昭和時代編(戦後)
43代 東久邇宮稔彦
名前 ひがしくにのみやなるひこ
生没年 1887~1990
出身 京都
在職 1945.8~.10
・日本唯一の皇族の内閣総理大臣。戦時中にも皇族内閣は企図されていたけれど、皇室に戦争責任が及ぶことを恐れた政治家や軍人によって実現はしなかった。結果からすればそれは正しかったかもしれない。
・この内閣で吉田茂が外務大臣として初入閣した。
・内閣の方針は「国体護持」と「一億総懺悔」だった。GHQの指令にも従ったが、「自由の指令」とよばれる指令には共産主義の勃興の可能性を憂慮してためらわざるをえなかったため、総辞職にいたった。
・首相辞任後は他の宮家の人物と同じく臣籍に下った。1950年には「ひがしくに教」なる禅宗系新宗教を興したらしい。どういうこと?
・歴代の内閣(菅内閣まで)で最も最短の在職日数(54日)だった。
・しかし、稔彦王自身は歴代の内閣総理大臣の中(20211030現在)で最長寿である。1990年に102歳で亡くなった。ちなみに第二位は中曾根康弘元総理で、2019年に101歳で亡くなられました。
在任中の出来事
1945.9 降伏文書調印
GHQの陸海軍解体命令
.10 国体全面否定指令 総辞職
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます