第44話「それでもあなたを愛したい」

 すべてを話し終えた時、ミールはただ黙りこくっていた。


 無理もない。こんな話を聞かされて、気持ちが重くなるのは当然だ——いくつはそう思っていた。


 この世界に来てからも、恐れの目で見られた。だけど、それは一瞬のことで——力をつければつけるほど、自分を解放すればするほど、認められていく実感はあった。あの魔闘まとう大会での死闘——本当は自分は、心の奥底では楽しんでいたのかもしれないのだ。


 人を、魔獣を、叩くことに喜びを見出している。


 違う、と否定したくても——できない歯がゆさがあった。


「昔のイクツ、ひどかったんだね」


 一瞬、聞き逃しそうになるほどの小さな声。「そうだよ」とつぶやくように言うと、「辛かったんだね」と返ってくる。


「ずっと、一人だったんだね」

「……違うよ。俺には妹が——」

「でも、妹さんにも話したことないんでしょう? 本当の気持ちを」

「…………」

「なんとなくわかった、イクツのこと。今までのこと、全部。なんていえばいいのかな……あ、うん。に落ちたってやつか」

「これでわかっただろ。俺はひどい奴なんだよ。人の気持ちがわからない人間なんだ。人を傷つけるしか、取り柄がないんだ」


 そうかもね、とミールはあっさり同意した。


「魔闘大会でゼラと戦った時のイクツ、本当に怖かったもん。さっきだって、ムズウを殺すなんて……普段のあなたなら、絶対に言わない。普段のあなたとあの時のあなた、どっちが本当のイクツなのかわからないぐらい——怖かった。……でも、どっちも本当のイクツだったんだね」

「本当の俺、ね……」


 幾は自嘲気味に首を振った。


 どっちだろうと、関係ない。人を傷つけたことは事実だし、取り返しのつかないことをしてしまった。あの時——同級生を殴りつけた時も、和太鼓部のメンバーを傷つけた時も、罪悪感を持たなかった。自分の気持ちのことだけで精いっぱいだったのだ。


 幾は手を開き、軽く開閉して——ぎゅっと握り込んだ。


「怖いだろ? 軽蔑するだろ? こんな奴だったのかとか――そう思うだろ?」

「勝手にわたしの気持ちを決めつけないでくれる?」


 立腹した様子で、ミールが言った。


「前のあなたが何をしたか。そして今のあなたが何をしているか。それは混同しちゃダメだよ。モーさんだって、きっとそう言う」

「……俺が一体何をしていたっていうんだ」

「覚えてないの? あなた、いつも一生懸命だったじゃない。仕事は手を抜かないし、学園もサボってないみたいだし、魔闘まとう大会に向けて毎日鍛えたりしてたじゃない。いくらムズウをブン殴るためといっても、あそこまでできるもんなのかなぁって不思議に思ってた」


 幾はぼんやりと思い出しつつ——「そういえば、そうだったな」


「生き残るために、必死だったんだろうな」

「それだけ?」

「……どういう意味だ?」

「ゼラ、イクツと戦った後すごくスッキリした顔をしてた。アルータもキストウェルも、イクツが捕まった時に本気で怒ってた。たぶん、ヴァルガも……自分の獲物を横取りされたみたいで気に入らなかったんでしょ。だからわざわざ助けに来た。それに、アーデルの落ち込みようといったら見てられないぐらいだったわ。……自分が生き残るためだけに必死だったんなら、みんなにこんなに想われないでしょう?」

「…………」

「楽しかったんじゃない? 本当は。ここにいて、みんなと一緒にいるのが」

「それは……」

「それは、イクツだからできたことなんだよ」


 幾は口を閉ざした。


 今、こんな状況で、楽しかったとかどうかなんて言える場合じゃない。自分がむやみに突っ走ったことで、状況はさらに悪化したのだ。


 自分なんかに——楽しかったなんて言える資格はない。


「わたしね、イクツと一緒にいるの楽しいよ」


 ミールの言葉に、幾は首を向けた。


「最初は気に入らなかったけどね。でも、ヴァルガのプライドをヘシ折った時はちょっと見直した。あなたがどんどん力をつけて、仕事もこなして、それから――話す度にどんどん楽しくなっていったの」


 覚えてる? とミールもこちらを向いた。


「あなたがわたしの頭をでてくれたこと」

「あ、ああ……」

「あれ、本当は嬉しかった。とても嬉しかった。子供扱いされてるみたいでちょっとムカついたけど、今までにないぐらい、ドキドキしたんだよ」

「…………」

「イクツ。わたしね、学園から追放されたでしょ? 魔気まきを使うなとか、使ったら処刑だって言われて」

「ああ、そうだったな……」

「だからなのかな。わたし、男子とか……男の人と関わった機会がほとんどなくて。だから、この気持ちをなんていえばいいのかわからないの」


 ミールの目が——まっすぐ幾の目を見ている。小さな球体の中に、いくつもの星がまたたいているようだ。今、世界を包む最悪な状況も何もかも忘れてしまいそうなほど。


「イクツ。この気持ち……『好き』って言っていいのかな?」

「そ、それは……」

「もっとそばにいたい。もっと話したい。もっと一緒に笑いたい。……そういうの全部ひっくるめて、『好き』って言っていいのかな?」


 ミールの手が幾の手に重なる。細くて、頼りなさそうで、けれど温かい——不思議な感触だった。


「イクツは、どう?」

「ど、どうって……」

「わたしは全部聞いたよ。イクツのことを知ったよ。人を傷つけてきたってことを聞いた。はっきり言って……怖いと思うところもある。それでも、わたしはたぶん……いや、きっと、イクツのことが『好き』なんだって思う」

「…………」

「後悔してるんでしょ? だから話してくれたんでしょ?」

「それは……そうかもしれないけれど」

「辛かった。苦しかった。でも、もっと辛かったのは誰とも気持ちを分かち合えなかったこと。……違う?」

「…………」

「わたしにはモーさんがいてくれたけど、あなたは違ったのかもしれない。だからわたしはイクツのことを軽蔑したりなんかしない。ずっと一人で耐えてきた、強い人だから」

「ミール……」

「そんなあなたを、わたしは『好き』になった。あなたにどんな過去があったとしても――わたしはあなたと一緒にいたい」

「————」

「……イクツは、どう?」


 瞳に混じる、かすかな恐怖の色。もしかしたら拒絶されるかもしれない——それでいて、その色をも呑み込まんとする勇気の色が、優しさに満ちた色が、ミールの目にあふれている。


 胸の内から今までに感じたことのない温かさが、体中に広がっていくようだ。ゼラやキスティと戦った時のような熱さとはまるで異なる。初めて感じるこの感情に、幾はただ——戸惑っていた。


 俺で、いいのだろうか——


 こんな俺でいいのか――


 今までずっと傷つけてきただけの俺が——


「……お、俺は……」


「はーい、そこまでそこまで」


 突然割り込んできた——不愉快さを隠そうともしない、声。見上げればムズウが腕を組んで、宙に浮いていた。


「安っぽいメロドラマ、ご苦労さん。見るにえなかったよ。反吐へどが出るぐらいだ。もっと絶望を味わってもらうためにわざわざ逃がしてやったってのに、やってることといえばガキ同士の馴れ合いときた! くっだらねぇ」


 ぺっ、と唾を吐く。


 幾はとっさにミールを庇うように立った。それを見、「へーぇ」とムズウが眉をひそめる。


「世界が終わりに近づいても、愛する女だけは何がなんでも守るってか? その騎士道精神……心底、反吐が出るわ。……おい、〈ゴル・ガルン〉」


 その名を聞いたと同時。いつの間にか金色の獣人、〈ゴル・ガルン〉が屋根の上に立っている。とっさにミールとの間に割り入るようにして——腹部に、すべての意識が持っていかれるほどの衝撃と激痛が走った。


 揺れる視界の中、〈ゴル・ガルン〉の爪が血に染まっているのが見えた。腹を貫かれたのだと気づいた時には、幾の体は屋根から滑り落ちていた。「イクツ!」とミールの悲鳴がかろうじて聞こえ――幾の手が、虚空を彷徨さまよった。


(ミールに、手を出すな――)


 何も答えてない。


 何も言えてない。


 まだ、何も――返せてないのだ。


(ミールに、手を……出す、な……)


 地面に激突し、口中に血の味が広がっていく。顔の角度のせいか、ミールの顔が見えない。


 でも、きっと彼女は今、怯えているはずだ。


 大丈夫だ。絶対、大丈夫だと——なんとかして伝えたい。


 その思いとは裏腹に、視界が黒く閉ざされていこうとする。


 誰かが駆けつけてきたような気がするが——わからない。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 地面が血塗られていく中——幾の瞼は閉じられていった。

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