王国武術会①
ヴェリク王国騎士団の六軍団長による会議は連日紛糾していた。今日も会議室の円卓を六人の軍団長が囲み、激しい言葉をぶつけ合っている。
「相手はブラックドラゴンだぞ! 魔王の時代から生き続ける脅威、八大龍だ! こんなところでグズグズやっている暇などない! 今すぐ軍勢を向かわせるべきだ!」
卓を叩きながら叫ぶようにそう主張するのは、第二軍の軍団長ヨギト・バルマン。もう四十代ながらまだまだ血気盛んな武闘派の男性だ。
「ですから、軍勢を向かわせるにも準備というものがですなあ……」
そう言ってゼストを宥めようとする腹の出た中年男性は第四軍の軍団長クウォンカ・サントロ・ゴール。穏健派と言えば聞こえは良いが、要するに日和見なのだ。
「悠長なことを言っている場合ではない! これは最早戦争だ! 負ければヴェリク王国は確実に滅びる!」
「でも、ブラックドラゴンは一度の襲来で村人一人の命しか奪わんと、そう言っているのでしょう? しかも毎日来るのではなく、数日おきだという。ならば少なくとも村人が全滅するまでは大丈夫なのでは?」
歌劇役者のように見栄えのする、しかしながら隠し様もない軽薄さが滲み出る金髪の青年が薄笑いを浮かべながらそう言う。この男こそが悪名高い国王の五男、第六軍の軍団長アーダン・ヴェリクであった。
王家の男子とも思えぬその発言を受け、ヨギトは露骨に顔をしかめて見せる。
「貴殿はそれでも騎士か? いや、血の通った人間か? 我ら騎士が民を護らねば、一体何処の誰が民を護るのだ?」
だが、アーダンはヨギトの訴えをわざとらしく「フン」と鼻で笑った。
「そうはおっしゃいますがね、バルマンどの、聞けばシロン村は税を納めていないらしいではないですか。我らは税を給金として頂戴するからこそ民を護る。税を納めぬ者たちを我らが命がけで護る必要があるだろうか?」
「シロン村は納税を怠っているのではなく、古の盟約により免税されているだけだ!」
大昔、まだ勇者と魔王が争っていた時代、故郷を追われてこのヴェリクの地に居を置いた猫族は王家と盟約を交わしたのだと書物には記録されている。長き時の中ですでに詳細は失われているものの、猫族は王家の恩人である故に子孫末代に至るまで厚遇せよ、という一文が今でも残っているのだ。
その王家の人間である筈のアーダンは、しかしカビの生えた盟約など屁でもないと思っている。理由も分からず厚遇してやる義理はない、と。
「税を納めていないことに変わりはありませんよ」
「国民であることにも変わりはない!」
ヨギトとアーダンが睨み合う。熱くなっていた場の空気が、途端にバチバチと帯電しているように変質する。
このままでは掴み合いになりかねない。空気を読み、この中で最もベテランの軍団長、齢六十にもなる老将、第一軍のドワイト・ゼムス翁が口を開いた。
「そもそもですな、ヴェリク軍団長、シロン村の安全確保は第六軍の任務でしょう? 何故、第六軍は未だ援軍を出さんのですか?」
「我が部下たちだけを死地に赴かせろとおっしゃるのか?」
アーダンは先達に対する経緯など微塵もない鋭い視線をドワイトに向ける。
彼は部下たちの命を重んじているような物言いをしているが、実際のところは自分の庇護下にある貴族の子弟たち、もっと分かりやすく言えば賄賂を寄越す者たちの身を案じているだけで、雑務を押し付けるために所属させた平民出身者の命などは路傍の石ころ程度にしか思っていない。
耳障りが良いだけで中身の伴わぬアーダンの言葉に苛立ち、ヨギトが吼えた。
「その死地で、三十人にも満たぬ数で奮戦しているのも貴殿の部下だろうが! 孤軍奮闘する部下に何故援軍を出さん!」
「焼け石に水では無駄に被害を出すだけでしょう? 彼らとて騎士団に入ったからには任務の中で命を落とすことは覚悟している筈だ」
覚悟なき者が他人に覚悟を強要する。第六軍の兵士たちがあまりにも憐れで、ヨギトは思わず「ふざけるな!」と叫んでいた。
「その言葉はドラゴンを前に村を見捨てて逃げ帰った者どもに言ってやれ!」
だが、当のアーダンはやれやれといった感じで腕を組み嘆息する。
「私の部下たちを腑抜けのようにおっしゃるのか? 彼らは伝令の役目を買っただけのこと。仲間を置いてくるのも断腸の思いだったと聞いている」
「部隊の半数で伝令に走る馬鹿があるか!」
再びの睨み合い。
だが、ここでその緊張を破るように外から伝令らしき兵士が入室して来た。皆が一体何だ、という視線を向けていると、兵士は第三軍の軍団長ユトナ・フォリンのもとに素早く駆け寄り、彼女の耳元で何事か囁くと一礼してまた足早に去って行く。
出て行った兵士が扉を閉め、会議室が再び外界から遮断されると、それまでずっと押し黙っていたユトナが静かに口を開いた。
「皆様、よろしいか?」
「フォリンどの……?」
これまでも多くを語ろうとしなかったユトナが自分から何か言おうとしている。
ユトナ・フォリン。もう三十代の後半だというのに二十代の容姿を保ったままの美女。しかもそれでいて剣の腕が立ち、単独でドラゴンを倒し軍団長となった女傑。
王族であるプライドから他人を見下しがちなきらいのあるアーダンでさえも、彼女のことだけは一目置いている。
ユトナは五人の軍団長全員の顔を見回してからおもむろに立ち上がった。
「今、シロン村へ向かわせた部下から連絡が入りました」
「フォリンどの、何を勝手なことを……」
ブラックドラゴンの出現に際し何の手も打たなかったというのに、アーダンが自分の縄張りだとでも言うように非難がましい声を上げる。が、ユトナがキッとひと睨みすると、彼は気圧された様子で口を閉じた。
再び場に静寂が満たされてから、ユトナは皆にこう告げた。
「シロン村の戦いにおいてブラックドラゴンが倒されたようです」
「「「「「何だとッ!」」」」」
瞬間、ユトナ以外の五人が揃って驚愕の声を発する。
単独で国崩しすら容易く行う八大龍。何万の兵が必要か、どれだけの兵器が必要か、何処に戦場を定めれば被害は最小で済むか。まさしく国家規模の話をしていたというのに、その八大龍たるブラックドラゴンが倒された。まだ戦いは始まってもいない、それどころか軍勢の準備さえ整っていないというのに。
ユトナの話を聞いていた五人は意味が分からなかった。それどころか、ヨギトなどは悪い冗談だとさえ思っていた。
「馬鹿を言うな! 八大龍だぞ? 五十人にも満たぬ兵で倒せるわけが……」
尚も言葉を続けようとするヨギトをユトナが片手を上げて制する。
「いえ、倒したのは騎士団の者ではありません。冒険者です」
それを聞いたヨギトが「なるほど!」と手を打ち、他の四人も頷いた。
「冒険者か! 偶然、現場の近くにS級の冒険者パーティーがいて、騎士団の窮地を見て加勢してくれたということか?」
冒険者ギルドに所属する冒険者については、有象無象ばかりというのが世間の認識だ。だが、上位数パーセントの冒険者、特に最上位とされるS級の冒険者はいずれも歴史に名を残すレベルの傑物。個の武勇ならば騎士団のそれを超えている。彼らならばブラックドラゴンを討ち取ったとしてもおかしなことはない。
しかしながらユトナはそれも違うと首を横に振る。
「いえ、そうではありません。ブラックドラゴンを倒したのは単独の冒険者です。それもつい先日冒険者ギルドに登録したばかりの新人だそうです」
聞いた途端、今度は五人が揃って大きく溜息をついた。
やはり冗談だったのだ、それもぬか喜びさせるようなタチの悪い冗談。そう思って皆、ガッカリしてしまった。ユトナのような人間にそんなことをされると怒りや呆れよりも落胆が勝ってしまうらしい。
しばしの沈黙の後、ドワイトがコホンと咳払いをしてから緩慢な動作で口を開いた。
「フォリン軍団長、馬鹿も休み休み言いなさい。八大龍といえば過去には単独で大国を滅ぼしたこともあるマグナガルド最大級の脅威のひとつですぞ? それを新人冒険者が一人で討ち取ったなど、信じられる筈がない」
自分より歳若い者を窘めるようにドワイトは言う。今すぐ謝ればただの冗談として済ませるが、しかし次はないというような意図があった。
だが、ユトナが言っていることは嘘でも冗談でもない。真実だ。
「しかし事実です。その者は現在、自らが斬り落としたブラックドラゴンの首を持って、この王都に向かっているそうです」
一切臆することなく、ごく真剣な様子でドワイトの目を真正面から見据えたままユトナが言う。その真っ直ぐな目に、ドワイトは圧倒されてしまった。
「じ……冗談ではないとおっしゃるのですか?」
「誓って」
心臓の位置に拳を当て、騎士の宣誓のポーズでユトナが言う。これは暗に己の命をかけるという意味があり、軽く扱って良いものではない。特に軍団長という役目にあるユトナが命をかけてその言葉が真であると示しているのだから、ドワイトも残りの四人も彼女が言っていることを冗談と断じることが出来なくなった。
「そ、その者とは一体誰なのです? 貴女は御存知なのでしょう、フォリン軍団長?」
かろうじて声を絞り出してドワイトが訊くと、ユトナが静かに口を開く。
「私も直接会ったことはありませんが、彼がシロン村へ行くのに少しばかり力を貸しました。彼の名は………………」
意図的に言葉を区切って溜めを作るユトナ。皆が息を呑んで見守る中、ユトナはその名を高らかに告げた。
「彼の名は、レオン・ムサシ・アルトゥル。まだ十七歳の青年です」
◇
シロン村でブラックドラゴンを斬ってから半月後、武蔵は再び王都を訪れた。
今はポーラが用意した幌馬車で王都の通りを進んでいる。御者もポーラだ。その行き先はヴェリク王国騎士団が本部を置くアルマ離宮。その名の通り、元はヴェリク王家が離宮として使っていた建物だ。
何故、武蔵はこうも早く王都に戻ったのか。それはポーラを通じて王国騎士団第三軍の軍団長ユトナ・フォリンから召集を受けたからだ。武蔵の横にはアイシアの姿もある。
これは後から分かったことなのだが、どうもポーラは遠方の人間と連絡を取り合えるようなギフトを有しているらしく、武蔵がシロン村に向かった直後から常に王都のユトナに連絡を入れていたのだという。
別に悪いことをしていた訳ではないのでポーラがどういうことを報告していてもよいのだが、監視されているような気分になるのだけはいただけない。
呼び出されたのは十中八九ドラゴンのことについてだろうが、面倒なことになりそうであまり気乗りがしない。アイシアが呼び出されたのは武蔵の旧知であり、かつ遠征部隊を代表してことの仔細を報告せよと言われたからだ。
いくら自分が望んでいなかろうと、名の通った強者を倒せば必ず権力者の目に止まる。そして声をかけられ、無視しているといらぬ手出しを受けるのだ。前世の時と同じしくじりをしていると、武蔵は反省している。強者と戦うにしろ、極力世間の目を引かぬよう、もっと上手にやる方法を考えねばと。
「このまま騎士団本部まで直行しますから、お二人とも、窮屈でしょうけどもうしばらくそのままでお願いしますね」
御者をしているポーラが一瞬だけ振り返り、武蔵とアイシアに声をかける。
「うむ」
「分かった」
武蔵とポーラも短く返事をし、三人とも口を閉じた。
無言のまま、武蔵は馬車の中央に横たわるブラックドラゴンの首に目を向ける。討伐を証明するために一緒に持って来たのだが、こいつがまた曲者なのだ。一応は布を被せて隠してあるのだが、どうにもこうにも臭いがきつい。何と言おうか、首の切断面から丸薬のような、鼻に焼き付くような臭いがするのだ。今はもう馴れたものだが、最初の二、三日は武蔵もアイシアも悪臭による頭痛に苦しめられた。
「死後まで人に迷惑をかけおってからに……」
憎たらしいので拳でゴン、とドラゴンの首を叩く。だが、あまりにも硬いので拳が痛くなっただけだった。
「レオン、何してるの?」
アイシアに訊かれて、武蔵が短く「八つ当たり」と答えると、彼女も真似してゴン、とドラゴンの首を叩く。
「あんたのせいだ、バカ」
まるで溜まり溜まった憂さを晴らすよう、もの言わぬ無抵抗の首をゴン、ゴン、ゴンと連続で叩くアイシア。
このドラゴンに最も苦しめられたのはシロン村の村人たちだろうが、同じくらいアイシアたち遠征部隊も苦しめられたし、仲間に犠牲者も出ている。憎いというなら武蔵以上にこのドラゴンを憎んでいる筈だ。
「バカ、バカ、バカ」
アイシアがドラゴンを叩く、叩く、叩く。バイオレンスに次ぐバイオレンス。
そういう姿に武蔵が苦笑していると、いつの間にか目的の場所に到着したらしく、
「お二人とも、着きましたよ」
とポーラから声がかかった。
アイシアが先に馬車を降りて、次いで武蔵も馬車を降りる。だが、アイシアは何故か馬車を降りた直後に片膝を折って跪き、まるで高貴な人物に御意でも授かっているかのような姿勢を取り始めた。見れば、少し離れた場所でポーラも同じように片膝を突いて頭を垂れている。
「アイシア?」
一体何だと思って武蔵が辺りを窺うと、彼女の前には身分の高そうな六人の騎士が居並んでおり、遠巻きにではあるものの、馬車の周囲がいつの間にか夥しい数の兵士たちに囲まれていた。明らかに警戒されている。呼ばれた側が警戒するのは分かるが、呼びつけた側が警戒しているのは何故なのか。
武蔵が呆気に取られた様子でポカンと突っ立っていると、数人の兵士が馬車の幌の中に入っていき、
「あ……ありました! 確かに黒い鱗……ブラックドラゴンです!」
と大きな声を上げた。
瞬間、それまで押し黙っていた周囲の兵士たちから「おおッ!」と驚きの声が洩れる。声を出さぬというだけで六人の騎士たちも驚いている様子だ。
「よし、運び出せ!」
「はッ!」
六人の騎士の中で最も年配の、六十代くらいの老兵が指示を出し、先ほどの兵士たちが幌から布に包まれた巨大なドラゴンの首を運び出す。兵士たちは六人の騎士たちの前に首を置くと、布を剥ぎ取ってその威容を露にした。
「おおぉッ!」
今度は兵士たちだけではない、六人の騎士たちも声を上げる。
「ま、まさか……本当に…………ッ!」
「紛れもない、ブラックドラゴンだ!」
「凄まじいな、ドラゴンの鋼体がこんなに綺麗に切断されているじゃないか!」
「馬鹿な! 八大龍だぞ? こんな小僧がやったというのか!」
六人の騎士たちが感嘆なり驚愕なりの言葉を言い合う。特に武蔵に懐疑的な視線を向けていた、軽薄そうな顔をした金髪の青年などは、少しでも疑わしい部分を見つけるよう、ペタペタと首に触れたり念入りに切断面を確かめたりしている。
五人の騎士が挙って首を検分する中、残る一人、まだ二十代と思しき、銀髪を短く刈り揃えた美しい女性騎士が歩み出て来て武蔵の前に立った。だが、ただ見目麗しいだけではない、れっきとした武人らしく、背中には身の丈ほどもある大剣を背負い、普通に佇立しているだけなのに、その立ち姿には一片の隙もない。
「君がレオン・ムサシ・アルトゥルか?」
事態がよく分からず黙って立っていた武蔵だが、その言葉で我に返り、そうだと頷く。
「……いかにも。レオン・ムサシ・アルトゥル、間違いなく俺の名だ」
武蔵がそう答えると、女性騎士はニコリと笑った。
「我々は君を待っていたのだ」
それはそうだろう、武蔵たちは呼ばれて来たのだから。ただ、待っていたのが呼び出したユトナ・フォリン一人ではなく、ここまで大勢の人間だったことには驚いたが。
「で、貴方がたは?」
大体の想像はつくが、想像はあくまでも想像、はっきりと言って事実を確定してもらわねば想像の域を出ない。
だが、女性騎士が答える前に、割り込むように軽薄な顔の青年騎士が前に出て来た。
「少年、随分と無礼だな。君も早く彼女らのように膝を突きたまえよ」
跪くアイシアとポーラを指差しながら高圧的な態度で青年が言う。
「は?」
だが、武蔵は跪くことなく頭上に疑問符を浮かべた。アイシアやポーラと違い、武蔵は別に騎士団の人間ではない。同じ組織の上官でもないのに平伏を強制される謂れはない。
しかし青年は武蔵が事態を理解していないと思ったのだろう、まるで愚鈍な奴め、とでも言うように恰好を付けたポーズで名乗りを上げた。
「私はアーダン・ヴェリク。現国王ベルフレア・ザム・ヴェリクの五男にしてヴェリク王国騎士団第六軍の軍団長だ」
青年の正体が判明したことで武蔵は納得したように頷く。
「ああ、貴殿が七光りの馬鹿息子か」
全く言いよどむことなく、そして言葉をオブラートに包むこともなく、武蔵はかねてより思っていたことをストレートに口にする。
その瞬間、武蔵と相対していたアーダンの目が怒りでカッ、と開かれ、それ以外の周囲の人間に驚愕と動揺が走った。
「ちょっ、レオン!」
「レオンさん!」
アイシアとポーラがひどく動揺した様子で慌てて武蔵を諌めようとするが、時すでに遅し。軍団長であり、王族でもあるアーダンは他人にここまで愚弄されたことはない。その歌劇役者のような丹精な顔を真っ赤にし、目を吊り上げて武蔵に詰め寄る。
「貴様! 今、何と言った!」
今にも掴みかからんばかりの勢いでアーダンが怒鳴るのがあまりにも滑稽で、武蔵は笑い出したくなるのを必死に我慢しながらそれに答えた。
「ああ、聞こえなかったか、失礼。稀代の名将だと言わせていただいた」
全く無表情のまま、武蔵は堂々と偽りを述べる。この男は少なからずアイシアたちを苦しめた。だからほんの少しおちょくってやろうと思ったのだ。
その意図を読み取ったのだろう、六人の騎士の一人、四十代くらいの精悍な顔付きをした騎士が「ぷっ」と吹き出した。
「き、貴様、いけしゃあしゃあと……。許せん! 王族への不敬は死罪だと知っての発言だろうな!」
怒りのあまり、アーダンの肩がわなわなと震える。逆にアイシアとポーラなどは血の気の引いた青い顔をしながら武蔵のことを見上げているが、武蔵本人はさして気にしていない。王族だということを笠に着て無礼討ちだなどと言い出したら逆に殴ってやろうくらいに思っているし、最悪、国と喧嘩になることも持さない構えだ。こんな馬鹿王子の肩を持つというのなら国王の面すら殴ってやろうと。
「貴殿は最初に俺が言った言葉が聞こえなかったから訊き返したのだろう? だから同じ言葉を今度は大きな声で言い直しただけのことだが、それの何が不敬なのだろうか? 稀代の名将と称えることは賞賛だと思うのだが?」
「黙れ! この場で叩き斬ってやる!」
謝罪もせず臆する様子もない武蔵に我慢がならなかったのだろう、アーダンはとうとう腰に差した剣の柄に手をかけた。
武蔵もおちょくり過ぎたが、アーダンも軍団長という立場でありながら短慮が過ぎる。
ふう、と短く息を吐き出してから、武蔵を上げて片手でアーダンを制した。
「およしなさい」
「今更命乞いか!」
「違う。貴殿の腕では無理だ。俺の首は獲れん」
多少の心得はあるのだろうが、武蔵の見たところアーダンの構えはアイシアのそれよりも大分劣っている。恵まれたギフトでも授かったのか、それともただ単に王族の権力でその席に収まったか、ともかく、これでよく軍団長など務められるものだ。
「貴様ぁ……ッ!」
アーダンは今にも剣を抜きそうだが恐怖は全く感じない。
相手をするのも阿呆らしいので、武蔵は女性騎士に向き直った。
「そこの人。貴女はかなり遣うだろう。違うか?」
「私か?」
女性騎士が自らの顔を指差すので、武蔵はそうだと頷く。
「貴女とアイシア以外の誰も、この場で俺に敵う者はおらんよ。俺の目が確かなら、貴女はユトナ・フォリンどのだと思うのだが?」
「ああ、そうだ」
一目見た時からそうだとは思っていたが、やはりそうだった。ここで初めて、武蔵の顔に心からの笑顔が浮かんだ。
「おお、やはりそうか。昔、アイシアから貴女の話を聞いた時から、一度お会いしたいと思っていたのだ」
そして、出来るのならば手合わせをしてみたいとも思っていた。何せ龍殺し。誰に頼ることもなくたった一人で龍を斬った剣士なのだから、同じ剣士として刃を交えてみたいと思うのは当然のことだ。
「八大龍を斬った英雄にそう言っていただけるとは光栄だ」
若年の武蔵に対して、ユトナは恐縮した様子ではにかむ。
「何を。貴女も龍を斬ったと聞いている」
「私が斬ったのは八大龍より下位の十二蛮龍さ。君の方が凄い」
「いやいや……」
武蔵とユトナが謙遜し合っている横で、無視されたアーダンはとうとう堪忍袋の緒が切れたようで、剣を抜いて切っ先を武蔵に突き付けた。
「この状況で私を無視するとは良い度胸だな!」
それまでも切迫した雰囲気が漂ってはいたのだが、アーダンが剣を抜いたことで途端に空気が張り詰める。周囲が慌てて「よせ!」とか「冷静になれ!」などと言うのだが、当のアーダンは頭に血が昇って聞こえていない様子だった。
アイシアもポーラも必死に、それこそ縋るように「やめてください!」と訴えているのだが、やはり耳に届いていない。
ただただ、ちっぽけで醜悪なプライドを制御出来ず暴走している。実に哀れだ。
「……話の邪魔だよ、アーダン・ヴェリク。よせと言った筈だ」
せっかくユトナ・フォリンのような本物の武人と話していたというのに、それを邪魔されて武蔵は少々苛立っている。これは少し、伸び過ぎた天狗の鼻を折ってやろうと、武蔵はそういう気になっていた。
それまで微動だにしていなかった武蔵が、突如として突き付けられている剣の切っ先を右手の親指、人差し指、中指の三指で掴む。するとどうだろう、アーダンが押しても引いても、どれだけ力を入れても剣は少しも動かなくなってしまった。
「ぬ……ぐ……ッ! 剣が……」
片手ではどうにもならず、アーダンは両手で柄を掴むがそれでも剣は動かない。
武蔵には鍛冶神の加護があるからか、剣を掴んだだけで分かった。この剣は刺突に特化させて細く鋭く作られたレイピア。通常の剣よりも脆い。そしてギフトの力で武蔵はこの剣の何処にどう力を込めれば折れるのかが分かった。
「ぬん!」
先端よりも少し先に負担がかかるよう指に力を込めて剣を曲げる。するとどうだろう、アーダンの剣、その刃はあっけなく折れてしまった。
パキン、と、空間に鈴が鳴るような涼やかな音が鳴り響く。
「あぁッ! 私の剣が!」
眼前で無残に折れた剣を見つめながら悲痛な声を洩らすアーダン。
何処ぞの職人にでも作らせた特注品なのだろうが、この剣は持ち主に恵まれなかった。武蔵は心の中で悪いな、と謝ってから掴んでいた剣の切っ先を投げ捨てる。
折れた剣を地面に叩き付け、アーダンは真っ赤な顔でギリギリと歯を軋らせ始めた。
騎士団内でも特に嫌われているアーダン。そのアーダンの顔も十分に潰れた頃合だろうと、他の五人の騎士たちが彼を取り囲んだ。
「ヴェリクどの、そのへんで」
「しかし……ッ!」
「ヴェリクどの!」
尚も食ってかかろうとするアーダンをユトナが強い語気で制する。いざとなれば実力行使も辞さないというその気迫に、アーダンは思わずたじろいだ。
ユトナだけではなく、他の四人も剣の柄に手をかけるなりしてアーダンににじり寄る。来るか、引くか。無言でそう迫る五人。
「く……ッ。このままでは済まさんぞ、レオン・ムサシ・アルトゥル! その顔と名前、しかと覚えたからな!」
アーダンは恨みがましい目で五人を睨むと、最後にとびきり憎悪の篭った一瞥を武蔵にくれてから背を向けて騎士団本部の建物の中に引っ込んだ。
ようやく邪魔者が消えた。その場に漂っていた緊張がようやく解け、皆が息をついて肩の力を抜いた。
「レオン! あんたとんでもないことを!」
それまでずっと跪いていたアイシアも我慢の限界というふうに立ち上がり、涙目で武蔵に詰め寄る。一般市民が権力者に楯突くなど正気ではない、下手をすれば無礼討ちになっていたかもしれない。
だが、武蔵はアイシアには何も答えず、アーダンが去って行った方向を見つめたまま腕組みして鼻から短く息を吐いた。
「あの男が五男でこの国は助かりましたな」
そう言ってから、武蔵はユトナに顔を向ける。
「どういうことかな?」
眉をひそめるユトナに、武蔵はアーダンが去って行った方向を顎でしゃくって見せた。
「王位継承権で下位にいる五男であれば、あれが次の国王になるという悲劇も起きないでしょう。あんなものが次の国王になればヴェリク王国は間違いなく衰退する」
ただの無能な王なら傀儡政権として国家は運営されてゆくのだろうが、アーダンのようなタイプは操り人形になることを良しとしないだろう。出来もしない国政に無能な王が首を突っ込んだ結果は火を見るよりも明らか。良くて衰退、最悪破滅だ。
武蔵の言わんとしていることが分かったのだろう、ユトナは苦笑しながら頷いた。
「それについてはノーコメントとさせていただく」
「ま、お立場がありますからな」
武蔵の言葉で二人は共に笑い合う。そうしてひとしきり笑い合うと、ユトナは表情を正して武蔵に向き直る。
「レオン・ムサシ・アルトゥル。君には改めて話がある。ついて来てくれるか?」
「分かりました」
返事を聞くまでもなく歩き出したユトナを追って武蔵も歩き出す。
「おい、アイシア、お前も一緒に来い」
振り返り、武蔵はアイシアにも同行を促した。本人や周りが望んでいないにしろ、彼女はあのアーダンの部下だ。あれだけ彼を怒らせた武蔵の縁者であるアイシアがこのまま第六軍本隊に合流すればどうなるものか。別に言い触らした訳ではないが、それくらいのことは調べればすぐに露見するだろう。彼女の身に何か良からぬことが起こる前に信の置ける別の軍団長の、出来ることならばユトナ・フォリンの庇護下に置いてもらうのが最善の手であると、そう考えた次第だ。
だが、アイシア本人はそのことが分かっていないようで、不思議そうな顔をしていた。
「え? わ、私も……?」
「そうだ、お前もだ」
言ってから、武蔵はユトナの背にも声をかける。
「構わんでしょう?」
「ああ、勿論」
武蔵の意図を理解しているものと見えて、ユトナは特に質問を返すようなこともなく了承してくれた。出来ることならばアイシアも剣の腕だけでなく、彼女のような思慮深さを身に着けてもらいたいものだと、武蔵は親心にも似た気持ちでそう思った。
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