第8話

 駅ビル近くの喫茶店に入り、注文を済ませてすぐ喫煙室に向かった。ガラスの向こうでは、椿が紅茶を飲んでいる。


 相変わらずの、無表情で。


 ……いや、一人でいるんだから、無表情なのは当たり前か。なにも、残念がることじゃない。


 それでも、できる限り彼女には笑顔でいて欲しい。

 断られたけれど、ケーキでも頼めば、少しくらいは表情がやわらぐかな?


 ……本当に、なにを勝手なことを考えているんだろう。


 口から深いため息とともに、メンソールの香りがする煙がこぼれた。

 タバコも短くなったことだし、そろそろ席に戻ろうか……、ん?


 不意に、椿が振り返った。

 その視線の先には、紺色のカットソーと七分丈の白いズボン姿の三島がいる。

 三島は笑顔で話しかけ、椿は無表情のまま軽く会釈した。それから、少し会話を交わし、椿がこちらを指さした。当然、三島はこちらに顔を向け、私と目が合う。

 ……ある程度のことは覚悟していたけれど、まさかこんなに早く遭遇することになるとは。


 短くなったタバコをもみ消して、無表情な椿と笑顔で手を振る三島の元に戻った。


「よ! カワカミ、こんなところで会えるなんて、すごい偶然だね!」


 三島は笑顔でバシバシと背中を叩いてくる。

 少し痛いけれど、通話を途中で打ち切ってしまったわりには、機嫌が良さそうだ。まあ、厄介なことには、あまり変わりないんだけれども。


「聞いたよ、椿ちゃんに服買ってあげてたんだって?」


 こちらの気持ちにも気づかず、三島は相変わらず楽しげだ。

 この笑顔が彼女のものなら、どんなに良かったか。


「ちょっと、川上、話ちゃんと聞いてる?」


「ああ、ごめんごめん。まあ、そうだね」


「もう、水くさいんだから! 言ってくれれば、私が似合う服選んであげたのに!」


「選んであげるって……、自分の着たいものを選べばいいでしょ」


「えー、でも、椿ちゃんも、センスの良いお姉さんに選んで欲しいよね?」


 三島が口を尖らせて首を傾げると、椿は表情を変えずに紅茶を一口飲んだ。


「そう、ですね……」


 明らかに、面倒くさそうな返事だ。それでも、三島は勝ち誇ったような表情を浮かべている。


「ほらー、椿ちゃんもこう言ってるじゃん」


「だからって、人の予定にむりやり割り込んでくるのはどうなの?」


「別に良いじゃん、私たち友達でしょ!」


 ……またか。

 三島は私が出かけようとすると、この言葉を口にして同行しようとすることが度々ある。たとえ、それが恋人とのデートだったとしても。

 そのおかげで、今までどれだけ恋人と揉めたことか……、いや、憤るのはこの位にしておこう。


 だいたい、今回は相手が恋人でもなければ、デートと呼べるような外出でもないんだから、三島が来ても問題はないんだし……。


「それで、椿ちゃん。どんな服にしたの? ちょっと、見せて!」


「あ、はい。どうぞ」


「へー、どれどれ……、えい!」


 三島はテープで閉じられていた紙袋の口を乱暴にこじ開けた。そのせいで、とっての部分が大きく破れてしまった。


「……」


 椿は声こそ出していないが、長い睫毛をした目を伏せている。

 ……さすがに、これは見過ごせない。


「三島、それはちょっと酷いんじゃない?」


「え、なにが? 別に、袋がちょっと破れたじゃけじゃん」


 悪びれた様子もない声とともに、破れた紙袋から水色のワンピースが取り出された。


「わー! 可愛い! 椿ちゃんが着たら、すっごくモテそうだね!」


「いえ、そんなことは……」


「そんな、謙遜しないでよ! 実際、学校でもモテるんでしょ? 彼氏とかいないの?」


「……いないです」


「うそー!? 周りのヤツら、見る目ないねー! ならさ、自分から積極的になっていかなきゃ!」


「そうですか……」


 ベタベタとワンピースに触りながら、三島はほぼ一方的に会話を押しつけている。なにを言ってもムダなことは分かっているけれど、いい加減にとめないと。


「おい、三島……」



「そうそう! ほら、お母さんみたいに積極的に誘っていけば、男なんてコロッと落ちるんだから!」



「母の、ように……」



 ――ガシャン


「わっ!?」

「……!」


 気がついたら、テーブルを殴りつけていた。

 椿が顔を引きつらせて、微かに震えている。これは、フォローをしておかないと。


「大丈夫、椿が悪いわけじゃないから」


「……なによ、じゃあ私は悪いって言うの?」


 三島が眉間にシワを寄せて、ワンピースを雑に握りしめる。本当に、コイツは……。


「人の服を勝手にベタベタ触ったり、亡くなった母親のことを茶化したりするヤツが悪くないとでも?」


「別に、椿ちゃんが見ていいって言ったんだからいいじゃない! それに、真由子のことだって事実でしょ!?」


「それは……」


「裏切られたくせに、なに未練がましく庇ってるのよ!?」


 ……たしかに、その通りだ。

 彼女は私を裏切って、自分からあの男の元へ行った。

 それでも……。


「あの……、お客様……」


 声に顔を向けると、席のすぐ側に困惑した表情の店員が立っていた。


「他のお客様もいらっしゃいますので……」


 店員があからさまに、三島へ顔を向ける。当然、三島の眉間のシワは深くなっていく。


「……なによ! みんなして、私ばっかり悪者にして! もう帰る!」


 ワンピースを床に投げつけ、三島は店を出ていった。いつの間にか、店内の視線が、ほぼ全てこの席に向いている。


「……申し訳ございません。私たちもすぐに出ますので」


「あ、いえ。他のお客様のご迷惑にならなければ、別に……」


 そうは言われても、これだけ店内を騒がせたのに居座れるほど、頑丈な神経はしていない。


「いえいえ、お気になさらずに。さ、椿、帰ろうか」


「……はい」


 椿はワンピースを拾い上げながら、目を伏せて頷いた。


 ……彼女にこんな表情をさせるために、外に連れ出したわけじゃなかったのに。

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