第18話

 デタラメな色で歪む視界の中で、背の低いブヨブヨとしたかたまりが近づいてくる。

 動きは人のようにも見えるけれど、一体これはなにだろう?


「カワカミ! そうやって、何年も何年も引きずって、恥ずかしくないの!?」


 この耳障りな声は……、三島か。


「別に、どうだろうと、三島には関係のない話だから」


「関係なくなんてない! 私とカワカミは親友でしょ!」


「悪いけど、恋愛関係にいちいち言いがかりをつけてくるやつなんて、親友とは思えないね」


「言いがかりってなによ!?」


 かたまりが、大きく波打つ。


「私はカワカミのことを心配して、忠告してあげてたのに!」


「余計なお世話だから。それに、私だけじゃなくて、真由子にも色々とひどい言いがかりをつけてたんだって?」


「……は? 真由子? ちょっと、いつの話してんのよ?」


 耳障りな声の音量が、急に小さくなった。きっと、しらを切るつもりなんだろう。


「近いところだと、月曜。家に押しかけたときだよ」


「え……、それって……」


「……」


 呆然とした声が響くなか、手が強く握りしめられた。


 見ると、真由子らしき人影がかすかに震えている。


「……あんたね! 本当にいい加減にしなさいよ! カワカミを追い詰めるのが、そんなに楽しいわけ!?」


「三島の方こそ、いい加減に……」


「そもそも、カワカミのことなんて、ていよく甘えられるやつ、としか見てないくせに、図々しいのよ!」


 ……こっちの話を聞くつもりもない、か。なら、早くここから移動しないと。


「真由子、もう行こう」


「は、い……」


「ちょっと! 待ちなさいよ!」


「きゃぁっ!?」


 短い悲鳴とともに、真由子が後方によろめいた。背中の部分に、ブヨブヨしたかたまりがしがみついている。


「おい! 三島!」


「すみません、やめてください……」


「なにが、やめてください、よ! かわい子ぶっちゃって!」


「いっ……、痛……」


「っやめろ!」


「わっ!?」


 背中に食い込む手を剥がした勢いで、かたまりが歪んだ地面に転がる。


「痛ーい! なにするのよ!」


「先に手を出してきたのは、そっちだろ!?」


「なによ! また、そうやって私だけ、悪者にして!」


 ……なんで、この状況で被害者ぶることができるんだろうか?

 なんだか、頭が痛くなってきた。


「もとはと言えば、悪いのは真由子でしょ! 自分のこと甘やかしてくれそうな相手なら、男女見境なしのだらしない女のくせに……、カワカミに近づいてきたんだから!」


「……」


 耳障りな声がなにかをわめき立て、真由子がうつむいている。

 止めないといけないのに、こみ上げてきた吐き気のせいで言葉が上手く出せない。


「でも、親も親なら子供も子供よね! 自分のことしか考えないで人の家に押しかけるなんて、迷惑にもほどがあるんじゃないの!?」


「……」


 雑音と吐き気と暑さのせいで、視界がさっきよりもグチャグチャになっていく。

 足下にあるのが地面なのかも、分からなくなった。

 それでも、早く、この場所から移動しないと。


「ちょっと可愛いからって、なにしても許されると思ってるんでしょ!? 本当、そういう嫌なところ、真由子にそっくり!」


 これ以上、真由子にひどい言葉を聞かせるわけには――



「………………と、………………ないでください」


「はぁ? なにボソボソ言ってんの? 全然聞こえないんだけど」


「……っあんな女と一緒にしないでください!」


「わっ!?」



 ――え?


 真由子は、一体なにを言っているんだ?


「だいたい、私だってあんな女、大っ嫌いだったんですよ!」


 あんな女って……、まるで自分のことじゃないみたいに……。


「口を開けば泣き言ばかりで……、『でも、貴女のためなら頑張れるから』なんて恩着せがましい言葉で、逃げられないのを私のせいにして……」


 グチャグチャな視界の中、真由子の姿だけが徐々にハッキリとしていく。 


「祖父母から理不尽なことを言われるのも、みんなあの人がだらしなかったせいなのに……」


 白いサンダルをはいた小さな足。

 水色のワンピースを着た華奢な身体。

 流れるような黒髪。


「いっつも、被害者ぶってめそめそして……」

 

 どれも、真由子の特長だ。



 それなのに――



「それを指摘したら、当てつけがましく自殺なんかして……、本当にいい迷惑だったんですよ……」

 


 ――苦々しい表情を浮かべる顔が、どうやっても真由子に見えない。



 それどころか、この言葉はあの男と同じだ。


  アイツが悲劇のヒロインを

  気取ってくれたせいで、

  どれだけ散々な目に遭ったか。


 全部の責任を、彼女に押しつける言葉。

 被害者ぶっていた?

 それは、お前の方だろ。

 お前のせいで、彼女は不幸になったんだ。


 全部、全部、全部、お前のせいで――



「でも、川上さんだけは……、悪いのは私じゃないって言ってくれたんです!」



 ――ああ、そうだった。



 不幸の原因なんて、子供が背負うべきことじゃない。

 たしかにそう言ったし、そう思ったんだ。


「私には、もう、この人しかいないんです……」


 大きな目に涙を湛えた顔は、真由子のものじゃない。

 ましてや、あの男のものであるはずもない。


「だから……、お願いですから……、私たちの邪魔をしないでください……」


 うつむいた顔から、か細い声が漏れる。

 辺りを見渡すと、唖然とする三島の姿と、遠巻きにこちらを見る人たちの姿が見えた。


「……三島、だいぶ注目されちゃってるけど、この話まだ続ける?」


「……え? ……あ!」


 三島は辺りを見渡して、ハッとした表情を浮かべた。

 周りの観光客どころか、恋人と思われる男性まで冷ややかな表情を浮かべている。


「別に……、私は……」


 口ごもりながら、ショートカットの頭が下を向く。

 さすがに、この状況で言いがかりを続けられるほど、無神経じゃないか。


「そう、じゃあ、私たちはこれで。行こうか、椿」


「……!?」


 椿はうつむいた顔を上げて、目を見開いた。


「……不安にさせて、ごめん」


「いえ……、もう、大丈夫です」


 青空の下、一面のひまわりを背に微笑む少女は、もう誰にも似ていなかった。

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