宮本武蔵、龍を斬る②

 ポポラ村を出立してから三ヶ月後。ヴェリク王国首都ヴェルカナン、通称王都に武蔵の姿はあった。わき目も振らず一直線に王都を目指した結果、徒歩で三ヶ月かかったという次第だ。ちなみに馬を使わず徒歩ならそれなりに早い方である。


「ようやく着いたな……」


 眼前に広がる天下の王都の街並みを睨みながら武蔵は呟いた。見上げるほどの分厚い壁に囲まれた石造りの街。街の中心部にももう一枚円形の壁があり、この内側に国王たちの住む王宮がある。碁盤の目のように整地された街にはビッチリと建物が建ち並び、隅から隅まで夥しいほどの人いきれで満たされていた。

 前世で訪れた京の都もここまで大きくはなかっただろう。武蔵は終生江戸に行ったことはなかったのだが、恐らくは江戸もここには及ばない筈だ。


「凄いのう、マグナガルド。俺の想像を超えておるわ」


 王都と言えど、まさか京を超えるほど栄えているとは、さしもの武蔵も思わなかった。


「アイシアの奴、こんな凄い場所でちゃんとやれているのか?」


 都会に赴く田舎者には、都会何するものぞ、という共通した気概が備わっているものだが、性分としてアイシアはそのへんが空回りしていそうに思える。気負うばかりではなく時には肩の力を抜くことも必要なのだ。


「まあ、会えば分かるか」


 苦笑して、武蔵は石畳で整備された王都の通りを進む。彼女が王国騎士団に所属していることは分かっているが、しかし兵士の宿舎が何処にあるのかが分からない。うっかりして手紙で訊いておくのを忘れていた、


「誰かに訊くか」


 誰か良い人はいないかと武蔵がキョロキョロしていると、街を巡回しているらしき二人組の兵士たちが目に入る。どちらも男性、二十代後半から三十代前半といったところか。


「そこの兵士の人たち、済まんのだがちょっと良いかな?」


 武蔵が鷹揚に声をかけると、兵士たちは足を止めていぶかしむような目を向けてきた。


「ん? 何だ、お前? ここいらじゃ見ない顔だな」

「今日、この街に来たばかりだ」


 そう武蔵が答えると、最初に応対した方の相棒の兵士が納得したように頷く。


「なるほど、洗礼を受けてギフトを授かったから都会に出て来た、てところか?」


 その言い方からして、きっとそういう若者が多いのだろう。田舎の若者が一旗上げるために都会へ出る。今も昔も、世界が違ってもそのへんの事情は変わらないようだ。


「ま、似たようなものだ。ところで騎士団の兵士が使っている宿舎の場所は何処かな?」

「何だ、入団希望か? 今は時期じゃないぞ」


 アイシアが入団試験を受けた時期を考えれば、それは武蔵にも分かる。


「あいや、違う違う。騎士団にいる友を訪ねて来たのだ」

「ふーん。どの軍団の奴だい?」

「いや、恥ずかしながら知らんのだ。その友が訓練期間を終える直前くらいで俺も故郷を出て来たものでな、どの軍団に配属されたのやら……」


 武蔵の答えが要領を得ないので、兵士はふうむ、と鼻を鳴らした。


「じゃあ、そいつの名前は? もしかしたら俺か相棒が知ってるかもしれねえ」

「アイシア・スタンツ」


 彼女の名前を聞いたところで、兵士たちが揃って「お」と声を洩らした。


「アイシア? もしかして女性か?」


 訊かれて、武蔵はそうだと頷く。


「いかにも。訓練期間を終えたばかりの新米兵士なのだが……」


 アイシアの手紙でも特には触れられていなかったので武蔵は知らないのだが、騎士団に所属する者たちの宿舎は各軍団で分かれている。宿舎は王都の中に点在しているので闇雲に訪ねて回るのは非効率なのだ。最悪、全ての宿舎を訪ねる破目になる。

 だが、武蔵は運が良かった。


「なら、女性用の宿舎だな。騎士団の女性人口は少ないから、各軍団共通で使っていて、宿舎が一つしかないんだ」

「ほう、女性用宿舎か」


 男女で生活空間を分ける。考えてみれば当然のことだ。


「お前、王都の地図持ってるか?」

「これに」


 王都に入る直前、壁の外で街の地図を売る露天商から購入している。地図は存外に高いもので、それで路銀の残りがほぼ尽きたのは痛かったが、この街にはアイシアがいるのだから彼女に会えれば宿も飯もどうにかなる。

 武蔵が懐から地図を取り出して手渡すと、兵士は親切に女性用宿舎がある場所に印を付けてくれた。


「よし……と。ここ行ってみな。現在地はここだ」


 地図上で現在地を指し示してから、武蔵に地図を返す兵士。


「かたじけない。御親切痛み入る。では、御免」


 親切な兵士たちに頭を下げ、武蔵はアイシアがいるだろう女性用宿舎を目指して歩き始めた。



 王宮のほど近く、位置的には街の東側に騎士団の女性用宿舎はあった。部屋数は十以上もあるだろうか、民家というよりは宿のような造りの建物である。その建物に入り、住み込みで働く職員だという恰幅の良い中年女性にアイシアを訪ねて来た旨を告げたところ、彼女は眉間にシワを寄せて首を横に振った。


「え? アイシア? あの子、今は王都にいないよ?」


 あれだけ王国騎士団に入りたがっていたアイシアが王都にいない。女性が嘘を言っている気配はないし、冗談のような雰囲気でもない。一体どういうことなのか。まさか騎士団から出奔したとでも言うつもりなのか。


「えぇッ! な、何故!」


 武蔵が驚愕して声を上げると、女性は「大袈裟だね」と眉をひそめた。


「何故って、任務に決まってるじゃないか。遠征さ。任務地は……おほ、遠いねえ、北のシロン村だわ」


 近くにあった棚から何か帳面のような冊子を取り出し、中を確認しながら女性が言う。アイシアが騎士団から逃げ出したというような最悪の事態ではないことに一応は安堵しつつも、しかし当初のアテが外れたことには一抹の不安が生じる。


「シロン村? 何処ですか?」


 背負っていたザックからヴェリク王国の地図を取り出して武蔵が訊くと、女性はシロン村の位置を指差した。


「ほら、ここだよ、ここ」


 女性が指したところは地図上でも北西の端の部分、ポポラ村と同じような、周りに大きな都市や町もない僻地の村である。


「むう……」


 遠征と言うだけあって随分と遠い。早馬を走らせても一日、二日で行ける距離ではないだろう。集団による馬車での移動ならたっぷり十日はかかるのではないだろうか。


「残念だったね。でも、そんなに強くもない魔物の討伐任務だった筈だから、割と時間もかからずに戻って来るんじゃないかい?」

「それは具体的には、どのくらい……」


 アイシアがいつ任務に出発したのかは分からないが、出来ることなら任務を終えてもう帰路に着いているくらいならありがたい。

 武蔵の問いに、女性は顎に手を添えて考えるような様子を見せる。


「さあねえ、魔物の大規模発生や上級種の討伐なら半年以上かかるだろうけどねえ、普通の雑魚が湧いてるくらいじゃ、あと一ヶ月がいいとこじゃないかい?」

「い……一ヶ月も!」


 武蔵が驚愕の声を上げると、女性は渋面を作った。


「何だい、一ヶ月くらいなら王都で待ってればいいじゃないか」

「いや、一ヶ月も宿を取るほど金が……」


 気落ちした様子で武蔵が肩を落としていると、ふと、背後から、


「ねえ、貴方」


 と、声がかかる。鈴の音が響くような、凜とした声だ。

 武蔵が振り返ると、そこに、一人の女性騎士が立っていた。年齢は自分と同じくらいだろうか、藍色の髪を肩あたりの長さで切り揃え、声と同じく凜とした顔をした美しい女性だ。ポポラ村のような田舎ではまず見ないタイプである。

 恐らくは務めを終えて帰って来たのだろう、女性騎士は帯刀して鎧も着けたまま、こちらに値踏みするような視線を向けていた。


「……何か?」


 武蔵がそう返すと、女性騎士は微笑を浮かべながらこう訊いてきた。


「貴方、もしかしてレオンさんというお名前じゃないかしら?」


 いきなり名前を言い当てられ、武蔵は若干の戸惑いを見せる。この女性騎士とは知り合いではない、初対面だ。それに自分の武名が国中に轟いているのならまだしも、今は天下無双に向けて動き出したばかり。故郷の人間たち以外に自分を知る者などいる筈もない。


「いかにも。レオン・ムサシ・アルトゥルだ」


 一体どういうからくりなのだと、武蔵がぎこちなく頷くと、女性騎士は納得したようにうんうんと頷いて見せた。


「ああ、やっぱりそうなのね」

「あの……失礼だが、貴女は……?」

「あ、ごめんなさいね、一方的に」


 言うや、女性騎士は改まった様子で武蔵に名乗り始める。


「私、クリム・サルバトル子爵が次女、第三軍所属のポーラ・サルバトルと申します」

「はあ、これは、ご丁寧に……」


 彼女の名前はポーラ・サルバトル。ポポラ村のような田舎村とは縁遠い貴族の子。しかし名乗られたところでやはり聞き覚えはない。

 武蔵が怪訝な顔をしていると、ポーラは苦笑しながら口を開いた。


「アイシアさんの手紙には私のことは書かれていなかったのですね。私、アイシアさんとは同期でして、訓練生時代から仲良くさせていただいていますの」


 ここでようやく、武蔵は彼女に付き纏っていた面妖な印象を払拭することが出来た。単純にポーラはアイシアの親しい仲間で、おしゃべりなアイシアが武蔵のことも彼女に話して聞かせていたということなのだろう。


「ほう、左様で」

「だから彼女から故郷のポポラ村の話や、人品恰好など貴方の話も聞いておりまして。アイシアさんに剣を教えたのは貴方なのだとか」

「手解きだけ。後は二人とも、打って打たれてお互いに強くなったのだ」


 あくまで師ではなく、共に学ぶ仲間。それが武蔵とアイシアの関係だ。


「彼女、よくレオンさんの話をしてくれますのよ?」


 ポーラが笑いながら言うので、武蔵は少し悪い予感がした。アイシアの前では出来るだけ隙は見せなかった、それでもいくらかは失敗もしたように思う。そういう失敗を面白おかしく吹聴されたのではたまったものではない。


「恥ずかしい話でなければよいのだが……」


 武蔵が後頭部をポリポリ掻きながら言うと、ポーラは思わず苦笑した。そして、ひとしきり笑ったところで、彼女が改まった様子で口を開く。


「ところでレオンさん、貴方、お困りの御様子ですわね?」


 問われ、武蔵は隠すこともなく眉間にシワを寄せて頷いた。


「いや、アイシアに会いさえすればどうにかなるだろうと、路銀をほとんど使ってしまったのだ。だが、頼みのアイシアがおらず、どうにも……」

「つまり、お金がないと?」

「あけすけに言えば、そういうことだ」


 路銀はその都度旅先でどうにか稼ぐつもりだったのだが、今日はそれを念頭から外していたのが仇になった次第。何事にも想定外があるのだと反省しなければならない。

 武蔵の言葉を受け、ポーラはしばし逡巡する様子を見せてから、何事か思い付いたというように話しかけてきた。


「レオンさん、貴方、確か恐ろしく腕が立つのですよね? 剣聖のギフトを持つアイシアさんをも凌駕する」

「自慢は慢心に繋がるようで好きではないが、アイシアには負けたことがない」

「アイシアさんは同期の中で最も剣の腕に優れる人。そのアイシアさんが一度も勝てなかったのだから、実力は確かですわね。なら、大丈夫でしょう」


 うんうんと頷きながらポーラは言う。彼女は自分一人で納得しているようだが、一体何が言いたいのだろうか。


「大丈夫とは、何が?」


 そう武蔵が訊くと、ポーラはおもむろに武蔵の腰に差してある刀を指差した。


「レオンさん、お金がないというのなら、その腕を活かしてお金を稼げばいいのですよ」

「ふむ?」


 つまり、剣の腕を活かして稼げと、そういうことだろう。まさか騎士団の人間が暗殺や辻斬りをしろと言う訳はないし、護衛のような仕事も騎士団の領分であるように思う。一体武蔵に何をしろと言うつもりなのか。


「簡単な話です。冒険者ギルドに加入するのですよ」


 言われて、武蔵はむう、と唸った。


「冒険者ギルド……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る