アイシアの旅立ち

 洗礼の翌日、ポポラ村に戻った武蔵、アイシア、父アントニオの三人。

 アイシアは家に戻ると早速自分が剣聖のギフトを授かったこと、そして将来は王国の騎士団に入りたいということを両親に伝えた。当初、両親は、特に前職は騎士団の兵士だった父マルコは女性が騎士団でやっていくことの大変さを説き反対したのだが、逆にアイシアが自分の熱意と、少女とも思えぬ凄まじい剣の腕を見せると、納得はしていないのだろうが、それ以上反対はしなくなった。

 ギフトと人生は直結している。それがこの世界、マグナガルドの常識である以上、アイシアの両親も強行に止めるということが出来なかったのだ。何せアイシアが授かったのは無類の剣の冴えを見せる剣聖のギフト。武の道に進むことはむしろ必然、剣とは関係ない道を行ってギフトを腐らせておく手はないと言われれば頷かざるを得ない。授かったギフトの威力を見せられたのなら尚更だ。

 そういうことがあった翌日、アイシアは日課にしている武蔵との朝稽古を終えた後、自分は改めて王国騎士団に入るということを武蔵に告げた。


「私、十六歳になったら王都に行って王国騎士団に入るわ」


 アルトゥル家の庭の隅に置いてある丸椅子に腰かけると、アイシアは自分のこれからのことをつらつらと話し始める。


「騎士団には十六歳にならないと入れないから、それまではここで腕を磨くわ。騎士団に入ったら王都の訓練場で一年間は見習いとして訓練に明け暮れて、見習い期間が終了したら正式に騎士団に配属されることになるって、お父さんが教えてくれた」


 もう引退したとはいえ、アイシアの父はその道の先達だ。騎士団に関する正確な情報をを聞くのにこれほど適した人物もいないだろう。

 だが、話を聞く武蔵は強い騎士には興味があるものの、騎士団の組織そのものにはあまり興味がなく、さして調べもしていないので知識もない。


「これは俺がものを知らんから訊くのだが、騎士団というのは入れてくれと言ってすんなり入れるものなのか?」


 アイシアは騎士団に入ると簡単に言うが、そもそもどうやれば騎士団に入れるのか。前世の記憶を参考にするのなら、騎士とはつまり武士のようなもの。そこいらの町娘がいきなり雇ってくれと言って将軍なり大名なりに召し抱えられて武士になるというのは、どうも荒唐無稽なことのように思えるのだ。

 武蔵のそういう疑問に、アイシアはこう答えた。


「入団試験はあるけど、多分大丈夫だと思う。お父さんの話だと剣や槍、弓なんかの適性があるかを計るものらしいんだけど、私には剣聖のギフトもあるしね」

「確かにギフトの影響で剣の冴えは増しているな。これからも鍛え続け、実戦を経験すればお前はもっと強くなるだろう」


 今朝の稽古ですぐに分かったが、アイシアの剣は明確に鋭くなっている。ギフトを授かる前よりも速く、強く、重い剣を振り、体裁きも格段に向上していた。贔屓目なく、武蔵の知る女性の中では一番強いと言い切れる。


「ふふん。そうでしょう、そうでしょう」


 珍しく武蔵が褒めたので、アイシアは誇らしげに胸を張った。さして豊かでもない胸だから揺れることもないのだが、武蔵は少しだけ赤面して視線を逸らす。


「しかし平民の身で騎士団に入ったとして、栄達は望めるのか? ああいうところは男社会だというだけでなく、貴族が幅を利かせる場所でもあるのだろう?」


 平静を装いつつそれとなく武蔵が訊くと、アイシアは僅かばかり眉間にシワを寄せた。


「うん、難しいとは思う。でも、女性や平民が騎士団で絶対に出世出来ないかというと、必ずしもそうだというわけじゃないの」

「何だ、前例でもあるのか?」

「王国騎士団って六つの軍に分かれているんだけど、その第三軍の軍団長が平民出身の女性で、私と同じ剣聖のギフトを持つユトナ・フォリン様というの」


 それを聞き、武蔵は思わずほう、と唸る。


「女傑というやつか。本当にいるのだな」

「うん。ユトナ様は南のタイタス山脈で魔物が大発生した時、魔王時代から生きている有名なドラゴンを討伐した功績で軍団長になっているのよ」


 思わず飛び出したドラゴンという言葉に、武蔵は思わず目を見開いた。


「ドラゴン……龍か。確か龍というのは魔物の中でも上位に君臨する種だったな?」


 マグナガルドの世事に疎い武蔵でも、ドラゴンのことは知っている。蛇やトカゲといった爬虫類に似た容貌を持ち、蝙蝠の如く膜が張った翼で自在に空を飛ぶ巨大な魔物。その爪と牙は容易に岩を砕き、口からは鉄をも溶かす炎を吐くのだという。狩人をしている父アントニオが過去、一度だけ人里を襲うドラゴンを見たことがあるらしいのだが、その恐怖は今でも脳裏に焼き付いていると語っていた。その時は黙って話を聞いていたものの、武蔵としては一度相対してみたい相手だと思っている。

 そういう武蔵の心の内を知ってか知らずか、アイシアはぐっと拳を握り、熱っぽく言葉の続きを話した。


「ユトナ様は御自分が所属する軍団が苦戦する中、たった一人でドラゴンと戦い、倒している。同じ女性として、同じ剣聖として、私もそんな活躍がしてみたい。ドラゴンを倒せるような強い剣士になってみたい」

「なら、まずは俺から稽古で一本取ってみることだな」


 若者が夢を語るのは結構なことだが、実力が伴わねばその夢を叶えることは出来ない。アイシアの剣は確かに剣聖のギフトによって成長したが、それでもまだ武蔵を上回るものではなく、稽古でも武蔵から一本取れたことはない。まだまだ未熟だ。

 武蔵が指摘すると、アイシアは悔しそうに頬を膨らませた。


「あ、言ったわね? 私が王都に行くまでに、必ずあんたのことボコボコにしてやるんだから。見てなさいよ」

「ま、頑張れ」


 と言ってから、武蔵は妙案を思い付いたというように、そうだ、と手を打つ。


「俺から一本取れたら、俺がお前の剣を打ってやろう」


 武蔵は鍛冶神の加護というギフトを授かっている。剣だろうと鎧だろうと鍋だろうと、作ろうと思えば作れる筈。ならば村を離れるアイシアへのはなむけに剣の一本でも打ってやろうかと思った次第だ。

 武蔵のその提案に、アイシアは嬉しそうに目を輝かせる。


「え? ほんと? ほんとにレオンが私の剣を作ってくれるの?」

「無論だ。一本取れれば打ってやる。武士に二言はない」

「ブシって何?」

「嘘はつかんということだよ」


 まあ、武士と言ってもマグナガルドの人間には分からんかと武蔵が苦笑しながら答えると、アイシアはニッと唇の端を持ち上げ、勢い良く立ち上がった。


「よーし、じゃあ、絶対に私の剣を作ってもらうんだからね。早速やるわよ!」


 言いながら傍らに立て掛けてあった木剣を手に取り、構えを作るアイシア。今日の稽古はもう終わったというのに、早速やる気になっている。


「おい、今からやるのか?」

「そうよ、私が十六歳になるまであと九ヶ月。一年ないんだから急がないと!」


 武蔵との実力差が分かっているからこそ、アイシアは急いでいるのだ。あと九ヶ月、あとたったの九ヶ月しかない。武蔵と剣を交えることが出来るのもあと九ヶ月。家族や親しい人たち、そして武蔵と一緒にポポラ村にいられるのもあと九ヶ月。


「明日にしてくれんか? 今日はやることが……」


 だが、そんなアイシアの心の内など知らない武蔵は億劫そうにしている。別に稽古をするのが嫌な訳ではないのだが、午後からは鍛冶屋を営むマルコの作業場で剣を打つ練習をさせてもらおうと思っていたのだ。

 しかしながらアイシアもまた、武蔵の心の内など知らない。


「だーめ!」


 意地悪そうな笑みを浮かべてそう言うアイシアに、武蔵は思わず渋面を作る。


「むむう……」


 観念して立ち上がり、武蔵も木剣を取った。



 そしてあっという間に九ヶ月という時は過ぎ、アイシアは十六歳になった。

 この九ヶ月の間、アイシアはそれまでよりも更に熱を込めて稽古に打ち込んだのだが、終ぞ武蔵に一本を入れることは叶わず今日に至る。

 今日はアイシアがポポラ村にいられる最終日。明日になれば王国騎士団に入るため、村を出て王都へ行ってしまうのだ。普通なら家族水入らずで過ごすのだろうが、アイシアは今日も武蔵と共に稽古をし、最後の試合に臨んでいた。

 歩幅にして十歩ほどの距離を離して互いに構えを作る。アイシアは油断なく青眼のような構えを取り、対する武蔵は右手に大刀、左手に小刀を模した木剣を握り、右手を緩く上げつつ左手の木剣、その切っ先をアイシアに向けている。

 ジリリ、と、鼻先が痺れるような、まるで帯電しているかのような空気が二人の間に流れている。今日で最後。そう思えばこそ、二人の間に唯ならぬ緊張が生まれるのだ。

 はたして、この緊張を先に破ったのはアイシアであった。


「やあああぁーッ!」


 十歩の距離を一息で詰め、鋭い刺突を放ってくる。それも一撃だけではなく、同じ間で三撃も。ギフトによって彼女の技量が大幅に底上げされているのだ。


「むぅッ!」


 思わず目を見張るような見事な連撃だが、武蔵はその場から一歩も動くことなく、冷静に左の木剣で刺突を払って身体の外側に流す。それと同時に右の木剣を上段から振り下ろすのだが、動きを読んでいたアイシアが刺突を引いてその剣を受ける。

 だが、ここまでの流れは武蔵も読んでいた。いつもなら受けられた剣を強引に押して距離を作るのだが、あえて接近したまま、下段に忍ばせていた左の木剣を放つ。


「ッ!」


 下段から迫る木剣を見たアイシアが慌てて前蹴りを放ち、間合いを開けようとする。武蔵は左の木剣の軌道を変えてアイシアの足裏を打つ。瞬間、アイシアは弾かれるようにして後ろへ飛ばされたが、転ぶことなく器用に着地し、何事もなかったかのように再び青眼の構えを作った。


「ほう……」


 よくぞここまで練り上げたものだと、武蔵の口から感嘆の息が洩れる。

 女だてらに、などとは言わない。それは無粋だ。

 幼少の頃から確かに彼女の才は感じていた。休むことなく弛まぬ努力を続け、剣聖という天からの贈り物を授かり、それでも驕ることなく己を磨いた。そうして結実した一人の剣士が今、武蔵の前に立っている。

 今やアイシアは誰憚ることのない、一人前の剣士であった。

 彼女に剣を教えた者として、一緒に鍛えてきた者として、武蔵は嬉しく思う。誇らしく思う。だからこそ、出し惜しみはしない。彼女の全力に自分の全力で答える。それが武蔵から彼女へ最後の、そして最大の礼だ。


「行くぞ、アイシア!」


 今度は武蔵の方からアイシアに突っ込む。

 その瞬間、アイシアの顔に驚愕の色が広がった。

 まるで嵐のように放たれる、二刀による武蔵の連撃。その一撃一撃がアイシアのそれよりもずっと速く、重く、鋭い。時間にしてコンマ数秒。だが、その刹那の瞬間でアイシアは一気に押し込まれてしまう。

 上下左右あらゆる方向から放たれる剣を必死に捌こうとするのだが、アイシアでは手数が追い付かない。致命傷は避けているものの、捌き切れなかった剣がアイシアの手を打ち脚を打ち腰を打つ。真剣であればとっくに倒れていることだろう。だが、今は木剣の勝負であるということに甘える。何としてでも今日は、今日だけは勝ちたい。


「やああああああああぁーッ!」


 足を使って強引に下がって距離を作ると、アイシアは上段から渾身の一撃を放った。

 だが、アイシアが放ったその一撃も武蔵には届かない。武蔵は左右の剣を交差させて上段からの一撃を受けると、そのままハサミのようにアイシアの剣を挟み取り、腕を振って彼女の手から剣を弾き飛ばしてしまった。


「あッ!」


 アイシアの口から悲痛な声が洩れる。一撃を受けて負けるのではなく、まさかこのような形で負けるとは思ってもみなかったのだ。

 はあはあと、激しく肩を上下させながら自分の木剣が飛んで行った方を見つめているアイシア。対する武蔵は息を乱すことなく静かに佇立し、剣を下ろす。


「勝負あり、だな」

「………………うん」


 武蔵に向き直り、アイシアは暗い表情で残念そうに頷く。


「最後だったのにね。結局最後まで一本も取れなかったね、私……」

「手加減してやった方が良かったか?」


 武蔵が苦笑しながら訊くと、アイシアは真面目な顔ですぐさまそれを否定した。


「ううん、それは絶対に嫌」

「だろ? だから全力でやった」

「うん、分かってる。分かってるよ。だけどさ……」


 言いながら、アイシアの目にじわじわと涙が浮かんでくる。

 彼女がここまで悔しがるのは初めてのことだ。これは尋常のことではないぞと、武蔵はアイシアの顔を覗き込み、優しく肩を叩いてやった。


「そう落ち込むな。今日の勝負が生涯最後になるわけではない」

「え?」


「前に言っただろう、俺は王都の御前試合に出てから放浪すると。王都には必ず行く予定だから、その時は騎士団に寄ってお前を訪ねるさ。その時にまた勝負すればいい」


 父アントニオの話によると、国王主催の御前試合は毎年王都の闘技場で行われるとのこと。それに王都にはユトナ・フォリンのような強者がいるということも分かっているから行くのは確定だ。探せばユトナ以外にも強者はいるだろう。

 武蔵がそう励ましても、しかしアイシアの表情は曇ったまま。その瞳からすうっ、と涙が落ちるのと同時にアイシアは口を開いた。


「でも、ポポラ村にいられるのは今日が最後だったのにさ。レオンが打った剣を貰えないまでも、せめて最後に一本くらいは取りたかったのにさ……」


 彼女のその言葉で、武蔵は九ヶ月前の約束のことを思い出した。アイシアが王都に旅立つまでの間に稽古で自分から一本でも取れれば、彼女のために剣を打つと。流石に今日の今日では勝ったところで剣の製作には間に合わないが、要は心の持ちようということだ。剣はなくとも武蔵から一本取れたという事実を胸に王都に行けたのに、と。

 成るほど、そういうことかと納得し、武蔵はふむ、と頷いた。


「アイシア、ちょっとここで待ってろ」

「え? あ……」


 アイシアの返事も待たず、武蔵は家の中に戻ってしまう。そうして数分経った後、武蔵は真新しい鞘に収まった一本の剣を持ち、アイシアが待つ庭に戻って来た。


「ほれ。やるよ、それ」


 と、武蔵が持っていた剣をアイシアに手渡す。


「え、これって……」


 いきなりのことに動揺しつつも、アイシアは渡された剣をまじまじと見つめている。


「抜いてみろ」

「う、うん……」


 武蔵に促され、アイシアは恐る恐る鞘から剣を引き抜いた。

 スラリと、流れるように抜かれた剣の刃が陽光を受けて眩しく輝く。両刃の直剣で、柄は両手で持てるように通常よりもやや長い。刃の根元には漢字で『武蔵』と刻印されており、製作者が武蔵であるということが示されている。


「わあ、凄い……ッ」


 煌めく刃を見つめたまま、アイシアが感嘆の声を洩らす。

 アイシアの父マルコも鍛冶師だから分かるのだが、これは並の剣ではない。型に溶けた鉄を流し込んで作るような大量生産の剣ではなく、職人がしっかりと鉄を打って作った上物の一品だ。使う者が使えば甲冑すらも切断出来るだろう。

 刃と同じようにキラキラと輝く瞳で剣を見つめるアイシアに、武蔵は珍しく、ニコリと笑顔を見せる。


「俺が打った剣だ。九ヶ月前の約束がどうあれ、選別としてお前にやるつもりだった。鍛冶仕事の練習として作成したのだが、存外に良い出来になってな」


 剣の稽古は勿論のこと、それと並行して、武蔵はマルコの作業場で一角を借りて鍛冶の修行もしていたのだ。刀を打つにしても、いきなり出来るものではない。まずはこの世界で一般的な剣を打って腕を磨き、最終的に刀を打つつもりなのだ。そうして満足のゆく刀が出来上がったら、武蔵もいよいよポポラ村から旅立つと決めている。


「…………いいの? 私、一本も取れてないのに」


 武蔵が打った剣を貰ったことは嬉しいのだが、しかし約束は果たしていない。アイシアはそんな困惑を顔に浮かべているが、武蔵は「構わん」と頷いた。


「俺の気持ちだ、受け取ってくれ」

「ありがとう、レオン……」


 言いながら、アイシアは剣を鞘に収め、大事そうにそれを胸に抱く。見れば、堪えようもなくさめざめと涙を流している。


「うむ」


 彼女の嬉しそうな様子を見て、武蔵も満足そうに頷く。弟子だなどとおこがましいことは言わないが、しかしアイシアは共に育ち、共に剣を学ぶ仲間であった。得難い存在であった。彼女の未来に幸あれと、武蔵はそう願わずにはいられなかった。


「ありがとう…………」


 そう言うと、アイシアは誰憚ることなく嗚咽を洩らして激しく泣き始める。

 武蔵が男気を見せて胸を貸すと、瞬く間に上着がアイシアの涙と鼻水でびちゃびちゃになってしまった。



 翌日の早朝、スタンツ家の前に武蔵の父アントニオが御者を務める馬車が止まり、その周囲に十人ほどの人垣が出来ていた。今日、王都へ向けて旅立つアイシアと、彼女を見送るために集まった村人たちだ。その中には当然武蔵の姿もある。


「今日は、娘のために集まっていただいてありがとうございます」


 そう言って、アイシアの両輪であるマルコとジェシカが皆に頭を下げた。両親を見他アイシアも慌てて頭を下げると、皆が微かな笑顔を浮かべる。


「アイシアちゃん、向こうでも元気でね。たまにはポポラ村に戻って来るのよ? みんな待ってるからね」


 言いながら、目元に涙を滲ませた母イリスがアイシアを抱きしめた。


「イリスおばさん……」


 アイシアもイリスの背に手を回し熱い抱擁を交わす。家が隣同士で親しい交流があり、かつ子供が長男である武蔵一人ということもあって、イリスはアイシアのことを自分の娘然として接してきた。アイシアもイリスのことをもう一人の母親だと思っている。

 しばしの間抱擁してから二人は離れ、次いでアイシアの友人たち、主に同世代の女友達が交代に彼女と抱擁を交わす。残った者たちとも言葉を交わし、アイシアは最後に武蔵の前に立った。


「レオン……」

「アイシア、元気でな」

「うん」

「いつになるかは分からんが、そう遠くないうちに俺も王都へ行く。その時には文を出すから向こうで会おう」

「うん」

「剣の稽古を怠るなよ? 剣の手入れも怠るなよ? 剣というものは剣士の命だ、俺がこさえた不恰好な剣でも……」


 と、武蔵の言葉の途中で、アイシアがそれを遮るように武蔵に抱き着く。

 突然のことに戸惑うレオン。周囲もアイシアの大胆な行動に声を失っている。

 皆が固唾を呑んで見守っていると、武蔵の胸に顔を埋めたままアイシアが口を開いた。


「……今までありがとう、レオン」


 そう言うアイシアの声が震えている。涙声だ。


「あ、アイシア……?」

「今日までずーっと、たくさん、たくさん、ありがとう」


 言いながら、武蔵に抱き着くアイシアの手に一層の力が込められる。まるで、想いの強さをその手に込めているかのようだ。


「アイシア……」

「私、忘れないから。絶対に忘れないから」


 その言葉を最後に、アイシアは我慢の限界とばかり、遂にわんわんと声を上げて泣き始めた。


「しばしの別れだ。だが必ずまた会おう。達者でな、アイシア」


 これが今生の別れという訳ではない。だが、武蔵は慈しみを込めてアイシアの頭を撫でている。今、この時くらいは、と。

 やがて彼女が泣き止むと、頃合を見計らっていたマルコとジェシカがアイシアを促してアントニオの待つ馬車に乗せた。

 そして、村の皆に見送られながら馬車は王都への道を進み始める。車窓から身を乗り出し、泣きながら手を振るアイシアの姿が遠ざかってゆく。

 どんどん小さくなってゆくアイシアの姿を見つめる武蔵の頬に、一筋の涙が流れた。

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