第49話「幾VSムズウ」

「俺を、潰すだと……!?」


 ムズウの怒りはもはや限界に達しようとしていた。両手をばっと広げ、ほとんど溜める間もなく、火の上級呪文バニシンガと雷の上級呪文マザガンダを連続で放出した。


「たかがコピーの分際で、おごってんじゃねぇ!」


 火と雷、両の魔法が豪雨のごとく放たれる。


 いくつはそのすべてをバチの先端の〈纏石まとうせき〉で受け止めるや、すぐさま地面へと流した。幾の後方の地面が何度もえぐられ――ムズウは一拍も置かず、次々と様々な魔法を投げつけた。もちろん、幾はそれらも受け止めて流すが——ムズウの連撃に反撃する暇がない。


 幾はムズウにそう思わせた。


 再び、火の上級呪文バニシンガが迫る。幾はそれを受け止めると同時、その勢いで体を回転させた。〈纏石〉で吸収したことで火の上級呪文バニシンガはさらに増幅し、それをそのまま、ムズウ目がけて返す。ムズウが放ったものよりも巨大な火球は、彼の魔法をことごとく打ち消した。


「——くそッ!」


 ムズウはとっさに腰から剣を引き抜き、幾の返した火の上級呪文バニシンガを両断する。その時——幾はもう目と鼻の先にまで接近していた。〈纏石〉に残った魔気で、空を飛んだのだ。


「ちぃッ!」


 横への一閃。だが、幾のバチがそれを阻む。幾のバチがムズウの肩目がけて振り下ろされるが、すんでのところで受け止められる。ムズウが突き飛ばすように魔法を放っても、逆に幾に空を飛ばせる機会を与えてしまっていた。幾は吸収した魔気でバチが重くなる前に、何度かに分けて放出していたのだ。


 幾のバチが迫ってくる。あらゆる方角から、〈ゴル・ガルン〉をも叩き潰した必殺の一撃を叩き込まんとする。魔法を使われても、〈纏石〉で吸収し、返してやる。ムズウは焦りつつも、なんとか相殺する。


 その繰り返しを経て、次第に両者の距離は縮まり——バチとムズウの剣とがまともにぶつかった。幾のバチの〈纏石〉に宿った魔気と、ムズウの剣の魔気とが花火のように弾ける。


 単純な力押しでいえば、幾が勝っていた。無尽蔵の魔気を持つはずのムズウが押されているのだ。それが彼のプライドをひどく傷つけたらしく、怒りに顔を歪め、絶叫した。


「——ふざけんじゃねえ!」


 無理やり剣でバチを押しのけ、幾を斜めに切り裂こうとした時——彼のバチは二本とも、宙を舞っていた。幾自ら、真上に投げたのだ。「何ッ……!?」と放り投げられたバチにムズウの目が走った瞬間——幾は傷の走った右拳を、ムズウの頬に叩き込んだ。


「がッ――!」


 殴られた勢いそのままに、ムズウの体が地面に沈む。この程度の攻撃などすぐに回復できただろうが——それでも、殴られたという事実は変わらない。衝撃を受けているムズウは、またしても幾に攻撃する機会を与えた。


「これは、キスティの分だッ!」


 空から落ちてきた幾が、重力と共にムズウの腹部に突き刺すような蹴りを叩き込んだ。カエルの鳴き声を何倍にも増幅したような絶叫を発したムズウの腕を掴み、無造作に空中へと放り投げる。


「これはヴァルガの分!」


 幾は跳び——そのまま、ムズウの顔面に膝蹴りを見舞う。歯が飛び、血が舞ったが——それでも幾は止めない。


「アルータの分! ゼラの分!」


 重く、鋭い両の拳で次々とムズウを殴る。「これはオルトの分ッ!」とまたしてもムズウを大地に叩きつける。


「畜生があッ!」


 即座に回復魔法を用い、瞬時に傷が治る。幾目がけて何発も上級呪文を放つが、幾はすでにバチを手にしている。吸収した魔気を利用し、幾はムズウへと一直線に突っ込んでいく。


 どこまでも、追い詰めてやる――


 幾の目にはもはや執念といえるほどの火がたぎっていた。どんなにムズウが魔法を使おうが、剣を振るおうが、無意味だといわんばかりに。


 ざん、とムズウの背後に着地した幾は、仰天に振り返ったムズウを、バチではなく拳を振り上げた。


「ま、待て――」

「アーデルの分ッ!」

「ぐえッ!」

「ミールの分ッ!」

「がッ!」


 ムズウの首を掴んだ幾は、空高くムズウを放り投げた。背中からバチを引き抜き、跳び、さらに凄まじい勢いで回転する。苦し紛れにムズウが魔法を放っても、弾かれるだけだった。


 ムズウの正面に躍り出た幾の顔は——憤怒。それしかなかった。


「これが俺の妹を——侮辱した分だッ!」


 胸部から腹部。その二点に打撃をぶち込まれたムズウはなす術もなく、またしても空を切り、地面に穴を穿つ。


 幾は地に降り立った。ムズウを叩きつけた地点で緑色の結界のようなものが円形に広がっていくが——彼はただ、それを見ているだけだった。


 あれだけの攻撃を受けてなお、ムズウは無傷だった。それでも――荒く、息を吐いている。回復魔法で全快しても、彼の表情には余裕などなかった。口からぺっと血を吐き出し——わなわなと全身を震わせている。


「冗談じゃねぇ……! こんなの、相手にしてられるかッ!」


 ムズウはローブの前を解き、三角形の物体を取り出した。次元を超えるという力を有する、ディザスの秘宝だ。それを使い、ムズウはすぐさま自分が通れるほどの穴を作る。


「コピーは不完全だが……やるしかねぇッ!」


 ムズウはそう言って、穴の中に飛び込んだ。


 当然、幾がそれを見逃すはずがない。ムズウを追いかける途中で——「ミール!」と彼女の名前を呼ぶ。


「あとを頼むッ!」


 ミールは一瞬だけ不可解そうな顔をして――すぐに察したらしく、「わかった!」と力強く応えた。幾はほんの少しだけ笑みを浮かべてから、ムズウの作った穴へと飛び込んだ。


 初めて異世界に飛び込んだ時とは異なり、幾の体はまっすぐに、ムズウの向かう先を見据えていた。顔を向けてきたムズウは焦りをあらわに、とにかく前へと突き進んでいく。その果てに光の輪が見えてきて——ムズウは迷わず飛び込み、幾も遅れて続いた。


 そこは、幾のいた世界だった。


 どこかのビルの屋上に、幾は立っていた。時刻は夜、街にはそこら中に明かりが点いている。


 だが——空が奇妙な色に染まっている。ムズウが異世界をこの世界に貼付ペーストしようと、統合しようとしている前兆だ。


 幾はムズウの姿を探した。そして——すぐに見つけた。空に浮かぶムズウはヒガンから奪取した宝玉を用い、そこから魔気を放出している。ムズウもまたこちらに気づいたらしく、「くそっ!」と罵り言葉を発した。


「早く――早くしろッ! さっさとこの世界を——」


 言い終えるよりも先に、幾は跳んでいた。ムズウの手から宝玉を払いのけただけだったが——それでも彼の顔に、かすかな絶望の色が浮かぶ。だが、幾は容赦なく彼の顔を殴り、ビルの屋上へと滑り込ませた。


 ムズウは回復魔法を使う余裕もないらしく、殴られたあとそのままに、屋上に転がった宝玉をかろうじて両手に掴んだ。しかし——彼の前にはすでに幾が立ちはだかっていた。


「……!」

「ムズウ。お前には前から聞きたかったことがあるんだ」

「な、なんだと……?」

「お前のいう世界の統合が果たされた後——お前自身はどうなるんだ?」

「どうなる、だと?」


 はっ、とムズウは吐き捨てるように言った。


「決まってるじゃねぇか。神だよ、神! 二つの世界を統合して、新たな世界が創造されるのか、あるいはどちらも崩壊するのか――それを見届けるんだよ! 破壊をつかさどる神でも、創造を司る神でもどっちでもいい! 俺はこの圧倒的な力をって、すべての終わりと始まりを見届けるのさ!」


 幾はため息をついた。


 心の底から——呆れていた。


「それで、楽しいか?」

「あ……?」

「成功したとしても一人きりだ。誰かと喜びを分かち合うこともできないんだよ。……お前はそれでいいのか?」

「うるせぇ! 何が分かち合うだ! 俺はなぁ、ヒガンにもディザスにも散々こき使われてきたんだ! ディザスから秘宝をパクって、この世界に来て――俺がどれだけ失望したか、てめぇにわかるのか!?」

「どういう意味だ?」

「この世界も、あの世界と変わりなかった! 目の前のことしか見えてない、馬鹿な連中ばかりだった! 似ているどころじゃない、同じなんだよ! どいつもこいつも馬鹿ばかりだ! だから一度、滅茶苦茶にしてやるのさ! 世界がどうなるかを、間近に見せてやる! そうすれば間抜け面した連中もやっと理解できるだろうさ! 自分がいかに無知だったか! 愚かだったか! そういうことを——」


 ムズウの言葉はそこで止まった。眼前に、幾のバチが突きつけられていたからだ。


 そして——冷ややかに告げる。


「お前の言葉には、なんの根拠もない」

「こ、根拠……?」

「神だの〈交錯世界〉だの……世界の統合だのなんだのと言われても、正直もうどうでもいいんだ。二つの世界は実際にあるし、この世界がコピーだったとしても、人が……命があることに変わりはない。その命のひとつひとつを、お前は愚弄ぐろうしている。馬鹿にしているってことだ」

「……!」

「もう一度言うぞ、ムズウ。お前の計画が成功したとしても、お前は一人きりだ。そばに、誰もいてくれないんだ。一人ぼっちで勝ち誇る神様なんて、みっともないと思わないのか?」

「う、うるせぇ! てめぇにそんなことを言われる筋合いはねぇ! てめぇだって、くだらない日常を送ってばっかりだったろうが! 友達もいない、何もやらない、何の価値もない! てめぇはそういう奴だろうが!」


「そうだな」と幾は短く肯定した。


 怪訝そうにするムズウからバチを下ろし、ビルのフェンス越しに空を見上げる。


「俺も、ちゃんと生きてこなかった。だからばちが当たったんだろうな。どの道を選んだとしても……きっと、後悔するんだろうな」

「な、何を言っている……?」

「お前には関係のないことだ」


 幾は視線をムズウに戻し——「降参しろ」


「お前のくだらない野望はここで終わりだ。でなければ――死ぬよりもひどい目に遭うぞ」

「ぐっ……」


 ムズウは歯噛みし、両手足を地に着けたまま、ぶるぶると震えていた。


 下手なことをするな――


 幾はほんの一瞬だけ、気を緩めてしまった。儚い望みを抱いてしまった。これ以上もう一人の自分とやり合うなど、ごめんだ——もうこれ以上、人死になどごめんだと、思ってしまったのだ。


 その気の緩みが、ムズウに最後の抵抗の機会を与えた。ムズウはまだ、ヒガンの宝玉を手にしていたのだ。雷の低級呪文ザンガを発動し——幾の目を一瞬だけくらませることに成功した。


「——ムズウッ!」


 気がついた時にはムズウはすでに光の輪を作り、そこに入っていた。余裕も何もない、ただただ醜悪な笑みを浮かべて——自ら輪を閉じてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る