第22話

☆☆☆


私はもう25歳だ。



お酒もタバコも解禁されているし、化粧をしたって問題ない。



わかっているのだけれど、両親に化粧後の顔を見られるのが恥ずかしい気がして、私は出勤前ギリギリの時間で化粧をして、外へ飛び出した。



なにも悪いことはしていないのになんだか悪いことをした気になって心臓がドクドクと早鐘を打っている。



これで今日はなにも言われないはずだ。



そう思い、軽い気持ちで学校へ向かったのだった。


☆☆☆


「おはようございます」



職員室へ入った瞬間、周囲がざわめいた。



教員たちがいっせいにこちらを見ている。



どうしたんだろう?



髪の毛がはねているだろうか?



手串で髪を整えながら自分の席へ向かう。



「おはようございます」



昨日化粧の話をしてきた先生へ向けて声をかけると、プリントの採点をしていた先生が顔をあげた。



「あぁ、おはよう――」



そこまで言ってビクリと体をはねさせると、机の上のコーヒーをこぼしてしまった。



白いプリントが茶色く染まっていき、慌ててハンカチでぬぐい始めた。



「た、谷津先生、化粧をしたんですね」



コーヒーを拭きながら先輩教師が言う。



「はい。少しだけですけど」



「そ、そうですか、いやぁビックリして、つい」



そう言って苦笑いを浮かべている。



私が化粧しただけでそんなに驚くことなのかな?



疑問に感じて首をかしげる。



心なしか他の先生たちが必死に笑いをかみ殺しているようにも感じられた。



でも、私はこのときなにも気がついていなかったのだった。


☆☆☆


授業が始まる前に職員会議が行われる。



その最中、教頭の視線がチラチラとこちらを向くことに気がついた。



やっぱり今日の私はなにかおかしいんだろうか?



そう思って自分の服装を確認する。



するとそれを見たほかの教師たちから含み笑いの声が漏れて聞こえてきた。



特に変なところはないみたいだけれど……。



そう思っていると教頭が軽く咳払いをした。



「最後に、谷津先生」



「は、はい」



途端に名前を呼ばれて背筋が伸びる。



先生に名前を呼ばれて緊張するなんて、学生のときとあまり変わっていないかもしれない。



「その化粧は落としてから授業へ向かってくださいね」



そう言われ、私は瞬きを繰り返した。



どうして化粧を落とさないといけないんだろう?



疑問に感じていると、隣の先輩教師が突然大きな声で笑いだした。



それは我慢の限界に達したという雰囲気の笑い方だ。



私が驚いていると、他の先生たちにも笑いが伝染していき、職員室の中はあっという間に笑い声に包まれてしまった。



私はひとり、なにがおかしいのかわからなくて立ち尽くす。



「谷津先生、その顔……まるで化け物ですよ」



先輩教師は笑いで涙を浮かべて、そう言ったのだった。


☆☆☆


私は職員室から駆け出してトイレに入った。



鏡で自分の顔を確認する。



化粧になれていないくせに朝慌てて化粧をしてきたせいか、鏡の中に移ったその顔は自分のものではなかった。



濃いアイシャドーに濃い口紅。



ファンデーションはムラになっているし、マスカラは間の周りまで真っ黒になっている。



「嘘でしょ、こんな顔で学校まで来たなんて」



呟き、慌てて化粧を落とす。



ジャバジャバと水で洗い流そうとすると、化粧が溶けて余計に汚くなっていく。



せっかく化粧をしてきたのに。



あれだけ頑張ったのに。



化粧品を見たときの胸の高鳴りはとうに消えうせて、今では惨めさで胸が押しつぶされてしまいそうだった。



職員室へ入った瞬間感じたみんなの視線は、私の顔を見て驚いていたからだったんだ。



そう理解すると悔しくて涙が滲んできた。



今までおしゃれなんて興味もなくて、どうでもいいと思っていた。



真面目に生きていくこと意外でこんな風に悔しい気持ちになるなんて、初めての経験だ。



その時廊下から足音が聞こえてきて慌てて個室に入って鍵をかけた。



ハンカチを取り出して顔を拭くと、みるみる化粧の色に染まっていく。



「谷津先生、今日はどうしたんだろうね?」



それは教員の声で、私は思わず耳を澄ませた。



「化粧のこと? びっくりしたよねぇ、普段は化粧っけないのにさぁ」



「きっと誰かに言われたんだろうね。少しはおしゃれしろって」



図星だった。



その結果がこれだ。



誰かに話を聞いてほしくて個室から出ようとしたときだった。



「でも、あの化粧はないよねぇ!」



女性教師はそう言って笑いはじめたのだ。



「だよね! どうやったらあんな化粧になるの?」



「初めての化粧にしても、ちょっとひどかったよね」



ケラケラと声を上げて笑う。



「普段から真面目だけがとりえなんだから、無理しなくていいのにね」



「わかる! ああいう地味な人がいてくれると、自然と仕事がそっちに流れていって私たちが楽できるんだし、谷津先生には当初のままでいてもらわないと!」



その言葉は胸に突き刺さるものがあった。



真面目だけがとりえ。



そんなの自分が一番よくわかっていたし、私が望んでそうなってものでもあった。



でも、それがそんな風に言われているなんて思ってもいなかった。



「今夜どこに飲みに行く?」



「この前おしゃれなお店見つけたんだぁ」



女性教師たちは急に興味を失ったように話題を変えて、トイレから出て行ったのだった。

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