宮本武蔵、龍を斬る⑧

 武蔵がブラックドラゴンを倒した後の展開は早かった。

 未だ疲労の色は濃いものの、それでも比較的無事な兵士が二名、ドラゴンが倒されたことを知らせるため王都へ向けて早馬を走らせた。

 ドラゴンの死体は武器や防具、貴重な霊薬等の素材になるということで騎士団が回収することになったが、その首だけは武蔵が貰い受ける。冒険者ギルドに提出して討伐報酬を得るためだ。本当なら指定部位を持ち帰ればいいだけなのだが、何故かドラゴンの指定部位は手渡された書類には記されていなかった。だから仕方なく首ごといただく破目になってしまったという次第だ。

 兵士たちの何人かはドラゴンの死体の解体作業、残りはボロボロになったシロン村の修復を手伝う。ドラゴンは村への被害などさして気にもせず暴れていたので家屋だけでなく畑も荒れ放題、家畜も逃げたり潰されたりでほぼ残っていない。近くに森も川もあるので死なない程度に村人たちが暮してゆくことは出来るのだろうが、彼らの生活が以前のように戻るまでは支援の手が必要だ。まだしばらくはアイシアら遠征部隊がそれをやらなければならないが、いずれは王都から物資と共に交代人員が来るだろう。

 また、ドラゴンを倒したことで村人たちにかけられていた呪いも解けた。何人もの村人がドラゴンの餌食になったものの、自分たちを護るため、戦死者を出しながらも勇敢に戦ってくれた兵士たちに、村人たちは涙ながらに礼を言ってくれたのである。

 武蔵がドラゴンを斬ってからまだ一日しか経っていないが、絶望的な状況を切り抜けたことで、村人たちにも騎士団の兵士たちの顔にも精気が戻ってきているようだった。

 今は武蔵も一緒にドラゴンの解体を手伝っている。アイシアを助けて、はい、それでお終いさようならとはゆかず、また、兵士たちが巨大かつ硬過ぎるドラゴンの身体を捌くのに難儀しているので手を貸した次第だ。

 武蔵は早朝から昼まで作業を手伝うと、解体班のリーダーをしている兵士から昼休憩を貰い、復旧作業班に回ったアイシアの様子を見に行った。

 アイシアも丁度昼休憩を貰ったところだったようで、民家の軒下にある木箱に座って兵士用の糧食を口にしている最中だった。


「おう」


 武蔵が声をかけると、アイシアは顔を上げて笑顔を見せる。頬にはまだ若干やつれた様子が見えるが、それでも昨日再会したばかりの時より幾分マシに見えた。やはり人というのは気の持ちようで変わるものらしい。あと数日もすれば、武蔵の知る元の元気なアイシアに戻るのではないだろうか。


「レオン!」


 アイシアが木箱から腰を半分ずらし、横に座れと促してくる。密着するようで少し気恥ずかしかったが、別に悪いことをする訳でもないので堂々と座ることにした。

 武蔵がおじさん臭く「どっこいしょ」と言って腰を下ろすと、アイシアが面白そうに笑い声を立てる。


「あはは、レオン、相変わらずだね」

「この俺がたかだか一年かそこらで変わると思うか?」

「そうだよね、レオンは昔から剣だけじゃなくて心も強いもんね」


「俺は短い人の生涯の中で、この広きマグナガルドで天下無双にならねばならんのだ。多少のことでいちいち挫けてもいられん」


 その言葉にアイシアも「そうだね」と頷き、二人の間にしばしの沈黙が流れる。ややあってから口を開いたのはアイシアだ。


「ねえ、レオン?」

「うん?」

「昨日は聞けなかったんだけどさ」


 言われて、武蔵は「おう」と返す。文でのやり取りがあったとは言え、昨日は久々の再会だったから積もる話もあるかと思っていたのだが、ドラゴンを倒した後のアイシアは茫然自失の有り様となり、受け答えも、ああ、とか、うん、とかだけで、まともな会話にならなかった。恐らくは極限の緊張状態から解放された影響だろう。武蔵自身のことではないが、前世の頃に覚えがある。

 あれは大坂の陣でのこと、大坂方の策士として有名な武将、真田幸村がすんでのところまで徳川家康に肉薄したことがあった。結局真田の刃は家康に届くことなく討ち取られたのだが、その日の家康は一日茫然自失となり、息子の徳川秀忠が代わりをしなければならないような有り様だった。

 あの徳川の狸じじいでも我を失うのだから、まだ少女と大人の間にいるアイシアがそうなるのも無理はないと、武蔵は思う。

 昨日のアイシアはさしてものも喋らず、しかし片時も武蔵から離れなかった。その様子はまるで雛鳥のようだったというのはポーラの弁だ。翌日になってアイシア自身がからかうなと抗議した時は武蔵も随分と安堵したものである。

 ともかく、アイシアは何か武蔵から聞きたいことがあるらしい。


「レオン、どうしてここに来たの?」

「お前に会うために決まっているだろうが」

「え?」

「おじさんとおばさんに約束したからな、王都に行ってお前にも会うと。文にも書いた」

「ゴメン、読んでない。多分、私がここに遠征してから手紙が来たんだと思う……」

「だろうな。だから直接会いに来たのだ」


 それから武蔵は王都であったことをアイシアに話して聞かせた。アイシアを訪ねたが留守だったこと、アイシアの友人だというポーラに出会ったこと、路銀を稼ぐために冒険者ギルドに登録したこと、ポーラの情報でアイシアの窮地を知り、彼女とユトナ・フォリンの手助けでここまで来たこと。

 全て聞き終わり納得したのだろう、アイシアは静かに頷いた。


「そうなんだ、ポーラとユトナ様が……。でも、どうして第三軍のユトナ様が私たち第六軍のことを助けてくれたんだろう?」

「見るに見かねて、ということであろうよ。聞けばお前のところのアーダン・ヴェリクなる男、王族でありながら随分とクズだという話ではないか。そのアーダンに袖の下を渡している貴族の子弟どももしゃらくさい」


 アーダン・ヴェリクは父親の七光りで軍団長になっただけの無能者、という評判は第六軍以外では共通のものだ。彼は他の軍団長にも毛嫌いされており、特に平民出身で武勲を立てることにより出世したユトナ・フォリンとは犬猿の仲。アーダンが庇護する貴族の子弟たちが平民出身者を見捨てたとあらば、ユトナが救いの手を伸べる。そのような構図だったのだろうと武蔵は読んでいた。


「………………うん」

「アーダンに任せておけば、事態が悪化するという判断だったのではないかな。俺にとってはさして面白い相手でもなかったが、龍というのは国すらも脅かす存在という認識なのだろう? アーダン・ヴェリクの裁量で的確な判断をすぐに下せたとは思えん。彼奴一人ならば遠征部隊のことなど端から見捨て、王国騎士団全てを巻き込んでいつまでもウダウダとやっていたのではないか?」


 相手は傾国すらも覚悟しなければならない怪物、ドラゴンである。これは第六軍だけの問題ではない、王国騎士団総出でことに当たらねば。ともかくすぐにでも派兵しなければならないが編成はどうするのか。何処の軍団が先陣を切るのか。取り仕切るのは誰か、総責任者を誰とするのか。そんなことを喚きながら事態を混沌とさせてゆくアーダンの姿がありありと脳裏に浮かぶ。顔も知らない男だが愚鈍の極みだ。


「そうかもしれないけど……」


 アーダンはアイシアが所属する第六軍の長である。アイシアの言葉がいまいち煮え切らないのは、表立って批判することは出来ないが思うところはあるということだろう。


「真っ当にやっている者たちが馬鹿を見るのが癪に障るのだろうよ、ユトナ・フォリンという御仁は。だからお前を助けに行くという俺に馬を貸してくれたのだ。見ず知らずの者なのにな。ま、助けと言うても軍勢ではなく馬二頭とポーラ一人だ。無論、王都に帰れば礼は言うが、向こうもそこまで恩着せがましいことは言うまいて」


 その支援は十全とは言えないまでも、アーダンに比べればユトナは随分と義に厚い。まだ会ったことはないが、武蔵も好人物だという印象を抱いている。彼女のために身を粉にして働こうという者は多いのではなかろうか。

 齧っていた糧食をゴクリと飲み下してからアイシアが口を開く。


「そのポーラはどうして一緒に来てくれたの? いくら私が友達でも、ポーラは第三軍の仕事もあるのに」


 訊かれて、しかし武蔵は口を『へ』の字に曲げて首を横に振った。


「知らん。訊いてもユトナ・フォリンの指示だと言うだけで詳しいことは答えなかった。何か意図でもあるのだろうよ。時間をかけて聞き出している場合でもなかったしな」


 ポーラの動きが何だか密偵じみていて武蔵としては底の知れない感じがするのだが、ともかく敵ではないし力にもなってくれた。そういう彼女に対し強硬な態度を取ったり恩を仇で返すような真似は出来ない。だから今に至るまで強くは訊けていないのだ。


「そういえば、そのポーラの姿が見当たらないんだけど……?」


 朝になって皆で朝食を摂ってからというもの、ポーラは姿を消している。村の復旧現場にもドラゴンの解体現場にもいない。


「用事があるとかで村を出て行ったぞ。二日後くらいに戻るそうだ」


 彼女の所属は第六軍ではなく第三軍。独自の動きを取っていても任務のうちであるのなら咎める筋合いのものではない。


「そうなんだ……」


 そう頷き、二人の間にまたしばしの沈黙が流れる。ややあってから口を開いたのは、やはりアイシアの方からだった。


「それにしてもレオン、本当に強いね。一年前よりずっと強いんじゃないかな? まさかドラゴンまで斬るなんてさ」


 彼女はそう言うが、実際は一年前でもドラゴンを斬るくらいの力はあったのだ。だが、アイシアとの稽古では開発中だった真・二天一流の技を使わなかったというだけのこと。


「まあ、男子三日会わざれば、というやつだ。それにあの龍は生まれ持った能力に頼るだけだったからな。己を磨くことを怠った、強者とは言えん愚か者だ」


 武蔵が苦笑しながら言うと、アイシアも同じように苦笑する。


「そんなこと言えるの、レオンだけだよ? ドラゴンと一人で戦える人間なんて、世の中に何人もいないんだから」

「ユトナ・フォリンも同じことを言うさ。彼女も龍を斬ったのだろう?」

「そうだけどさ、ユトナ様には剣聖のギフトがあるもん。でもレオンは……」


 そこから先を言うことは憚られたのだろう、アイシアはハッとしたように口を閉じた。


「そんなものなくとも剣は振れる。お前にはポポラ村にいる頃にも散々言ったし、こうして証明もした」


 武蔵が刀の鞘を軽く叩きながら言うと、アイシアもうんうんと頷く。


「だね。私もがんばらないと。レオンに置いて行かれたくないし」

「その意気だ。同じ女性で同じ剣聖。ユトナ・フォリンに出来たのならお前にも出来るは道理だ。励め、アイシア」

「うん、がんばる」


 アイシアに笑顔を返してから、武蔵も兵士から分けてもらった糧食を懐から取り出して齧る。小麦粉を練って焼き締めただけのそれは、およそ食べ物とも思えないような、鋼の如き硬さだった。


「何だ、これは? 本当に人の食いものか?」


 前世の頃に兵糧として口にした干し飯もここまで硬くはなかった。信じられないという視線を糧食に向ける武蔵を見て、アイシアは久々に声を出して笑った。

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