、充分に動く事が出来なくなっていたものの、朋彦は何とか踏ん張って無理矢理懐の道具袋の中に手を捻じ込んだ。

 蛙人形のあの軟らかい様な硬い様な中途半端な手触りがあり、それを掴むと朋彦は必死に念じ始めた。

 ――ナントカシールド、ナントカバリヤー・・・。朋彦はアニメやゲームで見た防御壁を必死に思い出し、強く想像し続けた。

「――!!!!!!!!!!」

 振り下ろされた天秤棒がへし折れ、鍬の刃がひしゃげた音が朋彦の耳に届いた。

「・・・な・・・何だ・・・?」

「っ!?」

 折れた棒やひしゃげた鍬を手に村人達は呆然と、突然出現してナオヨシと朋彦を包み込んだ白い光の球体を見つめていた。

 村人達のそんな様子に構う余裕も無く、朋彦は攻撃の手がやんだ今の内に、この場を脱出しようと瞬間移動を行なう様に蛙人形に精神を集中した。

 テレポート、瞬間移動、転送、トベナントカ・・・!!

 懐の蛙人形をきつく握り締めると、朋彦はとにかく脱出出来そうなイメージを頭に強く思い浮かべた。

 行き先は取り敢えず最初に自分が出現した山の中――。

「こっ、こんなもん、こけおどしだ!!」

 白い球体の防御壁に弾き返されたりひしゃげたりするのにも懲りずに、ハルサブロウ達は再びナオヨシの背中へと鍬を叩き付けてきた。

「くそぉぉぉ!!!」

 さっきまでとは違い、どれ程力を込めて叩き付けてもナオヨシには届かなくなってしまい、ハルサブロウは怒りを露わに叫んだ。

「このおおお!! 死んじまええええ!!」

 ハルサブロウは今度は全身の力を込めて、思いっ切り本当に叩き殺すつもりの勢いで既にひしゃげている鍬をナオヨシへと叩きつけた。

 ――その瞬間、鍬の先端は空を切り、勢い余って地面へと突き刺さった。

 二人の姿が突然、その場から掻き消えたのだった。

「・・・!?」

 一瞬の内に、白い球体ごとナオヨシと朋彦の姿は村人達の目の前から消え去っていた。

 何事が起こったのかと混乱する村人達の目には、松明の赤い光に照らされるナオヨシのボロ小屋の崩れた様子だけが映っていた。

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