王国武術会⑤

 武蔵待望の王国武術会はシェイとの勝負から半月後に開催された。会場は王都西部に位置する円形闘技場。石造りの巨大な闘技場は観客三万人を収容可能なほど巨大なもので、その威容はさながら要塞のようですらあった。

 その要塞のような闘技場に今日は溢れるほどの人が集まっている。武術会は国王の主催だが高貴な身分の者のみならず、広く一般にも観戦が許されたお祭りのようなものだ。

 武術会に参加する選手の数は十六人で試合はトーナメント形式、四試合勝ち抜けば優勝となる。試合では真剣が使われるが、選手には負傷しないように『結界の首飾り』という魔法のネックレスが貸し出される。これには装着した者の身体に防御の結界を張る魔法が付与されており、耐久限界を超えると砕け散って結界が解ける使用になっている。この結界の首飾りが先に壊れた方が敗北というルールだ。ちなみに首飾りが砕けた者に尚も攻撃を加えると反則負けとなる。試合順はクジで決められ、冒険者ギルドの代表選手として出場する武蔵は一回戦第三試合となった。

 シェイとの試合で武蔵の底知れぬ実力を見たダンケルが他のギルド首脳陣を半ば強行に説得し、武蔵の出場が叶った次第だ。ちなみにだが、武蔵は武術会で少なくとも三位以内に喰い込めなければギルドのために難解な依頼を回されることになっている。それがダンケルとの約束だ。

 今現在、武蔵は用意された個人用控え室で待機している。自分の順番が近くなれば、係員が呼び出しに来てくれるとのことだ。

 一回戦第一試合の出場選手は王国騎士団第二軍の軍団長ヨギト・バルマンとバルバトス大公配下の近衛騎士。試合は早くも白熱しているようで、観客たちの歓声が控え室にまで聞こえてくる。


「随分と盛り上がっているみたいだな。俺はもっとこう、厳粛な雰囲気の中でやるものとばかり思っていたのだが……」


 控え室のベンチに座ったまま、誰にともなく武蔵が言う。

 すると、


「本当に凄い盛り上がりだよね。ねえ、レオンは緊張しないの?」


 と、返す者があった。アイシアだ。

 今日は騎士団の兵士たちが会場の警備を担当しており、本来ならアイシアも警備に就かなければならないところだが、今のアイシアはユトナの預かりで任から解かれるため身体が空いている。仕事もないし武蔵が心配だからと控え室にまで押しかけてきたのだ。

 水だタオルだと、まるで付き人のように甲斐甲斐しく武蔵の世話を焼くアイシア。そんな彼女に苦笑しながら武蔵は答える。


「別に過分な緊張などせん。適度には緊張を保っているがな」

「ほんと、レオンって神経が太いっていうか、鈍感っていうか……」


 何だか失礼なことを言われているような気もするが、この程度の言葉で心が乱れる武蔵ではない。


「萎縮も興奮も剣を鈍らせる。普段通りが一番良いのだ。平静を保つことこそが剣には肝要ぞ。お前も覚えておくといい」

「何だかおじいちゃんみたいだね、レオン」


 口には出さないが、それはそうだろうと武蔵は胸中でアイシアの言葉に頷く。何せ前世の記憶を保ったまま転生したのだ、精神年齢はもう七十を超えている。


「まあ自覚はある」


 武蔵が仏頂面で言うと、アイシアはクスリと笑った。

 それからしばし無言の時間が流れる。その間も武蔵は瞑目し精神を集中させ、アイシアは落ち着かない様子で控え室から舞台の方に顔を覗かせていた。途中、観客席の方から一際大きな歓声が轟いたのだが、どうやら第一試合が終わったようだ。


「第一試合、バルバトス大公のところの人が勝ったみたいだよ」


 戻って来たアイシアがそう報告してくれるのだが、しかし武蔵には特に気になることではない。元より誰にも負けるつもりはない、相手が誰だろうと全員倒すつもりなのだから他の試合のことは関係ないのだ。


「うむ」


 素っ気なく短く答える武蔵に、アイシアは捲くし立てるように言葉を続けた。


「第二試合は第一軍の副長とスタームズ公爵領の騎士だって。ゼムス軍団長は出ないみたいだね。おじいちゃんだからかな?」

「そうかもな」


 武蔵は瞑目したままそう言う。他の組織や個人の事情にはあまり関心がないのだ。

 それからまた沈黙が流れる。その沈黙の間に一回戦第二試合が始まり、また観客たちの歓声が聞こえてくるのだが、今度はそれに混じって爆発音のようなものが聞こえてきた。どうやら第二試合の選手に魔法使いがいるようだ。

 この試合が終わればいよいよ武蔵の第三試合。武蔵は目を閉じたまま微動だにしていないのだが、アイシアがどうにも落ち着かない様子でそわそわしている。


「アイシア、別にお前が試合をするわけではない、少しは落ち着いたらどうだ?」


 武蔵が言うと、アイシアは明確に表情を曇らせて顔を俯けた。


「だって、レオンの一回戦の相手……」

「ああ、お前のところの軍団長、アーダン・ヴェリクだな」


 そう、武蔵の一回戦の相手はクジ引きの結果、アイシアが所属する王国騎士団第六軍の軍団長、アーダン・ヴェリクとなったのだ。ただ、これは武蔵の見たところ運命の悪戯などというものではなく、アーダンの作為が働いている。


「私、思うんだけど、これってヴェリク軍団長がクジ引きで細工したんじゃないかな?」


 アイシアもやはり武蔵と同じことを考えていたようで、不安げにそう言う。


「十中八九そうだろうな。大方、係員に金でも握らせたか、そもそも係員も奴の息がかかった者だったのだろうよ。先日は少しからかってやったからな。公衆の面前で、馬鹿息子どの御自らの手で俺に恥をかかせる腹積もりだろうて。くだらんことだ」


 腐ってもアーダンは王族、自国内での催しなら多少の不正も容易いことだろう。

 武蔵の言葉に頷き、不安そうな表情のままアイシアは口を開いた。


「軍団長は直情的な人だけど、でも、狡賢さにかけては騎士団でもトップだと思う。あれだけ賄賂の噂が流れていたのに、絶対に誰にも尻尾は掴ませなかったような人だから。多分なんだけど、他にも何か仕込みがあると思うんだよね……」


 確かに金や権力にもの言わせて審判なども抱き込んでいる可能性はある。腕の方は大したものではないが、油断していい相手ではない。


「まあ、十分考えられるな。だが、俺はあんな青瓢箪に負けてやるつもりはない。どんな小賢しい手を使おうが、叩き潰してやるまでよ」

「気をつけてね? 怪我したらダメだよ? 死んだら絶対に承知しないんだから」


 武蔵の手を取り、アイシアが矢継ぎ早に言う。まるで子を心配する親のようだと、武蔵は思わず苦笑してしまった。


「母上か、お前は?」

「茶化さないで。レオンは私にとって……私にとって………………」


 そこから先を言い淀むアイシアに、武蔵は思わず先を促した。


「お前にとって何だ? まさか弟だの息子だのと言うつもりじゃあるまいな? それは逆だぞ? 俺の方が兄か父親だ」


 武蔵にとってアイシアは家族も同然の存在だし同年齢だが、彼女に手ずから剣を教えたこともあり、立ち居地としては年長者のそれであると自負している。

 アイシアは何故だかガッカリしたような、それでいて微かに安堵したような表情を浮かべながら頬を膨らませた。


「もう……。とにかく、変な意地張って無茶しないでね? 危険だと思ったら迷わず降参するのよ?」

「あの傲慢な龍よりも七光りの馬鹿息子の方が強かったら考えるかもしれんが、それはないだろう。今回もせいぜい恥をかかせてやるさ」


 武蔵としては、この試合はアイシアを含め彼に軽んじられ虐げられた者たちの仇討ちだという気持ちがある。流石に殺す価値もない者を斬ったりはしないが、しかし相応の恐怖くらいは味わってもらうつもりだ。

 そんなふうに二人が話していると、係員の腕章を着けた男性が武蔵の控え室に入室して来た。


「レオン・ムサシ・アルトゥル選手、まもなく第二試合が終わりそうです。舞台までご案内いたしますのでこちらへお越しください。あ、結界の首飾りをお忘れなく」

「承知いたした」


 頷き、武蔵は横に置いてあった首飾りを首にかけてから立ち上がり、壁に立てかけておいた刀も腰に差し、先を行く係員に従い歩き出す。


「では、行ってくる」


 武蔵がアイシアに顔を向けると、彼女は力強く頷いた。


「私は客席で応援してるから」

「うむ。今日はお前たちの分まで憂さ晴らしをしてきてやる。仲間たちと客席で菓子でも食いながら見ていろ」


 アイシアの熱い視線を背中に受けながら、武蔵はアーダン・ヴェリクの端整な顔に一撃入れてやると意気込んだ。



 熱狂と興奮渦巻く闘技場の中央、円形の石舞台に歩み出る武蔵とアーダン。これより始まる第一回戦第三試合を前に、審判が実況解説者の如く選手紹介を始める。


「では第一回戦第三試合、選手紹介! まずは我らがヴェリク王国騎士団第六軍の軍団長にして第五王子、アーダン・ヴェリク選手!」


 審判の紹介に合わせてアーダンが観客たちに手を振ると、観客席の方から黄色い声援が上がった。アーダンは人間性には見どころのない男だが、顔の作りだけは良い。声を上げているのは彼の中身を知らない婦女子たちだろう。アーダンが賄賂まみれで平民の部下を奴隷扱いするような男だと知ったら、彼女たちはどう思うだろうか。

 武蔵は白けた様子でアーダンを見る。腰に細い剣を差しているのは先日と同じだが、今日は更に三叉槍を右手に持っていた。今日はどうやら槍をメインに戦うようだ。

 続いて審判が武蔵の紹介に移る。


「対するは冒険者ギルド代表、レオン・ムサシ・アルトゥル選手!」


 武蔵はアーダンのように観客に手を上げることもなく、ただ黙って佇立するのみ。観客席から上がる声は「誰だあいつ?」とか「まだガキじゃねえか」というような、武蔵が本当にこの場に立つ資格のある者なのかを疑うものばかりだ。実際に冒険者としては新米で表に出せる実績もないから仕方のないことなのだが、観客席で見守っているアイシアなどはそれが悔しくて歯がゆい思いをしていた。


「両者前へ!」


 審判が試合の邪魔にならぬよう石舞台から降り、武蔵とアーダンが僅か数歩の距離を置いて睨み合う。武蔵は無表情で、アーダンは嘲笑を浮かべながら。

 先日あれだけ恥をかいたというのに、この自信は何処から湧いてくるのだろうと武蔵が呆れていると、アーダンが高らかに喋り始めた。


「最初に言っておこう! 私のギフトは『槍聖』だ! これは槍の技に無類の冴えを発揮するもの! 剣ではなく槍こそが我が本領!」


 あの御粗末な剣が本領ではないのは結構なことだが、武蔵は槍の方にもあまり期待していない。きっと、この男の性分からしてギフトに頼った、さして研鑽も重ねていないような戦い方しかしないだろうと思っている。


「だから何です? 先日は剣で遅れを取った。これは事実、揺らぎようがない」


 武蔵が言うと、アーダンはそれを鼻で笑った。


「ハッ! だが少年! 今日は君が遅れを取る番だ! この試合が終わった時、君は必ずや私の前で無様な姿を晒すことになるだろう!」

「そうですか。まあ、せいぜい張り切ってくだされ」


 言いながら武蔵は両刀を抜き、アーダンも足を開いて腰を落とし、槍を構える。

 お互いに準備は万端。戦いの準備は整った。


「試合開始!」


 舞台下の審判が合図を出すと、係員が試合開始を告げる大太鼓を叩いた。


 ドンッ!


 と、腹の底に響くような音が鳴り、一回戦第三試合が開始される。


「レオン・ムサシ・アルトゥル、覚悟!」


 試合が始まるや否や、アーダンがいきなり仕掛けてきた。

 何の捻りもない真っ直ぐな突きが武蔵の顔面目がけて放たれる。武蔵はその突きを首を振るだけで躱したのだが、瞬間、頬に鋭い痛みが走った。


「……?」


 足を使って距離を取り、痛みが走った右頬を親指で拭ってみると、僅かに血が付着している。どうやら今の一撃が頬を掠ったようだ。

 ここで武蔵に二つの疑問が生じる。一つは完全に躱した筈の槍がどうして頬を掠ったのか。そしてもう一つは何故、傷を負ったのか、ということだ。選手には負傷を防止するために結界の首飾りが貸し出され、武蔵も当然これを装着している。だからこの身体は結界で守られている筈なのに、何故、直撃もしていないような攻撃で傷を負うのか。

 その時、武蔵はハッとアイシアの言葉を思い出す。クジの不正以外にも何か仕込みがあるのではないかという、あの言葉を。


「まさか、首飾りの魔法が発動していないのか……?」


 武蔵のその呟きが聞こえたものか、アーダンがニヤリと唇の端を吊り上げる。そして、それを見て武蔵は確信した、この首飾りはアーダンの裏工作によって結界が発動しないものになっているのだ、と。ようは見た目だけが同じレプリカを渡されたのだ。クジの係員だけではない、他の係員までもがアーダンに買収されているのだろう。


「戸惑っているようだな、レオン・ムサシ・アルトゥル! 何故、結界で守られている筈なのに傷を負ったか分からぬのだろう?」


 悪巧みが成功したのが余ほど嬉しいらしく、勝ち誇るように言うアーダンに対し、武蔵は心底阿呆らしいというように鼻から短く息を吐く。


「分かるさ。この首飾りはそもそも偽物なのだろう? 結界の首飾りが故障しているなど全く気付かなかった、などという言い訳を用意して、公衆の面前で合法的に俺を殺すつもりだったか。恐らくは槍の方にも何か仕掛けがあるのだろう?」


 そう武蔵が指摘すると、アーダンは高らかに笑い声を上げた。


「はっはっは、分かっているじゃないか! これは『風の魔槍』という、風魔法が付与された魔法の槍! 結界の首飾りと同じ製作者によって作られた、この世に二つとない天下の名槍だ! これに私の槍聖が合わさればまさに無敵!」


 風魔法が付与された魔法の槍。つまるところ魔剣の槍版といったところか。結界の首飾りもこの魔槍とやらも、現代の人間が物質に魔法の効果を付与するギフトで作ったもの、古の技法で造られた魔剣には勿論遠く及ばない。恐らくは風の刃を飛ばしたり、竜巻を発生させるほどの威力はなく、穂先に風を纏わせて、ある程度刃圏を広げる程度のもの。


「くだらんな」


 武蔵は苛立ち混じりに舌打ちする。


「金にも権力にも使い道というものがある。だが、貴殿のそれは実にくだらん。金も権力も、持つにも使うにも値せぬ愚物よ」


 金、権力、王侯貴族に与えられるこれらは無から湧き出るものではない。金は即ち税金であり、権力は即ち責任である。だからこそ、それらは正しいことに使われなければならない。それなのにこの男はどうか。金も権力も我欲のために平気で使う。

 武蔵の言葉は怒りの言葉だったが、アーダンはそれを負け惜しみのように受け取ったらしく、嘲笑を浮かべた。


「ははは、それは持たざる者の嫉妬かね? 醜いものだな!」


 勘違いも甚だしい。武蔵は仕切り直すようにふう、と息を吐くと、改まった様子で口を開いた。


「ところで貴殿、覚悟は出来ているのか?」

「何?」

「分からんか? 死ぬ覚悟だよ。貴殿は結界の首飾りに不正をすることで、この勝負を尋常の試合ではなく、相手の殺害までも含む死合に変えた。俺の命が獲れるようにな。ならば貴殿も覚悟せねばならぬ、自分の命が獲られることを」


 相手の命を奪おうとする者は、逆に自分の命が奪われることも覚悟せねばならない。それが真剣勝負の鉄則だが、そんな当たり前のことすらアーダンは分かっていないらしく、苛立たしげに「馬鹿馬鹿しい!」と吼えた。


「私の首飾りはちゃんと作動している! 死ぬのは貴様だけだ!」

「やはり分かっていないか。実に目出度い頭だな、アーダン・ヴェリク」

「あ?」

「貴殿は勝負における約束事を破った。ならば、俺も約束を守る筋合いはない」

「何だと?」

「首飾りを破壊されて結界を失った者に攻撃してはいけない、という約束をな」


 何処までも冷たい声で武蔵は答える。首飾りの破壊後にアーダンを攻撃すれば間違いなく武蔵は国によって罰されるだろう。相手を考えれば死刑は免れない。だが、そんなことは度外視してでもアーダンを殺すと、武蔵は暗にそう言っているのだ。


「く……ッ、貴様ぁ…………ッ!」


 流石に目出度い頭のアーダンでもそれは分かるらしく、彼は途端に脂汗を流し始めた。悪巧みが上手くいって浮かれていたが、考えてみれば相手は八大龍を斬った男なのだ。そんな相手がルールを無視すると言っているのだから、最早安全圏から石を投げるような気分ではいられない。


「まずはその結界の防御力がどれほどのものか見せてもらおう」


 言いながら、武蔵は両刀を鞘に収め、腰を落として右手を大刀の柄に置いた。居合いの構えだが真・二天一流ではない。むしろ、この程度の男には真・二天一流を使うまでもない、使えば流派の名折れだ。

 この馬鹿な男にも分かるよう、武蔵は構えを維持したまま明確に殺気をぶつける。するとアーダンは恐怖した様子でカチカチと歯を鳴らしながらたじろぎ、二歩、三歩と後ろに下がった。


「き……貴様が独力でブラックドラゴンを倒したなどと、そんな話はデタラメだ! 恐らくは私の部下たちが限界まで弱らせたところで、貴様がとどめを刺したというだけのことなのだ! きっとそうに違いない!」


 武蔵の殺気に慄く自分を誤魔化すよう、アーダンが空虚な言葉で喚き散らす。しかし悲しいかな、明らかに腰が引けている。


「おい、七光りの馬鹿息子。何をそうカタカタと震えているのだ? 舞台の上で小便でも漏らすつもりか?」

「ええい、黙れ下郎!」


 武蔵の安い挑発にまんまと乗せられ、アーダンが顔を真っ赤にして突進してきた。相も変わらずまた顔面狙いの突き。だが、所作は遅いし型も乱れていて、何より怒りで力が入り過ぎている。まるで素人の槍だ。

 アーダンの槍に臆することもなく大きく一歩前に踏み込みながら、武蔵は深く頭を沈めて突きをやり過ごす。そして踏み込みと同時に鯉口を切った大刀でアーダンの胴に横一閃の居合いを入れる。

 瞬間、アーダンの胸元で揺れる結界の首飾りがピカリと緑色の光を発して結界を発動、彼の身体を斬撃から守った。が、それと同時に首飾りに一筋のヒビが走る。


「ぬぁッ!」


 身体は結界により守られたがその衝撃まで相殺するものではなく、アーダンは低い呻き声を洩らしながら、たたらを踏むように後ずさった。

 アーダンが一撃入れられたことで、観客席から「きゃッ!」と悲鳴にも似た黄色い声が飛ぶ。恐らくはアーダンのファンの婦女子だろう、彼に強くて見目麗しく気高い王子という幻想を見ている彼女らにしてみれば、武蔵などは害虫もいいところだろう。

 無論、武蔵には乙女の夢を壊さない、などと言う色気はない。


「ふむ、今くらいの攻撃でこのくらいのヒビが入るのか」


 注意深く首飾りの状態を確認する武蔵。仮に風ノ太刀を放っていたとしたら、アーダンの首飾りは一撃で砕けていたことだろう。


「くそ……ッ! こんな馬鹿な…………ッ!」


 剣を入れられた部分に左掌を当てながらアーダンが歯をむき出して呻く。察するに、彼はこれまで相手の攻撃をまともに受けたことがないのだろう。何せ蝶よ花よと育てられた王子だ、訓練でも彼を打つ者などはいなかった筈だ。それでいて何をしても流石、お見事と煽てられ、国王の威光をもって騎士団の軍団長になったのに、それにすら気付かず実力で登り詰めたと勘違いしている。全くもって救いようがない。

 アーダン・ヴェリクはこれまでずっと挫折を経験してこなかった子供のような男。しかしようやく痛い目を見る日が来たのだ。武蔵という男の登場によって。


「自慢の槍聖とやらはどうした? もったいぶらず早く見せてみろ。それとも何だ、手加減でもしているのか?」


 武蔵が挑発してやると、アーダンは、


「舐めるな!」


 と、唾を飛ばしながら怒りのままに突きを繰り出してくる。


「遅い!」


 その突きを左の小刀で外側に弾き、右の大刀でがら空きの胴に突きを入れると、また首飾りにヒビが入る。


「それの何処が突きだ! 恥を知れ!」


 アーダンの突きがあまりに情けないもので、武蔵は思わず一喝してしまう。

 前世の頃には剣士だけではなく、槍を使う者たちとも戦った。特に奈良、興福寺に居を構える宝蔵院流の槍術坊主たちとは激しく鎬を削ったものだが、アーダンの槍などはそれとは比ぶるべくもない。まるで素人、下の下もいいところだ。


「ほざけ下郎が! 殺してやる!」


 アーダンは次々に突きを繰り出してくるのだが、武蔵はその悉くを小刀で捌き、一撃捌く度に大刀で一撃を入れる。そうして五回も攻撃を入れたところでアーダンの首飾りは決壊寸前までボロボロになっていた。あと一撃、剣どころか拳で突いても壊れるだろう。


「こんな……こんな馬鹿なことがあってたまるかッ!」


 目を血走らせ、肩で息をしながらアーダンが吼える。今までの相手とは違い、武蔵は彼の立場を慮ることなどない。だが、アーダンにはそれが分からず、自分の槍が全く通じないという現実を直視出来ないのだ。


「馬鹿はお前だ。そろそろ現実を見ろ。追い詰められているのはどちらだ?」

「ええい! 黙れ黙れ黙れ、黙れええええええぇーーーーーッ!」


 その端整な顔を怒りと狂気で真っ赤に染めながら、アーダンが突進して馬鹿の一つ覚えのように槍を突き出してくる。


「ふん!」


 大刀を両手で握り、突き出された槍に上段から存分に力の乗った一撃を叩き込む。

 その瞬間、アーダン自慢の風の魔槍、その刃が柄の部分から切断され、宙を舞った。


「な……あ…………ッ!」


 驚愕に目を見開いたまま、宙を飛ぶ槍刃を見つめるアーダン。

 武蔵は大刀を鞘に収めながら、そういうアーダンに声をかける。


「国王の威光で実力もないのに軍団長という地位に納まり、立場を利用してまいないを受け取り、まいないを収めぬ者を冷遇する。武の研鑽はせぬくせに、狡猾にもまいないの証拠だけは念入りに消す。そして短慮の果てに冷遇していた部下たちを死地に置き去りにして助けようともせなんだ。それが貴様という男だ、アーダン・ヴェリク」


 諌める者など周りに全くおらず、己の所業を理解していないアーダンに対し、武蔵は一切の遠慮なく言う。彼に虐げられてきた者たちのために、見捨てられて死んでしまった者たちのために、何よりアイシアのために。

 だが、その言葉がアーダンに届くことはない。


「うるさい! うるさい! うるさい! 貴様如き、貴様如きいいいぃッ!」


 この追い詰められた現実の全てを拒絶するように喚き散らしながら、穂先を失った槍の柄を投げ捨て、腰の剣に手をかけるアーダン。ギフトによって実力が底上げされた槍ですら全く通じなかったというのに、今さら剣を抜いて何が出来るというのか。

 武蔵は素早く相手に詰め寄ると、左手をアーダンの剣の柄に置き、剣が抜けないようにする。


「ええい、何をするか! 放せ無礼者! この私を何と心得る! ヴェリク王国第五王子アーダン・ヴェリ……」


 尚も喚くアーダンの言葉を遮るよう、武蔵は、


「この愚か者めがッ!」


 と吼え、右の拳で思い切りアーダンの顔面を殴った。その一撃で遂に結界の首飾りが砕け散り、アーダンの身体を守る結界が消え去る。だが、武蔵はそれでも拳を引かず、勢いのまま全力で殴り抜けた。


「ぶげえええええァーーーーーーーーッ!」


 顔の中心に武蔵の拳がめり込み、スラリとした鼻梁を潰されたアーダンが盛大に鼻血を噴き、豚の鳴き声のような悲鳴を上げながらすっ飛んでゆく。

 観客席から悲鳴が上がり、貴賓席の王侯貴族や係員たちがザワつき始める。

 舞台上で無様に転がるアーダンは気絶したままピクピクと身体を痙攣させており、立ち上がる様子がない。完全に武蔵の勝ちだ。

 だが、審判が完全に硬直しており、武蔵の勝ち名乗りを上げようとしない。

 例え試合であろうと王侯貴族に傷をつけてはならないという暗黙のルールを無視したものの、しかし武蔵は試合そのもののルールは破っていない。最後の一撃とて首飾りが破壊されてから改めて加えたものではない。あくまで首飾りを破壊した攻撃をそのまま振り抜いたというだけ。

 誰憚ることはない、武蔵はルールに則って勝利を収めた。審判が勝ち名乗りを上げなくても別に良い。勝敗は舞台上の有り様が物語っている。

 武蔵は静かに舞台を下りると、そのまま控え室に戻って行った。

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