第19話

「綺麗な胸ね」



テスターが郁乃へ向けて笑いかける。



「やめて……」



郁乃は左右に首を振る。



胸なんて切り取られたらそれこそすぐに死んでしまう。



「そうだよ。胸を取り替えるなんて、頭おかしいんじゃないの!?」



横から声を上げるが、やはりテスターは動じない。



袋の中からナイフを取り出して刃先の血を指先で落としはじめた。



あれは智恵理の顔の皮膚を切り裂いたときに使ったものだ。



「これ、まだ切れるかしら?」



テスターは首をかしげて郁乃に近づいていく。



血がこびりついたままの刃は少し切れ味が悪くなっているようで、郁乃の胸を安易には切り裂かない。



「あああああああ!」



弱った刃を押し当てられた郁乃は痛みに絶叫を上げた。



その悲鳴は鼓膜をつんざき、テスターは顔をしかめた。



「やっぱりこれじゃダメね。あたらしいのを用意しないと」



ぶつぶつと文句を言いながら、ナイフを袋に戻す。



それを見てホッと息を吐き出した。



ひとまずは諦めてくれたみたいだ。



「少し待っててね。すぐに戻ってくるから」



テスターはそう言うと、あたしと郁乃を残して倉庫から出て行った。



ドアが開いた瞬間グラウンドを確認してみたが、生徒たちの姿はひとりも見当たらない。



どうして誰もいないの!?



テスターが遠ざかっていく足音だけが聞こえてくる。



「誰か助けて!」



あたしは残っている力を振り絞り、精一杯声を上げた。



「誰にも聞こえないよ」



郁乃の言葉にあたしは目を見開く。



「どうしてそんなこと言うの!?」



「今日は午前中で学校は終わり。部活動も委員会活動もないんだって。ロッカーの中で聞いた」



郁乃の言葉に背中に冷や汗が流れて行った。



「なんで、そんなことになってるの!?」



「仕方ないでしょ。あんたたち3人がいなくなって、あたしまでこんなことになったんだから」



郁乃はそう言ってから、思い出したように首を曲げて倉庫内を確認した。



「他の2人は?」



聞かれて、あたしは左右に首を振った。



「え?」



意味が理解できなかったようで、郁乃は眉間に眉を寄せた。



「……死んだの」



あたしの言葉に郁乃が一瞬息を飲んだ。



ヒュッと、空気が喉を通る音が聞こえてきた。



「嘘でしょ……」



「本当だよ。あの女、どんなことでもする。あたしもまぶたを切り取られたんだから」



「じゃ、じゃあ戻ってきたら、あたしの胸を?」



郁乃の言葉にあたしはうなづいた。



テスターは容赦なく郁乃の胸を切り取り、そして自分の胸と付けかえるはずだ。



そうなる前に、どうにかここから脱出しないといけない。



あたしは両足をそろえて、思いっきり床を蹴飛ばした。



ガンッと大きな音が倉庫の中に響く。



「ちょっと、何する気?」



「誰もいないなら、この倉庫を壊して外に出るしかないじゃん」



長年使われていない木製の倉庫だ。



頑張れば壊すことができるかもしれない。



郁乃は大きくうなづき、あたしと同じように床を蹴りつけた。



ガンガンと音が響き渡るが、倉庫自体が壊れる気配は見られない。



想像しているよりも、よほどしっかりと作られているみたいだ。



「壊れて、壊れてよ!」



額に汗が滲み、体が熱を帯びてくる。



それでもあたしたちはやめなかった。



絶対にここから脱出してやる。



その気持ちが強かったから。



それなのに、無常にも足音がこちらへ近づいてくることに気がついてしまった。



テスターはすぐに戻ってくると言っていたけれど、本当だったみたいだ。



あたしと郁乃は足を止めて顔を見合わせた。



郁乃の顔からは血の気がうせていて、唇まで青くなっている。



きっとあたしも同じような顔をしていることだろう。



ひどいストレスから吐き気がこみ上げてくる。



足音はどんどん近づいてくる。



テスターが戻ってくれば、郁乃は……。



そこまで考えたとき、倉庫の前で足音が止まった。



郁乃が唾を飲み込む音が聞こえてくる。



倉庫のドアがゆっくりと開かれて、新しいナイフを握り締めたテスターが目の前に現れた。



あぁ……もう、終わりだ。



希望が消えうせてすべてが暗転していくようだった。



テスターが大切そうにナイフを握り締めて倉庫の中に入ってくる。



と、その瞬間だった。



テスターの背後から突然人が割り込んできたのだ。



体を押されたテスターはバランスを崩して膝を突く。



「千紗!!」



あたしの名前を呼んだのは久典だった。



ここに拘束されてから何度も思い出したその人が、今目の前にいる。



それが信じられなくて、あたしは唖然としてしまった。



テスターが体を起こし、ナイフを久典へむけた。



久典は寸前のところでナイフをかわすと、足元に置かれている袋に視線を落とした。



それはテスターが使っているものだった。



「邪魔をするな!」



テスターが叫び声を上げて再び久典へ向けてナイフを振り上げる。



久典は身をかがめ、袋の中から出ていたなにかを握り締めていた。



襲い掛かってくるテスターへ向けて、それを差し向ける。



途端にバチバチッという音がして、テスターはその場に倒れこんでいた。



久典が手にしているのは黒い箱。



あたしたちを襲ったスタンガンだとすぐにわかった。



久典は倒れたテスターからナイフを奪い、テスターの顔に突きつけた。



痛みにもだえていたテスターは大きく息を吐き出し、久典を睨み上げた。

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