66代 三木武夫

名前 三木武夫 みき たけお

生没年 1907~88

出身 徳島

在職 1974.12~76.12

与党 自由民主党


・「クリーン三木」と呼ばれて首相となった。前首相田中角栄との対比があったのは間違いない。ウィキペディアには、「バルカン政治家」とある。これは「その時々の状況変化に応じ、敵味方を目まぐるしく変えていく政治家」を言うらしく、日本では特に「小派閥・小規模政党を率いる領袖」を意味することが多い。石破さん的な人だろうか。それはともかく、三木武夫はそのタイプの政治家で、大政翼賛会や田中角栄に対峙した。ただ、田中は対立しつつも三木に敬意を払っていたらしい。


・戦前からかなり活躍していたらしく、ウィキペディアでさえ情報が豊富。小学校時代の写真も載っているが、可愛らしい。

・初めての入閣は片山内閣の逓信ていしん大臣。


・初当選から晩年に至るまで、一貫して金権政治の打破を訴え続け、金儲けではなく理想の追求こそが政治家の仕事であると唱え続けていたという。ただ、ロッキード事件が発生して田中首相が逮捕されたことに対し、自らの内閣の延命のために田中の逮捕を検察に命じたのではないかとして、「三木おろし」と呼ばれる倒閣運動も発生した。

・田中首相の金脈問題の影響もあり、政治資金規正改正法案が提出された。


・首相辞任後は、金権政治の横行を嘆き、中曽根内閣に対しては批判的だったが、「二階堂擁立構想」に失敗し、影響力を低下させた。

・1985年12月には、ジャーナリスト石川真澄を私邸に呼び、カネのかからない選挙のための法案を考えている」と言って意見を求めた。このことから、いわゆる政治浄化に対する執念を読み取れる。しかし間もなく体調を崩した。


・歴代内閣総理大臣の中で唯一の一人っ子だった。作家の井上靖いのうえやすしや、実業家の高碕達之助と交流があった。





在任中の出来事

1975.5 エリザべス女王夫妻初来日。

  .6 佐藤栄作元首相国葬

  .7 政治資金規制法案参議院通過、翌年施行

  .11 フランス・ランブイエでの第1回サミットに出席

1976.2 ロッキード事件表面化

  .6 河野洋平らが自民党を脱党し、新自由クラブを結成

  .7 田中前首相逮捕

  .11 天皇在位50年式典

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