王国武術会③

 フォリン家の居間で武蔵がユトナに出された茶を飲んで待っていると、不意に部屋のドアが荒々しく開かれた。


「ユトナ、何だ?」


 そう言って現れたのは、実に野性味溢れる姿をした四十絡みの大男だ。顔は髭面、腰の近くまで伸びた癖の強い黒髪を後ろに流し、熊のものと思しき毛皮のベストから丸太のように太く筋肉の詰まった腕が伸びている。

 王都の冒険者ギルドで唯一のS級冒険者、シェイ・イェン・フォリン。元は騎士団所属でユトナの同期だが、ある時、酒席でユトナのことを侮辱した上司を殴り退団、冒険者に転職して大成したという経歴の持ち主だ。

 彼を待っている間、武蔵はシェイ・イェン・フォリンという人物のことをユトナから聞かされていたのだが、随分と豪気な人物だという印象を受けた。


「シェイ、座ってくれ」


 武蔵の対面に座るユトナが自分の隣を指す。シェイは武蔵のことをチラリと一瞥してから彼女の隣に腰かけた。


「んで、誰だ、この小僧?」


 ソファにどっかりと座り、顎をしゃくって武蔵を指すシェイ。


「彼は……」


 ユトナが言うのに先んじて武蔵は口を開いた。


「お初にお目にかかる。レオン・ムサシ・アルトゥルと申します。貴方と同じく冒険者をしております」


 武蔵が慇懃に頭を下げると、シェイも緩慢な動作で頷く。


「ん。シェイ・イェン・フォリンだ。俺も冒険者だが、ここいらじゃ見ねえ顔だな?」

「王都に来たのも、冒険者ギルドに登録したのもつい最近のことです故」

「そうか、新顔か。まあ励みな」

「は。恐縮です」

「で?」


 そう返され、しかし何のことだか分からず、武蔵は思わず、


「え?」


 と、間抜けな声を出してしまった。

 それを見たシェイが思わずといった感じで苦笑する。


「何か俺に用があんだろ? ペーペーの冒険者がどうやって騎士団の軍団長であるユトナにまで辿り着いたか知らねえが、じゃなきゃわざわざ家まで訪ねて来ねえだろ?」

「は、左様で……」

「ユトナが俺にまで取り次ぐくらいだ、人物についちゃ保証出来るんだろうが、しかしお前一体何者なんだ?」

「いや、ですから先ほど冒険者だと……」


 武蔵の言葉の途中で、しかしシェイが片手を上げてそれを制し、大袈裟に首を横に振って見せた。


「そうじゃねえ、そうじゃねえ。いいか? 俺はS級冒険者だから会いたいって言う奴は結構いる。ユトナに取り次いでくれって頼む権力者なんかもいるんだよ」


 そういう事情については武蔵にも分かる。前世の頃、武蔵も下心を持って近付いて来る輩には辟易していた。だからこそ、せめて老後くらいは静かに暮そうと、世俗と係わりを断つように熊本の奥地に引っ込んだのだ。

 武蔵が同意するように頷くと、シェイも頷きを返して言葉を続ける。


「でも、ユトナはほとんどの場合、断る。権力だの金だのをひけらかしながら会わせろなんて言ってくる奴は、ろくでもねえのばっかりだからな。そういうのと下手に関係を持つと後々自分が痛い目を見る」


 そこまで話すと、シェイは改まった様子でずい、と身を乗り出し、武蔵のことを真正面から見据えた。


「で、お前だ。お前、別に貴族とか大金持ちの息子とかじゃねえだろ?」


 見れば分かるだろ、などとは返さず、武蔵はその言葉に頷く。


「田舎の狩人の息子です」

「だろ? そんなもんだろ? しかも冒険者としてもペーペーときたもんだ。そんなのを何でユトナがわざわざ俺に会わせようとするんだ?」


 特に何か大きな後ろ盾がある訳でもなく、大人物である訳でもない。そんな人間のためにどうしてユトナが仲立ちを務めるのかと、そうシェイは疑問を抱いている。武蔵の事情を知らないのなら当然のことだ。


「ああ、そういうことですか」


 武蔵は説明しようと思ったのだが、それより先んじてユトナが口を開いた。


「彼には恩があるんだ」

「恩? お前が?」

「私というか、騎士団そのものが、だ」

「あん?」


 頭上に疑問符を浮かべるシェイに、ユトナが苦笑を浮かべる。


「頼み込んで彼の手柄を譲ってもらったのだよ」

「手柄? 手柄って何だよ?」

「八大龍、ブラックドラゴンの討伐」


 ユトナが告げると、シェイは驚愕のあまり目を見開いた。


「何ッ! 八大龍だと!」


 単独で国すらも滅ぼすとされる魔物、ドラゴンの頂点に君臨する八大龍。古の勇者が三体ほど倒したという伝説は残っているが、それ以降、八大龍が一体でも倒されたという記録は残っていない。八大龍より下位の十二蛮龍ですら、前回の討伐から実に百年ぶりにユトナが倒したのだ。

 シェイは冗談だろとでも言うように妻の顔を見たが、しかしユトナは大真面目に頷く。


「そうだ。冒険者ギルドの方にも、もう噂くらいは行ってたんじゃないか?」


 ブラックドラゴンのことはまだ公表されていない、騎士団内部だけのことではあったものの、人の口に戸は立てられない。それに冒険者ギルドは独自の情報網を持っている。騎士団の人間ならば一般の兵士でも知っているようなことは筒抜けだろう。


「確か、シロン村だとかいう僻地の寒村がドラゴンに襲われてるってやつか。噂が本当ならギルドの方にも仕事が回ってくるんじゃねえかって話だったが……」


 シェイはその続きを言うことなく武蔵を見た。本当にこいつがドラゴンを倒したのだろうかという懐疑的な目だ。

 武蔵は特に悪いこともしていないし、嘘もついていない。だが、それでも疑いの目を向けられるのは良い気分がしないものだ。どうにも居心地が悪い。

 そういう武蔵に気を使ってものか、ユトナは夫の目を自分に向けるよう口を開く。


「その仕事が冒険者ギルドに回ることは絶対にない。何故なら、第六軍の遠征部隊を散々に弄んだブラックドラゴンを彼が一人で討伐し、その手柄を騎士団の面子のために譲ってもらったからだ。情けないことだがな」

「本当にこんな、うちのタックと大して歳も変わんねえような小僧が、一人で八大龍の一角を殺ったってのかよ?」


 ふうむ、と唸りながら、シェイは値踏みするような目を武蔵に向ける。恐らくは話の真偽を計りかねているのだろう。疑り深い夫を納得させるよう、ユトナはそうだと頷く。


「目撃者も大勢いる。何せ、第六軍の遠征部隊の目の前で倒したのだからな」


 武蔵が武術会に参加するために王都を訪れたこと、アイシアの窮地を救うためにブラックドラゴンを倒したこと、その功績を騎士団に譲る代わりに武術会の参加枠を譲ってくれそうなシェイを紹介したこと。ユトナが仔細を話して聞かせると、シェイはようやく納得したというように深く頷いた。


「…………なるほどな。つーことはあれだ、ブラックドラゴン討伐の手柄と俺の武術会参加枠を交換してくれと、そういうことか?」

「そうだ。彼も冒険者だし、実力も証明されているようなものだ。お前の代わりに出場しても無様なことにはならない筈だ」


 ユトナにそう言われて、シェイはふむ、と鼻を鳴らす。意外なことに、別に参加枠の譲渡を渋っているような様子はない。


「まあ、俺個人としてはいいんだけどよ。俺も別に出たくて出るわけじゃねえし。ギルドの権威だとか正直知ったこっちゃねえし。武術会当日にたまたま予定が空いてたから出場が決まったんだしな」

「じゃあ……」


 と、ユトナがその先を口にする前にシェイが割って入る。


「でもよ、ギルドの上層部は納得しねえんじゃねえかな? ポッと出の、公式には何の実績もない新人が組織の面子を示す大会に出るってのはよ」

「まあ、それはそうですな」


 武蔵が頷くと、シェイも頷いた。

 ドラゴンを倒したのは非公式。今の武蔵は何の実績もないE級冒険者でしかない。そんな人間が武術会に出るというのは不自然だ。むしろ難色を示されて当然だろう。普通ならば門前払いされる案件でしかない。

 だが、シェイには何か妙案があるようで、彼は眼前で人差し指を立てると、ニィッ、と不敵な笑みを浮かべた。


「だから証明する必要がある」

「証明ですか?」

「おうよ。お前が冒険者ギルドの代表として武術会に出場するのに相応しい実力があると証明するんだ。ギルドのお偉いさんたちの前で、この俺と戦ってな」


 言いながら、シェイは己の拳と拳をガシガシと叩き合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る