第20話

「本当、隠したってバレバレだったんだから」


 吐き気と痛みでぼやける視界の中、歪んだ笑みがわけの分からない言葉を続けた。


「カワカミってば、小学校のころから、なにかにつけて私と一緒にいるし」


「……ことあるごとに押しかけてきておいて、なにふざけたこと言ってるんだ」


「あ、ほら! そうやって、私に対してだけ、ちょっと言葉を荒くするし」


「それは、お前が人を怒らせるようなことをするからだろ」


「また、そんなこと言っちゃって。それと、たまに素っ気ない態度をとってたのだって、私の気を引きたかったからでしょ」


「面倒だから放っておいただけなんだけど」


「ふふふ、そんなに照れなくてもいいのに」


「っ!?」


 突然、厚ぼったい唇が口に押しつけられた。口紅でべたついた感触に、背筋が粟立っていく。



 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。



「……どう? ようやく私とキスできた感想は? 気持ちよかったでしょ」


 ようやく離れた唇が、気色の悪い言葉を紡ぐ。


「……今すぐ、唇をそぎ落としたい気分だよ」


「もう。本当、素直じゃないんだから。昔からそうよね……」


 化粧の崩れた顔に、呆れた表情が浮かぶ。



「……高校のときだって、私の気を引きたくてわざわざ別の女と付き合ったりしてさ」



 ……は?



「そうとも知らずに、あの女ってば彼女面して舞い上がっちゃって……、でも、カワカミもうんざりしてたんでしょ。それなのに、あいつ全然気づかないし」


「三島、なにを言って……」


「だからね、二年になったときに、ハッキリ言ってやったのよ。カワカミが本当に好きなのは私なんだから、早く別れてあげたらって」


 それなら、真由子が言っていた、先に裏切ったって言葉は……。


「でも、あの女最初は信じなかったから、毎日言ってやったのよ。そしたら、だんだん自覚してきたみたいでさ……、ほら、あのころカワカミもバイトとか言って距離置こうとしてたじゃん」


 たしかに、あのころはバイトに新人が入って忙しかったし、二人でゆっくりする時間もあんまり取れていなかったかもしれない。

 つまり……。 


「それで悲劇のヒロインぶって、担任にまで縋り付いて……、あげくに妊娠して退学になるなんて、本当にウケる!」


 ……真由子が不幸になったのは全部、私のせいだ。


「まあ、その辺はカワカミも災難だったよね。あてつけで付き合ってたとはいえ、いきなり妊娠とかされたら、さすがにショックだったでしょ。あ、ひょっとして、私も同じことするとか考えてた?」


 三島は体の上で、まだ耳障りな声を上げている。


「心配しなくても、私はカワカミさえ素直になってくれれば、ちゃんと一番に愛してあげたのに」


 内容は全く頭に入ってこない。

 それでも、焦点の合わない目をしているから、まともな状態じゃないことは分かる。


「まあ、でも、いざとなったら緊張して、告白できなくなる気も分からなくはないよ?」


 対応を間違えれば、命の危険すらあるかもしれない。

 さっきまで頭を床に叩きつけられていたわけだし。


 それなら――


「だって、私ほど可愛い子なんて、そうそういないもんね!」


「……本気でそう思ってるなら、眼科かカウンセリングを受診することを勧めるよ」


「……は?」


 ――いっそのこと、逆上させてしまおう。



「ちょっと! なに、ふざけたこと言ってるのよ!?」


「うっ……」


 短い指が、首に強く食い込む。


「私みたいな美女が、せっかく誘ってやってんだから、もっと喜びなさいよ!」


「ぐっ……」


 体にまたがったままドスドスと跳ねられ、呼吸が更に苦しくなる。


「ほら! ずっと、こうされたかったんでしょ! ほら! なんでそんな顔してんのよ!?」


「……」


 痛みと息苦しさと吐き気の中で、視界が暗くなっていく。


「――! ――! ……」


 耳障りな声も、聞こえなくなってきた。


 このまま消えてしまえれば、真由子も許してくれるかなぁ……。

 




「川上さんから離れてください!」


「なに……、うわっ!?」



 ――ガシャン。



 なにかが割れる音と同時に、体が軽くなった。


「気をたしかに持ってください!」


 ぼやけた視界の中で、誰かが涙目になって叫んでいる。


「川上さん! 川上さん!」


 ……真由子じゃなくて椿か。

 当たり前だけれど。



「うぅ……」


 不意に、小さなうめき声が聞こえた。

 視線を動かすと、三島が頭を抱えてうずくまっていた。



 その近くには、口の開いた白い袋が転がり、白いタイルのようなものが散らばっている。


 ……君は本当に、いなくなってしまったんだね。




「気がつきました、か……?」


 声に目を向けると、相変わらず泣きそうな椿の顔が、ぼやけた視界の中に浮かんでいた。


「おかげさまで……、ね……」


「なら、早く、中に……」


「ああ……、そう、だね……」


「肩を貸しますんで、少しだけ、頑張ってください……」


「分かった……」


 支えられながら、這うようにして部屋の中に入った。


「……ちょっと! 開けなさいよ! まだ話は終わってないんだから!」


 外からは三島の怒鳴り声と、扉を激しく叩く音が聞こえ続けている。


「……警察と救急車は呼んだので、もう大丈夫です」


「そっか……、ありがとう……。手間をかけさせて、ごめんね……」


「いえ……、そんなことより、お体のほうは……」


「あー……、うん。ちょっとだけ疲れたから……、警察とかが来るまで、寝てても、いい?」


「はい……」


「ありがとう……」


 目を閉じると、廊下に散らばった真由子が浮かび上がった。

 彼女は蛍光灯の光を受けて、やけに白々と輝いていた。

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