第50話「魂・震・必・滅」

 ムズウは勝ち誇っていた。「やった、やった!!」と子供のようにはしゃいでいた。いくつを現実世界に置き去りにし、かろうじて宝玉を守り通すことができた。次元を超える力と宝玉さえあれば、まだ計画はやり直せる――ムズウはそう思っていたのだろう。


「は、ははッ! ざまあみろ! 俺の勝ちだ!」


 完全に高揚していたムズウは——そのため、気づくのが遅かった。彼の足に縄が巻きついているのを。そしてその縄の先に、次元の壁をも超えた幾がムズウを追いかけてきていたことを。


「な、なぁああああああああああッ!?」


 アーデルの言葉によれば、「どんな敵だろうと絶対に逃がさない魔法の縄」というが——まさか、次元の壁をも突破できるとは幾自身も思っていなかった。


(本当に……色んな人に助けられているな、俺——)


 手に握った縄の感触が、とても頼もしい。


「くそッ、くそッ、くそおおおおおおおおおッ!」


 苦し紛れにムズウが、剣で縄を斬った。だが——もうすでに幾を巻き込んだまま、次元の壁を超えてしまっていた。『喰われ』ゆく世界がムズウの眼下に広がった時、彼の顔に確かな絶望が浮かんだ。


 二人はトキトーリの全景を見下ろせるほどの、はるか上空にいた。そして二人とも、今まさに落下しているところだった。


 顔中に絶望の色が満ちていくムズウは——やがて、それを憎悪に変えた。目の前にいる幾を滅ぼさんと、宝玉に満ちた魔気を全身から発しようとしている。


「殺して、やる……消してやる……!」


 ムズウの魔気は触手のように全身から伸びたが、彼はそれでは満足しなかった。


「もっと、もっとだッ! あんなチンケな〈纏石まとうせき〉ですら吸収できないぐらいの魔気を、もっと俺によこせッ!」


 ムズウの執念でより巨大な魔気が収束していくのを、幾はただ見ていた。彼のバチの〈纏石〉には魔気が残っていない。空を飛んでかわすことはできないし、これだけの魔気を受け止めきれるかどうかも——わからない。


 ムズウはそれがわかっていた。だから、幾を嘲笑った。


「残念だったなぁ! 俺にはこの宝玉があるんだッ! 無尽蔵の魔気を持つこの宝玉で、てめぇを消し飛ばしてやる!!」


 対し、幾も——笑っていた。それは、勝利を確信した笑みだった。


「無尽蔵の魔気ね……それなら、こっちにもいるぜ?」


 落下の途中——二人の体を高熱がなぶった。落ちていく度、その温度が急上昇していく。


「な、なんだッ!?」


 衣服に火が点くほどの高熱に、ムズウが地上を見下ろした瞬間——彼の顔が凍りついた。


 地上で、巨大な火球が発生していた。一人では生み出すことは不可能といえるほどの、魔気の塊。今、ムズウが必死に集めているものとほぼ同質量の魔気が、地上に現出していたのだ。


「ば、馬鹿なッ!? あれだけの魔気、いつの間にこんな――い、いや! 一体誰が——!」


 その火球の真下には、六人の人影があった。


 アルータ、ゼラ、キスティ、ヴァルガ、アーデル――そして彼らが取り囲んでいる中心には、ミールがいたのだ。


 ミールが——ほんの小さな魔気で学舎を焼き、雨を降らすつもりが洪水を起こした彼女が——今、すべての魔気を解き放とうとしているのだ。


 勝利を確信したのは、幾だけではなかった。


「——絶対戻ってくるって、信じてたわよ!! イクツ!!」

「くっそぉ! なんて熱量だッ! こっちの方が焼かれちまう!」

「泣き言言ってんじゃねえぞ、ヴァルガ! それでも男かぁッ!」

「僕も男ですけど、もう無理ですッ! 熱すぎますッ!」

「アルータ! まだ、コントロールはできてッ!?」

「もう少し――いや、もう、無理! 限界!!」


 全員の叫びが聞こえる中——「な?」と幾はムズウに言った。


「これが俺たちの——必然の果ての奇跡だ」

「……ふ、ざけんな……!」


 ミールが——みんなが、幾の名前を呼んでいる。


 幾はバチを背中から両手へと移した。すべてを受け止めるために。


 そしてミールたち全員が声を合わせ――呪文の名を唱えた。


『〈バ・バニンガ・バニシンガ〉!!!』


 業火と呼ぶにも生温い、熱気だけでもすべてを焼き尽くさんとする獄炎の塊。それが幾目がけ、放たれる――


 幾はその塊を、〈纏石まとうせき〉で受け止めた。当然、比類なき重量によって彼の体が大きく傾く。歯を食いしばり、腕が千切れそうなほどの激痛に耐え、限界まで背中を曲げ、そしてついに――バチを真上に振り上げた。


「うぉああああああああああああああああああ――——ッ!!!」


 それは、火柱と呼ぶべきものだった。あまりにも長大な――火柱。ムズウの力で『喰われ』た空をも貫き、どこまでも、どこまでも伸びてゆく。トキトーリのみならずヒガンの全土をも照らす火柱はどこまで伸びるのか、もはや誰にもわからなかった。


 対し、ムズウは——


「どいつも、こいつも……! そんなに俺の邪魔がしたいのかよぉおおッ!」


 宝玉によって得た魔気を、剣にすべて纏わせる。当然、その重量は両手で支え切れるものではなかったが——濁った色の触手を何十本も這わせることで、かろうじて姿勢を保った。ムズウの剣も天へと昇り——その色はどす黒く染まっていた。


 天を貫く火柱と、無尽蔵の魔気を纏わせた剣。


 それらが激突した時——大地が震え、空が唸り、海が轟いた。嵐が発生し、雷も落ちた。幾とムズウ、両者の渾身の一撃は天地万物を揺るがすほどの衝撃を生じ――激しい閃光が生まれた。


「はぁああああああああああああッ!!!」

「らぁああああああああああああッ!!!」


 最初に——形を変えたのは火柱の方だった。ムズウの剣と激突したことで、ぐにゃりと中折れを始めたのだ。ムズウは勝利を確信したように、にたぁと口の両端を吊り上げたが——すぐにそれが自分の思い違いであることを知った。


 幾はムズウの剣とまともにぶつけ合わそうとはせず、ただのだ。真っ先に山が裂かれ、大地も斬られ、空をも焦がす。長大な火柱の重量と遠心力によって、幾の体は回転を始める。まだ空に残る火柱の魔気が、幾の体を中心に集まっていく。


 火車ひぐるま。人の目で捉えるのは困難なほどに眩しく、熱く、ほとばしる巨大な火車を、幾は自らの体の回転によって生み出したのだ。


「な、なにぃぃぃいッ!?」

「曲目一番——〈火炎車かえんぐるま〉ぁああああああああああ!!!」


 急回転し、突っ込んでくる火車をムズウは剣で食い止めようとしたが——まったく効を奏しなかった。弾かれていく。触手が燃える。魔気の残滓が宙を舞う。どす黒い剣の欠片が、ばらばらに散っていく。


 そして——ほとんど燃え尽きようとしている幾のバチが、ムズウの剣の本体をすべて粉々にした。


「あ、ああ、ああああ……ッ……」


 右腕は後方に伸ばし、


 左手は右肩に添えるように。


 背筋を伸ばして、視線は真横にまっすぐに。


 ただ——まっすぐに。


「——ひッ」

「曲目一番——〈火炎太鼓かえんだいこほむら〉!!!」


 渾身の、二打。


 一瞬の間を置いて——ムズウの体の内側から、爆炎が噴き出した。四肢、胴体、頭部——ありとあらゆる部位を焼き、ムズウの持っていた剣の柄をも溶かした。その炎は十秒と経たずに消えてしまったが——彼の戦意もろとも、燃やし尽くすには十分すぎた。


こんしんひつめつ……!」


 たましい震わせ、必ず滅す。


「——お前には似合いの言葉だな」

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