刺客、放たれる

 アーダン・ヴェリクが職を解かれて自室にこもってから、今日は五日目になる。


「クソッ!」


 酒を干した杯を壁に叩き付け、アーダンは吼えた。

 王家の男子として生まれ、これまでずっと栄光に包まれた道を歩んで来たのだ。槍聖という類希なるギフトを授かり、武人としてメキメキと頭角を現し破竹の勢いで王国騎士団の軍団長にまで登り詰めた。軍団長になってからも名采配を振るい、国の将来を担う高貴な若者たちからの人望も厚く、いずれは軍務卿かとも言われていたのだ。

 と、アーダンは思い込んでいる。実際のところは大した実力もなく、貴族の子弟たちが彼にへーこらしていたのも厚遇を受け騎士団で楽をするためであり、人望があったからではない。それが証拠に、彼が軍団長の地位を剥奪されてから面会に来た者は今日これまで一人としておらず、自分の支持者だと思っていた者たちは蜘蛛の子を散らすように周りから去ってしまった。

 彼のために憤り、涙を流してくれたのは母のみだ。


「あいつだ! レオン・ムサシ・アルトゥル!」


 ドンッ!


 と拳で机を叩き、唾を飛ばしながら憎い男の名を口にする。レオン・ムサシ・アルトゥル。どんな卑怯な手を使ったのか、あの男は武術会でアーダンを破り、そのまま優勝して父である国王にアーダンの罷免を願い出たのだ。父がそんな願いを聞く訳がない、むしろ王族への不敬罪で罪に問うものと思っていたのに、実際にはその逆だった。父は終始アーダンのことを哀れむような顔をしていたが、それでもレオン・ムサシ・アルトゥルの願いを聞き入れ、そのまま罷免してしまったのだ。

 アーダンも母も涙を流して必死に訴え、考え直すよう父に迫ったが、それでも武術会優勝者の権利だとして頑として認めなかった。

 父は血迷ったか、さもなくば正気を失ってしまったのだとしか思えない。そうでなければアーダンほどの逸材を罷免する筈がないのだ。

 アーダンの頭の中ではそういうことになっているのだが、彼の能力のなさや王族であることを笠に着た不正の数々は国王も知るところ。そこへ来てブラックドラゴンの一件で明確な失態を犯し、他の軍団長五人の総意として退任を迫られ、しかも武術会優勝者の権限まで行使されれば、いくら国王でもこれは飲まなければならない。むしろ国王はギリギリまでアーダンの身を案じていた。だが、王としての責務と父親としての情との間で板挟みになり苦悩していたのだ。

 だが、そんなことは何処までも自分本位なアーダンには知る由もない。


「あの汚らわしい悪鬼がこの私をこんな目に……ッ! 許せん! 絶対に許せん!」


 立ち上がり、怒りのままに椅子を蹴り飛ばすと、アーダンは自室のドアを開き、室内とも思えぬような大きな声を上げた。


「誰ぞ! 誰ぞおらぬか! グンズを呼べ!」


 アーダンの言うグンズとは、彼が個人で囲っている騎士、グンズ・ヴァーデンシュタインのことだ。グンズはヴァーデンュタイン伯爵家の五男で冷遇されていたのだが、騎士団の同期で同じ五男だったこともあり気が合い、何より彼の授かったギフトが優れていたこともあって個人的に私兵として引き抜いたのである。


「…………若、ここに」


 足音どころか気配すら感じなかったというのに、いつの間にか、部屋の暗がりから溶け出るようにして黒ずくめの男、グンズが現れる。

 彼のギフト『透過』は己の肉体や身に着けているものを文字通り透明化し、周りの風景と同化するというもの。世間の光が当たらぬ後ろ暗い闇の中で生きるのならば、これほど有用なギフトもないだろう。


「おお、グンズ!」


 その場に片膝を突いて跪くグンズに狂気的な笑顔を向けるアーダン。


「お前に頼みたいことがあるのだ!」

「私は若の影。御望みとあらば何なりと……」

「何と頼もしい! 私が真に信頼出来るのは母上とお前だけだ!」

「勿体なき御言葉……」


 アーダンは満足そうに頷くと、話を聞かれぬよう、急いでドアを閉じる。


「………………グンズよ、一人、消してもらいたい者がいる」

「は……。して、その者とは?」

「その男の名はレオン・ムサシ・アルトゥル。下賎な平民でありながら先の武術会において卑怯な手を使い私を陥れた悪鬼だ。心してかかれ」


 小さな声で、しかし濃厚な憎しみを込めてアーダンが言う。


「御意…………」


 グンズはどういう感情も感じさせない平坦な声で答えると、そのまま溶け込むように闇の中に消えてしまった。

 厄介なことに、武蔵に暗殺者が放たれたのだ。

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