第21話

 少し前にようやく真由子と向き合う決心がついて、一度会って話がしたい、というメールを送ることができた。返信はすぐに来て、直近の休日に会おうということになった。


 そんなわけで私たちは今、ひまわりに囲まれたカフェのテラス席で、昔話に花を咲かせている。


「えー! それじゃあ、あのときの三島さんの話、全部デタラメだったの!?」


 向かいの席に座った真由子が目を丸くして、ケーキセットがのったテーブルに身を乗り出す。


「うん。まさか、そんなことになってるとは思わなくて……、気づけなくてゴメン」


「光が謝ることじゃないよ。私だって、話を鵜呑みにしちゃってたわけだし」


「でも、あのときバイトが忙しくて、真由子との時間をとれなかったのは事実だからさ……」


「そこは、まあ、ちょっとだけ……、ううん、けっこう淋しかったね」


 わざとらしく頬を膨らませた顔が、大げさにそっぽを向く。

 もうお互いいい歳だけれど、こういった仕草を見ると、あのころに戻ったような気になるな。


「あー、光、今うわの空だったでしょ?」


「い、いやいや! そんなことないよ! ほら、今さらだけど、なにか埋め合わせをしようと思って」


「本当? なら、ここの支払いをお願いしちゃおうかな」


「それくらいなら、喜んで」


「あとはね、ケーキ屋さんでショウウィンドウの中身、全部買ってもらおうかな」


「こら、あんまり調子にのらない!」


「えへへー、ゴメン」


 年齢は重ねているけれど、笑顔の可愛らしさもあのころのままだ。

 本当に……。


「あれ? ひょっとして、どっかにクリームついちゃってる?」


「あ、そうじゃないよ。ただ、真由子の笑顔を見るのも、すごく久しぶりだなって思って」


「そっか……、そうだよね。娘ももう高校生だし……、十七年ちょっと会ってなかったんだね」


 不意に、真由子の表情が曇った。


「それに、最後に会話したときは……、笑えない状況だったからね……」


「そう、だね……」


「……先生とのこと怒ってる、よね?」


「まあ……、自分から誘っておいてなんだけど、やっぱり、不安はあったよ。会ったら怒りがこみ上げてくるんじゃないかって」


「そう、だよね……」


「……でも、実際のところ、真由子の顔を見ても、怒りなんて湧いてこなかったよ」


「……そうなの?」


「うん。逆に、ものすごくホッとした。もう二度と、会えないんじゃないかと思ってたから」


「もう……、大げさなんだから」


 どこかあどけない顔立ちに、穏やかな微笑みが浮かぶ。



 ……そう。

 これは、ただの大げさな心配なんだ。



「……でも、たしかに、ちょっと危なかったかも。光から、会いたい、ってメッセージもらう直前に、けっこう限界なことがあったから」


「限界な、こと?」


「うん。まあ、予想つくと思うけど……。先生のお父さんとお母さんに、かなり嫌われててね。私だけじゃなくて、娘も。それで、毎日ちっちゃなことで、かなりキツめに叱られてたんだ」


「……」



 なにか、驚いた反応を返さないと。

 そんな話、今はじめて聞いたんだから。



「はじめはね、娘と一緒に家を出ようともしてたんだ。でも、私、なにもできないし、親にも勘当されちゃったから……、不自由な思いをさせちゃうかなって思って」


「……」


「だからね、頑張ってあの家に残ってたんだ。娘に心配されても、貴女のためなら大丈夫だよ、って言って」


「……」


「でも、あの子ももう高校生だからね。この間そう言ったら、『お母さんは私のせいにして、逃げる努力を放棄してるだけでしょ!』って返されちゃって……」


「……そう、だったみたいだね」



 だったみたいって……、私はなにを言っているんだろう?

 今、はじめて聞いた話なのに。

 


「うん、そのときにね。『ああ、この子を一番苦しめてたのは、私だったんだ』って、足下が崩れていく感覚がして……、『もう、どうでもいいかな』ってなっちゃったんだ」


「……だから、あんなことを」



 あんなことって、なに?

 なんで、こんなに声が震えるの?

 真由子は今、目の前にいるはずだよね?



「……うん。でもね、あの人たちと一緒のお墓には入りたくなかったから……、椿にお願いを遺したんだ。光のところに、連れていってって」



 違う。

 そうなる前に、私からメールを送ったんだ。

 会いたいって。

 だから、もうあんなことは起きていないはずなんだ。



「振られたと思い込んだら自暴自棄になるくらい、光のことが好きだったから、ね。それに……、こうなったあとなら、一緒にいるくらいは許してもらえないかなって」


 

 許すもなにも……。

 怒ってなんていないのに。

 それに、こうなったあと、ってどういうこと? 



「あと、光なら椿の助けになってくれるんじゃないかなって、ちょっと打算的なことも考えちゃった」



 真由子が望むなら、そのくらいかまわない。

 三人で暮らす準備だってする。



「……本当に、大好きだったよ」

 


 私だって、大好きなのに。


 声が詰まって伝えられない。


 景色が滲んでいく。


 辺りから雑音が響いてくる。



「大丈夫だよ。ちょっと姿は変わっちゃったけど、これからはずっと、側にいるから」



 そんな気休め、言わないで。



「……椿のこと、お願いね」


 

 ねえ、お願い――



「じゃあね……、光」




「――いかない……、で……?」


 





 いつのまにか、ひまわりに囲まれたカフェのテラス席も、真由子の微笑みも消えていた。

 その代わりに目に入ったのは、滲んだ蛍光灯と白い天井。

 それと、微かに薬品じみた臭いがする。


 ここは……、いったい……?


「ああ、ようやく起きたか」


「……っ!?」


 聞き覚えのある声に、反射的に身体が飛び跳ねた。



 顔を向けた先にあったのは――



「お前っ!? なんでここに……、痛っ!?」


「ほら、安静にしてないと、だめだろ。命に別状はなくても、怪我人なんだから」


「……黙れ」


「やれやれ、仮にも恩師に向かってそんな態度をとるなんて、川上も相変わらずだな」



 ――白いカーテンを背にして立つ、嫌みたらしい吉川の笑顔だった。

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