第24話
☆☆☆
化粧だって練習をすればできるようになるはずだった。
今までがそうだったように、どんなことでも諦めなければ叶うはずだった。
私はそうやって努力をして、教師になったんだから。
私は自分の部屋の中で化粧品と向き合っていた。
いっそこのまま捨ててしまって、元の自分に戻るほうが楽かもしれない。
化粧の練習をする時間があれば、明日の授業の準備をしたほうがずっと有意義な時間をすごすことができる。
そうわかっているけれど、頭の中に浮かんでくるのはトイレで聞いた会話だった。
私が真面目でいてくれれば、その分仕事がはかどる。
その言葉が離れてくれなかった。
仕事は好きだから苦じゃないけれど、他の先生の仕事まで回ってきていたのだとわかるとさすがに不満を感じた。
私がみんなの分の仕事をしている間に、彼女たちは飲み歩いているのだ。
それは不公平だ。
不真面目だ。
私が生きてきた道を踏み外す行為でもある。
私は彼女たちを見返すためにももう少し化粧をしてみようと思ったのだ。
まずはファンデーション。
ムラにならないよう、しっかりと鏡を見ながら丁寧に塗っていく。
朝のあわただしい時間にこっそりと行う化粧とは違い、今度はうまく行った。
口紅も唇からはみ出さないように細心の注意を払う。
そうやってゆっくり時間をかけてやっていけば、私でもそこそこ綺麗だと思える顔になっていた。
鏡でそれを確認してホッと安堵のため息を吐き出す。
これなら明日先生や生徒たちに笑われることもなさそうだ。
「ちょっとなにしてるの?」
その声に驚いて振り向くと、いつの間にか母親が部屋の中に入ってきていた。
ノックがないのはいつものことだけど、メーク中だったので心臓がドクンッとはねた。
「あ、メークの練習中だよ」
私はできるだけ自然に見えるようにそう答えた。
この年齢でメークをすることは別に特別なことじゃないからだ。
それでも心臓がこれほど早鐘を打っているのは、両親の性格を把握していたからだった。
「そんなものしなくていいの!」
案の定、母親はしかめっ面を浮かべてそう言った。
「で、でも、少しくらメークしておかないと、私人前に出る仕事なんだし」
他の女性教師たちを見返したいという気持ちは押し殺した。
「なにを言ってるの? 教師が綺麗である必要なんてどこにあるの?」
母親は腕組みをして私を見下ろしている。
その威圧的な態度に言葉が喉に引っかかりそうになる。
今まで両親の言うとおりに生きてきたから、私は教師になれた。
その思いが反論を拒否している。
「それは、そうかもしれないけど……」
「もしかして、好きな人でもできたんじゃないでしょうね」
「そ、それは違うから!」
慌てて左右に首を振って反論する。
しかし、母親はジトッとした粘っこい視線を私へ向けた。
「どうかしらね? 恋愛なんて無駄なことする必要はないの。あんたもお母さんと同じようにお見合い結婚で十分よ。お母さんはそれで成功しているんだから」
胸を張って言う母親に私の胸の中に違和感が広がっていく。
思えばこの人はなんでもかんでも自分が生きてきたのと同じ道を私にも歩ませようとしている。
それは私にとって安全で安心する道だからだと思っていた。
でも、違う。
今私を見下ろしているその表情は、私を幸せにしたいと考えている母親の顔とは別物だった。
まるで、私だけ幸せになるなんて許さない。
そう言われているような気がして、背中が寒くなった。
「……本当は恋愛結婚したかったの?」
聞くと母親はあからさまに同様を見せた。
目が泳ぎ、たじろいで後ずさりをしたのだ。
「な、なにバカなことを言ってるの。とにかく化粧なんて無駄なことする必要ないからね!」
母親は自分の意見を一方的に私に押し付けると、乱暴に部屋から出て行ったのだった。
☆☆☆
母親からメーク禁止を言い渡された私は、仕方なく毎朝15分早く家を出てコンビニのトイレでメークをするようになった。
「あれ、谷津先生今日は化粧いい感じですね」
先輩教師にそう言ってもらえたときは心底安堵した。
これで私へのイジリは終わるだろう。
そう思っていた。
「谷津先生、最近調子に乗ってない?」
その言葉を聞いたのは校内の廊下でだった。
今まさに曲がり角を曲がろうとしていて、その先から聞こえてきた言葉だった。
それが先日、トイレで私のことを話題にしていた教師の声だとすぐに気がついた。
「私も思ってた。ちょっとメークしただけで人が変わったみたいになってるよね」
そうだろうか?
確かにメークははじめたけれど、いつもと変わらない仕事をしていたつもりだけど。
精神的に安心したことで、それが態度にも出ていたのかもしれない。
「ちょっとうっとおしいよね」
悪意のある言葉に一瞬心臓が止まってしまいそうだった。
普段イジメはダメ。
差別はダメと生徒に伝えている立場の人間でも、こうして影で悪質なことをする人は沢山いる。
立場がどうであれ、それがバレなければそれでいいと思っているのだ。
「あれ、やっちゃおうか」
「そうだね」
そんな会話をしながら遠ざかっていく足音。
あれってなんのことだろう?
2人の間だけでわかる言葉らしく、詳細を知る琴葉できなかった。
とりあえず注意しておいたほうがいいかもしれない。
そうして、私はまた日常に戻ったはずだった。
それなのに……。
「谷津先生が突然メークをはじめたのって、男性教師との寿退社を狙ったからだって本当ですかー?」
授業開始と同時に生徒にそんな風に質問をされて、私は動きを止めた。
「違います。少しくらいメークすることがマナーだと教えてもらったからです」
説明しながらも、心臓が早鐘を打つのがきこえてくる。
誰が生徒たちにそんなことを吹き込んだのか。
一瞬にしてあの2人の女性教師の顔が浮かんできた。
「嘘つき! 本当は男のためなんでしょう?」
「まじで? じゃあ先生退社すんの?」
「別にいいじゃん。教師がひとりいなくなるくらい」
口々に好き勝手言い始める生徒たち。
「静かにしなさい! 授業を始めますよ!」
私は教卓を叩いて声を張り上げた。
一瞬、教室内が静かになる。
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