王国武術会⑥
武術会は一日で全ての試合が行われるものではなく、四日間に分けて行われる。第二試合は明日だから今日の試合を終えた選手はもう帰ってもいいのだが、武蔵は控え室に残っていた。この後の沙汰を聞くためだ。
あくまで試合上のことではあるが、武蔵は王子の顔を殴り、鼻を潰した。これまでの大会では勝つにしろ負けるにしろ相手側が上手くやったのだろうが、武蔵はそうではない。舞台上の会話とて審判や付近にいた係員には聞こえていただろう。試合内容とは別に不敬罪等の理由で罰せられ可能性もある。最悪は死刑か。
どうなるにしろ、やったことに後悔はない。これまでアーダンに諫言出来る者が誰もいなかったから、あの男はああなったのだ。何をしても自分が正しい、何をしても自分ならば許されると思い込み、下の人間を虐げることが当たり前になった。そして下の人間の苦しみに心をやることのない傲慢な人間となった。
誰かが彼に自身の過ちを理解させる必要があったが、誰もやらなかった、誰にも出来なかった、だから武蔵がやったまでのこと。
罰さば罰せ、俺はやるべきことをやったのみ。それが武蔵の心境だ。
控え室に戻って十分も経っただろうか、
「レオン!」
と駆け込んで来る者があった。アイシアだ。どうも急いで来たらしく、はあはあと息が弾んでいる。
「どうなった?」
武蔵がそう訊くと、アイシアは「え?」と首を傾げた。
「俺だ。どうなった?」
「どうなったって……二回戦進出だよ?」
何を当然のことを、とでも言うようにアイシアが答える。だが、それを聞いた武蔵は意外な答えに「んん?」と唸った。
「だって、勝ったじゃない。だから第二試合進出だよ」
「何だ、不敬罪で投獄とかではないのか?」
仮にアーダンがまだ意識を取り戻しておらずとも、取り巻き連中や観戦していた身内の王族が武蔵の身柄を取り押さえろ、処刑せと、などと言うと思っていたのに、何の咎めもないとは意外も意外。
アイシアは納得したように頷くと「大丈夫」と前置きして言葉を続けた。
「第三妃、ヴェリク軍団長のお母様はそんなこと言ってたみたいだけど、国王様が諌めてたよ。大会の運営側の人たちも満場一致でレオンの勝ちだって言ってたし」
これも意外。まさか父親である国王が武蔵を庇うとは思いもよらぬこと。もしかすると王族の威光でアーダンに好き放題させていたのは国王ではなく、その第三妃という人物なのではないかと、武蔵はそう思った。
「ほう、国王が?」
「うん。何か悲しそうな顔してたけど、別に怒ってはいなかったと思う」
「王子をぶん殴ってやったというのにな」
武蔵が言うと、アイシアがクスリと微笑する。口には出さないだけで、本心では良い気味だと思っているのではなかろうか。
アイシアや第六軍で虐げられてきた面々の鬱憤が少しでも晴れたのなら良かったと、武蔵は彼女の笑顔を見てそう思った。
「それも別に結界の首飾りが壊れてから改めて殴ったというわけではない、ということで決着しました。レオンさんは一切罰せられることなく二回戦に進出していただけますよ」
と、そこで唐突に武蔵とアイシア以外の声が控え室に届く。いつの間にそこにいたものか、入り口付近にポーラが立っていた。
「ポーラ!」
アイシアは友人の登場に嬉しそうな顔しているが、武蔵は逆に神妙な顔をしている。いつも見計らったようなタイミングで現れる彼女に並ならぬ何かを感じているからだ。
「何だ、わざわざそれを伝えに来てくれたのか?」
「ええ、勿論」
頷き、ポーラも控え室の中に入って来る。
「なあ、ポーラよ」
「はい、何でしょう?」
「お前、ユトナどのの密偵をしているだろう?」
武蔵の見立てでは、恐らく彼女は前世で言うところの乱破や素破といった忍の活動をしている筈だ。今も前触れなく唐突に現れたのは、影の者として足音を殺すのが癖になっているからだろう。
「え? そうなの?」
一年にも及ぶ友人としての付き合いがあるのに、しかしアイシアはそのことに一切気が付いていなかったようで、驚いた顔をしている。
「乙女の秘密です」
ポーラは意味深な笑みを浮かべると、右手の人差し指を唇に当ててそう言った。何ともあざとい振る舞いである。
確かにポーラも美人だとは思うが、武蔵は生来そういうことで鼻の下を伸ばしたことはない。前世の頃からそうだ。
「俺など探っても面白いものは出んぞ? ユトナどのには恩義があるから彼女の益にならぬ行動をするつもりもない」
彼女は公儀隠密というよりはユトナの子飼いといったところだろう。武蔵はそのユトナに敵対する意思はないと伝えたつもりだったのだが、彼女は何故か、もう一度意味深な笑みを浮かべた。
「面白いとおっしゃるのなら、貴方ほど面白い御方もおりませんわ」
そう言われても、武蔵にとって面白いことではない。
「ふん。まあ、いい。問題なく明日の試合にも出られるのならな」
「ええ、がんばってくださいませ。私も応援させていただきます」
「しかしあの男、アーダン・ヴェリク。奴は随分と大勢に嫌われているのだな」
仕切り直しとばかりに武蔵が言うと、ポーラは苦笑しながら頷いた。
「まあ、ああいう御方ですから」
「ん? どういうこと?」
だが、アイシアだけは武蔵の言っていることが分かっていないようで、顎に手を当てて眉間にしわを寄せている。
彼女は戦いにおいては鋭い感覚を発揮するのに、それ以外のことにはどうも勘が良くない。実にアンバランスだ。武蔵は苦笑しながらアイシアは説明してやった。
「奴は腐っても王子だ。俺が首飾りの破壊を確認してからぶん殴ったとでも言って難癖をつければ、少なくとも俺の反則負けくらいにまでは持っていけそうなものだ。実際にそうしただろう。本人が気絶したままでも周りがそう動いた筈だ。しかしその言葉が最後まで通ることはなかった。それは大会運営側に奴を嫌う者か敵対者の方が多かった、味方の方が少なかった証拠だ」
武蔵の話を聞いたアイシアは何とも言えない表情をしている。アーダンに人望がないことは理解していただろうし、嫌われていることも理解していただろうが、明確に言葉にされるとやはり第六軍所属としては思うところがあるようだ。
「軍団長……」
見ればポーラも何だかやるせない顔をしている。
「人望のない御方ですものねえ。バルバトス大公を始め、審判団の方々はいずれも高名な武人であらせられますから、ああいう御方は特に……」
嫌われると、そう明言しないのが彼女の慎みなのだろう。流石は貴族の子女である。
「自分のところの軍団長を悪く言うのも何だけど、ヴェリク軍団長って中身が空っぽというか何というか……」
対照的に、田舎育ちの平民であるアイシアははっきりと言う。武蔵としては的を射て言だと思うが、アーダン本人が聞けば激怒することだろう。
こうやって話していると、アイシアたちには悪いが、つくづく第六軍というのは不幸な集団でしかないように思えてくる。
「なあ、ポーラよ。第六軍というのは解体した方が良いのではないか? アイシアたちのように虐げられてきた者たちは他の軍団が引き取り、あの馬鹿息子に飼い慣らされていた貴族の子弟どもは放逐で良かろうよ」
無論、ポーラにそのような権限がないことは分かっているが、彼女の上にいるのはユトナだ。せめて彼女に言葉が届けばいいと思って言ったのだが、しかしポーラは神妙な様子で首を横に振った。
「今回のブラックドラゴンの一件で他の軍団長の方々も我慢の限界が来たらしく、それに近い意見も出たようですけど、簡単なことではありません」
その言葉を受け、武蔵も「そうか」と渋い顔で頷く。
「まあ、そうなのだろうな」
「いくら能力がなく嫌われていても、ヴェリク軍団長は腐っても王子ですから」
武蔵がやったことではあるが、第六軍の遠征部隊は一応ブラックドラゴンを倒したということになっている。それも最小限の被害で。もっと大きな失態を犯したのでなければ彼が罷免されるようなことはない。それこそ遠征部隊が全滅して、早急に援軍を送らなかったことでシロン村から更に被害が拡大したのでもなければ。
「せめてもっとまともな者が第六軍の軍団長になってくれれば良いのだが。言っても詮無いことか……」
言いながら、武蔵が嘆息するように鼻から息を吐くと、ポーラは三度、意味深な笑みを浮かべた。
「それ、もしかすると可能かもしれませんよ?」
「え? ウソ? 本当に?」
ここで喜んだのは、武蔵ではなくアイシアだ。何せアーダンの被害を一番に受けているのはアイシアたち第六軍の面々だ。日頃から、せめてアーダン以外の者が軍団長だったらと夢想していたのだろう。
「アイシアさん、喜び過ぎです」
「あ、つい……」
ポーラに言われて、アイシアは思わず赤面する。
ポーラは仕切り直しとばかりに咳払いしてから武蔵に向き直った。
「レオンさん、この武術会で優勝した者は、国王様に一つだけ望みを叶えてもらえるということを御存知ですか?」
「いや、知らん。そうだったのか?」
武蔵は強者と戦うことには興味があるが、それ以外のことにはとんと興味がない。大会の褒賞だの何だのはそもそも眼中にすらなかった。
国王が望みを叶えると聞いても、神でもないのに随分な大言壮語だなと思うのみだ。
「勿論、実現可能なことだけですけれどね」
武蔵の考えていることが分かったのだろう、ポーラは苦笑しながらそう言う。
「自分を国王にしろとか、不死身の身体をくれとか、そういう類の望みは駄目、ということだな。ま、当然といえば当然だが」
「ええ、そうです。過去には大金を得た方もおりますし、平民から貴族になった方もおられますが、これならば……」
その言葉の続きは、しかし武蔵が口にした。
「アーダン・ヴェリクを軍団長から降ろして、別の者を軍団長に据えることも可能か」
ポーラはその通りと頷く。
「あくまで可能性ですけれどね。国王様が頷いてくださらなければ叶わぬ望みですから」
実現可能な望みを申し出たところで、国王の意に沿わぬことであれば断られる可能性は十二分にある。何せ自分の息子を罷免しろと言われるのだから、むしろ国王が断る可能性の方が高いだろう。
だが、可能性がゼロでないのならやる価値はある。
「いや、可能性があるだけでもいい」
そこで何かに気付いたアイシアも口を開いた。
「ねえ、ポーラ? もしかしてユトナ軍団長も……」
この武術会には第三軍の代表としてユトナも出場している。ちなみに彼女は一回戦の最終試合だから勝ち進んだとしても武蔵とぶつかるのは決勝戦だ。
と、アイシアの言葉の途中でポーラが片手を上げてそれを制する。
「そこはご想像にお任せしますわ」
「むしろユトナどのだけではない、他の四軍団もアーダン・ヴェリクを降ろしにかかっているのかもしれんぞ?」
そう武蔵が言うと、ポーラは敵わないというように苦笑した。
「レオンさん、流石の勘働きですわね」
ポーラの言葉は肯定でも否定でもない、ただ単に匂わせるようなものだが、実質的には肯定だ。つまり、武蔵を含めて複数人の参加選手がアーダン降ろしのために行動しているということになる。そうなれば誰かが優勝まで辿り着くかもしれない。
「そうか、第六軍も良い方向に変わるかもしれないんだ……」
呆然とそう呟くアイシアだったが、見ればギュッと拳を握っている。きっと、武蔵やユトナたちに希望を見ているのだろう。
当初はただ単に強者と戦いたいという動機のみで参加を望んでいた武術会だが、今はそれだけではなく、アイシアたちの力になってやりたいという気持ちがある。ユトナたちが優勝しても結果は変わらないのだろうが、しかし武蔵は自分が優勝してアイシアに希望を見せてやりたいと、今ではそのように思っていた。
「俺が優勝したら、国王陛下に馬鹿息子どのを不相応な地位から降ろせと言ってやる。国王陛下がうんと言わずとも必ずそれだけは言ってやる。期待していろ、アイシア」
言いながら、武蔵がアイシアの頭を撫でる。
「レオン……」
まるで年少の子供のような扱いだったが、アイシアは嫌がる素振りもなく顔を赤らめていた。
◇
翌日の二回戦、武蔵は第二試合で第五軍の軍団長ジョイス・セゾンと戦った。
ジョイスは双剣の使い手だが、武蔵とは違い、左右で長さの違う剣ではなく、同じ作りの対になっている短剣を使った。
ジョイスのギフトが素早さが爆発的に強化される『風神の加護』だったこともあり、試合では互いに激しい打ち合いとなったが、武蔵が火ノ太刀を使いジョイスを圧倒、勝利を収めて準決勝である三回戦へと進んだ。
◇
その翌日の三回戦、武蔵は第一試合でバルバトス大公領代表のフェザント・ローデンなる青年騎士と戦ったのだが、彼は実に奇妙な男だった。
舞台上で相対するなり、フェザントは、
「君のその剣、刀だよな?」
と言い当てたのだ。
「いかにも、刀だ」
何故、このマグナガルドにはない筈の刀のことを彼が知っているのか驚きはしたが、ともかく武蔵が頷くと、フェザントは興味深げに刀を観察し始めた。
「その刀は、何処かのダンジョンで見つけたのかい?」
「いや、これは自分で打ったものだ」
武蔵がそう答えると、彼は顔を上げて驚きの表情を浮かべる。
「自分で? 本当に?」
「嘘など言わん。俺のギフトは鍛冶神の加護だからな。刀はマグナガルドにないので自分で作るしかなかった」
フェザントはしばし考え込んだ後、意を決したように口を開いた。
「…………なあ、君『地球』って分かるか?」
訊かれて、しかし武蔵は首を横に振る。
「知らん。何だ、それは?」
武蔵が前世で生きたのは江戸時代の前期、地球などという言葉は日本にはまだ広まっていない時代だ。知らなくとも無理はない。
しかしフェザントは何故か武蔵が知らんふりをしたと思ったようで、一瞬気落ちしたような顔になった後、表情を改めて苦笑した。
「あ、いや、ははは、やはり気にしないでくれ。ここはマグナガルド。もう地球じゃないんだしな。言いたくない事情もあるよな」
「ん?」
一人で何かに納得している様子のフェザントを不思議そうに見つめる武蔵。武蔵も武蔵で何故、フェザントが刀のことを知っているのか訊きたかったのだが、この分ではそれも叶わないだろう。
「よし、始めよう」
言いながらフェザントが剣を抜き、呼応するように武蔵も剣を抜くと試合は始まった。
フェザントは剣から斬撃を飛ばす『エアスラッシュ』という強力なギフトの持ち主だったのだが、武蔵はこれにも難なく勝利を収め、無事、決勝戦進出を果した次第。
試合が終わると、フェザントは、悔しがる様子もなく、
「いずれまた会おう。その時はお互い腹を割って話し合いたい。いいね?」
と言って、武蔵の返事も聞かず去って行った。
フェザント・ローデンを評するに、人物としては悪人の類ではないのだが、どうにも武蔵と噛み合わないとでも言おうか、終始思わせぶりな様子の男であったように思う。
武蔵はその日一日、ずっとフェザントのことでモヤモヤする破目になった。
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