王国武術会②

 各軍団長には騎士団本部内に私室が一つ与えられる。武蔵とアイシアは第三軍の軍団長ユトナ・フォリンの私室に招かれ、応接用のソファに並んで腰かけた。対面にはテーブルを挟んでユトナが座っている。余人は排し室内には三人だけ。

 武蔵は特に雑談で時間を潰そうとも思っていないので、早速本題に入った。


「俺から頼みたいことは一つ。アイシアを貴女の庇護下に置いてもらいたい」


 テーブル上に手を突いて頭を下げる武蔵。それを見たアイシアは驚いた顔で武蔵を見たが、ユトナは最初から武蔵の頼みが分かっていたので当然とばかりに頷く。


「了承した。アイシア・スタンツは我が第三軍がその身柄を保証する。アーダン・ヴェリクには一切手出しさせないと誓おう」

「感謝致します」


 ここまで二人の会話を聞いたことで、アイシアは今初めて、自分がアーダンによって害されるかもしれないということに思い至った。そして、二人が自分を護ろうとしてくれていることにも。


「レオン、ユトナ軍団長、私…………」


 アイシアが何とも言えない悔しそうな悲しそうな表情を浮かべる。二人の気持ちは非常にありがたいのだが、人々を護るために騎士団に入った筈なのに、アイシアはこの期に及んでまだ人に護られている自分のことが情けなかった。


「そんな顔をするな。俺があの阿呆をおちょくり過ぎたのがいけなかったのだ」

「私たちも良い気味だと思って止めなかったしな」


 武蔵とユトナが口を揃えて言う。アイシアはそれでも悲しそうな顔のままだったが、ともかく頷いてくれた。

 仕切り直しとばかりにユトナが武蔵に向き直る。


「我々騎士団からも君にお願いしたいことが一つ。ただし非常に言い難い、とても厚かましいお願いなのだが……」


 言いながら、ユトナの顔がどんどん曇ってゆく。彼女の言いたいことが分かるだけに、武蔵は思わず苦笑してしまった。


「龍殺しの功績を騎士団に譲れ、と言うのでしょう?」


 武蔵がズバリ言い当てると、ユトナは苦虫を噛み潰したような渋面になる。本来その言葉を受ける側の武蔵が気軽に言って、言う側のユトナが心底悔しそうにしているのだから奇妙なことだ。


「……そうだ。真実が露見していない今のうちに、ブラックドラゴンを倒したのは我々王国騎士団だということにしてほしい」


 これに一番驚いたのは武蔵ではなくアイシアであった。


「えッ! ど、どうしてですか? だって私たち遠征部隊を助けてくれたのはレオンで、それはレオンがドラゴンを倒してくれたからで……」


 アイシアの無垢な疑問に、ユトナの顔がますます曇る。言い難そうな彼女に代わり、武蔵がその疑問に答える。


「組織の面子、というやつだろうな。仮にも王国騎士団の遠征部隊が、まさか何処の馬の骨とも知れん青二才に遅れを取ることなどあってはならない。それでは組織としての示しがつかない。そんなところでしょう?

 武蔵が顔を向けると、ユトナは溜息をつきながら頷いた。


「そうだな、そうなる。情けないことだが」

「そんな……」


 綺麗事ではない大人の事情を見たと、アイシアはそう思って声を失う。自分があれだけ憧れていた騎士団の内情に少なからず黒い部分があったことがショックだったのだ。

 ユトナとてこんなことを言うのは心苦しいだろう。だが、これは騎士団の総意であり、交渉役はユトナが任されているのだ。責任ある立場にいる者として、その責任は果さなければならない。

 武蔵に対して深く頭を下げると、ユトナは改まった表情で顔を上げてこう切り出した。


「その代わりと言っては何だが、ブラックドラゴンの討伐報酬は我々騎士団が出す。勿論たっぷりと色を付けてな。大金貨五十枚でどうだろうか?」


 武蔵の感覚では、おおよそ金貨一枚が小判一枚、大金貨一枚が大判一枚の価値だと思っている。その大判と同等の価値がある大金貨が五十枚。分かり易く現在の日本円に換算すると約五千万円の大金だ。


「大金貨五十枚! す、凄い大金だよ、レオン! 一生遊んで暮せるようなお金だよ!」


 庶民では一生お目にかかれないだろう大金を提示されたもので、自分が受領する訳でもないのにアイシアが驚愕の声を上げた。

 だが、武蔵はその提案にあえて首を横に振る。金額が少な過ぎるというのではない、逆に多過ぎるのだ。


「いえ、金子は冒険者ギルドの報奨金と同額で結構。金というものは、これもまた魔性のものです。持ち過ぎることで我が身の危険を招くこともある」


 はっきりとそう告げる武蔵にアイシアは正気を疑うような目を向けてきたが、それは無視して武蔵は言葉を続ける。


「金子で懐がパンパンに膨れた状態では歩くのも辛いでしょうから」

「欲がないことだが、しかし本当にいいのか?」

「身に余る金子は結構。かさばるだけなら旅の邪魔です」


 アイシアが小声で「もったいない……」などと呟いているが、やはり無視する。武蔵は金持ちになりたくて剣を振っているのではない。必要最低限あればいいのだ。

 金銭に対して簡潔な価値観を持つ武蔵に好感を持ったのだろう、ユトナも何処か晴れやかな表情を湛えた様子で頷いた。


「そうか。では、そのようにしよう」

「代わりに教えてもらいたいことがございます」

「何だろうか? 君には恩がある。私に教えられるものなら何でも教えるが」


 武蔵にとって金よりも価値のあるもの。それはやはり剣であり、その剣を交えるに値する強者の存在だ。そして、武蔵が王都を訪れたのはその強者たちとの邂逅が最大の目的。


「この王都では年に一度、国王陛下主催の御前試合が行われますな?」


 そう武蔵が訊くと、ユトナはほんの一瞬首を傾げたが、すぐさま検討がついたというように頷いて見せた。


「御前試合? もしかして闘技場で行われる『王国武術会』のことかな? 年に一度、このヴェリク王国中から腕に覚えのある者がこの王都にある闘技場に集まり、対戦形式で競い合う大会があるのだが……」

「そうです。まさしくそれです」


 田舎では詳細を知ることは叶わなかった御前試合の情報。やはり本場である王都でなら詳しいことを聞けそうだと、武蔵は内心で喜びの笑みを浮かべた。


「レオン、昔から出たいって言ってたもんね」


 昔を懐かしむよう、アイシアも微笑を浮かべている。あれはまだギフトを授かる前、ポポラ村で毎日一緒に稽古をしていた頃のことだったか、ふとしたきっかけで彼女と将来の展望を語った時、御前試合出場の望みを口にしたことが思い出される。


「何、そうなのか?」


 武蔵という根っからの剣士が言うのだからさして不思議なこととも思えないのだが、しかしユトナは若干驚いている様子だ。


「王都の闘技場で年に一度行われる、ということ以外は知らぬものでしてな。一年のうちのいつ行われるのか、どうすれば出場出来るのか、そういうことが分かりませなんだ」

「なるほど、詳細を知らないのなら仕方ないか」


 ユトナは納得したように頷くと、ごく言い難そうに、上目遣いで武蔵にこう告げた。


「武術会は来月行われるのだが、残念ながら一般参加は募っていない……」

「えッ!」


 そう驚愕の声を上げたのは、武蔵ではなくアイシアだ。家族同然の武蔵の夢がこのような形で潰えてしまったことに少なからず衝撃を受けているらしい。逆に武蔵は冷静で、顔色一つ変えずにユトナの言葉に耳を傾けている。


「武術会には参加枠というものがあって、王国騎士団の各軍団に一つずつ、大公家に二つなど、それぞれの組織や個人等に参加枠が与えられている」


 その話から察するに、武術会とは王国の武芸者の頂点を決めるといった性質のものではなく、王国内の組織や大貴族が、自分たちが抱えている武芸者を使って己の権威を示すという意味合いが強いようだ。

 どうも、武術会とは武蔵が想像しているようなものではないらしい。強者が国中から集まるのには興味があるが、それでは在野の武芸者が弾かれてしまう。主を持たぬ浪人にも強者はいる。そういう者たちも含めての大会でなければ意味がない。

 この時点で武蔵の興味は武術会から大分削がれていたが、それでもユトナのような者が出場するのなら、という希望がある。


「例えばですが、大公家は参加枠を二つ所有しているので、武術会に二人の選手を参加させられると、そういうことですか」

「そうだ」

「じゃあ、レオンが参加したかったら……」


 そう切り出し、しかし言葉の途中で言いよどんだアイシアに代わり、


「参加枠を持つ者から推薦してもらう必要がある」


 と、ユトナが続けた。

 前世の頃ならいざ知らず、今の武蔵は何のツテも持たない、田舎から出て来たばかりの底辺冒険者。


「そんな知り合いはおりませんなあ」


 武蔵が苦笑しながら言うと、ユトナ心苦しいといった感じでふうむ、と唸った。


「仮に君が第三軍の所属であれば、私の権限で推薦したのだが……」


 その気遣いには感謝するが、武蔵には宮仕えをする気はない。余計なしがらみで我が身を縛ることなく、出来得る限り自由でいたい。


「まあ、言っても詮無いことですな」


 何か妙案はないものかと、ユトナが腕を組み、むむむ、と唸りながら天を睨む。


「とすれば、後は誰かに参加枠を譲って……」


 そこまで言ったところで、ユトナはハッとした様子で目を見開き、閃いたとでも言わんばかりにポン、と手を叩いた。


「そうだ!」


 常に沈着冷静、表情を変えることすら滅多にないユトナがいきなり大きな声を出したもので、武蔵もアイシアもびっくりして彼女のことを凝視する。


「な、何です?」

「ど、ど、どうしたんですか、フォリン軍団長?」


 唖然としている二人が見つめる中、ユトナは妙案を得たり、といった様子で口の端をニヤリと歪めて見せた。


「すでに参加が決まっている者に参加枠を譲ってもらうのだよ」


 彼女はそう言うが、しかし権威を示すための参加枠を武蔵のような無名の人間に譲る酔狂な権力者や組織があるだろうか。

 アイシアも武蔵と同じ疑問を覚えたらしく、


「え? そんなアテがあるんですか、軍団長?」


 と訊いたのだが、ユトナはあえてそれには答えず、不敵な笑みを浮かべたまま武蔵に向き直った。


「君は冒険者ギルドに登録している冒険者だな?」

「左様です」

「ならば可能かもしれん」

「どういうことです?」


 武蔵が問うと、ユトナは待ってましたとばかりに説明し始める。


「冒険者ギルドも参加枠を一つ持っているのだよ。冒険者ギルドからの今年の参加者はもう決まっているのだが、彼にその参加枠を譲ってもらい、君が冒険者ギルドの代表として武術会に参加すれば良いのだ」


 言われても、しかし武蔵は首を傾げた。見ればアイシアも不思議そうにしている。

 冒険者ギルドは巨大組織だから参加枠を持っているのは理解出来るし、そこに登録している武蔵が代表として武術会に出るというのも理屈の上では理解出来る。だが、すでに埋まった枠を武蔵のような新参者に譲ってくれというのはどうにも無理がある。


「譲ってくれと言って、そう簡単に譲ってくれるものでしょうか? 仮に俺ならば金子を持って参加枠を譲ってくれなどと言う者が自分のところに来たら、それでも武芸者か馬鹿者、と怒鳴って追い返すと思いますが?」


 そう言う武蔵の言葉を、しかしユトナは分かっているからと言うように片手を上げて制した。


「勿論、ただでは譲ってくれんだろうな。金を積んでも無理だろう、むしろ交渉が決裂する可能性が高い。あいつも偏屈な男だからな」


 口振りから察するに、ユトナは冒険者ギルドの参加枠に内定している者を知っているようだ。彼女の言ではかなり気難しい男のようだが、知り合いならばどうにか交渉する余地はあるかもしれない。


「お知り合いなんですか、その人と?」


 アイシアが訊くと、ユトナが「うむ」と頷く。


「そいつはこの王都で唯一のS級冒険者でな」

「へえ」

「私の夫だ」

「「ええぇッ、夫!」」


 武蔵とアイシアは、まるで夫婦のように揃って驚愕の声を上げた。



 アイシアはそのまま騎士団本部に残り、ブラックドラゴン襲撃事件についての聴取を受けることになった。聴取の際にはポーラも同席するということなので、事件の下手人に対する苛烈な尋問のようなことにはならないだろう。

 今現在、武蔵はアイシアと別れ、ユトナと一緒に王都の街中を歩いている。彼女の夫だというS級冒険者に会うため、フォリン家に向かっているのだ。

 つくづく人は見かけによらぬものだと武蔵は思う。母は髪は女の命と言っていたが、その命の髪をバッサリと切り、アクセサリーで飾ることも化粧もしていないユトナ。騎士として軍人として無骨一辺倒の生き方をしているものとばかり思っていたのに、実際には結婚して子供までいるのだという。しっかり私生活での幸せも掴んでいるのだ。

 前を歩くユトナの背を見つめながら、自分には縁遠い生き方だと武蔵は考える。剣なら剣のみ、それ一筋。根っからの不器用であるが故、別の何かとの両立は考えられない。前世の頃からそういうふうに生きてきた。

 そうやって埒もないことを考えていると、前を歩くユトナの足が大きな屋敷の前で急に止まる。武蔵が顔を上げると、ユトナが「着いたぞ」と答えた。


「ここが私の家だ」


 厳重に金属製の柵で囲まれた、手入れが行き届いた広い庭。その庭の奥に鎮座する屋敷は貴族が住むような立派なものだ。彼女は平民出身の筈だが、夫だという人が貴族なのだろうかと、武蔵はそのようなことを考えていた。


「軍団長に昇進する際、叙爵してな。まあ、私一代限りの騎士爵なのだが」


 武蔵の思考を読んでいたのだろう、ユトナが苦笑しながら言う。


「一代貴族というやつですか? 御子には受け継がれぬのが歯痒いところですな」

「そうだな」


 頷きながら、ユトナは門扉を開ける。そのまま庭を進んで屋敷の玄関のところまで行くので武蔵もついて行く。


「ただいま」


 彼女にとっては勝手知ったる我が家である。特にノックもせずに扉を開けると、家の中から武蔵と同じ歳くらいの青年が出て来た。


「おかえりなさい。今日は早かったんだね」


 その青年を見て、武蔵は驚愕して目を見開き、口すらもあんぐりと開けてしまう。まさかこんなに若い夫だとは思わなかったのだ。正直なところ、S級冒険者だということよりもずっと驚いている。


「あれ? お客さん?」


 ユトナの肩越しに、後ろで目をパチクリさせている武蔵を見ながら青年が不思議そうな顔をしていた。

 驚きはいまだ冷めやらぬが、ともかくこのままでは無礼だと思い、武蔵は強引に表情を正して青年に頭を下げる。


「こ……これはお初にお目にかかる。宮本武さ……ではなく! 失敬! そうではなく、レオン・ムサシ・アルトゥルと申します」


 あまりにも驚きが強かったので武蔵は思わず前世の名前を口走りそうになり、慌てて訂正して今世の名前を名乗った。


「……? タック・フォリンです」


 武蔵の様子に首を傾げながらも青年、タック・フォリンも頭を下げる。


「にしてもお若い。おいくつか?」


 いささか不躾だが、どうしても気になって武蔵はタックに訊いてみた。


「あ、僕ですか? 十六歳です」

「十六とな……」


 そのくらいだとは思っていたが、やはり若い。ユトナとは十歳くらい離れているのではなかろうかと、武蔵はそのように見ている。二人の間にどういう事情があったのかまでは詮索しないが、きっと、タックが成人してすぐ結婚したのだろう。

 武蔵がむむ、と唸っていると、ユトナはタックに、


「タック。お父さんを居間に呼んできなさい」


 と言った。


「はい、母さん」


 頷き、早足で屋敷の二階への階段を進むタック。

 何のことはない一連のやり取りの中に、しかし武蔵にとって聞き捨てならない重要な言葉があった。


「………………ん?」


 ユトナがお父さんと口にし、タックがユトナに母さんと返したのだ。その示すところはつまり、武蔵の大いなる勘違いと、これまた驚愕の事実。


「何だ、どうした?」


 唖然とした様子の武蔵が気になったのだろう、ユトナが顔を覗き込んでくる。


「いや、あの……彼が貴女のことを母さんと…………」


 武蔵がかろうじて言葉を搾り出すと、ユトナは不思議そうに眉をしかめた。


「それはそうだろう? タックは私の息子なのだから」

「…………だ、旦那様ではないと?」


 恐る恐る武蔵が訊くと、ユトナは途端に大笑いして見せた。


「はっはっは! そんなわけがあるか。何の冗談を言っているんだ、君は? タックの歳では若過ぎるだろう? 私がいくつだと思っているんだ」

「いや、二十代では?」


 武蔵は正直にそう答えるのだが、事実はさにあらず。


「君もそういう世辞を言うのだな。まあ、女性に対する気遣いと受け取っておこう」

「え? ち、違うのですか……?」

「私はもうすぐ四十だよ」

「………………」


 衝撃の事実に武蔵は絶句してしまう。ユトナは何処からどう見ても二十代としか思えないのだが、実際はそれより更に一回り上。明らかに人より老化が遅い。どれだけ神の寵愛を受ければこのような人間が出来上がるのだろうか。


「さ、ついて来なさい。居間に案内しよう。あ、しくじったな。タックにお茶の用意も頼めばよかった」


 言いながら、武蔵は途方もないものを見るような目でユトナのことを見つめていた。

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