第7話

 昼食を終えると、椿は制服から、昨日と同じような古ぼけたパーカーとジーンズに着替えた。それから、二人して昨日映画を観た駅ビルへ向かった。


 今日は昨日よりも幾分か陽射しがあるし、雲の切れ間から水色の空もちらほらと見えるな。


「今日も、涼しいですね」


 椿がこちらを見ることもなく、そう呟いた。


「そうだね。まあ、私としてはあんまり暑いよりは、このくらいの方が助かるよ、過ごしやすいし」


「……そうですね。過ごしやすさだけなら、今日くらいの方がいいですね」


 ……なんだか含みのある言い方だ。

 まあ、たしかにあまり涼しすぎるのも問題か。そういえば、小学生くらいのときに、冷夏で米が壊滅的な不作、なんてこともあったな。あのときは三島が、出所がよく分からない米を大量にお裾分けしてきたっけ……。


「……すみません。水を差すようなことを言ってしまいましたね」


 いつの間にか、椿は軽く眉を寄せて目を伏せていた。肩は微かに震えている。


「……いや、そんなことないよ。ただ、冷夏は冷夏で大変だった、って思い出してただけ」


「そうですか……」


「そうそう。だから、そんなに身構えなくても大丈夫」


「はい……、すみません……」


 まだ少し表情は硬いけれど、肩の震えは止まったようだから、これでよしとしておこう。


 そこからはまた無言でしばらく歩き、駅ビルへ辿り着いた。

 よく見てみると、オフィス街が近いたせいか、年齢層が高めの女性を意識した店舗が多いな。

 少し遠くても、別の場所にすれば良かったかもしれない……。


 それでも、隣を歩く椿の表情はどこか楽しげだ。

 本人が満足しているなら、余計なことを言うのは止めておこう。



 商業施設の中を歩いていると、ある店の前で椿がピタリと足を止めた。店先には、フリルやレースをあしらった可愛らしい洋服が並んでいる。他の店よりは、ターゲット層が若そうだ。


 椿は店頭に飾られていた水色のワンピースを見つめてから、こちらに振り返った。


「あの、川上さん」


「どうしたの?」


「……少しだけゆっくり、このお店を見てきてもいいでしょうか?」


 不安げな表情とともに、椿は首をかしげた。

 一週間ほど一緒に生活をしてきたけれど、自分から要望を口にしたのはこれが初めてかもしれない。


「構わないよ。私はここで待っているから、ゆっくり見てくてきて」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げてから、椿は軽い足取りで店舗の中に入っていった。その後ろ姿に、真由子の姿が重なる。

 思い出してみると、真由子は服を選ぶのに時間がかかる方だったな。私はあまり悩まない方だから、よく「どこかで時間潰してて」って言われたっけ。


 ……椿も同じくらいの時間がかかるかもしれないけれど、会計のことを考えるとこの場を離れるわけにもいかないか。

 他の客の邪魔にならないところに移動して、時間を潰していよう。


「ねえ、今日は大丈夫なの?」


 スマートフォンを取り出した矢先、画面に通知された三島からのメッセージが目に入った。

 正直なところまた見なかったことにしておきたいけれど、かなりの件数を受信しているみたいだ……。これは、放っておくと、いっそう面倒なことになる。仕方ない、返信をしておこうか……。


「ゴメン、今気がついた。今日は出かけてるから、また今度にしよう」


「本当? じゃあ、私もちょうど出かけてるし、どこかで待ち合わせしよう!」

 

 ……なんでこう、話がかみ合わないんだろう。


「いや、他の予定があるから、今日は無理だから」


「大丈夫だよ、私今日ヒマだし、カワカミの予定が終わるまで、どっかで時間潰してるから!」


 ……なんだか、頭痛がしてきた。

 まあ、三島が合流してもいいのかもしれないけれど……、せっかく椿が楽しそうにしているし、余計な負担はできるだけかけたくない。


「あの、川上さん」


 駆けられた声に顔を上げると、服のかかったハンガーを手にした椿と目が合った。ひとまず、三島への返信は置いておこう。


「欲しいもの、決まったの?」


 近づきながら問いかけると、椿は小さく頷いた。


「はい。こちらにしようかと思います」


 そう言って、椿は店頭に飾られていたものと同じワンピースを胸の前で掲げた。笑顔とまではいかないけれど、嬉しそうな表情だ。


「それじゃあ、会計をしてくるからここで待ってて」


「はい。ありがとうございます」


「いえいえ、どういたしまして」


 深々と頭を下げた椿からワンピースを受け取り、会計を済ませた。予想していたよりも高い値段だったけれど、彼女の嬉しそうな表情を見られたと思えば、安いものなのかもしれない。


「はい、これ」


「ありがとうございます」


 店頭に戻りワンピースの入った袋を渡すと、椿は抱きしめるように抱えながら、また深々と頭を下げた。


「他に見たいものはある?」


「いえ、これ以上は、特にありません」


 椿の答えを受けて、腕時計を確認した。時刻は午後二時を過ぎている。このまま帰ってもいいけれど、少しタバコも吸いたくなってきた。


「それじゃあ、喫茶店に……」


 ――ブー。


 不意に、鞄の中からの振動に気がついた。

 間違いなく、三島からのメッセージだろう。


 ――ブー、ブー。


 ……いや、メッセージじゃなくて、電話の方かもしれない。


「あの、川上さん、お電話がきているようですが……」


「ああ、うん、そうだね」


「出なくても、良いのですか?」


「あー……、うん、そうだね。ちょっと、待っててくれる?」


「はい、分かりました」


 椿が無表情で頷く。また、いつもの調子に戻ってしまった。せっかく、嬉しそうな表情が見られたというのに、こんな電話のせいで……。


 胸の奥から苛立ちのようなものが、込み上がってくるのが分かった。それでも、三島に悪意があるわけでもないし、気を落ち着かせて電話に出ないと。長年の友人に、八つ当たりのようなことは、したくないから。


「もしもし?」


「カワカミ! なんで、メッセージ既読無視するのよ!?」


 ……この苛立ちは、八つ当たりなんかじゃなく、順当なもののような気がしてきた。まあ、それでも、メッセージのやり取りを途中で打ち切ったこっちにも、非がないことはないか。


「ああ、ゴメン。ちょっと、返信できないような状況になったから」


「ふーん。そう、なら仕方ないか」


 苛立ちを表に出さないように答えたおかげか、三島の方も冷静さを取り戻してくれたようだ。


「それで、今日は何時ごろ集合にする?」


 ……だからといって、まともにこちらの話を聞く気はないようだ。


「あー、ゴメン。さっきも言ったけど、まだ予定があるし、いつ終わるか分からないから」


「うん、だから、私は今日時間あるし、いつでも大丈夫だよ!」


「いや、このままだと、夜までかかるかもしれないから」


「そうなんだ、じゃあ、夜にそっちの家に行くわ! 私が夕飯買っていかないと、またインスタントで済ますつもりでしょ?」


「いや、明日は仕事だから、また別の機会にしてよ」


「大丈夫! 私は明日も休みだし、カワカミだって最近は在宅で仕事してるんでしょ?」


「そうだけど、今日は本当に無理だから。それじゃあ、これで」


「あ、ちょっと! カワカ……」


 三島の声はまだ聞こえていたけれど、通話を切った。これだけ言っておけば、さすがに押しかけてくることもないだろう。多分。


「……お疲れさまでした」


 不意に、抑揚のない声が耳に届いた。顔を向けると、椿が気の毒そうな表情を向けていた。


「ああ、どっと疲れたよ……。あいつ、人の話を全く聞かないから」


「あいつ?」


「ああ、ほら、三島のこと」


「三島、さん?」


 私の言葉に、椿は軽く目を見開いた。


「そう。なんか今日、押しかけてくるかもしれないんだよね……、一応、止めはしたけど」


「そうですか……、でしたら、私はどこか別の場所に、泊まった方が良いですよね?」


「……え、なんで? というよりも、行く当ては、あるの?」


「ない、ですが……、元交際相手の娘がいたら、三島さんの気を悪くしてしまうのでは?」


「いや、まあ、驚くかもしれないけど……、気を悪くするまではいかないんじゃないかな?」


「でも……、三島さんは、川上さんに好意をもっているんですよね?」


「……は?」


 三島が、私に好意?

 ……なんだ、そんな勘違いをしていたのか。


「ああ、それはないから心配しないで。アイツ、彼氏いるみたいだから」


「そう、なのですか?」


「そ。それで、定期的にうちに押しかけて、彼氏の愚痴をこぼしていくんだ。今日も、それで来たがってたんじゃないかな」


「そう、だったのですか……」


 椿はどこか釈然としない表情で、相槌を打った。

 まあ、同性と恋愛ができる人間にしつこくしているんだから、勘違いされても仕方ないのかもしれない。実際、私と三島がお似合いだとはやし立てるような知人も、少なくはなかったし。



 それでも――



「……川上、さん?」


 気がつけば、椿を見つめていた。


「ああ、ゴメン。ちょっと、タバコを吸いたくなったから、喫茶店に移動してもいいかな?」


「あ、はい。分かりました」


「ありがとう。付き合ってもらうお礼に、ケーキを全種類ご馳走しようか」


「……そんなには、食べられませんよ」


 軽口に対して、薄い微笑みが返って来る。



 ――私が本当に想っているのは、彼女だけなのかもしれない。

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