第15話

 幸いにも三島の襲来はなく一日を終え、夕食を迎えることができた。


 スマートフォンには相変わらず、大量のメッセージが送られてきたけれど、返信はしていない。最後に見えたメッセージが、「もう、勝手にすれば」だったから。


 向こうからそう言ったんだ。

 お言葉通りにさせてもらっても、べつにバチはあたらないだろう。


「お仕事、お疲れさまでした」


 テーブルを挟んだ向かいの席で、彼女がゆっくりと頭を下げた。


「どうも。そっちも、夕飯作りありがとう、お疲れさま」


「いえ、ここに置いていただくんですから。このくらいのことは、当然です」


 そうは言われても、一汁三菜が出てくる生活を当然だと思うことは、やめておいた方がいいと思う。

 それに……。


「そのあたりは気にしなくていいって、今朝も言ったはずだけど?」


「……」


 微かに、華奢な肩が震えた。

 

「冷房、寒すぎた?」


「……いえ、大丈夫です」


「そう?」


「はい。それよりも、冷めないうちに、どうぞ」


 ……本人が大丈夫だと言っているんだから、深く追及はしないでおこう。


 それから、いつものように、無言での食事がはじまった。


「……」


「……」


 さすがに、関係が変わったとはいえ、すぐに話に花を咲かせるのは難しいか。

 昔は彼女と他愛もない話で、何時間も笑い合えていたのに……。


「……あの、カワカミさん」


「……うん。どうしたの?」


「朝のお話だと、私たちの関係は……、その、恋人、ということになるんですよね?」


「そうだね。やっぱり、やめたくなった?」


「いえ、そうではないんです。ただ、その……、今夜も昨日と同じように……、した、ほうがよろしいですか?」


 危うく、酢の物が気管にはいるところだった。


「……べつに、毎日は必要ないよ」


「そう、ですか……」


「そう。こっちも、そんなに若くないからね。そういうのは、お互いの気が向いたら、くらいでいいんじゃないかな」


「分かりました……」


 彼女に触れることを望んでいないと言えば、嘘になる。それでも……。


 そらした視線の先には、骨壺が佇んでいる。

 まるで、なにかを言いたげに。

 

 ……いっそのこと、ずっと気が向いてくれないほうが、楽なのかもしれない。


 

 それなのに――



「……でしたら、折を見てまた、お誘いしますね」



 ――彼女は張りつけたような笑みを浮かべた。


 

「……そう。まあ、無理はしないように」


「はい、分かりました」


 ……笑顔を望んでいたはずなのに、胸が苦しいのはなぜだろう。


「……カワカミさん? 料理、お口に合いませんでしたか?」


「……いや、そんなことないよ。ちょっと、明日は出社かって思って、気が滅入っただけ、だと思う」


「そう、なんですか?」


「ああ、久しぶりの出社だからね」


 それ以外に胸が苦しくなる理由なんて、あるはずがない。

 それなら、気分転換を用意すればいいだけだ。


「……今週末どこか行きたいところある?」


「……え? また急にどうしたんですか?」


「またってことは、この間の映画と買い物も、急だと思ってたのか」


「あ……、いえ、その、急だとは思いましたが、おおむね楽しかったので……。それで、今回はなぜ?」


「別に、大した理由じゃないよ。ただ、恋人との楽しい予定でもあれば、憂鬱な気分も吹き飛ぶと思ったから」


「そう、でしたか……」


 彼女は長い睫毛を伏せて、行きたいところ、と繰り返した。


「ごめん、急に言われても迷惑だったかな」


「い、いいえ! 決して迷惑というわけではなくて……、休日に誰かとどこかに出かけるということが、あまりなかったので……」


 ……たしかに。

 あの男が、積極的に家族と外出するはずもないか。

 

「……そうだ。前々から行ってみたいと思っていたところは、一カ所ありました」


「お、どこどこ?」


「えーと……、母が通っていた学校の近くにある、ひまわり畑、なのですが」


 ……ひまわり、畑?




  ねえ光、今度の週末空いてる?


  あー、ごめん。

  その日はバイト入ってる。


  そっかー、それは残念。


  どこか、行きたかった?


  うん、ひまわり畑に行きたくて。


  ひまわり畑?


  そう!

  写真見たらすごく綺麗だったよ!


  へー。

  どの辺にあるの?


  学校の二駅先だよ!


  なら、明日とかどう?

  夏休みなんだし。


  平日は開放してないんだって……。


  そっか……。

  来週だと、見ごろ終わってるかな?


  うん……。

  暑くなるの早かったから。


  じゃあ来年か……。

  絶対、一緒に見にいこうね!


  うん! 絶対だよ!


  うん、約束!


  光、忘れてバイト入れないでよ?


  失敬な!

  そんなことしないよ!

  ……たぶん。


  あー、光ってばひどーい!


  あははは、ごめん、ごめん!

  冗談だって!




「……川上さん?」


 気がつくと、彼女が不安げにこちらを見つめていた。


「えーと……、もっと他の場所にしたほうが、いいでしょうか?」


「……いや、そんなことないよ。じゃあ、週末はそこに行こうか」


「本当ですか! ありがとうございます!」


 目の前の顔に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。

 ああ、見たかったのはこの笑顔だ。


「週末、楽しみにしていますね!」


「うん。私も、楽しみにしてるよ」


 これでようやく、あの約束日のを果たすことができるんだから。

 やっぱり、私たちの思い出はあんな暗いところで、終わるべきじゃなかったんだ。

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