第22話

 吉川から聞いた経緯は、こうだった。


 椿が呼んでくれた救急車で、この病院に運ばれた。


 怪我自体は大したことなかったけれど、日ごろの疲れからか一日近く目を覚まさなかった。


 三島はあのあと、警察に連行されてまだ勾留されている。


 椿も参考人として警察で事情を聞かれたけれど、すぐに帰ってこられた。


 それと、病院や警察関係の手続き諸々は、連絡を受けた吉川が済ませた。


「まったく。せっかくの休日が、台無しだよ」


 嫌味な笑みが、聞こえよがしのため息を吐く。


 ……殴りたくなるけれど、世話になったのは事実か。


「……すみません。ご迷惑をおかけしました」


「いえいえ。まあ、迷惑ついでに、弁護士も紹介しておくよ。起訴するにも、示談にするにも何かと必要になるだろうから」


「いえ……、これ以上お世話になるわけには、いきませんから」


 それに、これ以上コイツに、恩を売られたくはないから。


「まあ、そう言うなよ。生徒とトラブルを起こしたやつが、教員を続けられるよう話をまとめられるくらいには、有能なやつだぞ?」


「……」


「ああ、すまん、すまん。自虐のつもりだったが、気に障ったか?」


「……別に」


「そう睨むなって。まあ、お前の意志はともかく、話は受けてもらうつもりだったんだがな」


「なら、無駄口を叩かないでください」


「まったく、ちょっとした冗談だっていうのに、厳しいな……、ともかく、三島が椿のことを訴えると騒いでるらしくてな」


「は? 椿を?」


「ああ。なんでも、骨壺を投げつけられて、怪我をしたとかなんとかで」


 私をかばったせいで……。


「ただ、状況が状況だから、椿が罰せられる心配はしなくていいと、弁護士に言われたよ」


「……なら、よかったです」


「ああ、まったくだな」


 吉川が疲れた表情で、ズボンのポケットを探る。


「なあ、ここで一服してもいいか?」


「……いいわけないでしょう」


「そうか。川上なら、許可してくれるかと思ったんだがな。なら、外の喫煙所にでも一緒にいくか?」


 ……たしかに、一服したい気持ちも分からなくはない。

 ただ、コイツと連れ立って喫煙所にいくなんて、死んでもごめんだ。


「……また、そんな顔して。恨まれてしまったもんだな」


「当たり前、ですよ」


「……ま、それもそうか」


 どこか投げやりな言葉とともに、煙を吐き出すようなため息が病室に響いた。


「だがな、俺はお前たちの関係を壊すつもりなんて、少しもなかったんだよ」


「……」


「知っていたら、他のやつにしたさ」


 ……たしかに、吉川は私たちが付き合っていたことを知らなかったのは事実だ。


 だからと言って――。


「――貴方がたが真由子を追い詰めたことに、変わりはないですよね」


 私だってコイツのことをとやかく言えるような立場じゃない。それでも、言葉をこぼさすにはいられなかった。


「……」


 病室には、再び煙を吐くようなため息が。


「……これでもな、多少の責任は感じていたんだよ。諸々のことについて」


「責任、ですか」


「ああ。アイツが離婚を望むなら、慰謝料は言い値で払う用意をしていたし。養育費を出すことだって、やぶさかじゃなかった」


「今となっては、どうとでも言えますよね」


「……信じてくれなんて、言わないさ。ともかく、弁護士費用はこちらで用意するよ。それと、椿の生活費も変わらずにな」


「椿の……、生活費?」


「ああ。お前にとってアイツの価値がなくなったと言うなら、無理じいはしないがな」


 ……椿に彼女が重なることは、もう二度とないだろう。


 それでも――。




  椿のこと、お願いね

  



「――別に、一度引き受けたことを簡単に反故にはしませんよ」


「……そうか。それなら、助かるよ」


 吉川は呟くように言い、こちらに背を向けた。



「椿のこと、よろしく頼む」



 背を向けたままこぼされた言葉は、夢で聞いた彼女の声の調子に、なぜか似ていた気がした。




 その後、ベッドの側に置いてあった服に着替え、ナースコールを使った。それから医師から怪我の説明を受け、診断書を受け取り、受付へと向かった。


 会計を済ませてロビーを見渡すと、吉川の姿は既になかった。そのかわり、長椅子に座った椿が、居眠りをしている。


 起こさないように注意しながら、近づいて顔を覗き込んだ。

 どこかあどけない寝顔は、やっぱり椿のものでしかない。


「う……、ん」


 不意に、大きな目がゆっくりと開いた。


「……おはよう」


「おはよう……、ございます……、っ!?」


 目が見開かれると同時に、華奢な肩が飛び跳ねた。


「あの……っ! お怪我のほうは!?」


「うん。脳震とうを起こしてたみたいだけど、後遺症もないし、あとは打撲ぐらいだよ」


「そう……、でしたか……」


 血の気のひいていた顔に、安堵の表情が浮かぶ。


「うん。椿のおかげで、助かったよ。ありがとう。それと、巻き込んでごめんね」


「いえ……、別に……、川上さんがご無事ならば、それで」


「そう……、じゃあ会計も済んだから、帰ろうか」

 

「……え?」


 椿は目を丸くして、かすかに首をかしげた。


「まだ、一緒にいても……、いいのですか?」


「うん。昨日もそう言おうとしたけど、途中であんなことになったから……」


「そう、でしたか……。でも、もう……、私たちに明確な関係は、なくなりましたよね?」


「まあ、自分から言い出しておいてなんだけど、別に関係性がよく分からなくたって、一緒にいちゃいけないわけでもないし」


「そうですか……」


「そ。それに、ご両親から、椿のことをよろしく頼むって言われたからね」


「両……、親?」


 訝しげな顔が、再び首をかしげる。


「父から……、ということですか?」


「まあ、そんなところだね。そういうことで、帰って食事にでもしよう。バタバタしたお詫びに、今日は私が作るから」


「あ、待ってください!」


 歩き出すと同時に、椿も立ち上がった。


 外に出ると、星も月もない夜空を街明かりが照らしていた。

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