67代 福田赳夫

名前 福田赳夫

生没年 1905~95

出身 徳島

在職 1976.12~78.12

与党 自由民主党


・福田康夫元首相のお父さん、福田達夫衆議院議員の祖父。某番組によれば松丸亮吾さんの遠い親戚でもあるらしい……。

・戦前は大蔵省で働いていたらしい。戦時中にはあの汪兆銘おうちょうめい政権の財政顧問も務めた。


・佐藤栄作政権で活躍。岸信介元首相の支援も受けて後継者と目されたが、同じく後継者を目指す田中角栄と衝突、角福党争と呼ばれた。田中は高度経済成長を継続、福田は安定的に経済成長をしていく路線を打ち出していた。中国との関係についても、人民共和国と台湾とのバランスのよい関係を目指し、以降、小泉純一郎や安倍晋三にも引き継がれたという。

・佐藤内閣総辞職後の総選挙では田中に敗れたが、オイルショック後の73年11月に大蔵大臣となった。三木内閣でも副総理となったが、三木おろしが本格化する中で閣僚辞任した。


・その後1976年に総裁となり、福田内閣を組織した。ライバル大平正芳を幹事長として、大平派と提携して内閣を運営したが、就任当初の支持率はあまり高くなかったらしい。

・閣僚には外務大臣に鳩山威一郎はとやまいいちろう(一郎の子、鳩山由紀夫元首相の父)、文部大臣に海部俊樹元首相、環境庁長官に石原慎太郎元都知事、科学技術庁長官に宇野宗佑元首相がいた。

・1978年、鄧小平を日本に招き、日中平和友好条約を締結した。

・オイルショック後の経済成長は難しいものがあった。しかし少しずつ経済成長していき、支持率も徐々に上がっていった。

・もともと、総裁任期が切れたら大平正芳に政権を禅譲ぜんじょうするという密約のもとにできたのが福田内閣だったが、直前になってこれを拒否、福田自ら総裁選に打って出た。田中派の支援を受ける大平に対し、事前の調査では福田が圧倒的に有利だったが、予備選で敗北。「予備選で負けた者は国会議員による本選挙出馬を辞退するべき」という自らの発言が災いし、本選出馬を断念した。現職が総裁選に敗れるのはこれが唯一だった。



・首相退任後は、世直し改革を訴え、「昭和の黄門」を自認した。

・1986年、派閥を安倍晋太郎に譲って、派閥会長を辞任、90年に政界を引退した。

・1995年、90歳で死去した。歴代首相の中でも長寿。


在任中の出来事

1977.2 日米漁業協定  

  .9 日本赤軍、日航機ハイジャック

1978.5 成田空港開港式

  .7 農林省、農林水産省に改称

  .8 日中平和友好条約

  .10 鄧小平来日

  

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