39代 近衛文麿(第三次)

名前 近衛文麿

在職 1941.7~.10


・松岡外相を除いて、再び組閣。ただし、長続きせず。

・南部仏印に進駐。アメリカは対日石油輸出を全面禁止した。大惨事。もし近衛がそれに衝撃を受けたとしたらやばい人間。そりゃそうなるだろうと予測はできたはず故。

・近衛は首相辞職後、重臣として政治に携わった。東條内閣倒閣の動きにも賛同し、終戦を図ろうとした。自分で蒔いた種でもあるので、躍起になったのだろうか。

・終戦後、東久邇宮内閣の無任所大臣となった。ちゃっかりと。しかし、内閣が短命に終わったため、間もなく閣僚ではなくなる。

・当初戦犯とはされていなかったが、徐々にその機運が高まった。GHQからの逮捕指令が出されると、間もなく自ら命を絶った。死をもって贖ったとも取れるし、逃げたともとれる。ただ東京裁判自体、問題点があるため、出廷拒否という判断は必ずしも間違っているとは言い切れない。もちろん戦争の責任は重たいのは言うまでもないけれど。

・近衛が生きて裁判を受けていたら、極刑になっただろうか……。

・先祖はどう思っているだろう。


在職中の出来事

1941.7 南部仏印進駐

  .8 アメリカ、対日石油輸出全面禁止

  .10 陸軍と対立し、総辞職

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