第23話

その日からだった。



「谷津さん、メークやめたの?」



化粧を落として職員室へ戻ると、そう声をかけられた。



「は、はい」



「なんだぁ面白かったのにねぇ」



面白かった?



その言葉がひっかかったけれど、なにも言えなかった。



「でもま、谷津さんはそのままがいいよ。パッとしないけどね」



「そう、ですか」



今のもきっとほめ言葉じゃないよね?



だけど私はなにも言うことなく、自分のデスクへと向かったのだった。



教師たちの間で密かにささやかれ始めた私の噂は、簡単に生徒たちにも伝染して言った。



「谷津先生って彼氏いない暦イコール年齢って本当ですか?」



最初にそう聞かれたのは授業中のことだった。



普段おとなしく授業を聞いている生徒にそんなことを言われて、言葉を失ってしまった。



「あれ? 無言ってことは肯定ってこと? じゃあ先生ってまだ処女なんですかぁ?」



いかにも子供っぽい質問だ。



そんなことで動揺しちゃいけない。



無視するなり、軽くあしらうなりして授業を続けないといけない。



頭ではわかっているのに、行動に移すことができなかった。



私はただ呆然としてその男子生徒を見つめている。



「ちょっとやめなよ」



女子生徒の一人が声を上げてくれてホッと胸をなでおろす。



そうだ、ボーッとしている場合じゃない。



軽く咳払いをして授業を再開させようとした、そのときだった。



「谷津先生は今日メークに失敗して落ち込んでるんだからさ!」



女子生徒が笑いながらそう言い、スマホを取り出したのだ。



「スマホをしまいなさい!」



条件反射のように注意したが、効果はなかった。



あっという間に女子生徒周りに生徒たちが集まり、騒ぎはじめたのだ。



こんなことは初めてだった。



どうしよう。



こんなに真面目にしてきた私の授業が聞いてもらえないなんて、そんなことあるはずがないのに。



対処法がわからなくて混乱していたときだった。



不意にクラス内が爆笑の渦に包まれたのだ。



男子生徒たちはお腹を抱えて笑い、女子生徒たちも目に涙を浮かべている。



「なにをしているの!?」



笑っている生徒たちを押しのけて、中心へと向かう。



「これだよ、これ」



そう言って見せられたのは……化粧をしている私の姿だったのだ。



私は車から降りたところのようで、そこを激写されているのだ。



「なんなのこれは!」



思わず声が荒くなる。



いつの間にこんな写真を撮られていたのか、全く気がつかなかった。



すぐに女子生徒からスマホを取り上げようとしたが、背中に隠されてしまった。



「びっくりしたよぉ。先生が降りてきた途端こんな顔をしてるんだもん、思わず写真撮っちゃった」



そう言ってペロッと舌を出す。



その様子は全く悪びれておらず、体に寒気が走った。



人に隠し撮りをしておいて罪悪感を抱かない人間なんているのだと、初めて知った。



「お化け化粧女!」



「地味なくせに頑張るからこうなるんだよ」



「先生かわいそぉ。あたしならもう生きていけないなぁ」



そんな言葉が飛び交い、メマイを感じた。



これはなに?



一体どうなっているの?



真面目にしていれば絶対に訪れることはないと思っていた現実が目の前にある。



授業を進めることができない、学級崩壊という現実が。



いや、まだそこまで行っていないかもしれない。



何日も授業が進んでいないわけじゃない。



今日たまたまトラブルが発生してしまっただけだ。



私は気を取り直して教卓の前に立った。



そして生徒ひとりひとりを見つめる。



大丈夫。



この子たちは根はいい子たちだ。



面白い話題に食いついただけ。



ただ、それだけだ。



「それでは授業を再開します」



私の言葉に反論する生徒はいない。



ほら、大丈夫。



みんな私の授業を聞いてくれている。



だって私は少しも道を踏み外すことなく、真面目に生きてきたんだから。



チョ-クを持ち、黒板に向かう。



気持ちを落ち着けて板書しようとしたときだった。



「処女」



どこからか声が聞こてきて振り向いた。



しかし、生徒たちはみんな黒板を見ていたり、ノートをとっていたりする。



気のせい?



そう思って再び黒板を向き直る。



すると今度は背中に何かが当たった。



足元に落ちたそれを拾うと消しゴムのカスを丸めたものだった。



「これ、誰が投げたの?」



質問しても誰も答えない。



みんな無表情に黒板を見つめているだけ。



その目が私を笑っているように見えて、また背筋が寒くなった。



私は消しゴムのカスを強く握り締めて、ゴミ箱へ投げ捨てた。



その時、クスクスッと笑い声が聞こえてきた。



すぐに生徒たちを見る。



みんな真面目な顔をして黒板をうつしている。



得体の知れない気持ち悪さがこみ上げてくる。



私はもうなにをされても無視をすると決めて、教卓に立ったのだった。

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