第17話

 列車に乗って五分ほどで目的の駅に到着した。

 駅を出て目の前に広がるのは、陽射しを遮るのもののない田園風景。一応、折りたたみの日傘は持ってきたけれども……。


「ねえ」


「はい、なんでしょうか?」


「日傘か、帽子って持ってる?」


「いえ……」


「じゃあ、これ使って」


 日傘を渡すと、彼女は目を丸くした。


「ありがとうございます……、でも、これだと川上さんが……」


「大丈夫。途中でコンビニ見つけたら、買ってくるから」


 そうは言ったものの、辺りにはコンビニはおろか民家さえ数軒しか見えない。

 ……奇跡的に個人商店が見つかることを願おう。

 


 その後、炎天下を十分ほど歩いて、祭りの会場に辿り着いた。

 

 雲一つない青空の下で、無数のひまわりが咲いている。


 予想通り日傘や帽子を買えるような場所は見つからなかったから、少しフラフラする。それでも、多少のふらつきぐらいは我慢しよう。


 だって、ようやく――


「綺麗……」


「うん。そうだね」


 ――二人でこの景色を見られたんだから。


「あの、川上さん」


 不意に、彼女が袖を引いた。

 

「どうしたの?」


「畑の中に、入っていけるみたいなのですが」


 白い指が、人がひしめくあぜ道をさす。人混みは苦手だけれども、楽しそうにしているところに、水を差すわけにもいかないか。


「じゃあ、行ってみようか」


「はい!」


 彼女はまた、屈託のない笑顔を浮かべてくれたはず。

 それなのに、視界がぼやけてよく見えない。

 目の前にいるはずなのに、なんで……。


「川上、さん? 大丈夫、ですか?」


「ああ、ごめん、大丈夫だよ。じゃあ、はぐれてもいけないし、手を繋いどこうか」


「あ……、は、はい」


 差し伸べた手を白い手が握り返す。冷たく確かな感触がそこにはあるのに、相変わらず顔の辺りがぼやけている。

 畑の中を見終わったら、少し休ませてもらうことにしよう。



 

 彼女の手を引きながら、あぜ道の中を進んでいく。

 のろのろと歩く行列と、歩幅を合わせて。

 目に映るのは、雲一つない紺青色の空。

 眩しいばかりの黄色の花びら。

 淡い緑色の葉と茎。

 前を行く人たちの背中。

 強い陽射しが作る濃い影。 


「綺麗ですね」


 ざわめきと蝉の声に紛れて、か細い声が聞こえる。


「そうだね」


 手に力を込めれば、冷たい感触が伝わる。


「この景色を見られて、よかったです」


 強い陽射しと密集した人の体温で朦朧とした意識を彼女の声が引き戻す。


「そう」


 彼女の冷たい手は、確実にここにあるのに。


「ずっと、この景色を見てみたいと思っていたので」


 隣にいるのは、あの日の約束をずっと楽しみにしていた彼女だ。




 それなのに――



「今日は本当にありがとうございました。川上さん」



 ――せっかくの笑顔が、絵の具をでたらめに混ぜたような色で、グチャグチャに塗りつぶされている。




 ……たとえ顔が見えなくても、ここにいるのは彼女だ。

 自殺をしたなんて、嘘だったんだ。

 骨壺だって、手の込んだイタズラに違いないんだ。

 イタズラにしては、悪趣味すぎるけれど、それも仕方ない。

 きっと、まだ、あのときのことを後悔しているんだろう。

 だから、娘だなんて嘘まで吐いたのか……。

 それでも、形はどうであれ、また私のところに戻ってきてくれた。


 だから、過去のことなんて忘れて、今度こそずっと一緒に……。


「カワカミ!? ちょっと、なんでこんな所にいるの!?」


 突然、甲高い大声が耳に届いた。

 足を止め振り返ると、男性と腕を組んだ三島の姿があった。


「……っ」


 息の詰まる音とともに、冷たい手に力が込められる。

 塗りつぶされた顔には、きっと不安げな表情が浮かんでいるんだろう。


「しかも、なんでその子と一緒なのよ!?」


 甲高い声が、いっそう大きくなる。


「呆れた! 私が散々メッセージで注意してあげたのに、そんな子に寄生されたままなんて!」


「……」


 手に込められた力がさらに強くなっていき、顔が下を向いていく。

 ……この様子だと、私のいないときには、色々と嫌な目に遭ってきたんだろう。

 あのころ、もっと気にかけていればよかった。


「アンタも、悲劇のヒロイン気取りもいい加減にして、カワカミの迷惑を考えなさいよ!」


「……」


 耳障りな怒鳴り声に、肩が微かに震えだす。


「……心配しないで」


「……川上、さん」


 頭をなでると、彼女は顔を上げた。


「ただの言いがかりなんだから、無視して先に進もう」


「でも……、そうすると、三島さんとの関係が……」


「ははは、そんなこと気にしなくていいよ」


 だって……。



「私は真由子がいてくれれば、それでいいんだから」



「……っ!?」


 

 真由子の顔は相変わらず塗りつぶされている。

 それなのに、なぜだろう?


 怯えた表情を浮かべているのが、ハッキリと分かるのは。


「あの……、かわ……、かみ、さ……、ん? なにを、言っ……、て……」

 

 もう二度と、悲しい思いなんてさせない。

 もう二度と、大切にしないやつになんて渡さない。


 もう二度と、自殺なんかさせない。


 だから……。


「……そんな顔しなくても、もう大丈夫だよ。真由子」


 冷たい頬に触れた途端、辺りの景色もでたらめな色で塗りつぶされていく。


「川上さん……」


 グチャグチャな視界の中、他人行儀な真由子の声だけが聞こえていた。

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