第3話
その後、特に会話を交わすこともなく、時刻は正午になった。
昼食は椿が作ってくれることになった。
朝食のお礼、ということらしい。
お礼をされるほどのものを作ったつもりはないけれど、食事を作る手間も省けるのはありがたい。
キッチンスペースに立つ後ろ姿を眺めていると、午前中の様子が思い浮かんだ。
椿はずっと、背筋を伸ばして黙々と問題集をこなしていた。
真由子とも何度か勉強会をしたことがあったけれど、彼女は分からない問題に直面すると顔をしかめたり、机に突っ伏したりと、かなりせわしなかったっけ……。
それに比べて、椿は表情を変えることも、姿勢を崩すこともなかった。
落ち着き払った様子を思い出していると、どうしてもあの男の顔が浮かんでくるな……。
――ピンポーン
不意に、玄関のチャイムが鳴った。
また厄介な来客じゃないといいけれど……、まあ、さすがに二日続けて遺骨を持ってこられるなんてことはないか。
「ちょっと対応してくる」
「分かりました。行ってらっしゃい」
椿は振り返らずに返事をした。
声だけを聞いていると、誰にも似ていないように思えるのに。
……いや、そんなことを気にしていないで、さっさと玄関に行ってこよう。
「はい、おまたせしまし……」
「よ! カワカミ、元気にしてた!?」
ドアを開けるや否や、甲高い声が耳をつんざいた。
声の主は、ボーダーのティーシャツを着て七分丈のパンツをはいた、ショートカットの女性――
「……なんだ、三島か」
――友人の、三島良子だった。
「もう! せっかく、遊びにきてあげたのに、その言い方はなによ!?」
三島が腰に手を当てながら、大げさに頬を膨らます。
「遊びにくるなら、連絡を入れてって、いつも言ってるはずだけど?」
「まーまー、細かいことは気にしないでよ」
今度は、悪びれもなく愉快そうに笑う。
……三島とは小学校のころからの付き合いだけれど、いくら注意してもこういう一方的なところを直してくれない。まあ、根は悪いやつじゃないから、付き合いはずっと続いているんだけれども。
「それよりもさ、昼ご飯買ってきてあげたから、一緒に食べない? どうせ、またろくなもの食べてないんでしょ?」
そんな言葉とともに、野菜料理が有名な店の紙袋が差し出される。
「あー、それはありがたいんだけど……、今日は先約があるから」
「先約?」
三島が首を傾げると、背後から足音が聞こえてきた。
振り返ると、エプロン姿の椿がスマートフォンを持ってくるのが見えた。
「川上さん、電話が鳴っていますが」
「ああ、ありがとう」
スマートフォンを受け取ると、フリーダイヤルの番号が表示されていた。たしか、この番号は生命保険の営業電話だったはず。持ってきてもらって悪いけれど、放っておくことにしよう。
「……カワカミ、その子、一体なに?」
三島が、怪訝そうな声を出した。
なに、と言われると困るけれど……、一応、説明はしておこう。
「吉川椿、真由子の娘さんらしい」
「椿……、あー!」
突然、三島がまた耳をつんざくような声を上げた。
「貴女が椿ちゃんなんだ!」
「……え? 三島、椿のこと知ってたの?」
「そうだよ! この間、真由子の番号から久々に電話があって、出てみたら椿ちゃんだったの!」
三島がそう言うと、椿は小さくうなずいた。
「はい。その節は、お世話になりました」
「いーの、いーの! 気にしないで!」
深々と頭を下げる椿に、三島が笑いかける。
「いやー、でもビックリしたよ。真由子が亡くなったのもそうだけど、骨壺を預けたいから、カワカミの家を教えて欲しいなんて言われたから」
「……つまり、三島が椿にここの住所を教えたのか?」
「はい。その通りです」
三島の代わりに、椿がうなずいた。
「母の携帯電話に、『友達』として三島さんが登録されていましたから」
「そうか……」
……真由子と三島の仲がよかったなんて、意外だな。私がいないところで二人が一緒にいるのは、あんまり見たことがなかったのに。
「えー、なになに、椿ちゃんもさっききたの?」
「いえ。昨日の夕方到着して、一晩泊めていただきました」
「……ふーん。そう」
突然、三島が声のトーンを下げた。
……長い付き合いだから、機嫌が悪くなったのは分かる。でも、毎回毎回、急に機嫌を損ねる理由が分からないから面倒なんだよね。
「……じゃあ、邪魔しちゃ悪いから、私は帰るわ! これ、二人で食べてね!」
三島に紙袋を押しつけるように渡され、椿が困惑した表情を浮かべる。
「いただいて、よろしいのですか?」
「うん! だって、なんかいい匂いするし、カワカミにお昼でも作らされてたんでしょ?」
「……その言い方は、ちょっとムッとするんだけど?」
「えー、だって、カワカミ遊びに来てあげると、いっつも私にお昼作らせるじゃん?」
……いつも勝手に押しかけてきて、勝手に作っていくくせに、なんという言いぐさなんだろう。でも、話をこれ以上厄介にしたくないし、黙っておこう。
「椿ちゃんじゃ、カワカミが好きなものなんて分からないだろうし、箸休めにでもしてよ! じゃあ、私はこれで!」
そう言うと、三島は帰っていった。
まあ、椿が私の好みを知らないっていうのは、間違いないけれども……。
「……別に、ここの店の料理、そんなに好きじゃないんだけどね」
「それでも、せっかくいただいたものですから」
「まあ、それもそうか……、ところで、昼ご飯はなにを作ってくれたの?」
「冷蔵庫に材料があったので、焼きそばにしましたが……、お嫌いでしたか?」
「いや、焼きそばが嫌いな人間は、そうそういないと思うよ」
「それならよかったです。もうできているので、昼食にしましょうか」
「ああ、そうだね」
三島も大人しく帰ってくれたことだし、早く食事にしてしまおう。
部屋に戻ると椿は三島からもらった野菜料理や、焼きそばが盛られた皿をテーブルの上に並べた。その顔は相変わらず無表情だ。
全く似ていないはずなのに、やっぱり、あの男の顔が頭に浮かぶ。
「どうぞ」
「ああ、どうも」
「……申し訳ございません。やっぱり、お気に召しませんでしたか」
椿の表情が目に見えて曇っていった。
……八つ当たりで、相手を不安にさせるのは、よくないか。
「いや、そう言うわけじゃないよ。ただ、ご家族が本当に心配していないのか不安になって」
なんとか言葉を取り繕うと、椿の表情が少しだけやわらいだ。
「そうでしたか。昨日の電話で、夏休みいっぱいは外出する許可をとったので、心配している、ということはないと思います」
「……そう」
八つ当たりをごまかせたのはいいけれど、なんとも気が滅入る話だ。一ヶ月以上、年頃の娘が一人で家を離れると言っているのに、誰も心配をしないなんて……。
何気なく視線を動かすと、骨壺が目に入った。その瞬間、彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「……在宅で仕事をしていることも多いけど、邪魔をしないというなら、夏休みの間はここにいても構わない」
気がつけば、馬鹿げたことを口にしていた。椿は提案に驚いたのか目を見開いてから、ゆっくりとまばたきをした。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えます」
そして、どこか安心したように微笑んで、深々と頭を下げた。
……この表情が増えれば、これからの生活も悪くないと思えるのかもしれない。
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