40代 東條英機
名前 東條英機 とうじょう ひでき
生没年 1884~1948
出身 東京
在職 1941.10~44.7
・戦争指導者と言えばこの人、という人物。はだしのゲンにも名前は出て来ていたような。陸軍軍人。
・戦争の責任をその一身に背負って死んでいったという印象も受ける。もちろん、戦争拡大の責任は重たいが。
・長期政権。内閣の寿命が1000日を越すのは原内閣以来。
・太平洋戦争の指導を行ったことから主戦派ともとられるが、内閣初期には日米開戦を回避しようとした。というのも、東條は天皇を崇敬しており、その天皇が戦争回避の意向を示していたため。実際、交渉が決裂した時には懺悔の涙を流したともいわれる。
・首相、陸軍大臣、参謀総長を兼任していた時期もあった。また、東南アジア地域を歴訪した。
・岡田啓介や木戸幸一らによって退陣に追い込まれた後は重臣となったが、東條のみ徹底抗戦を訴えた。一方、天皇の聖断に対しては謹んでこれに従い、陸軍の中堅将校のクーデター計画には反対した。
・戦後、GHQからの逮捕指令に対し拳銃自殺を図ったが、一命をとりとめた。これに対して激烈な批判が起こった。
・東京裁判において死刑が決定され、1948年12月23日に執行された。
・実は評価が難しい人物だと思われる。
在職中の出来事
1941.11 アメリカからハル・ノートが提出される。日本はこれを受け取らず。
.12 開戦決定の御前会議
真珠湾奇襲 マレー半島奇襲 対米英宣戦布告→太平洋戦争
1942.1 マニラ占領
.2 シンガポール占領
.6 ミッドウェー海戦敗北
.8 ガダルカナル島にアメリカ軍上陸
1943.2 ガダルカナル島から撤退
.4 山本五十六連合艦隊司令長官戦死
.12 初の学徒出陣
徴兵年齢を19歳に引き下げ
1944.6 サイパン島にアメリカ軍上陸
.7 サイパン島で日本軍全滅→東條内閣総辞職
グアム島にアメリカ軍上陸
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