王国武術会④

 王都の冒険者ギルドは独自に宿泊施設を有しており、それを冒険者たちに格安で貸し出している。その宿泊施設には中々に広い修練場が併設されており、冒険者がそこで戦闘訓練が出来るようになっていた。

 ユトナの紹介でシェイに会った二日後、武蔵は彼に呼び出されてその修練場に足を運んだ。

 早朝とはまではいかないまでも、それなりに早い時間だ、朝食後の腹ごなしに身体を動かそうという冒険者がいそうなものだと思っていたのに、修練場にはたった二人の男しかいなかった。一人は当然シェイ、そしてもう一人は武蔵の知らぬ男だ。年齢は五十代くらいか、中肉中背でスキンヘッド、口髭をもっさりと蓄えており、左目に眼帯をしている。


「おはようございます」


 武蔵が慇懃に挨拶をすると、シェイは鷹揚に片手を上げ、


「おう。おはようさん」


 と返す。だが、隣のスキンヘッドの眼帯男は無言だ。しかも心なしか不機嫌そうな表情をしている。もしかするとシェイに無理やり連れて来られたのかもしれない。

 シェイから呼び出しを受けた時、冒険者ギルドの上層部と話がついたと聞かされていたのだが、きっと彼がその上層部の人間なのだろう。


「この海賊っぽいハゲ、王都のギルドマスターな。ダンケル・クーガーっつうんだ」


 シェイは隣に佇むダンケルを指差して言った。

 王都のギルドマスター。それはつまり、彼がこのヴェリク王国の冒険者ギルドのトップであるということだ。

 冒険者ギルドという人気の荒い場所で長を務めている人間だから、武蔵も畏まった恰好をしているとは思っていなかったが、なるほど、確かにシェイの言うように海賊と言われた方が納得出来るような風貌をしている。

 ダンケルはその海賊面で不機嫌そうに口を開く。


「……シェイよう」

「あん?」

「俺ぁよう、他ならぬおめぇさんの頼みだからこうして忙しいのに時間作って来てやったけどよう、こいつぁどうも…………」


 と、ダンケルは片手で顎ひげをしごきながら武蔵に顔を向けた。どうも、武蔵の実力を推し測っているような、値踏みするような目だ。視線に一切の遠慮がない。


「何だよ、随分と含みのある言い方だな?」


 言いながら、シェイがダンケルの脇腹を肘で小突く。それに対してダンケルは抗議するように声を上げた。


「おめぇさんの代わりにこのボウズを冒険者ギルド代表として武術会に出すなんてなぁ、どう考えてもあり得ねぇだろ? やる気のねぇ人選だと他所にナメられちまわぁ」

「だから、こいつは強いんだって」


 そう言うシェイには耳を貸さず、ダンケルは武蔵に向き直る。


「おめぇ、今のランクは?」

「Eですが」


 武蔵が答えると、ダンケルは鼻から短く息を吐き、再びシェイに顔を向けた。


「ほらな?」


 それに対し、シェイはけっ、と舌打ちを返す。


「ほらな? じゃねーよ! だから昨日も言ったじゃねえかよ、こいつはすげぇ新人なんだってよ。だから俺が直々に相手して実力を測るんだろうが」

「おめぇさんの酔狂にゃあこれまでも何度か付き合ったがよ、今回はどうも無駄骨食わされそうで気乗りがしねぇんだよなあ。ユトナ軍団長たっての推薦だっつっても、疑わしいもんだぜ、こいつぁよ……」


 その話ぶりから察するに、例のドラゴン討伐の件はダンケルに秘されているのだろう。騎士団との取り決めだからしょうがないことだが、どうもユトナの名前やシェイの口利きだけでは決め手に欠けるらしい。


「本人を前に失礼だねえ、お前も」


 ダンケルの口の悪さにシェイが呆れた顔で溜息をつく。だが、ダンケルもダンケルでやはり呆れたような顔をしている。


「人のことが言えた義理か? それに、俺みてぇなもんに礼儀を求めんじゃねえや」


 お互いに気質としては無礼講上等の無頼漢。つまり似た者同士。シェイは苦笑しながらその場で屈伸し始めた。


「あいあい。つーわけで、早速始めるか?」


 始めるとは、無論、試合のことだ。冒険者ギルドの人間の前でシェイと戦い、武蔵の実力を示す。二日前から決めていたことだ。屈伸の次は腕を伸ばし、腰を捻る。シェイは入念に準備運動しながら武蔵に促す。


「本当にやるのですか?」


 武蔵が確認すると、シェイは勿論だと頷いた。


「当たり前だろ? それに俺もちょっと意地になっててな。お前の実力を見せ付けて、このハゲをびっくりさせてやりてえ」

「ハゲハゲ言うな! お前の方が失礼じゃねえか!」


 ダンケルは怒ってシェイに拳を振るうのだが、しかしシェイはその場から一歩も動かず首を振るだけでパンチを躱して見せる。

 ひとしきり準備運動を終えてから、シェイは改まった様子で武蔵に向き直った。その顔からは油断と言おうか、気の抜けた様子がなくなり、心なし引き締まって見える。


「やる前に言っておくが、俺のギフトは単純なもんで『身体能力強化』だ。常人よりも力強く素早く動けてタフだ。お前は?」


 戦う前に互いのギフトを教え合うのがマグナガルドにおける礼儀なのだろうか、シェイが惜し気もなく自分のギフトについて説明する。


「俺のギフトは鍛冶神の加護です。鍛冶仕事に無類の器用さを発揮するものでして、この腰の剣も自分で打った次第」


 武蔵のギフトは直接的に戦いに効果のあるものではないから教える必要もないのだが、礼儀や作法の類ならばとシェイにもそれを伝えた。


「えッ!」


 だが、武蔵のギフトを聞いたシェイは意外とばかりに驚きの声を洩らし、ダンケルはそんな彼を半眼で睨んだ。


「おーい、シェイ……?」


 きっとシェイはブラックドラゴンを斬ったという武蔵が、とんでもなく強力なギフトを所持していると勘違いしていたのだろう。

 まるでアテが外れたとでもいうように、シェイは途端に取り繕ったような、ぎこちない笑みを浮かべた。


「ま……まあ、戦闘向きのギフトがなくても剣は握れるし、人もぶん殴れる。ギルドにも騎士団にも戦闘向きじゃないギフトの奴なんていっぱいいるじゃねーか。な?」


 シェイの言葉に、ダンケルがふん、と鼻を鳴らす。


「…………もしもこれがただの茶番でしかなかったら、お前、ギルドのために一回タダ働きしてもらうからな? ダンジョン調査みてぇなキツい依頼が溜まってんだ」

「分かってら。てめぇのケツはてめぇで拭く。人に拭いてもらうほど耄碌してねえ」

「ならいいだろう。こっちもそれなら文句はねえ。納得いくまでやれ」


 そう言うダンケルにひらひらと手を振り、シェイは武蔵と相対するように前へ出た。


「よし、そんじゃあ早速やるか」


 言い終わるや、シェイが拳を固めて構えを作る。右腕を引いて顎のあたりに、左腕は少し前に出して胸の位置。足では常に小刻みなステップを踏む。どうやらシェイは武器を用いず徒手空拳で戦うようだ。


「では……」


 少し距離を取り、武蔵も両刀を抜く。

 武蔵にとってシェイは思いがけず戦うことになった相手だが、しかしこれは僥倖なことだと思っている。何せ相手はS級冒険者。歴史に名を残すとまで言われる存在だ。そんな好敵手は得難いもの。ユトナは勿論のこと、アイシアやポーラといった、この好機をもたらしてくれた全ての人間に感謝せねばならない。


「真・二天一流、林ノ太刀……」


 緩く脚を開き、受けの形を作る。後の先を狙う林ノ太刀を選んだのはシェイの攻撃を見てみたいという危険な好奇心が働いたからだ。

 武蔵の構えを見た瞬間、ダンケルが目を見開いてゴクリと息を呑む。彼も長らくギルドの長を務める男、その目は決して節穴ではない。年齢に似つかわしくないその練り上げられた佇まいを見て、武蔵がただのE級冒険者ではないと理解したのだろう。


「なるほど、確かに凄まじいな。相手にとって不足はねえ!」


 そう言ってシェイが不敵な笑みを浮かべた瞬間、彼の足元で地面が爆ぜた。

 文字通りの爆速、瞬きをするよりも速く眼前に詰め寄ってきたシェイが、両の拳で武蔵にジャブのラッシュを浴びせる。


「シイイイイイィィィィッ!」


 切れるように鋭い呼気を洩らしながら放たれる目にも留まらぬ突き。常人ならば一撃受けただけでも骨が砕かれるだろう。だが、その乱打を武蔵は一撃も受けることなく両の刀で全て捌く。


「椋鳥」


 真・二天一流、林ノ太刀、椋鳥。相手の連続攻撃を剣の切っ先で流しつつ、返す刀で斬り付ける技。なのだが、相手もさるもの。シェイの突きは押し出す速度よりも、むしろ腕を引く時の方が速いのだ。攻撃は捌けるのだが、返す刀が空を切る。


「シャッ!」


 両の拳で激しい乱打を繰り出しながら、シェイが間隙を縫うように右の前蹴りを放つ。


「ぬん!」


 武蔵は半身でそれを回避すると、半歩を踏み込むことで拳の間合いを潰し、勢いのまま肩を入れてシェイを強引に突き飛ばした。

 胸元で腕を交差させ、シェイが武蔵のタックルを防御する。だが、その衝撃までも防げるものではなく、五、六歩ほどたたらを踏んで後退してしまった。


「つうッ! 痺れるなあ、おい!」


 額を冷や汗でじっとりと濡らながら、シェイが苦笑する。今の一秒にも満たぬ短い時間で実感したのだ、武蔵が尋常ならざる遣い手であると。

 そしてそれを見ていたダンケルも驚愕していた。無名のE級冒険者である筈の武蔵が、S級冒険者のシェイと互角以上に戦っていることに。


「い、一体、何者なんだ、この小僧は……?」


 しかしそれに答える者はいない。武蔵もシェイも真剣そのもの、ダンケルの疑問に答えてやる暇などない。

 ジンジンと痺れる腕で無理やり拳を作りながらシェイは意識を改める。目の前にいるのは自分と同格かそれより上の強者、試すなどというおこがましい考えは捨てるべきだ。

 両拳を上げて顔の位置で構え、ステップは止めて心なし右膝を前に出す。拳打だけではない、蹴りを主眼に置いた構えだ。

 対する武蔵は、シェイから見ても異様な構えを取っている。右手に持った大刀を上段に上げ、左手に持った小刀は水平に寝かせて右脇のあたりに刃の峰を添える。


「真・二天一流、山ノ太刀……」


 全てを切断する剛剣、山ノ太刀。傍目からも分かるほど武蔵の両腕の筋肉が隆起し、血管が浮き出る。

 まるで周囲の熱が全て武蔵の剣に吸い取られているように、シェイの視界の中でその姿がゆらゆらと揺れていた。あれに近付くのは危険だとシェイの本能が訴えている。刃圏に入れば命はないと。だが、近付かなければ勝機はない。ならばどうすべきか。強引にでも接近する隙を作らなければ。


「シッ!」


 シェイは咄嗟の気転で足元に転がる石を武蔵に向かって蹴り飛ばした。そして、それと同時に武蔵に接近する。欠片ほどでも隙を作れば、そこから風穴をこじ開けて一撃叩き込むことが出来るだろう。

 だが、武蔵はその石を叩き落すでも避けるでもなく、あえて受けた。瞬きすらせずシェイの動きを見つめたままの武蔵、その額に石がぶつかる。だが、額から血が出てもやはり瞬きはしない。隙など与えてやらない。

 石が飛ぶのと同時に接近して来ていたシェイだったが、武蔵に対し一分の隙も作れなかったことに動揺して思わず足を止めてしまったのだが、これが結果的に彼を救った。


「十断!」


 瞬間、シェイが足を止めたその数ミリ先に、武蔵の二刀による十字の斬撃が放たれ、地面に巨大な十文字を刻み込んだ。


「うおぁッ!」


 王都最強、全ての冒険者たちの頂点に立つS級冒険者シェイの口から悲鳴にも似た声が洩れた。彼は慌ててその場から後方に飛び退き空中でクルリと一回点してから着地する。

 武蔵はその一瞬の隙ですら逃さない。


「真・二天一流、風ノ太刀、閃風!」


 体勢の整わぬシェイに殺到、神速の居合いが彼を襲う。

 しかしながらシェイもさるもの、神技的なボディバランスで上体を後方に仰け反らせて閃光のような刃をやり過ごす。鼻先を掠めるように擦過してゆく武蔵の白刃。その刀身に映るシェイの顔が冷や汗でずぶ濡れになっていた。

 どうにかやり過ごしたと、シェイが思った次の瞬間である、右の脇腹に何か冷たいものがヒタリと当たっていた。見れば、大刀の影で放たれていた小刀の峰がシェイの脇に添えられている。まるで、峰を返せばその命取れたと言わんばかりに。


「………………見事だ」


 苦笑しながらシェイが言った。

 確かにこれは真剣勝負だが、殺し合いではない。武蔵はあえて刃ではなく峰を当てることで自身が生殺与奪の権を握ったことを示したのだ。

 お互いに数歩下がって礼を交わし、勝負は終了とする。

 勝負が終わった途端、シェイは破顔してその場に座り込んだ。


「いやあ、負けた負けた。完敗だ」


 クセ毛の頭をゴリゴリと掻きながら大きく息を吐くシェイ。しかしその顔には一切の悔しさがなく、むしろ清々しささえ感じる。

 勝負が終わればお互いに恨みっこなし。言うは易いが実践するのは難しい。シェイがそれを出来るのはひとえに彼の人間力の賜物だろう。


「ご謙遜を。まだ全力を出しておられなかったでしょう?」


 武蔵が指摘すると、シェイは苦笑しながら立ち上がった。


「そりゃお互い様だ。お前もまだ出してないもん、あんだろ?」

「ま、それは……」


 お互いに手を抜いていた訳ではないが、お互いに手の内全てを晒した訳でもない。武蔵もシェイも、まだ見せていない技があるし、隠しておいた力もある。仮にこれが殺し合いであったのなら双方もっと別の戦い方をしていたことだろう。

 シェイは満足そうに頷くと、武蔵の肩をパンパンと叩いた。


「いや、流石はドラゴンを斬った男だ。半端じゃねえ。普通の奴は冒険者として経験を積む中で強くなってくもんだが、お前は別格だな。S級より強くてドラゴンも殺せるE級冒険者なんてこれまで見たこともねえ」

「単純に、修行して腕を磨いてから冒険者になったまでのことです」


 武蔵のその答えが謙遜と取られたのだろう、シェイの顔が途端に渋面になる。


「生涯修行し続けたところでドラゴンを殺せる人間なんてのはほんの一握りだ。あのユトナでさえ二十代の終わり頃まで鍛錬を続けてようやくドラゴンを斬るまでになったんだ。それをお前はギフトの補助もなく、しかもまだ十代のうちにってんだからな。規格外が過ぎる。まるで神話に出て来る、異世界から来た勇者みてぇだ」


 魔王を倒した勇者の昔話は武蔵も知っているが、どうも武蔵という例があるだけに、その勇者とやらも転生してこのマグナガルドにやって来たのではないかと思えてならない。


「きっと勇者には異世界とやらで積んだ経験があったのでしょう。だから強かった。俺はまだまだ未熟者。まだまだ勇者には遠く及ばぬ筈です」

「そのまだまだ勇者に及ばない、自分の子と同じくらいの小僧にやられるんだから、S級冒険者なんてのは案外ショボいもんだよな」


 言いながら、シェイがショボンと肩を落とす。その姿が何だか飲み屋の隅でショボくれている酔客のように見えて、武蔵は何だか可笑しかった。


「いえいえ。S級冒険者の技、しかと見させていただきました。何の武器も持たずあれだけ戦える人間がいるということに驚いております。柔ではない拳足の技が目に新しゅうございました。俺が斬ったあの龍などよりも余ほどお強い。戦えて良かった」


 ドラゴンとは生まれついての強者。だから持ち前の力でゴリ押しする戦い方しかせず、技を磨くことはない。つまり、強者ではあっても武芸者ではないのだ。武蔵としてはシェイのように武芸者として己の技を磨いた者の方が好敵手としての魅力を感じる。

 武蔵の言葉で若干ながら気を取り直したシェイが、こそばゆそうに鼻を擦った。


「ドラゴン殺しにそう言ってもらえるとは光栄だね」

「よしてくだされ。ドラゴン殺しなどと呼ばれても嬉しいものではありません」

「ユトナもそう言ってたな。どうしてだよ、カッコイイのに」

「チャンバラごっこをしている子供ではないのですから」


 そう武蔵が言ったところで、二人は声を揃えて笑い合う。

 やがて、ひとしきり笑い合ったところで、シェイはおもむろにダンケルに向き直った。


「おい、ところでどうだった、ハゲ海賊? こいつ、俺より強かったろ? 冒険者ギルドの代表選手はこいつでいいよな?」


 眼前で繰り広げられた凄まじい勝負、そして王都が擁するS級冒険者の敗北、それらのことに茫然自失となり、声すら失って置き物のように突っ立っていたダンケルが、そこでようやく我に返る。


「あ、ああ………………」


 搾り出すような声で頷くダンケル。


「シェイ、お前……こんな怪物、どっから見つけてきた?」

「あ? あー、まあ、嫁さんがな」

「ユトナ軍団長が?」

「ああ。あいつ、俺がダンジョンで見つけてくるもんよりもずっと上モノを見つけてきやがった。流石、俺の嫁さんだよな」


 そう言って笑うシェイのことを、ダンケルは呆気に取られた様子で見つめていた。

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