42代 鈴木貫太郎

名前 鈴木貫太郎 すずき かんたろう

生没年 1867~194

出身 大阪

在職 1945.4~.8


・戦前最後の内閣。既に沖縄戦や空襲も始まり、戦争の状況は絶望的になっていた。

・鈴木は海軍の重鎮。侍従長や枢密院議長を歴任した。二・二六事件のときには命が危ういほどの重傷を受けたが、一命をとりとめる。

・戦争終結の英雄ととるか、もう少し早く終戦まで持ち込めなかったかとするか、評価は分かれるところ。ただ、昭和天皇の信任が厚かったのは確か。

・2015年の「日本のいちばん長い日」では山崎努さんが演じた。終戦に関しての情勢には、昭和天皇の聖断、陸軍のクーデター計画(玉音盤の奪取)、阿南あなみ惟幾これちか陸軍大臣の割腹自殺など、ドラマが多い。

・結果として主戦派とポツダム宣言受諾派として対立を引き起こした阿南と鈴木は、阿南の死の前に次のような会話を交わした。


阿南「終戦についての議が起こりまして以来、自分は陸軍の意志を代表して、これま

   でいろいろと強硬な意見ばかりを申し上げましたが、総理に対してご迷惑をお

   かけしたことと想い、ここに謹んでお詫びを申し上げます。総理をお助するつ

   もりが、かえって対立をきたして、閣僚としてはなはだ至りませんでした。自

   分の真意は一つ、国体を護持せんとするにあったのでありまして、あえて他意

   あるものではございません。この点はなにとぞご了解いただくよう」

鈴木「阿南さん、あなたの気持ちはわたくしが一番よく知っているつもりです。たい

   へんでしたね。長い間本当にありがとうございました」

  「今上陛下はご歴代まれな祭事にご熱心なお方ですから、きっと神明のご加護

   があると存じます。だから私は日本の前途に対しては決して悲観はしており

   ません」

阿南「わたくしもそう信じております」


 そして阿南が退出したのち、鈴木は内閣書記官長(今でいう官房長官)の迫水久常に次のように呟いた。


鈴木「阿南君は暇乞いに来たんだね」



・戦争に日本が向かって行った事実は取り消しようがない。けれど、当時の、つまり今から70年前の日本人がみな悪人だったとは思われない。変に戦争観を出すといろいろ言われそうだから、ここまでに止めておくけれど、あの時代を単純に誤りとしてしまってはいけない気がする。何がよくなくて、何が悪くなかったのか、精査する必要は絶対にあると思う。


・首相退任後は千葉県野田市で一時過ごした。確か映像も残っていたような。

・1948年に81歳で亡くなった。江戸時代生まれ最後の総理大臣で、その遺灰の中には二・二六事件のときの銃弾があったという。

・昔、NHKの「歴史秘話ヒストリア」で取り上げられたことがあったらしい。リアタイで見たかった……。


在任中の出来事

1945.6 沖縄の日本軍が全滅

  .7 ポツダム宣言が発せられる

  .8 広島に原子爆弾投下

    長崎に原子爆弾投下

    ポツダム宣言受諾、無条件降伏  

    玉音放送

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