ふたつめのかたり「異なる郷に移されし青年、チートなるを振るいて」

 山の獣除けや冷え込み対策等の為に本来ならば焚き火をする所だったが、ナオヨシは火打石等を持ってはいなかった。

 朋彦の方も頭痛や体の痛みの為に蛙人形への精神集中が出来ず、今はまだ何も作り出す事が出来ないでいた。

 辺りはすっかり暗くなってしまい、半月の月が空に浮かんでいるのが生い茂る木々の隙間から見えたが朋彦達の座っている場所までは光は届かず、お互いの顔も碌に見えなくなってしまっていた。

 黙りこんだまま居るのも何処か居心地が悪く、朋彦は何とはなしに近くで座り込んでいるナオヨシへと話し掛けた。

「――ナオヨシ・・・さんは、この近くに住んでいるのか?」

 朋彦の声にナオヨシは少し驚いた様に体を震わせて顔を上げた。

「あ、呼び捨てでいいよ。」

 ナオヨシは慌てて頭を横に振った。

「ここからしばらく歩いた所に、村があるんだ。オレ、いつもこの辺まで山菜摘みに来たり罠を仕掛けに来たりしてて・・・。」

 何処かぎこちなくも一生懸命に答えるナオヨシの様子に、朋彦はますます好ましく思ってしまうのだった。

 冷えてきたのか話す途中でナオヨシから鼻を啜るような音が聞こえ、朋彦は纏っていたブランケットを少し開いた。

「夏みたいだけど夜は山の中って結構冷えるんじゃないか? ナオヨシもこっちに入ったらどうだ?」

 殆ど裸に近い様な、丈の短い袖無しの上着と褌だけの格好では夜の山の中では冷えて辛い筈だった。

 下心と親切心の入り交じった気持ちを抱きながら、朋彦は怪我をしていない左手で手招きをした。

 暗がりではよく判らなかったが朋彦の呼び掛けに、何故かナオヨシはぎょっとした表情を浮かべた様で、焦った様に大きく頭を横に振った。

「いやいやいや!! オレ、いいよ!! 悪いし! ここで大丈夫!!」

 ナオヨシ自身は同じ位の年頃の朋彦とブランケットの中で密着する事に、本当の所はときめきを感じてはいたが、それは決して他人には知られてはいけないのだと、朋彦の申し出を頑なに拒否し続けた。

 そんなナオヨシの内心を知る筈も無く、朋彦は自分の下心を隠しながらもナオヨシを説得しようとした。

「いやいや、このままだと冷え過ぎて風邪ひくだろ? こういう時はお互いに身を寄せ合って寒くない様にした方がいいんだ。」

 朋彦の言葉を聞きながらも、ナオヨシは戸惑い俯いてしまった。

「・・・でも・・・。オレ・・・。」

「大丈夫だって! ナオヨシに風邪ひかれたら俺も申し訳ないしさ!!」

 左腕を上げてブランケットを広げ、朋彦はナオヨシをまた手招きした。

「ほら! 一緒の方が温かいから!」

 朋彦に強く言われ、ナオヨシは仕方無しに朋彦の隣に腰を下ろしブランケットの中に潜り込んだ。

 ブランケットの内から朋彦に塗られた薬草の爽やかな香りと、ナオヨシの汗の匂いが混じり合って立ち上がった。

 朋彦にとってそれらは決して不快な匂いではなかった。

「・・・あ・・・。体、痛くないか? オレがくっついても大丈夫か?」

 不安感と、何故か怯えた様な表情でナオヨシが朋彦へと問い掛けてきた。

「おう! 平気平気。」

 まだ冷えていたものの、ナオヨシの大きな腕や肩が密着してくる感触に、朋彦は体の痛みもすっかり消し飛んでしまっていた。

「・・・すげぇな~、この布。ちっとも寒くねぇ!」

 ナオヨシは感心しながら朋彦の方へ顔を向けた。

 実体化させる時にかなり大判のブランケットとイメージしていた為、大柄なナオヨシが一緒に羽織っても二人分の体を充分に包み込んでいた。

「こんなすげぇ品物を商ってるなんて、朋彦様はすげぇ大商人様なんだな~。」

 暗がりで充分には見えなかったが、無邪気に笑いかけるナオヨシの顔がすぐ間近にあり、朋彦は柄にもなく顔を赤らめてしまった。

「あ・・・いや・・・ハハハ。それ程でも・・・。」

 照れ臭さをごまかす様に笑いながら、朋彦はナオヨシから目を逸らした。

「でも・・・ホント、あったけぇ・・・。」

 ナオヨシはブランケットに顔を埋めながら、何処かしみじみと呟いた。

 ・・・温かいのは体だったのか、心だったのか。

 しみじみと呟くナオヨシを朋彦は不思議そうに見上げた。

 すっぽりと二人の体を包み込んだブランケットは、体温を外に逃がす事無く保ち続けた。

 しばらく後には冷え込んだ夜の山の中に居ながらも、ぽかぽかとした温かさの中で二人はうとうとし始めていた。

「~~~・・・!」

 朋彦のうたた寝は自分の腹の音で破られた。

 空腹に意識を取り戻し、ブランケットの中でもぞもぞと体を動かした為に、隣にくっついて寝ていたナオヨシも目を覚ました様だった。

「あ・・・悪ィ。起こしたか・・・。」

 朋彦は腹をさすりながら隣のナオヨシに謝った。

「・・・あ、大丈夫。・・・腹減ったのか?」

 ナオヨシの問いに朋彦は小さく頷いた。

 ナオヨシはブランケットから這い出すと、近くの地面に置いていた薬草と木の実の側へと行った。

「これ、一応食べられるから・・・。大商人様の口には合わないかも知れないけど・・・。」

 朋彦の前に差し出されたナオヨシの手には、さっき傷の手当てに使った水分の多い赤い木の実があった。

 正直な所、朋彦の元の世界では見た事の無かった物で、余り口にしたいとは思えなかったが、折角のナオヨシの厚意を断るのも申し訳無かった。

 それに何より空腹だったので、少しでもいいから何か食べたかったので朋彦は遠慮無く木の実を受け取った。

「ありがと! 」

 朋彦はそう言って木の実を口にした。

 手の平程の大きさの実は何処と無く柿の実を思い起こさせた。

 幸か不幸か味は殆ど無く、ほんの少しだけ生臭く、熟し過ぎたトマトか柿の様な薄甘い果汁が朋彦の口一杯に広がった。

 確かに飲み水代わりにはなると思いながら、朋彦は木の実を食べ――飲み終えた。

 手や腕に果汁が流れて付いてしまったが、余りべたつく感じは無かったので朋彦は着物の裾で手を拭いた。

「・・・ん? どうした? 早く入れよ。寒いだろ?」

 朋彦は近くで座り込んだままのナオヨシに気付き、訝しげに呼び掛けた。

「・・・あ! う、うん・・・! 」

 朋彦の声にナオヨシは驚いた様に一瞬体を震わせ、慌ててブランケットの中に潜り込んだ。

 緊張しているのか、ナオヨシの荒い呼吸とのぼせた様な体の熱さが朋彦にも判った。

「あ、ナオヨシは何か食べないのか?」

 今更ながら朋彦はナオヨシが何も食べてなかった事に気付いた。

 しかしナオヨシは朋彦の問いにも頭を横に大きく振って、

「オ、オレは・・・食べなくても大丈夫! いつも夜は食べたり食べなかったり・・・だし!」

 昨日の夜は干し肉とこの赤い木の実を食べたと聞き、朋彦は自分の価値観ではかなり貧しい暮らしをナオヨシがしている事に不憫になってしまった。

「あ・・・後で――体が治ったら、お礼をするよ。何か欲しいものはあるか?」

 暗くてナオヨシには見えにくいとは思いながらも、朋彦はナオヨシの方を向いて微笑みかけた。

「お礼なんて・・・。そんな・・・。オレ、大した事してないし・・・。」

 ナオヨシは困った様にもごもごと呟いた。

「遠慮するなってば。何でもいいぜ。」

「うん・・・。」

 朋彦の言葉にもナオヨシはただ困った様にして俯くだけだった。

 遠慮深いのか、本当に何も思い付かないのかは朋彦には判らなかった。 

「まあ・・・何か思い付いたら遠慮せずに言ってくれよな? 俺の命の恩人なんだからさ。」

「いや・・・そんな、大袈裟な・・・。」

 暗くてよく見えなかったが、ナオヨシは誉められて少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせた様だった。   

 そうする内に段々と夜も更け、微かな月明かりだけの真っ暗な山の中で朋彦はナオヨシと身を寄せ合って寒さを凌いでいた。

 夏の終わりではあったが山の夜中は寒い程に気温が下がり、ブランケットが無ければ凍死しかねなかった。 

 朋彦は時折うつらうつらと眠りかけたものの、遠くで聞こえる動物の鳴き声や体の痛みに意識を取り戻し、充分に眠る事が出来ずにいた。

 ナオヨシも余り眠れていなかった様で、朋彦が目を覚ました事に気付くと、何とはなしに話し掛けてきた。

「・・・行商人様は、今までどんな所を回ってきたんだ? オレ、村から出た事無いから、よその事全然知らなくて・・・。」

「あ~、名前呼び捨てでいいよ。朋彦で。」

 朋彦は大欠伸をしながらナオヨシに答えた。

「でも・・・。オレなんかが苗字持ちの商人様を呼び捨てなんて・・・。」

 苗字持ちと言う事で大商人だと勘違いしたままのナオヨシは申し訳無さそうに俯いた。

「いいからいいから、呼び捨てでも! 気にすんなって。」

 朋彦の押しに負け、ナオヨシは困惑したまま朋彦の方を向いた。

「あの・・・じゃあ・・・朋彦・・・さん・・・。」

「おう!」

「あ・・・ええと・・・。」

 朋彦が返事をしたものの、ナオヨシはそれ以上言葉が続かず大きな体を縮こまらせて俯いてしまった。

「そういや、ナオヨシの村ってどんな所なんだ? 行商に行ってみたいな。」

 ナオヨシが気後れしない様に朋彦は努めて明るい調子で問い掛けた。

「あ・・・うん・・・。なんにも無い村だよ・・・。どんな村って言われても・・・。」

 そう答えるナオヨシの言葉には困惑だけでなく、何処か悲しそうな感情が混じっている事に朋彦は気付いた。

「いや・・・その、オレ、全然学も無いし読み書きも出来ないし・・・。村の事もよく判んなくて・・・。」

「あ、ゴメン! そこまで真面目な話じゃなくて・・・! いやほら、世間話的なって言うか。」

 更に申し訳無さそうに体を縮めるナオヨシの肩を軽く叩き、朋彦は慌てて言い繕った。

「あ、うん・・・。」

 まだ少し俯いたままナオヨシは頷いた。

 村の事を余り話したくなさそうなナオヨシと、異世界から転移してきたばかりの朋彦――この組み合わせでどうやって世間話をするというのか、朋彦もナオヨシを慰めながら内心溜息をついてしまった。

「あー、えーとえーと・・・! そうだ! その~えーと、行商先で聞いた、遠い遠い国の話をしよう!」

 朋彦は咄嗟にそんな事を口にしてしまったが、ナオヨシは興味を示した様でじっと朋彦の顔を見つめてきた。

「遠い国の話? 」

「ああ! えーと、とにかく遠く離れた所の国で・・・。」

 朋彦は半ばヤケクソ気味に、自分の元居た世界の事を行商先の町の人から聞いた噂話の様に語る事にした。 

「東の果てには小さな島国があって、そこでは建物は石で出来てて山よりも高くて・・・。」

「へえ~すげえなあ! 山よりも高いなんて!!」

 朋彦の話にナオヨシは目を輝かせて食いついてきた。

 ナオヨシの関心は朋彦の話に移った様で、もう悲しそうな表情は消えた様だった。

 冷え込む真夜中の夏の山の中でブランケットに二人でくるまりながら、朋彦はしばらくの間話し続けた。



 朋彦の語る遠い遠い国の話を聞きながら、いつの間にかナオヨシはうたた寝し始めていた。

 ナオヨシが――いや、村人達も見た事も無い様な不思議で優れた性能を持つ「銀色の布」は、夏の終わりとは言え厳しく冷え込んでくる真夜中の山でも充分な暖かさを保っていた。

 朋彦の隣で座ったままうとうとと眠りかけた意識の中で、ナオヨシは朋彦に言い出せなかった自分の村の事を思い返していた。

 名前も無い様な小さく貧しいその村で、ナオヨシは何となくではあったが村人達からは低く見られがちだった。

 村には一応、ナギシダという名前が付いてはいたが、他の村や町に出掛ける事も無い生活を送るナオヨシや大部分の村人達にとっては村の名前はあって無い様な物でもあった。

 ナオヨシの父親は猟に出かけた山で崖から落ちて死に、母親は現代で言えば単なる肺炎をこじらせて呆気無く死んでしまった。

 貧しい山奥の村ではよくある死因でしかなかった。 

 どちらもナオヨシが七歳になるかならないかの頃だった。

 だが貧しい暮らし故に、村全体でまとまって協力し合って生活していくと言う村の考え方のお蔭で、孤児となったナオヨシも何とか十七歳の現在まで生き延びる事が出来た。

 貧しい食生活の中でもどう言う訳か比較的体格に恵まれたナオヨシは、一応は面倒を見てくれた村人達に気を使い、畑仕事にも猟にも率先して手伝いに出て、その収穫や獲物の殆どを他の村人達に進呈して生きてきた。

 親無し子にしてはよく働いてくれる――村人達のナオヨシへの評価はそれなりに好意的だった。

 二回目の夜這い祭りまでは。

 辺境の田舎の村ではよくある事で、成人と見做される年齢は十五歳程で、その年頃の男女への婚約や婚前交渉は、村の人口増加や将来の労働力増加の為にむしろ積極的に大人達から勧められていた。

 秋のささやかな収穫祭の夜には宴会が行なわれ、その後の夜中に成年と見做された男子は気になる相手の所に逢引や夜這いを仕掛ける風習があった。

 だが、十五歳になったナオヨシは自分から会いたいと思う女の子も居らずにその歳の祭りを終え、翌年は声を掛けてきた相手の誘いを断ってしまったのだった。

「ナオヨシどんは・・・何で断るの・・・?」

 誘いを断られ、眉をひそめて疑問を口にする村の女の子に、余り考えの足りないナオヨシはただひたすら申し訳無いと頭を下げるだけだった。

 夜這いをして交わったとしてもそれで即、夫婦として結婚しなければならないと言う訳ではなかった。

 女性の体への好奇心旺盛な年頃という事もあり、興味本位で夜這いに出かける男子が殆どだった。

 しかし――ナオヨシはどうしても、彼女等の体に興味を持つ事が出来ないでいたのだった。

「――ナオヨシにはあんまり近付かん方がいいかも知れん。」

「やっぱりか・・・。あいつはもしかしたら「産めぬ民」かも知れんからな・・・。」

 今年の夏の盛りも過ぎ掛けた頃から、ナオヨシに隠れて通常ならば口に上がる事の無い言葉を村人達がひそひそと言い合い始めた。

 三回、夜這い祭りを拒んだ者は「産めぬ民」として村から追放するか、殺してしまうか――。

 そんな村人達の心の変化を薄々感じ取っていたナオヨシは、どうする事も出来ずにただ居心地の悪い日を送り続けていた。



 翌朝。

 柿の様な実を一個食べただけで熟睡も出来なかった朋彦は、また空腹で目を覚ました。

 眠い様なだるい様な中で朋彦が目を開けると、辺りは薄靄の中に白々と明るい夜明けの光が満ち始めていた。

 朋彦は眠っている内にずれてはだけかけた着物の懐に手を入れ、道具袋の中の蛙人形を握り締めた。

 今度こそ治療薬を作り出そうと、朋彦は蛙人形を道具袋の中に入れたまま精神を集中した。

 漫画やゲームに出て来る様なHP回復とかバッドステータス回復を行なう様な、とにかく都合良く体が回復する薬を――。

 道具袋の中で握っていた蛙人形の口から例の白いゲロが吐き出された感触があり、それはすぐに何かのガラス瓶へと変化した。

 また頭痛を感じながらも朋彦が取り出すと、それは元の世界の薬局等で見掛けた様なドリンク剤の様な茶色い薬瓶だった。

 瓶には滋養強壮・万事回復等と言う煽り文句と共に蛙人形の顔が印刷されたラベルが貼られていた。

「・・・何かすんごい胡散クセェェ・・・。」

 朋彦は眉間にしわを寄せながら、取り出した薬瓶のラベルの蛙の顔を見つめた。

 しかしこの際贅沢は言ってはおれず、朋彦は仕方無く瓶の蓋を捻って開けると一気に中身を飲み干した。

 幸い、薬液の味は朋彦のイメージしていた通りに市販のドリンク剤の様な甘味があり、無理無く飲み干す事が出来た。

 薬を飲むとすぐに、体の内側からほんのりと温かくなり――気が付くと体の痛みや右腕の傷はすっかり消えてしまっていた。

 空き瓶を道具袋の中にしまっていると、朋彦のごそごそとした動きにナオヨシも目を覚ました様だった。

「あ・・・おはよう。朋彦さん。」

 ナオヨシは欠伸をしながらまだ半ば寝ぼけた様な顔で朋彦へと挨拶をした。

「ああ、おはよ。」

 朋彦は挨拶を返しながら改めてナオヨシの方を見た。

 昨日は体の痛みと夕暮れになりかけでじっくりとナオヨシの顔を見る余裕が無かったが、夜が明けて辺りがすっかり明るくなった中で見るナオヨシの姿はやはり朋彦の好みにピッタリと合っていた。

 日に焼けて少し赤黒い丸顔の人の良さそうなナオヨシの顔が、自分を見つめてくる朋彦を不思議そうに見返していた。

 余り風呂に入る習慣や余裕がある暮らしではないのだろうか、朋彦に塗られた薬草の青臭い香りと混じって立ち上るナオヨシの汗や体の匂いは、しかし朋彦にとっては決して不快ではなくむしろ胸をときめかせてしまうものだった。

「あ・・・その・・・。怪我の具合は大丈夫か?」

 じっと自分を見つめてくる朋彦に顔を赤らめて目を逸らし、ナオヨシはごまかす様に尋ねてきた。

「あ、うん。一晩寝たら大分良くなった! 薬草を塗ってくれたお蔭だな! 有難うな!」

 朋彦はナオヨシに礼を言ってから、ごそごそとブランケットから這い出して近くに放置していた行李箱の所へと近寄った。

 頭痛覚悟で何か温かい飲み物と食べ物を作り出さないと、もう空腹で朋彦はナオヨシの村まで歩けそうになかった。

 ナオヨシから見えない様に背を向けて行李箱を開け、中の物を探る様な動きの振りをしながら朋彦は懐の中に手を入れて蛙人形から取り急ぎ缶のオニオンコンソメスープ(具沢山三百ml)と、ホットサンドイッチ(胡麻パンのレタスと照り焼きチキンのサンド)を二人分実体化させた。

 ついでに自分の分のスープには頭痛回復の効果も付与したので、蛙人形を使った際の頭痛もこれですぐに治る筈だった。

「朝飯にしようぜ~。」

 やはりまだ能力が体に馴染んでいない様でずきずきと疼く頭痛を我慢しながら、出来立て熱々のスープとサンドイッチを手に、朋彦はまだブランケットを羽織ったままのナオヨシの前に屈み込んだ。

「!?」

 見慣れないだけでなくほかほかと温かな湯気を立てている食事らしき物に、ナオヨシは驚きに声も無く目を見開いていた。

「あ・・・ええと・・・。」

 呆然としたままナオヨシは蓋の開いたスープの缶とサンドイッチを受け取ったものの、どうしてよいものか朋彦の顔色を伺う様に見た。

「食べようぜ! ええと・・・遠くの国から仕入れた食べ物だから、口に合わないかもだけど。」

「え? オレも食べていいのか?」

 垂れかけた涎を慌てて飲み込みながら、ナオヨシはとても驚いた様子で朋彦に尋ねた。

「勿論!」

 朋彦はずきずきと疼き続ける頭痛を早く何とかしようと、ナオヨシに答えるとすぐに隣に座ってオニオンスープに口を付けた。

 殆ど刻みタマネギのスープ漬けの様な感じでぎっしりと具の入ったスープの温かな香りと湯気が朋彦の顔を撫で、ほど良い熱さのしょっぱさとオリーブオイルとチーズの旨味が喉を潤していった。

 付与されていた頭痛回復の効果もすぐに現れ、朋彦の頭は煩わしい疼痛から解放された。

「どうした? 美味いと思うけど?」

 飴色に炒められた具のタマネギをもぐもぐと味わいながら、朋彦は隣で缶とサンドイッチを手にしたままじっとしているナオヨシに呼び掛けた。

「あ、うん・・・。」

 朋彦に促されナオヨシも恐る恐るスープの缶に口をつけた。

「うっうめぇぇぇ!!」

 生まれて初めて食べたスープの味にナオヨシは思わず声を上げていた。

 殆ど一口でスープを飲み干し、がつがつと貪る様にサンドイッチを平らげるとナオヨシは満足げに大きく息を吐いた。

 実に美味そうに食べたナオヨシの様子を微笑ましく眺めながら朋彦も自分の分のサンドイッチを食べ始めた。

 胡麻入りの食パンに染みた照り焼きのタレやチキンの肉汁が口の中で混ざり合い、肉の旨味が舌の上にふんわりと広がっていった。

 元が蛙人形の白いゲロの様な物だと知ってはいても、昨日から碌に物を口にしていなかった朋彦の体は実に美味な物として受け入れていた様だった。

「オレ、こんなうめぇ物生まれて初めて食べた! ホントすっげぇなぁ、朋彦さん!」

 まだ口の中に残っていた心地良い味わいの余韻に浸りながら、ナオヨシは朋彦を賞賛の目で見つめていた。

 干し肉だの木の実だのを食べたり食べなかったりの食生活であれば、朋彦の差し出したスープとサンドイッチはさぞかしご馳走なのだろうと、朋彦は少しナオヨシ達の村の食生活が気の毒になってしまった。

 ここはやはりナオヨシと仲良くする一環として村の生活の改善に関わるべきだろうと、朋彦は下心と同情心の混じった決心をした。

「さ~、腹も張ったし、行商に出発するか。」

 ナオヨシは立ち上がると腰に付いた枯葉を払い落とした。

「・・・もう行っちまうのか?」

 ナオヨシはとても寂しそうに顔を曇らせて朋彦を見上げた。

「ん? いやいや、ナオヨシの村に行商に行くんだよ。ほら・・・まだ怪我した所も痛いし・・・。出来れば、ナオヨシの家で療養させて欲しいなあ・・・なんて・・・。」

 昨日の今日でいきなり体が全快するのは怪しまれると思い、朋彦はわざとらしく腰や膝を押さえ、少し顔をしかめて見せた。

 朋彦は悪知恵を働かせ、怪我の療養と村での行商という名目でしばらくナオヨシの所で厄介になろうと考えた。

「あ・・・うん・・・。でも・・・オレの家、ボロ小屋だし・・・。どうしよう・・・。」

 朋彦が自分の家に来る事に嬉しそうに顔を輝かせたものの、朋彦をもてなす事が出来ない事にナオヨシはすぐに悲しそうに俯いてしまった。

「どうもしないって! 横になれたらそれでいいから! 」

 朋彦は俯いたままのナオヨシからブランケットを剥ぎ取り、ばさばさと落ち葉や枯れ枝を払い落とした。

 自分好みのナオヨシが横で寝てくれてさえいれば、朋彦にとっては何処でも上等な寝床だった。

「うん・・・。」

 申し訳無さそうに俯きながらナオヨシはのそのそと立ち上がった。

「あ、これはオレが背負うよ。朋彦さんまだ体が辛いだろ?」

 ナオヨシは近くに置かれていた行李箱に気付き、背負い紐に腕を通した。

「悪ぃな・・・。」

 朋彦はナオヨシに礼を言った。行李箱の中身は空だったので軽い筈だったがナオヨシは気付いてはいない様だった。

 行李箱の中の商品は後で作り出そうと考えながら、朋彦は何となくナオヨシに尋ねてみた。

「村で必要な物とかって何があるかな?」

 朋彦の問いにナオヨシは行李箱を背負ったまま困った様に立ち尽くした。

「う~ん・・・。急に言われても、オレ、みんなから言われた仕事をするだけだったから・・・。ごめん・・・。」

 朋彦の役に立てない事をナオヨシは泣きそうな表情になって謝ってきた。

「いやいや、そこまで大袈裟な事じゃないから!」

 ナオヨシの様子に朋彦は慌てて手を振った。

 それでも何とかナオヨシは一生懸命に考えてくれたらしく、村人達の話を思い出して幾つかの品物を挙げた。

「村の女の人達は塩とか、着る物を作る布とか糸とか足りないって言ってて・・・。後は酒とか、かな・・・。」

「そっか! ありがとな!」

 ナオヨシの話を聞き、朋彦はそれだけの品物を村に持って来るのには行李箱だけでは当然足りないと判り、ついでに小さな荷車を作り出す事にした。

「あ~、えーと、俺が落ちてきたここの上の方に、行商の荷車がある筈なんで取って来るよ! ナオヨシが俺の事を助けてくれたお礼に、荷車の品物、村に安く売ってやるからさ!」

 そう言って朋彦が藪の中へと入っていこうとすると、ナオヨシが朋彦の左腕を掴んで引き止めた。

「まだ怪我も治ってねぇのに危ないよ! オレも一緒に行くよ。」

「あ・・・。そうだよな・・・。」

 普通に考えれば全身打ち身で昨日は動けなかった人間を一人で行かせる筈もなかった。

 朋彦はナオヨシのごく普通の親切心に、今だけは困った様に溜息をついた。

 昨日朋彦が足を踏み外した辺りへと、藪を掻き分け歩き易い場所を選びながらゆっくりとナオヨシの先導で朋彦は歩いていった。

「えーと、どの辺だったかな・・・。」

 しばらく歩いて小さな山道らしきものがある場所までやって来ると、朋彦はどうしたものかと考えながらも一応は荷車を探す振りをした。

「あ~! ナオヨシは向こうを探してくれないか? 俺、こっちを見てみるから。」

「うん。いいけど・・・まだ怪我も治ってないんだから無理すんなよ・・・?」

 朋彦の指示に、ナオヨシは心配そうに朋彦を見下ろしながらも藪の向こうへと入っていった。

 ナオヨシのいない隙にと、朋彦は近くの別の藪の中へと潜り込み、蛙人形を取り出すと急いで荷車と荷箱・・・と頭痛止めの薬を実体化させるべく精神集中を行なった。

 畳一枚分あるかないかぐらいの大きさの四輪の付いた荷車が、中身はナオヨシの言っていた塩や布地、糸、ついでに針や鋏等の裁縫道具、等の詰まった木箱と、幾つかの小さな酒樽を積み上げて朋彦の目の前に瞬く間に出現した。

 急いで小さなアルミパックに包まれた一粒の頭痛薬を飲み込み、頭痛を抑えると朋彦はナオヨシへと呼び掛けた。

「ナオヨシ! 荷物あった!」

 朋彦の声にナオヨシは急いで戻って来た様だった。

 藪の中から顔を出したナオヨシは、朋彦の横にある荷車とその上の積荷に少しの間呆然と立ち尽くしていた。

「すっげ・・・!」

 村にごくたまに訪れる行商人すら運んできた事の無い量の荷物にナオヨシは目を輝かせた。

「朋彦さん、ホントにすげえ商人様なんだな~!!」

 ナオヨシからの素直な賞賛と尊敬の眼差しに、朋彦はくすぐったい気持ちになってしまった。

「いやいや、それ程でも~。」

「きっと村の皆喜ぶよ!」

 ナオヨシはそう言って行李箱を背負ったまま、荷車を引いて歩き始めた。

 村の力仕事をいつも任されているだけあって、ナオヨシは碌に整備もされていない山道を軽々と歩いていった。

 まだ怪我が回復してい無いと言う体裁だった為、朋彦はゆっくりとした足取りでナオヨシの後に続いた。



 人や獣が歩いて踏み固めただけの小さな山道はでこぼこと足場が悪く、小さくとも荷車を引いて移動するには体力を使い、途中何度か足を止めて休憩をしなければならなかった。

「ごめんな・・・。荷物もっと軽くしたら良かったよ。」

 調子に乗って荷車に載せられる限界までの量を実体化させた事に、朋彦はナオヨシに申し訳無い気持ちになった。

「平気だよ! オレ、いつも荷物運びしてるからこれぐらいなら軽いよ。」

 手の甲で汗を拭いながら笑って答えるナオヨシの笑顔を、朋彦は激しく胸をときめかせながら見上げていた。

 がっしりとした厚い胸板や筋肉の張った肩や腕を滴り落ちる汗の粒や、汗で濡れた短い髪の毛。 今すぐにでも抱きついて思う様頬ずりしたい衝動に朋彦は駆られてしまったが、流石に昨日会ったばかりのノンケかどうかもまだ判らない相手にまずいと思い、無理矢理に欲望を抑え込んだのだった。

 しばらくの休憩の後、ナオヨシは再び荷車の引き手を掴んで歩き始めた。 

 その後ろを付いて来る朋彦をナオヨシは少し振り返り、

「でも、朋彦さんもすげぇよなあ。こんな重い荷物引いてあちこち行商に行ってるんだろ? この近くに来るまでは何処で商いをしてたんだ?」

 何も知らないナオヨシは朋彦の体力に素直に感心していた。

「あぁー・・・。そ、そうだな~。重いからゆっくりのペース・・・いや日程でのんびりした感じの行商かなあ・・・。」

 朋彦はナオヨシの問い掛けに引きつった笑いを浮かべながらごまかした。

「えーとえーと、先週までは山奥の村で塩とか魚の干物とかお菓子とか売ってた・・・かな?」

 ナオヨシの純粋な笑顔への申し訳無さから、朋彦は荷物の陰に隠れる様にして咄嗟のでまかせを口にした。

「へえ~! 色々な所に行けていいなぁ~!」

 ナオヨシは狭い村の中だけで生きている自分には想像しようもない余所の土地の話を聞きながら、ただ漠然と淡い憧れを胸に抱いた。

「だったらナオヨシも俺と一緒に行商に出掛けるか? 村長さんとか?に許可貰って二日三日一緒に出掛けたりとか・・・。」

 朋彦にとっては大して深い考えも無く、ナオヨシと一緒に行動したいという下心だけで言っただけだったが、ナオヨシは実に嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

「ホントかっ!? 朋彦さんと一緒に行商してもいいのかっ?」

「あ、ああ・・・。」

 ナオヨシの食いつき様に朋彦は嬉しく思いながらも戸惑ってしまった。

「やった~! すげぇな~! オレ、苗字持ちの行商人様の荷運びだ!!」

「いやいや、だから俺はそんな大層な身分じゃないってば・・・!」

 困った様に朋彦はナオヨシに呼び掛けたが、嬉しそうにはしゃぐナオヨシの耳には届いていない様だった。

 そんなこんなで朋彦が怪我を負った場所から五キロ程の道のりを経て、ようやく昼前の時間帯にナオヨシの住む村が見える小高い山の上へと朋彦達はやって来た。

 村の近くの山は薪等を得る為に適宜切り開かれて見通しが良くなっており、まばらな木々の向こうには小さな村が見えていた。

 村の様子は、やはり朋彦のイメージ通りの貧しい小さな村というものだった。

 幕末から明治初期の辺りの日本の様な世界というパイライフの言葉通り、緩やかではあったが長く続く山の斜面にへばりつく様にして開拓された田畑の形は小さくいびつで、人家と思われる建物もばらばらの大きさの材木を辛うじて繋ぎ合わせた、朋彦の感覚では掘っ立て小屋の様な物ばかりだった。

 山を下りてナオヨシと共に村へとやって来ると、ナオヨシの表情が今までとは変わって硬く沈みがちな事に朋彦は気付いた。

 両親が死んで居ないと言っていたので村では苦労しながら生活してきたのだろうかと、朋彦はナオヨシの人生を想像してみたが、その事には触れない様にした。

「ナオヨシか。今帰ったのか?」

 粗末な木の鍬を肩に担いだ白髪の老人が通りかかり、ナオヨシへと話し掛けてきた。

「あ、ああ! 山に罠を見に行ってた。」

 ナオヨシが答えるのを聞きながら、老人は荷車と朋彦を不思議そうにじろじろと眺めていた。

 老人の視線に朋彦は軽く頭を下げて挨拶した。

「あ、こんにちはー。行商人です。」

 朋彦の言葉に老人は少し驚き、

「おや、旅の行商人様ですかいな。こんな山奥の村によくおいでくださった。」

「どうしたね、ヒロシさんよ。」

 ヒロシと呼ばれた老人の後ろに天秤棒を担いだ、やはり同年代ぐらいのしわとシミだらけの顔をした老人がやって来た。

 彼もナオヨシの姿に気付くと何処か胡散臭そうにナオヨシを見た。

「おー、いや、ナオヨシがな旅の行商人を連れて来たとか。」

 ヒロシ老人がナオヨシとその後ろに立つ朋彦を顎で示した。

 最初は朋彦も、彼等が何処かよそよそしく胡散臭そうな目で余所者の自分を見ているのだとばかり思い込んでいたが――どうやら、彼等はナオヨシに対しても同じ様な目で見ている様だと朋彦は気が付いた。

「えーと、旅の行商をしている者なんですけど、山で道に迷ってしまいまして。おまけに斜面で足を滑らせて怪我をしていた所をナオヨシ殿に助けてもらったのです。」

 ナオヨシの事を庇うような感じでつい、朋彦は柄にも無く熱の入った説明を老人達へと行なった。

「命の恩人であるナオヨシ殿に恩返しをするべく、行商の品物を安く売ろうと思い、ナオヨシ殿に村まで案内してもらった訳であります。」

 命の恩人、恩返し、という所に熱を込めて朋彦は老人達へと言った。

 一応は身なりのきちんとした朋彦の、大荷物の荷車の様子と相まって、老人達は初めて感心した様な表情をナオヨシへと向けたのだった。

「へえ~・・・。親無しのナオヨシがねえ。」

「行商人様を助ける程の頭があったとは驚きだな。ハハハ。」

 感心はしつつも、やはり見下した様な老人達の言い草に、朋彦は内心カチンと来ていたが顔には出さない様に我慢した。

 そんな老人達に頭を下げ、朋彦はナオヨシを促して村長の家へと向かう事にした。

 村ではどんな事も村長が決めているという事だったので、朋彦の行商の許可も村長に伺いを立てなければならないと言う事だった。

 ナオヨシに荷車を引かせて村の奥へと進む内に、村の外部からの珍しい来訪者の噂は瞬く間に広がったらしく、村中の人間達が畑仕事等もそこそこに朋彦の姿を見にやって来た様だった。

 村人達は時代劇で見た様な粗末な着物を纏い、子供も年寄も、男も女も、畑仕事に薪割りや、近くの谷川から水を汲んで来たりと、せわしなく働き通しの様だった。 

 朋彦が頭を時々下げながら様子を伺うに、幸い村人達の表情は暗くはなく、時にお互いにふざけたり何事か冗談を交わして笑い合っている様子が伺えた。

「珍しいねえ。よその人が来るだなんて。」

「――旅の行商人だとさ。」

「何か売ってくれるのかしらね。」

「ヤスタロウのナニが最近弱くなってきたから、夜の養生薬でも売ってもらったらどうだね。」

「もう、何言ってんのさ! 」

 ただ、そんな風に村人達は話をしながらも、朋彦の荷車を黙々と運ぶナオヨシへは何処かよそよそしい視線を送っていた様だった。

 村人の数は百人足らず・・・か。山や畑でまだ仕事をしている人も居るだろうからはっきりとは判らなかったが、朋彦を見に群がってきた村人達の数をざっと見ると、どうやら村の人口は百人かもう少し多い程度の様だった。

 わいわいと久々の外部からの訪問者を話の種にお喋りを交わす村人達の後ろの方から、何処か気の毒そうなひそひそという小さな話し声も朋彦の耳へと微かに聞こえてきた。

 ――ナオヨシどんも、あんなに働き者なのに「産めぬ民」なのかもしれねぇとはなあ・・・。

 ――滅多な事を言うんじゃないよ。ナオヨシがまだそうと決まった訳じゃない。

 そんな小さな話し声はナオヨシには聞こえていなかったのかどうかは朋彦には判らなかったが、村に来るまでの道中の楽しそうなナオヨシの様子は影を潜め、村人達の顔色を伺うかの様に時々辺りを見回してはすぐに俯いて荷車を引き続けていた。

 その何処か自信無さげな表情が目に入り、朋彦は軽くナオヨシの背を叩いた。

「村長さんの許可もらえたら、後で一緒に昼飯食おうぜ! 」

「あ、うん・・・。」

 村人達の顔色を伺いながら、ぼそぼそと呟く様に漏らされたナオヨシの返事は、ナオヨシがこの村でどんな扱いを受けてきたのか朋彦を心配させた。

 そうする内にナオヨシに連れられて朋彦は村長の家へとやって来た。

 全体的に貧しい村という事もあり、村長の家も朋彦の想像していた様な豪邸ではなく、他の村人達の家と大差の無い土間と六畳一間の小屋の様な物だった。

 朋彦とナオヨシを出迎えに出て来た村長も、先刻朋彦が出会った老人達よりは多少若い様ではあったが、すっかり禿げ上がった頭にちょろちょろと残っている髪の毛は全て白くなっており、顔立ちや体付きと比べて余計に年寄りの様に見えてしまっていた。 

 相手が村長と言う事で余計に畏まってしまい話し辛そうな様子のナオヨシを気遣い、朋彦は代わりに自己紹介やナオヨシに助けてもらった事やお礼に安く商売をしたいと言う事等を村長に説明した。

「ほう・・・。ナオヨシがねえ・・・。珍しく役に立ったものですなあ・・・。」

 村長は感心しながらも、明らかにナオヨシを見下した様な視線で一瞥し、それから朋彦へと視線を戻した。

「室地様とおっしゃいましたか。お若いのにこの様に大変な山奥までこれだけの荷を持って行商に来て下さったとは、大変有り難く存知ます。」

 ナオヨシを見た時とは違い、朋彦に礼を述べる村長の表情はごく普通の笑顔だった。

 その表情の違いに朋彦は遣る瀬無い気持ちを抱いてしまったが、ナオヨシの境遇がこれ以上悪くなっても困るので今は特に指摘せずにおく事にした。

「こんな山奥の村ですから、普段もなかなか滅多に行商人も来ませんので、室地様が来て下さって本当に助かります。」

「いえいえ、大した品物がある訳でもないですので・・・。」

 朋彦は謙遜しながら、ふと荷車の引き手を持ったまま立ち尽くしているナオヨシの方を見た。

 ナオヨシは俯いたまま微動だにせず、朋彦の方を振り向く事もなかった。

 朋彦がナオヨシの方を見た事に村長が気付くと、村長は少し叱る様な口調でナオヨシを追い立てた。

「ほらほら、ナオヨシ! 何を突っ立ってるんだ。さっさとハルサブロウ達の所に行って農作業の手伝いをしてくるんだ。」

「は・・・はい!」

 村長の声にナオヨシははっと顔を上げ、慌ててハルサブロウとやらの居る場所へと駆け出していった。

 条件反射なのかナオヨシは村長に急かされると、焦った表情になり朋彦の方を振り向く事もなかった。

「あ、え? ナオヨシ・・・。」

 村長のせいでナオヨシに行商の手伝いをしてもらおうと言う朋彦の企みは台無しになってしまった。

 朋彦は残念そうに、内心では村長への恨みを滾らせながら、走り去っていくナオヨシの背中を見送った。

「昼過ぎには一度村の者達が農作業から休憩しに帰って来ますから、その時にでも商いをお願いします。」

「あー、はい・・・。」

 朋彦は適当に返事をした。

 夏の終わりかけの時期とは言え、まだ日中は直射日光がきつく炎天下で農作業をすると暑くて倒れてしまう為、村人達は昼食と休憩を兼ねて昼間の時間帯は家に戻ってくるのだと村長は説明してくれた。

 貧しくて仕事は頑張らなければならないが、かといって無理をして日中に倒れてしまっては元も子もない――村長はもどかしそうに朋彦へと話した。

 熱中症の知識が無くても、村長は一応は村人達の体を気遣ったり、作業一辺倒ではない頭の柔らかさはある様で、決して根は悪い人ではない様だったが・・・。それだけに朋彦は村人や村長達のナオヨシへの視線にますます遣る瀬無い気持ちになってしまっていた。

「商いの場所はこの家の前を使って下さい。」

 村長はそう言って家の中へと引っ込んでしまった。

 開けっ放しの引き戸から中を少しだけ覗くと、村長は中で稲藁を使ってせっせと縄を編む作業を続けていた。

 村長といえどこの様な貧しい村ではふんぞり返って過ごす訳にはいかない様だった。

 ナオヨシが去ってしまった事に大変に落胆しながらも、朋彦は何とか気を取り直すと荷車の紐を解いて商いの準備を始めた。

 木箱の中には予め蛙人形の力で作り出していた塩や布地等がぎゅうぎゅう詰めになっており、朋彦は中の品物が見え易いように箱を開けて地面へと並べていった。

 箱を並べている内に朋彦はふと思い立ち、この村でどんな品物が求められているのかを尋ねに村長の家の中に入っていった。

「あの~。」

 朋彦が土間の入り口で呼び掛けると村長は縄をなう手を止めてしわだらけの顔を上げた。

「何でしょう?」

「この村で必要とされている商品とかを、参考までにお聞きしたいのですが・・・。」

 朋彦の問いに、次回も行商に来てくれるのかと思った村長は、嬉しそうに答えてくれた。

「そうですな・・・。やはり塩や薬ですな・・・。後は、布や裁縫道具に・・・。それと、こんな村では贅沢と言われるかもしれませんが、鋸や鑿などの金属の道具や、昔私が町で見た金属の鍬とか鋤とか・・・。」

 村長がそう言いながら土間の片隅に僅かの間視線を向けたので、朋彦もそっちを見ると、先端がぼろぼろに砕けかけた木製の鍬が転がっていた。後で折って竈の焚き付けにするのだと村長は説明してくれた。

「良い道具があれば、村人達の仕事もし易くなるのですが・・・。」

「判りました。有難うございます・・・。」

 朋彦は一礼し、土間から出て行った。

 村長はまた縄作りの作業に戻った様で、朋彦の商いの準備を見に来る様子は無かった。

 さっきまで物珍しそうに群がっていた他の村人達も、また自分達の仕事に戻っていったらしく幸いにも朋彦の周囲には誰も居なくなった。

 朋彦は村長の家の影に身を隠すと、懐の道具袋に手を突っ込んだまま蛙人形を握り締めて精神集中をした。

 ステンレス製の鍬や鋤、スコップや鎌、剪定鋏――元の世界のホームセンターで何となく見た事のある様な農機具や大工道具等を次々に実体化させ、道具袋から取り出した。

 他にも知識の参照を行ないながら、オーバーテクノロジーにならない程度に胃腸薬や下痢止め、風邪薬等の効能を持つ薬草の粉末や、火傷の軟膏等も作り出していった。

 知識の参照の流れで田舎の村の嗜好品等の情報も頭の中に流れ込んで来て、煙草や酒、甘い物等も好まれると判り、取り急ぎ朋彦は氷砂糖や飴玉を作り出した。

 段々と朋彦もパイライフから与えられた能力を使いこなせる様になっているのか、物の実体化や知識の参照を行なった後の頭痛も軽くなり始めていた。

 軽度の効果の頭痛薬を作り出して服用した後、朋彦は村長の家の前一面に品物を並べ終えると、その横に座って村人達が休憩時間に入るのを待った。

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