第14話
薄手のカーテンからこぼれる光のせいで、目覚まし時計のアラームが鳴る前に目が覚めた。
今日も昨日と同じくらい、天気の良いになるんだろう。出社の予定はないけれど、タバコを買いにいくなりして、少し外に出ることにしよう。
そうすれば――
「う……、ん……」
――罪悪感も少しは紛れるだろうから。
半身を起こしたところで、背を向けて隣に寝ていた彼女が、こちら側に寝返りゆっくりと目を開いた。
「……おはよう、ございます」
「……おはよう。ちゃんと、眠れた?」
「はい……、おかげさまで……」
そうは言っているけれど、目元にうっすらとクマができている。
「今日の朝食は私が作るから、もう少し眠ってて」
「いえ……、そういうわけには……」
「いいから。そんなに毎日気を張ってると、身が持たないよ」
「でも……っ」
額に口づけると、身を起こした彼女は言葉を止めた。
「……これから当面、ここで暮らしていくんだから、甘えられるときは甘えておきなさい」
「……!」
眠そうな目が、一気に見開かれた。
「あの、それって、夏休みが終わっても、ですか……?」
「うん? そういう話じゃ、なかったの?」
「……あ、いえ、そう、です」
「そう、なら、ゆっくりしてて。恋人にばっかり、負担をかけるわけにはいかないから」
「……分かりました。では、お言葉に甘えます」
「うん、そうして。準備ができたら呼びにくるから」
掛け布団の端を握りしめる彼女の額に再び口づけをし、ベッドを降りた。
パジャマのまま料理するのもなんだし、着替えておこうか。
「……ありがとう、ございます」
背後から聞こえた言葉に、胸の辺りが少しだけ痛んだ気がした。
着替えを終えてから、キッチンに移動して冷蔵庫の扉を開けた。
卵とハムはまだ残っているし……、今日もハムエッグでいいか。多分、文句は出ないだろうけれど、これからは少し料理のレパートリーも増やさないといけないか。
「……失礼します」
不意に、背後からか細い声が聞こえた。振り返ると、パジャマの上着だけを着た彼女が立っていた。
「ああ、ごめん。まだ時間がかかるけれど、お腹すいちゃった?」
「あ、すみません。そうではなく、目が覚めてしまったので、着替えておこうかと……」
「そっか。じゃあ、着替えたらくつろいでて」
「はい……」
彼女はリビングに移動し、キャリーバッグからいつもの服を取り出して着替えはじめた。
パジャマの上着を脱いであらわになった白い肩に、赤い歯形が鮮明に残っている。思わず目を反らすと、部屋の隅の骨壺が目に入った。
微動だにしない骨壺に、無表情な彼女の顔が浮かぶ。
……いまさらそんな顔を浮かべられても困る。
大体、君だってこうなることを望んだから、ここに……。
「川上さん? 顔色が優れないようですが……」
「……ああ、ごめん。ちょっと、立ちくらみがしただけだから」
「そう、ですか。もしも、つらいようなら交代しましょうか?」
「大丈夫、大丈夫。ぱっと作っちゃうから。メニューは昨日と同じでもいい?」
「あ、はい。それで、かまいませんが……」
「そんなに心配しなくても、一応食べられる状態のものにはする予定だから」
「……ふふふ、それでは、期待していますよ」
彼女は薄く微笑むと、ソファーに腰掛けた。
今は朝食を作ることに専念しよう。
それから、ハムエッグの予定がスクランブルエッグとハムに変更になった朝食を二人で食べた。
その中で、あの男へ連絡する場合は必ず彼女がすること、在宅ワークのときは家事を分担することなど、ちょっとした決めごとをした。あの男への対応を押しつけるのは少し酷かもしれないけれど、私が対応しても話がこじれるだけだろうから……。
――ブー、ブー
突然、ポケットの中のスマートフォンが震えだした。取り出すと、画面には三島の電話番号が表示されている。
……こっちは、私が対応しないとこじれる話か。
「もしもし?」
「ちょっと、カワカミ! なんで連絡してこないの!?」
「あー、ごめん、ごめん。仕事が忙しかったから」
「ふーん、そう。それで、今どこにいるの?」
「どこって、家の近くのコンビニだけど」
「はぁ!? なんでそんな所にいるの!? 昨日、夏物セールに一緒に行こうってメッセージ送ったでしょ!?」
……そんなメッセージがきていたのか、まったく読んでいなかった。
まあ、読んだところで、一緒に行けるわけはないんだけれど。
「悪いけど、今日も仕事だから」
「仕事って言ったって、在宅でしょ!? なら、サボってもバレないじゃん!」
「バレるかどうかの話じゃなくて、今日中に仕上げないといけないものがあるから」
「そう……、じゃあさ、また昼ご飯持っていってあげるよ! 昨日も助かったでしょ?」
「あー……、まあ昨日はありがたかったよ、でも、しばらくは家にくるの遠慮してもらえる?」
「は? なんでよ!?」
「恋人と一緒に暮らすことになったから」
「……え?」
「しばらくは、二人きりでゆっくりしたくてね」
「え、ちょと待って、恋人ってどんな子よ?」
「別に、三島に教えることでもないでしょ」
「あるわよ! だって、私たち友達でしょ! カワカミが変なのにつかまってないか、私がちゃんとチェックしてあげなきゃ!」
スピーカーごしに、誇らしげな声が聞こえる。
……本当に、なんで三島はこうも上からものを言うんだろうか。
「別に、そんなチェックは必要ないから」
「必要ないって、そんなわけないでしょ! あれ? ひょっとして私も知ってる人?」
「あー……、どうだろうね……」
「……あのさ、まさかとは思うけれど」
突然、三島の声が低くなった。
「恋人って言うの、あの子なんじゃ……」
「ああ、ごめん、会社から割り込みが入ったから」
「あ、ちょっと、カワカ……」
――ツー
……これで、今できることはできた。
住所が知られているわけだから、押しかけてくる可能性もあるけれど、居留守を続ければどうにかなるはず。
さて、タバコも買えたし、帰ることにしよう。
家に戻ると、彼女はいつものようにリビングで問題集を解いていた。ただ、いつもと違い、ノートの側にスマートフォンが置いてある。
きっと、あの男へ連絡をしたんだろう。
「……あ、お帰りなさい」
「ただいま。……家族とは、連絡できた?」
「あ、はい。川上さんに、よろしくと」
「そう、他には?」
「あ……、いえ、別に……」
この口ぶりは、きっとなにか私に対する皮肉でも言われたんだろう。
まあ、それでもかまわないか。
「分かった。そうだ、これから、玄関のチャイムが鳴っても、出なくていいから」
「え……、それ……、大丈夫なんです、か?」
「問題ないよ。通販の類は必ず土日に届くようにしてるし、実家にも平日に荷物を送らないように言ってあるから」
「いえ、そうじゃなくて……、その、たとえば、昨日みたいに……」
「うん、だから出てほしくないんだよ。あいつ、君に余計なことを言うだろうから」
「そう、でしたか……、すみません……」
「なんで、君が謝るの?」
「だって……、私のせいで、三島さんとの仲がギクシャクして……」
「別に、そんなこと、気にしなくていいよ……」
だって、私は――
「……君が側で笑っていていてくれれば、別に他は必要ないから」
――今も昔もこれからも、それだけを望んでいるんだから。
「……分かりました」
彼女は小さな返事とともに微笑んだ。
目尻と唇が微かに震えているのは、きっと寝不足のせいなんだろう。
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