みっつめのかたり「朋彦、村にて商うに、かの男子のみ塞ぎていみじうわろし」

 行商人が村にやって来たという話は既に村中に広がっていた様で、昼になると村の大部分の人々が村長の家の前で座る朋彦の元へと押寄せて来た。

 しかし実際に商品を掴んで買っていくのは老若の女性達だった。 

 この世界でも買い物の主導権は女性にある様だった。

「塩と鍬をちょうだい!!」

「あたしは薬と布!!」

「ちょっと! あたしが先だよ!!」

 広いとは言えない村長の家の庭先に村人達――特に家計の財布を握っているらしいオバサン連中が朋彦の前に詰めかけ、我先にと商品を掴み合っていた。

「あ、はい~!! 押さないで!! 品物を持ったら、支払いはこっちに並んでッッ!!」

 呆然としかけたが朋彦は気を取り直し、声を張り上げてオバサン達を相手に商いを始めた。

 塩、氷砂糖、飴玉、薬草の粉末、木綿の反物、農機具・・・。品物を準備する時に、予めこの辺りの地域の物の値段を知識の参照で調べていた朋彦は、今回の売値は相場の半分以下に設定していた。

 そのせいもあり商品は僅か数分で売り切れてしまい、むしろ会計を済ませるのに時間が掛かってしまっていた。

 朋彦の指示で順番に並んで会計を待つ村の女衆の表情は、とても嬉しそうに輝いていた。

 彼女等の支払いを次々に捌いていき、全員の会計が終わった頃には夕方が近くなっていた。

「つ・・・疲れた・・・。」

 空になった行李箱や荷車すら売ってくれと言う者が居た為に、村長の家の軒先に座り込む朋彦の傍らには布袋一杯に詰め込まれた村人達の銅銭しかなかった。

 コンビニやファストフードのレジのバイトはした事もあったが、電卓も算盤も無い状態で物を売るのは生まれて初めての事だった。

 疲れきった朋彦の頭は長い時間ぼんやりとしており、気が付くと布袋も放り出したままうたた寝をしていた。

「・・・! うわ、寝てた!?」

 口の端に少し付いていた涎を手で拭きながら、朋彦はやっと目を覚ました。

 うたた寝していた時間はほんの数十分程だったらしく、まだ日が傾きかけた所で辺りは明るかった。

 今日の分の農作業等を終えたのか、村長の家の庭を囲む背の低い生垣の向こうには何人かの鍬や斧等を担いで帰って来る男達の姿が目に入った。

「あんたお帰り!! 今日、新しい鍬を買ったんだよ。」

「ウチもだよ! 明日から作業が楽になるわよ!!」

 夫の帰りを家で待ちきれなかったのか、三~四人の女性達が今日買ったばかりの鍬を抱えて出迎えていた。

 喜んでもらえた様で良かった――と、朋彦はささやかな自己満足感に浸りながら立ち上がると、着物の尻に付いた土を払い落とした。

「――あ、朋彦さん!」

 朋彦が顔を上げると、何本もの木製の鍬を担いだナオヨシが庭の入り口に立っていた。

「おう! お帰り!」

 朋彦が笑いながら手を上げると、ナオヨシも嬉しそうに頷いた。

「ただいま。」

「――戻ったか、ナオヨシ。」

 しかし家の中から村長が出て来ると、ナオヨシの笑顔はすぐにしぼんでしまった。

「は、はい・・・。」

 ナオヨシは俯きながら村長に返事をした。

 貧しい村人達の中には自分で鍬や鎌等の農機具を用意するお金を持っていない者も多く、村長から借りて作業をしていた。

 その持ち運びは主にナオヨシが行なっていたのだった。

 ナオヨシは村長に軽く一礼して家の裏の物置に担いでいた鍬を運んでいった。

 村長はナオヨシに一瞥もくれず、朋彦の方へとやって来た。

「行商人様、今日は本当に有難うございました。お蔭様で村人達も喜んでおります。御礼と言っては何ですが、夕食をご馳走させて下さい。」

「あ・・・いえ、そこまでして頂かなくても・・・。」

 物置の方に行ってしまったナオヨシの事を気にしながら、朋彦は村長の申し出を取り敢えず遠慮した。

「いやいや、貧しい村ですので大した料理は出せませんが、今日は雉の肉が手に入りましたので・・・。」

 ナオヨシを何処か見下した風に見てはいても、基本的には善良なのだろう。村長は熱心に朋彦を夕食に誘い、朋彦は断り切れずに村長の家の中へと招き入れられてしまった。

 そうする内にも、木の鍬を片付け終わったナオヨシが村長に頭を下げ、帰っていく姿が朋彦の目に入った。

「あ・・・!」

 朋彦はナオヨシを呼び止めようとしたが、村長はナオヨシの方を振り向きもせずに朋彦をそのまま自分の家の中へと促し入れた。



 ナオヨシの家は村の西外れの山の入り口近くにあった。

 夕方になり辺りの空気は随分と涼しくなり始め、昼間のまだ夏の名残のうだる様な暑さが嘘の様だった。

 村長の家を出た後、ナオヨシは空腹を感じながら家路へと少し足を速めた。

 朋彦が商いをしていた間、ナオヨシは他の男衆達と共に畑仕事をしていた為に品物の販売時の激しい様子は知らなかった。

 しかし、自身が村へと運んで来たあの大量の荷物が荷車ごと売り切れていた様子に、自分が売った訳ではなかったけれどもささやかな満足感をナオヨシは感じていた。

 そうしてナオヨシが自分の家へと歩いていると、途中でそっと呼び止める声があった。

「ナオヨシ・・・。」

 声の主は隣に住む幼馴染のタカキ夫婦だった。

 隣といってもナオヨシの家との間には田畑や草むらがあって数百メートルは離れており、幼馴染とはいっても狭い村の事である故に特別に仲が良く親しい間柄という訳でもなかったが。

 だが、彼等はナオヨシの両親の死後も何かにつけ食料を分けてくれたり気に掛けてくれたりと、村人達の中では比較的ナオヨシに親切にしてくれていた。

「タカキ兄さん・・・?」

 兄弟と言う訳ではなかったが、村人達の間では年上の者を兄さん姉さんと呼ぶ事は珍しい事ではなかった。

 ナオヨシがタカキの声のした方を振り向くと、タカキとその妻のトヅコが立っていた。

「ナオヨシ、今帰りか? 」

「う、うん・・・。そうだけど・・・。」

 タカキとその妻トヅコが辺りを伺う様に見回し誰の姿も無い事を確かめると、彼等はナオヨシを自分達の小屋の入り口へと手招きした。

「これ、今日の行商人様から買ったんだ。家で食え。」

 ナオヨシよりは背は低かったが、それでもこの世界では一般的な背の高さの、日に焼けた丸刈りの男――タカキが、手にしていた小さな紙袋をナオヨシの手に押し付けた。

「え・・・? でも・・・いいの?」

「いいのよ。遠慮しないで。あの行商人様、とても安く売ってくれたから。」

 タカキの横に立つ、長い黒髪を後ろで結わえただけで粗末な絣の着物を纏った痩せた女性――トヅコが、ナオヨシに微笑んだ。

「気にすんな。お前だってたまには村の外の食べ物を食ったって罰は当たらんさ。」

 タカキが目を細めてにかっと笑い、ナオヨシの肩を軽く叩いた。

「ごめん・・・。ありがと・・・。」

 タカキの笑顔に、ナオヨシは嬉しそうに頬を赤らめつつ頭を下げて礼を言い、他の村人達に見つからない内にタカキ夫婦の家を出た。

 家まで待ちきれずナオヨシは途中の草むらで立ち止まって少しだけ紙袋の中を覗いて見た。

 紙袋の中身は様々な色の大粒の飴玉だった。貧しい村故に砂糖等は贅沢品で、甘味といえば大半の村人達にとっては精々が山になる柿ぐらいのものだった。

 ナオヨシも初めは紙袋の中身が何なのかすらよく判らなかったが、タカキが家で食えといっていたので一応は食べ物だろうとはナオヨシにも何とか理解は出来た。

「やっぱり朋彦さんはすごいな~・・・。」

 ナオヨシはそう呟き、紙袋の口を閉じるとまた家に向かって歩き出した。

 自分が見た事もない様な様々な品物を商い、苗字も持っているのに、ナオヨシが親無しで学も無いと知っても変わらずに接してくれる――優しくて凄い商人様、と、ナオヨシは半分誤解したまま朋彦に素朴で仄かな憧れを抱いていた。



 朋彦が招き入れられた村長の家は、村長の妻らしき初老の女性と、村長の母らしき老婆との三人暮らしの様だった。

 昼間の商いの時に彼等も先を争って朋彦の商品を買い求めていたが、女性の顔形の区別等に初めから興味の無かった朋彦は覚えてはいなかった。

「こちらは私の妻のナカコと、母のツネコです。」

「あ・・・どうも・・・お邪魔します・・・。」

 村長が家族を紹介し、朋彦は取り敢えず頭を下げた。

 村長の妻と母は土間の片隅の小さな竈の前で、雉肉を切ったり野菜を切ったりして鍋の用意をしていた。

 まだ夕方になったばかりなのにと朋彦は訝しんだが、それは朋彦の元の世界の生活感覚でしかなかった。この世界――この村では明かりに使う油すら充分ではない為、夕食は早い内に取るか食べずにさっさと寝てしまうという事が多かった、と反射的に行なわれた知識の参照で朋彦は知った。

「丁度良く雉が獲れましたから、行商人様にもお礼が出来て良かったです。」

 ナカコが笑いながら鍋に肉や野菜を入れ、ツネコは囲炉裏の側に箸や椀を並べた。

 村長に促され、朋彦は土間から六畳間へと上がり、囲炉裏の前へと腰を下ろした。

 村長の家とは言ってもこの六畳間と土間だけであり、朋彦の感覚からしたら小屋の様なこの家に村長家族は三人で暮らしていたのだった。

 村の貧しい様子に朋彦は気の毒な思いを感じながらそっと溜息をついた。

 何より、村人達よりも貧しい暮らしをしていると思われるナオヨシは、今日は何か食べる事が出来たのだろうかと、朋彦は落ち着かなかった。

「――行商人様のお蔭で立派な金属の鍬や鎌が沢山村人達に行き渡りました。本当に明日からの農作業が楽しみです。」

「あ・・・。ハハ・・・それは良かった・・・。」

 村長の言葉に朋彦が愛想笑いを返している内に、村長の妻や母が膳を並べ、持ってきた鍋を囲炉裏の火にかけた。

 朋彦は何気無さを装って、村長にナオヨシの事を尋ねる事にした。

「そういえば、私の荷車を運んで下さったナオヨシ殿・・・。彼にはまだきちんと礼をしていないので、明日にでも家を訪ねようと思うのですが・・・。」

 そんな朋彦の問い掛けに、村長一家は一様に表情を曇らせた。

「・・・そう・・・ですか・・・。その・・・行商人様、あんまりナオヨシの事は気にしないで下さい。あれは早くに親を亡くして一人でやっと生活している様な貧乏者ですし・・・。行商人様の儲けにはならんと思います・・・。」

 何かを言い淀んでいる様なはっきりしない村長の言葉に、朋彦は困惑した。

「さあさあ、あんな親無し子の事等お気になさらずに、ご飯を食べてしまいましょう。」

 村長に続いて妻のナカコも硬い笑顔を浮かべながら、木の玉杓子で鍋の中を掻き混ぜた。

「大体あの子は「産めぬ民」かも知れないのだし、関わっても碌な事には・・・。」

「ナカコ!!」

 うっかりと口を滑らせたらしいナカコを村長は低く鋭い声で叱り付けた。

「す、すみませぬ・・・!」

 おろおろと焦るナカコを庇う様に村長の母が破れかけて継ぎはぎだらけの押入れを開け、中から慌てて酒瓶を取り出してきた。

「ささ、折角ですし、お酒でもどうぞ! 」

 村長の母が縁の欠けたお猪口を朋彦と村長の手に押し付け、朋彦のお猪口に酒を注ごうとした。

「あ、いえ、私はお酒は・・・。」

 朋彦は困惑したまま村長の母に軽く手を振った。

 酒を飲めない訳ではなかったが、貧しい村では酒も貴重品だろうという事が容易に想像出来たので、ほいほいと勧められるままに飲む気にもなれなかった。

「まあ、そう言わずに、どうぞどうぞ。」

 硬い笑顔のまま村長もナカコも朋彦に酒を勧めてくるので仕方無く朋彦は頂く事にした。

 清酒ではなくどぶろくの様な、白く濁った何処か薄甘い様な中途半端な味わいの酒だったが、不味いと言う訳にもいかず、朋彦もまた半ば無理矢理に笑顔を作り礼を返した。

「久々の酒です。いやあ、仕事を終えた後の酒は特に美味いですね。」

 朋彦の言葉に村長達も何処かほっとした様に笑顔を浮かべていた。

 村長の妻のうっかりともらした、ナオヨシが「産めぬ民」かも知れない、という言葉はすぐに知識の参照で朋彦の頭の中に説明が流れ込んで来た。

 この世界の価値観では、文明や技術の水準が高くないと言う事もあって生活を支える為に子沢山が奨励されているという背景もあり、命を持つ者を孕み生み出す事に対して並々ならぬ思い入れが人々にはあった。

 それは人間達だけではなく、地上で生きている神々や精霊達も同様で、子供を産み育てる事がとても重要な価値を持っていた。

 その為、体質や病気、事故等の為に子供を産む事が出来ない男女についてはそれ程には侮蔑の目が向けられる事はない様だったが、男の同性愛者については殊更に「産めぬ民」と呼ばれて蔑まれ、疎まれ、酷い時には村や町から追放されたり殺されたりする事もあった。

「・・・・・・・。」

 成程ね・・・。薄い塩味と雉肉の出汁だけの鍋を食べながら、朋彦は内心で大きな溜息をついた。

 要は「産めぬ民」=男の同性愛者である、と。それならば朋彦もこの世界の基準では立派な「産めぬ民」という事だった。

 ナオヨシが村人達から「産めぬ民」の疑惑を向けられているというのは、ある意味朋彦にとっては望む所ではあったが。

 「産めぬ民」かも知れないし、親も無く学も無く貧乏で村人達から蔑まれているのならば、いっそナオヨシを説得してこの村から連れ出して一緒に旅に出るのもいいかも知れない。

 硬い笑顔で朋彦に鍋や酒を勧める村長達の姿に、薄ら寒く、また同時に気の毒で物悲しい感情が入り混じるのを感じながら、朋彦はナオヨシとの旅立ちの段取を考えていた。

 朋彦と村長達が食事を終えて一息ついた頃にはすっかり日が暮れていた。

 その夜は朋彦は村長の家の土間で泊まる事にした。

「行商人様、せめて畳の方で寝られては・・・。」

 ナカコが蝋燭に明かりを灯し、粗末な煎餅布団を押入れから出して朋彦に勧めてきたが、狭い六畳間に三人で暮らしている村長達を気遣い、朋彦は土間に昨夜のブランケットを広げてすぐに横になった。

「いやいや、そんなに気を使わなくてもいいですよ~。行商で野宿も慣れてますし。」

 そんな適当なでまかせを村長達に言い、朋彦は目を閉じた。

「そうですか・・・? 申し訳ありませぬ・・・。」

 ナカコや村長は朋彦に謝った後、蝋燭の火を吹き消すと自分達も横になった様だった。

 本当はナオヨシの所で寝たかった・・・・。明日こそはナオヨシの家に泊まろうと決心しながら、朋彦は眠りに就いた。



 その夜。ナオヨシは自分の家とも言えない様な粗末な小屋の中で、飴玉の入った紙袋を手にしながら横になっていた。

 タカキがくれた朋彦の飴玉を勿体無くてすぐには食べてしまう気にはなれず、ナオヨシは大事そうにそっと頭元に紙袋を置いていた。

 飴玉をくれた時のタカキの笑顔や、昨夜の山の中でブランケットの中で寄り添った朋彦の体の温かさ等を何度も思い返しながら、ナオヨシは嬉しい様な切ない様な何とも言い様の無い感情を持て余していた。

 今は村人達のナオヨシを見下す様な目がある為にタカキとは余り親しい関わりは無かったが、ナオヨシの両親が亡くなるまでの幼い頃にはよく遊んでくれて面倒を見てくれていた。

 幼心にもナオヨシは面倒見の良いタカキの事は好きだった。

 今も、子供の時のやんちゃ坊主の面影を残す丸刈りの日焼けしたタカキの姿に、ナオヨシは胸や・・・体の芯が温かく、どきどきとするのを感じていた。

「――・・・。」

 ナオヨシは暗い小屋の中で横になりながら慌てて頭を振った。

 自分の胸や体の疼きを無理矢理に押し込め、タカキの姿を頭の中から追い出した。

 自分がタカキの事をこんな風に思っている事等、本人にも他の村人達にも知られてはいけない。

 もし知られてしまったら・・・「産めぬ民」とばれてしまったら、この村で生きていけなくなってしまう。

 ナオヨシはこの小さく貧しい村の中しか世界を知らず、村の中で生きていく事しか――他にどうやって生きていけばいいのか知らなかった。

 ――俺と一緒に行商に出掛けるか?

 不意にナオヨシは今朝の村に来る途中の朋彦の言葉を思い出した。

 村長の許可があればナオヨシは朋彦と一緒に行商に行ってもいいと、朋彦は言ってくれたのだった。

 村の外で商いをして旅をする生活――朋彦と一緒に、自分の知らない村の外の世界を旅する生活は、ナオヨシにとってひどく魅力的に感じられた。

 ナオヨシは体を起こすと、紙袋を手に取って外へと出た。

 夏も盛りを過ぎて終わりかけ、秋の近付きつつある山の夜はすっかりと涼しくなり、辺りの草むらからは秋の虫の鳴き声も少しだけ聞こえていた。

 青白い月明かりに照らされ、ススキにはまだ早かったがネコジャラシの小さな穂の群れがきらきらと輝いていた。

 ナオヨシは紙袋から飴玉を一つ取り出し、月明かりに翳してみた。

 何色の飴かは暗くて判らなかったが、透き通るガラス玉の様な飴玉はナオヨシの節くれだった指に挟まれて月明かりにささやかに反射した。

「初めて見た・・・。きらきら光ってきれぇだな・・・。これ、食べ物なのか・・・。」

 ナオヨシはそっと飴玉を口に運んだ。

「甘ぇ・・・!」

 初めて口に広がるイチゴの香りと甘味にナオヨシは目を見開いた。

 尤も、それがイチゴという物の香りと味だとはナオヨシは知らなかったけれども。

 山で採れる柿や蜜柑よりもずっとずっと強い甘味は、ナオヨシが生まれて初めて味わうものだった。

 硬くて噛みにくかったので暫くの間口の中で転がしている内に、飴玉は小さく溶けていきやがてナオヨシの口の中へと飲み込まれていった。

 ナオヨシは紙袋を手にしたまま、飴の甘味の余韻に浸りながら暫くの間そうして外に立っていた。



 翌朝。やはり土が剥き出しの固い土間の上では熟睡出来なかった様で、朋彦はまだ半ば寝惚けながらも目を覚まして体を起こした。

 日が昇りかけたぐらいの時間帯から既に村長達は起き出し、昨夜の雉鍋の残りを火に掛けて温め始めていた。

「あ・・・おはようございます・・・。」

 まだ目覚めきらない頭でぼんやりと朋彦は村長達に頭を下げた。

「おはようございます。もうすぐ鍋も温まりますので、どうぞお上がり下さい。」

 村長の妻が土間の竈で鍋を掻き混ぜながら、朋彦へと挨拶を返した。

「あ、有難うございます・・・。」

 朋彦はふらふらと立ち上がり、村長達に勧められるままに昨夜の様に囲炉裏の前へと座った。

 昨夜の鍋の残りは粗末な木の椀に一人一杯ずつしかなく、すぐに食事は終わってしまった。

 村長達の話では今日は村長も家の外の仕事――山に薬草を摘みに妻や母と一緒に出掛けるとかで、彼等は慌しく籠や布袋の用意を始めていた。

「それでは私はこれで失礼します。お世話になりました。――あ、それと、次にまた行商に来る時に何を仕入れたら良いか、村の皆さんに尋ねてから出発しようと思います。」

 朋彦がそう言って村長達に挨拶をすると、村長達も笑顔で頭を下げた。

「この度は良い品物をお安く売って頂き、本当に有難うございました。是非またいらっしゃって下さい。」

 村長達に見送られながら、朋彦は村長の家を後にした。

 次の行商の品物云々は当然方便で、朋彦はまずナオヨシを探し出そうと考えていた。

 村長達の話の様子では朋彦が村人達に尋ねても快く教えてはくれそうになかったので、いざとなれば蛙人形の力を使って探し出そうとも考えた。

 日が昇ってそれ程時間は経ってはいなかったが、照明器具も未発達で明かりの油も貴重品という生活をしている村人達の活動は基本的に日の出から日の入りまでの時間帯に限られる為、既に鍬や籠を担いで畑や山に仕事に出掛ける村人達を朋彦は多く見掛けた。

「おはようございます、行商人様。」

「もう出発ですか?」

 そんな風に村人達は朋彦の姿を見るとにこやかに声を掛けてきた。

「あー・・・、次の仕入れの品物をどんな物が良いか、皆さんに聞いてから出発の予定です。」

 朋彦も愛想笑いを浮かべて頭を下げながらナオヨシの姿を探した。

 小さな村だからすぐに見つかるだろう。朋彦は呑気に考えながら村人達と別れて歩き出した。



 朝起きると、ナオヨシは僅かな干し肉と稗の雑炊を食べてから畑仕事の手伝いに出掛けた。

 今までは村長の家に人数分の鍬や鋤等を取りに行っていたが、昨日金属の鍬を皆が行商人から買ったので、今日からはナオヨシの分だけを村長から借りる事になったのだった。

 村長の家に行くと既に朋彦は出発してしまったと聞き、ナオヨシはひどく落胆しながら木の鍬を借りてハルサブロウの畑に向かった。

 夏も盛りを過ぎたもののまだ山々の木々は青く、今日も昼間は蒸し暑くなりそうだった。

 暑い夏がずっと続けばいいのにと、ナオヨシは叶う訳も無い事を考えたりしながら畑へと足早に歩いた。

 ナオヨシは夏が好きだった。

 村の誰にも言う事は出来なかったけれども、夏の日差しを受けて滝の様に汗を流しながら畑で働く、自分と同じ様な年頃の男達を見るのが好きだった。

 赤く日に焼けた彼等の肌や逞しい腕や足の筋肉はナオヨシにとってはひどく色気を感じさせた。

 そんな彼等が畑仕事の休憩の時に、村の女の子達の顔の良し悪しや胸の大きさ等を楽しそうに笑いながら話している様子は、ナオヨシからはとても遠く離れた世界の出来事の様にも感じられた。

「――ハナコのオッパイは村で一番でっけえんじゃねえか?」

「いやいやヤスコ姉さんの方がハリもあって形もよいから!!」

「俺は乳よりあそこのハメ具合が気になるべ。」

「今年も夜這い祭りが楽しみだなあ~!」

 木陰で続けられる彼等の楽しそうな猥談を横で聞き流しながら、ナオヨシは自分に話が振られない様に隅でじっと座り込んでいた。

 幸い、親無しで図体ばかり大きいだけの鈍くさい奴だと見下されがちなナオヨシが話しの輪に入れてもらえる事は滅多に無かったのだが。

 ナオヨシは秋は好きではなかった。

 実りの秋は山や田畑の収穫があり、食べ物に困る事が少なくなる季節ではあったが、夜這い祭を控えてそわそわとし始める村の男達の雰囲気が、ナオヨシの孤立感を掻き立ててひどく落ち着かなくさせるからだった。

 ハナコさんやヤスコ姉さんや、二軒隣のウメコ姉さん、トモエ姉さん――彼女達のオッパイやお尻やあそこなんかよりも、褌一丁で鍬を振るうカツヒロの太い腕や、黙々と肥え桶を担いで遠くの畑まで歩いていくトモジロウのガッシリとした胸板や脛毛まみれの太い足の方が、ずっとずっと色っぽくてナオヨシは好きだった。

「・・・ナオヨシどんは・・・何で断るの・・・?」

 去年の夜這い祭。言い寄って来たのは二軒隣のウメコ姉さんの妹のアサコだった。

 ナオヨシに拒まれた事に腹を立てるでもなく、ただ、ナオヨシの事をまるで理解が出来ないと言う風に彼女は眉をひそめた。

「すまん・・・。すまん・・・。」

 上手い言い訳を思い付く事も出来ず、ただ深々と頭を下げ続けるナオヨシに呆れたのか、アサコはそれ以上何も言わずにあっさりと立ち去った。

 焚き火の側で酒盛りを続ける老人達や親達、意中の女の子を目指して夜這いに暗闇の中へと繰り出す若者達――。ナオヨシの居場所は何処にも無かった。

 ナオヨシはそのまま近くの山の中へと走り去った。

 久し振りに腹一杯飯を食える事を喜んでいる村人達はナオヨシの事を気に掛ける事も無かった。

 夜の闇の中でも勝手知ったるいつもの山の中腹にやって来ると、ナオヨシは切り株に腰を下ろして小さく溜息をついた。

 ナオヨシは秋は好きではなかった。

 昼間はまだ暖かいのに、夜になると途端に空気が冷たくなる。

 ナオヨシがやって来た背後の木々の茂みの彼方には、まだ酒盛りを楽しんでいる村人達の笑い声や焚き火の明かりが微かに感じられた。

 ナオヨシの周りには慎ましやかに鳴く虫や夜鳥の声が時々響くだけで、後はただ秋の夜の冷たい空気だけが流れていた。

 それらは決して夏には現れず、秋になると存在するもの達だった。

 夜の冷たい山の中で虫や鳥の鳴き声を聞きながら、大きな体を小さく丸めて独りで座り込む――ナオヨシは秋は好きではなかった。



 やはり狭く小さな村の事であり、ナオヨシを探して村の中や近くの田畑をうろつく朋彦の姿はとても目立ってしまっていた。

 一応はにこやかに村人達は朋彦に挨拶をしてくるが、朋彦が何の為にうろうろしているのかと不審げな表情も透けて見えていた。

 朋彦は建前として言っていた次回の行商の仕入れの為の聞き取りを、仕方無く本当に行ないながらナオヨシを探す事にした。

「――やっぱり塩とかかしらね・・・。」

「あたしんトコは糸とか布だねえ・・・。ああ、あと、薬。子供がすぐ熱を出すから・・・。」

 井戸で水汲みをしていた中年の女性達から一応話を聞き、それが終わると次は近くの畑で草取りをしている男達に・・・と、そんな具合でなかなかナオヨシは見つからなかった。

「ああ、行商人様! 昨日買った鎌、本当によく切れます。」

 朋彦の姿に気付くと、白髪交じりの中年の男達が嬉しそうに朋彦へと畑の中から呼び掛けてきた。

 朋彦は愛想笑いを浮かべて頭を下げ、一応、同じ様に仕入れて欲しい品物について尋ねた。

「うーん・・・俺達はもう特には思い付かんが・・・。後は美味い酒とか・・・。」

「そうさなあ。ウチのおっ母ァが包丁とか砥ぎ石が欲しいと言ってたなあ・・・。」

「ああ、ハルサブロウのトコの母ァも同じコト言っとった。」

 ハルサブロウという名前に聞き覚えがあり、朋彦はすぐに昨日ナオヨシが村長に手伝う様に言われていた人の名前だと思い出した。

 もしかしたら今日もハルサブロウの所の手伝いをしているかも知れない。

「あ、そしたらハルサブロウさん達にも話を聞いてみたいんですけど、今何処に居るんですかね・・・?」

 朋彦の下心満載の問いにも彼等は気付かずに、親切にハルサブロウ達の居る畑の場所を教えてくれた。

 彼らへの礼もそこそこに、朋彦は早速教えられた畑へと向かったのだった。

 しばらく歩くとすぐに村の中では比較的大きな畑に出た。

 そこでは数人の老若の男達が青菜等の作物の間に屈み込んで、雑草を引いたり水をやったりしていた。

 彼等の中に桶を担いで水を運んでいるナオヨシの大柄な姿を見つけ、朋彦は思わず顔が喜びににやけてしまっていた。

「あ、朋彦さん!」

 朋彦の姿に気付いたナオヨシの方もとても嬉しそうに声を上げた。

「もう出発したって聞いたから・・・。」

 ナオヨシの言葉に、朋彦は頭を振った。

「次にこの村に来る時に何を仕入れたらいいか、村の皆に聞いて回ってたんだ。それに、ナオヨシに助けてもらった礼もまだだしさ。」

 あわよくばナオヨシを連れて行こうと考えているのに、置いて行く訳が無いじゃないか――とは、流石に朋彦は言わなかったが。

「礼だなんて・・・。オレ、全然大した事してねぇよ。」

 ナオヨシは水の入った桶を担いだまま慌てて頭を振った。

「ナオヨシ! 何してんだ、早く水持って来い!! 愚図!!」

 そこに畑の方から乱暴な声が上がった。

「は、はい! ・・・あ、朋彦さん、また後で・・・。」

 ナオヨシはびくっと体を震わせ、急いで桶を担ぎ直して畦道を下りていった。

 仕事の邪魔をしてナオヨシに悪い事をしたな・・・と、朋彦は溜息をつき、近くの木陰に腰を下ろして皆の仕事が終わるのを待つ事にした。

 きちんと整地する程の技術も知識も無いせいか、斜面に作られた畑は緩やかに斜めになっており、何処となく作業がしにくそうな印象を受けた。

 白髪の多い痩せた中年男――彼がハルサブロウの様だった――が、ナオヨシや他の若者達に指示を出し、畑の草引きや水遣りをしていた。

 彼等の働く畑の半分は小松菜かほうれん草の様な青菜と、ネギが並び、残り半分は黄色い一重の花が咲いているオクラの様だった。

 朋彦の感覚ではまだ小学校高学年くらいの子供が三人程、オクラの細長く伸びた青い実を摘んで腰の籠へと入れていた。

「うーん・・・。異世界転移した実感がなかなか湧かないよな・・・。これじゃ・・・。」

 ナオヨシを初め村人達の姿は黒髪黒目で丸顔に、胴長短足のよくある日本人的な外見で、着ている物も筒袖や袖無しの着物や褌。

 畑の作物はオクラや何かの青菜にネギ・・・と、目の前の村の光景には全く異世界ファンタジーの要素が感じられなかった。 

 朋彦がぼんやりとしている内にも、ナオヨシや村の男達は水を汲んだり草を刈ったりする作業を淡々と繰り返していた。

「・・・うん・・・。一生懸命働いてはいるんだろうけどね・・・。」

 朋彦は小さく溜息をついた。

 田畑の大きさが村の消費を支える事が難しそうな程度の面積しかなく、鍬や鋤、鎌等の道具もやっと昨日朋彦が売った金属の物を使い始めたばかりで、まだまだ作業効率は良くなさそうだと、素人の朋彦にすら想像が付いた。

 村がもう少し豊かになったら村人達がナオヨシを見下す事も少なくなるかねえ・・・? 朋彦は木にもたれてそんな事を考えながら、ナオヨシやハルサブロウ達の働く姿を見続けた。

「よし、少し休むか!!」

 朋彦がぼんやりしている内に大分時間が経ったのか、日も高く日差しも強くなってきており、昼近くになっていた。

 ハルサブロウの声に、皆ほっと一息つくとばらばらに木陰や土手へと散って行った。

「はー! 疲れた~。」

 朋彦が座っていた木陰にナオヨシは真っ直ぐにやって来た。

 朋彦の近くに天秤棒と空になった二つの桶を下ろすと、ナオヨシは大きな息を吐いてへたり込んだ。

 大柄で体格が良くても重労働には違いなく、両肩に引っ掛けるだけになってしまっている丈の短い着物も下半身の褌もナオヨシの体も、汗でぐっしょりと濡れてしまっていた。

「お疲れ様。」

 朋彦が声を掛けるとナオヨシは暑さと疲れとで顔中に汗を垂れ流しながらも、にこにことした笑顔を朋彦に向けた。

「あ、喉渇いただろ?」

 朋彦はナオヨシの無邪気な笑顔に満足しながら、懐に手を入れると一握り程の太さの竹筒を取り出した。

 例によって腹に貼り付けた道具袋の中の蛙人形を掴んで作り出していた、飲み水入りの水筒だった。

 ペットボトルやステンレス等は当然この世界には無いので無難に竹を素材にしていたけれども。

「あ・・・! 有難う・・・ゴザイマス・・・。」

 辛うじて丁寧な語尾を付け足してナオヨシは礼を言った。 

 水筒を受け取るとナオヨシはごくごくと喉を鳴らして浴びる様に飲んでいった。

「はーっ! 冷たくてうめぇー。」

 すぐに空になった水筒を朋彦に返した所で、ナオヨシはあっと慌てた様に声を上げた。

「ごめん・・・。全部飲んじまった・・・。」

「いいよ。俺は全然喉渇いてないし。」

 申し訳無さそうに顔を曇らせて俯くナオヨシの様子を微笑ましく眺めながら、朋彦は水筒を懐に仕舞った。

「・・・ナオヨシのヤツ、随分と行商人様に馴れ馴れしいよな・・・。」

 若者の一人が昼食に持って来た稗の握り飯を食いながら、少し不審そうに朋彦とナオヨシの様子を眺めた。

「あいつお人好しだから、行商人様に上手い事言いくるめられてタダ働きでもさせられてんじゃねえか? 図体がでかいし、力だけはあるからなあ~。」

 別の一人が干し肉を齧りながら、大した悪気も無く笑いながらそう言った。 

 村に沢山の金属製の農機具や、塩や布等を格安で売ってくれた朋彦は、村人達からは何処かのお偉い商人ではないかという思い込みで見られていた。

 その商人様と親しく、馴れ馴れしく話しをしているのが村でも一番下の者だと見下されていたナオヨシだったので、二人の様子は村人達から随分と奇異な目で見られていたのだった。

「・・・「産めぬ民」かも知れんのに、行商人様も何も知らんとナオヨシに近付きやがって・・・。」

 娘のアサコに作ってもらった粟と稗を炊いた弁当を匙で掬って食べながら、ハルサブロウは憎らしそうに遠くからナオヨシを睨んでいた。

 去年の夜這い祭りの夜に、ナオヨシは娘のアサコの誘いを断っていた為、それ以来ハルサブロウはより一層ナオヨシの事を嫌う様になっていた。

 いつも自信なさげに俯き、村人達から言われた事しか出来ないナオヨシが、行商人様の隣ではあんなに楽しそうに笑っている――。その事が、ますますハルサブロウのナオヨシへの不審感や嫌悪感を募らせていった。

「――そういや、みんな昼飯食ってるけど、ナオヨシは?」

 ハルサブロウ達のそんな視線が向けられている事にも全く気付かず、朋彦は呑気にナオヨシとの昼休みを楽しんでいた。

「あ、オレ、今日は持ってきてねえんだ。家の食べ物も残り少ないし。」

 ナオヨシの返事に、朋彦は思わず蛙人形からフルコースのディナーでも作り出そうかという気持ちにもなってしまったが、慌てて思い留まった。

 おにぎりとか卵焼き――ぐらいとも思ったが、向こうのハルサブロウ達は干し肉やら粟の飯やらを食べていたので、今の村の食生活と余りに違い過ぎる食べ物をぽんぽんと景気良く取り出すのもまずいかと思い、朋彦は懐に手を入れると蛙人形を掴んで干し柿を十個程作り出した。

 だいぶ能力に慣れてきたのか、少量の物を実体化させるぐらいでは頭痛も少なくなってきていた。

「一緒に食おうぜ。」

 朋彦は真っ白に粉をふいた大きな干し柿をナオヨシに手渡した。

「え、いいのか?」

 目を輝かせながらも、遠慮深げにナオヨシは朋彦へと尋ねた。

「いいって。食えよ。」

 朋彦は自分の分を先に齧りながら、ナオヨシへと笑いかけた。

 ナオヨシも嬉しそうに笑い、朋彦から貰った干し柿にかぶりついた。

「まだ沢山あるから遠慮すんなよ。」

 朋彦はまだ食べ終わっていないナオヨシに追加の干し柿を押し付けた。

「うん! 有難う!」

 ナオヨシの笑顔に、何となく餌付けしているような気にもなってしまったが、朋彦は取り敢えずこれからの事をぼんやりと考え始めていた。

 村の農作業とかの効率を上げる為には、取り敢えずは質の良い使い易い道具をもっと揃えればいいのか・・・? 

 横に座っても頭一つ分位高いナオヨシの顔と、近くに置かれた桶や天秤棒を交互に見た。

 リヤカー――と言うか荷車に水の入った桶を載せて持って来るとか、他に農作業であれば便利な道具は何があったっけ?

 色々と考えながら朋彦はすぐ横で干し柿を食べているナオヨシへと視線を戻した。

 まだ強い日差しの為に色黒というよりは赤い火傷の様にナオヨシの肌は日焼けし、着物の下の部分だけが白く残っていた。

 毎日の労働で鍛えられた腕や太腿はがっしりとした筋肉が付き、実に美味しそうだと朋彦はナオヨシを眺めていた。

 まあ、本当は村の事なんかよりも、皆から見下されているのならさっさとナオヨシを連れて旅立ってもいいんだけどな・・・。

 朋彦はさっきの竹の水筒を取り出し水を飲もうとした所で、空になっていた事を思い出した。

 川か井戸まで水を汲みに行くのも面倒だったし、何より生水を飲む事への不安も朋彦には大きかった。

「便利な生活に慣れてると駄目だなー・・・。」

 そんな独り言を言いながら朋彦は水筒を右手に持ったまま、左手を懐の道具袋の中に突っ込んで蛙人形を掴んだ。

 魔法の竹の水筒――見た目は小さいけど容量五リットルくらいで、中身が無くなったら自動的に水を作り出す・・・。朋彦はそんな風に水筒を改造した。

 あ、ナオヨシと間接キスじゃね? 水を飲み終わってから朋彦は顔がにやけるのを無理矢理抑え込んだ。

「?」

 朋彦の隣で干し柿を食べ終わったナオヨシが不思議そうに朋彦の顔を見た。

「あ、いや何でもないよ?」

 朋彦は慌てて真面目な顔を取り繕った。

 そうする内にも休憩時間は終わり、また農作業にナオヨシ達は戻っていった。

「おい、ナオヨシ、うまく行商人様に取り入ったもんだなー。」

「何食ってたんだよ? もう無いのか?」

 畑に戻ったナオヨシを三人程の坊主頭やぼさぼさ頭の若者達がにやにやとからかう様に笑いながら取り囲んだ。

「あ・・・ええと、干し柿をもらった・・・。」

 戸惑いながら答えたナオヨシを笑いながら小突いたり、背中を軽く叩いたりする若者達は、それ程には悪気は無かった様だった。

「生意気だなあ! お前なんか昼飯抜きでも上等だぜ。」

「他にも色々と美味いもん恵んでもらったんじゃないのか?」

 しかしナオヨシの事を格下の者と見下して、いい様にいじり回す様子は余り見ていて気分の良い物ではなかった。

 朋彦は助け舟を出そうかとも思ったが、しかし下手に庇い立てしてナオヨシの扱いが益々悪くなっても困るし・・・と、悩みながら成り行きを見守っていた。

「何やってんだ!!お前達! さっさと仕事しろ!」

 ハルサブロウがつかつかとナオヨシと若者達の所に近寄り、怒鳴りながらナオヨシを背後から蹴り飛ばした。

 大きな体の為にナオヨシは軽く前の方に転びかけただけだったが、太腿の後ろの方には赤い痣の様な跡が出来てしまった。

「!」

 その様子に思わず朋彦は立ち上がり、ナオヨシの方へと駆け出してしまっていた。

「どうしたんですか?」

 朋彦がやって来た事でハルサブロウ達は気まずそうに黙り込んでしまった。

 彼等も、村の利益になる行商人様の機嫌を損ねるとまずいと理解していたのだろう。

「いえ、こいつらが真面目に働かないもんですから・・・。」

 ハルサブロウは面倒臭そうに朋彦へと言い訳をした。

「な、何でもないよ・・・朋彦さん・・・。」

 ナオヨシも戸惑いながら朋彦へと答えた。

「行商人様に馴れ馴れしいぞッ!!」

 ハルサブロウはまたナオヨシを怒鳴り付けた。流石に朋彦の目の前でナオヨシを蹴る事は無かったが、それでも少しハルサブロウの片足は蹴る体勢で浮きかけていた。

「――まあまあ、皆さん、仲良くして下さい・・・。」

 余りナオヨシを庇い立てしても却って皆の反感を買ってしまうだろう・・・。朋彦は内心、ハルサブロウの方を蹴り飛ばしてやろうかとも思いながらも、無理矢理に笑顔を浮かべて場を取り繕った。

「そうだ! 皆さんの邪魔にならない程度にお手伝いさせて下さい。水撒きでもやりましょう。」

 朋彦の申し出に、ハルサブロウ達は慌てて頭を横に振った。

「いやいや! 行商人様にそこまでさせる訳には!!」

 そんな遣り取りの後、やはり人手が少しでもあった方が良かったらしく、朋彦には水撒きや草引きの手伝いをハルサブロウから任された。

「・・・暑い・・・。」

 オクラの並ぶ畝の間に屈み込んで草引きをしながら、朋彦は着物の袖で汗を拭った。

 やはり素人の朋彦にはいきなりの農作業はきつかった様だった。

 昼からどんよりと曇り始め、昨日程には全然暑くないとハルサブロウ達は喜びながら話をしていたが、朋彦にとっては結構蒸し暑かった。

 そう言えば熱中症や脱水症の予防の為に夏場は帽子を被りましょう――等と、小学生の時に習った覚えがあったと、朋彦はぼんやりと思い出していた。

 ハルサブロウや他の若者達、ナオヨシをふと見ると、麦藁帽子等は被っておらず、手拭を頭に巻いているだけだった。

 やはり実際にその場で働いてみて必要な物が判る事がある。朋彦は暑さに茹だる頭でぼんやりと、次の行商の時に作り出す物を挙げていた。

「帽子は絶対要るな・・・。後は軍手。草引き用の細いスコップに、ええとええと・・・。」

 そんな事をぶつぶつと呟きながら作業をしている内に、いつの間にか時間は過ぎ、夕方になっていたのだった。 

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