宮本武蔵、龍を斬る③

 冒険者ギルド。それは国家の枠を越え、世界各国に拠点が存在する民間最大級の組織。

 登録された冒険者たちを統括し、各地から持ち込まれた依頼を彼らに斡旋するのが主な業務だ。魔物の討伐、魔王が人界に残した迷宮ダンジョンの調査、旅の護衛、素材の回収まで依頼は多岐に渡る。

 そして冒険者ギルドにはもう一つ重要な役割がある。それは依頼以外で魔物を討伐した者に対し報奨金を支払うということだ。冒険者が魔物を倒し、指でも耳でも、ともかく指定された部位を持ち帰ると報奨金が支払われる。

 依頼もさることながら、活動拠点を定めない旅の冒険者には、この魔物討伐の報奨金が何より喜ばれた。



 武蔵は今、王都の冒険者ギルドの前に立っている。国の首都だけあって、王都の冒険者ギルドは国内最大規模を誇るらしく、建物もそれは豪奢だった。流石に王宮とまではいかないまでも貴族の屋敷と見紛うくらいには凄いものだ。


「この俺が、組織に所属するか……」


 ひっきりなしに人が行き交う冒険者ギルドを見つめながら、武蔵は呆然と呟く。

 路銀がほぼ底をつき、頼みにしていたアイシアも不在ということで困り果てていた武蔵にポーラが勧めたのが、この冒険者ギルドに登録して魔物討伐の報奨金で食い扶持を稼ぐというものだった。

 武蔵は前世の頃から組織に所属することをあまり良しとしていない。単純に己の行動が縛られるからだ。集団の中で生まれる軋轢やしがらみも大嫌いだった。だからこそ大名に誘われても城勤めなどしなかったし、弟子は取っても自ら道場を構えるようなことはしなかったのだ。戦に参加したのも頼み込まれて断れずのこと。

 最初、ポーラの提案に武蔵は難色を示したのだが、冒険者ギルドの方から依頼を強制されるようなことはないし、世界中に拠点があるので腕さえあれば食うには困らないからと押し切られたような恰好だ。もともと旅の中で路銀を稼ぐ手段は必要だったので、組織という点に目を瞑れば冒険者ギルドに所属する利点は大きい。


「まあ、背に腹は代えられんか」


 自嘲気味に言いながら、武蔵は冒険者ギルドの扉に手をかけた。

 ギギギ、と軋んだ音を立てながら両開きの大きな扉が開く。その瞬間、ギルド内にいたいかつい冒険者たちの視線が一斉に武蔵に注がれた。


「………………むう」


 冒険者たちの刺すような視線が肌に痛い。ヒリヒリする。歓迎されていないのか、舐められているのか、ともかく冒険者たちは武蔵の姿を一瞥するとすぐさま視線を外して各々それまでしていた作業なり会話なりに戻っていった。

 前世の話。関ヶ原の合戦に参戦した折、武蔵は父、新免無二が昔仕えていたという黒田家に参陣したのだが、父に連れられてその陣に顔を出した時、丁度このような視線を浴びた覚えがある。

 単純に言えば、新参者に対する「何だこいつは?」という視線。

 武蔵は苦笑しながらギルド内に足を踏み入れ、職員たちが詰めている受付カウンターに赴いた。


「御免。冒険者として登録していただきたいのだが?」

「登録ですね? 承りました」


 武蔵が言うと、対応してくれた職員の若い女性がすぐさま頷きニコリと微笑む。やけにあっさりと了承してくれたもので、武蔵は思わず肩の力が抜けてしまった。騎士団のように所属するための試験があるのではないかと思っていたのだ。


「では、今から冒険者ライセンスを発行いたしますので、準備している間にこちらの方に目を通して、御納得いただけましたらサインをお願いします」


 そう言って職員の女性は一枚の紙とペンを武蔵に差し出すと、すぐさまカウンターの奥に引っ込んで行った。

 彼女が戻って来るまでの間、渡された書類に目を通す。内容は冒険者が厳守すべき内容のようなもので、これに同意出来るのなら署名をせよというものだ。

 その内容は多岐に渡るが、要するに犯罪には加担するな、冒険者ライセンスや立場を悪用するなといったごく普通の規範である。

 また、依頼についての注意点も併記されており、依頼を失敗すれば違約金が発生するなど基本的なことが書かれていた。

 冒険者に依頼を強制したり、その自由を侵害するような契約内容がないことを確認してからペンを手に取り署名をする。書き記す名は当然レオン・ムサシ・アルトゥル。

 署名を終えるのとほぼ同時に、職員の女性が何やら台座に接着された水晶球のようなものを抱えて運んで来た。


「よいしょ……と!」


 かなり重たいのだろう、職員の女性が台座を置くと、カウンターがゴトン、と鈍い音を立てる。


「大丈夫かね?」


 武蔵がそう声をかけると、彼女はふう、と短く息を吐き、乱れた呼吸を整えた。


「ええ、馴れっこですから御心配なく。署名は……されていますね。では、えーと……レオン・ムサシ・アルトゥルさん?」


 書類に書かれた署名を確認してから、職員の女性が武蔵に顔を向ける。


「は」

「こちらに手を置いてください」


 言って、彼女は先ほど持って来た水晶球の台座を指す。


「この水晶球は何かね?」

「貴方の個人情報を読み取って冒険者ライセンスに登録するものです。貴方の人相や所持しているギフトなどの情報をこの水晶で読み取り、台座の部分に収納されている新規のライセンスカードに登録するんです」

「人相も登録されるのか? 凄いものだな」


 流石、異世界。流石、魔法が存在する世界。きっと、旅を続ければこういう未知には幾度も巡り会うのだろう、武蔵にしてみれば楽しみなことだ。

 素直に驚く武蔵の様子を見て、職員の女性が誇らしげに胸を張った。


「ダンジョンでしか採掘されない貴重な魔結晶を使った装置ですからね」

「ふむ、ダンジョンか」


 大昔、勇者によって倒されたという魔王。その魔王が人界の侵略拠点として世界各地に建設した迷宮がダンジョンと呼ばれている。ダンジョンの内部には外にはいない強い魔物もいるということだから、武蔵もいずれは行ってみたいと思っている。

 ともかく、今はまずライセンス登録だ。


「この水晶球の上に手を置けばよいのだな?」

「はい」

「では……」


 武蔵が右掌でそっと水晶球に触れると、その中心部分が淡く光を放ち始めた。


「お……」

「手は放さず、しばらくそのままでお願いしますね」

「うむ」


 水晶球の発光に合わせて、台座の部分から何やらジリジリとゼンマイを巻くような音が鳴り始める。きっと、何某かのからくりが作動してライセンスカードに武蔵の情報を登録しているのだろう。

 五分ほどもそのまま待っていると、水晶球から光が失せ、台座部分からもジリジリ音が止んだ。どうやら登録作業が終わったようだ、と思っていると、台座のスリットから一枚の金属製カードが吐き出された。

 職員の女性がカードを取り、登録情報に齟齬がないか確認する。


「はい、登録終わりました。お名前、人相、ギフト…………?」


 確認の途中、武蔵のギフトを見た彼女が何故か眉をひそめた。


「どうかしたかね?」

「お持ちのギフト、鍛冶神の加護なんですね……」

「そうだが、それが何か?」

「いえ、戦闘系ではなく職人系のギフトだったもので……」


 ギルドに登録する冒険者というのは、その殆どが戦闘や冒険に役立つギフトを所持している。だからこそ冒険者をやるのだ。普通は職人向きのギフトを授かれば職人になる。マグナガルドの常識では、所持しているギフトと就く職業に乖離があるのは珍しいことだ。

 彼女が皆まで言わずとも、言いたいことは武蔵にも分かる。


「ああ……。ま、ギフトなどなくとも剣を振るのに都合の悪いことはないからな」


 アイシアに言ったのと同じような言葉を彼女にも言ってやると、職員の女性は何とも返答に困るといったような、ぎこちない笑みを浮かべた。


「そ、そうですね、ええ……」

「うん」


 職員の女性はコホン、と小さく咳払いしてから表情を改めると、冒険者ギルドのライセンスカードを武蔵に手渡す。


「ではこちら、冒険者ライセンスとなります。ランクは最低のEから始まって、最高はAの上のSランクとなります。依頼達成や魔物討伐など、実績を積むとランクが上がってゆきますので、頑張ってくださいね。ちなみにライセンスを紛失した場合の再発行には金貨五枚のお金がかかりますのでご注意ください」


 うむ、と頷き、武蔵はカードを受け取る。


「では、ありがたく頂戴」


 カードの内容に誤りがないことを確認してから、すぐ懐にしまう。


「では、これにて御免」


 武蔵は職員の女性に軽く頭を下げると、そのまま冒険者ギルドを出て行った。



 冒険者ギルドへの登録は無事成功した。その報告と礼も兼ね、武蔵はポーラを訪ねて騎士団の女性用宿舎に戻った。


「御免」


 宿舎の扉を開いて中に視線をやると、はたして、一階の応接間に複数の女性騎士や兵士たちが集まり、何事か只ならぬ様子で話し込んでいるのが見えた。


「レオンさん!」


 応接間にいたポーラが、武蔵の姿を認めて駆け寄って来る。その表情は何故だか張りつめており余裕が感じられない。一体どうしたのだろうか。


「よかった、戻って来られたんですね」

「冒険者ギルドの登録が完了したことを知らせようと思ってな。して、そちらは尋常ではない様子だが、何事か?」

「大変なことになりました」

「何か問題でも?」

「アイシアさんが危ないかもしれません」


 切羽詰った様子でそう言うポーラ。

 いきなりとんでもないことを言われたもので、武蔵は驚愕に目を見開いた。


「何! どういうことだ?」


 詳細は不明だがアイシアの身に何か良からぬことが起こっている。そう思うと、武蔵の手にはじっとりと汗が滲んだ。

 武蔵に促されて、ポーラも緊張した面持ちで話を続ける。


「レオンさんが冒険者ギルドに行っている間に、どうやらアイシアさんが所属していた遠征部隊が半数ほど王都に戻って来たらしいのです。その中にアイシアさんの姿はなかったそうですから、彼女はまだ現地に留まっているものと思われますわ」

「うむ」

「彼ら、任務が完了したから戻って来たわけではなく、援軍を求めて戻って来た、もう半数は援軍が来るまで持ち応えるために残してきたと、そう言っているんです」

「持ち応える、とは? 予想以上に魔物が多かったということか?」

「いえ……」

「では、想定より強い魔物がいたのか?」


 武蔵が問うと、ポーラは僅かに逡巡するような様子を見せた後、意を決したように顔を上げて口を開いた。


「俄かには信じ難いのですが、彼らの遠征先にドラゴンが現れたらしいのです……」

「何だと!」


 魔物の中でも明確な強者とされる上級種、ドラゴン。今、アイシアはその強者と相対する死地にいるのかと、武蔵はそう思った。

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