第40話「交錯世界」
城門の手前に、キスティが用意したと思しき馬車があった。その手前には初老の男性がいて、キスティたちの姿を見るなり丁重に頭を下げた。
「さぁ、乗って」
隣に座るミールは、彼を痛ましげに見ていた。
「イクツ……」
「ダメ、ミール。今のイクツは心身ともに痛めつけられている状態。今の彼には休息が必要だわ」
「とはいってもよ……三日以内にムズウを
ゼラの問いは、キスティに向けられたものだった。彼女は腕と足を組み、静かに両目を閉じている。
「確かに、普通に考えれば不可能ね。何しろ相手は次元を超える力を持っているのだから」
「だったらよ……!」
「話は最後まで聞きなさい。それだけの力を持っているはずの人間が、どうしてここまでイクツにこだわっているのか……わたくしにはそれが不思議なのよ」
全員がはっとキスティに視線を差し向けた。考えたこともなかった、というように。
「ムズウは自分の身代わりのためにイクツを利用した。それはわかるの。わざわざ異世界から呼び寄せて、わたくしたちと戦わせて、
「そ、そう言われてもよ……まるでピンとこねぇぞ」
「お前には見当がついているのか、キスティ?」
ヴァルガの問いに、彼女は首を横に振った。
「そこまではわからないわ。……彼自身の口から聞かない限りはね」
「なに?」
突如、馬車が揺れた。いや、跳ねた。馬車自体が上下に揺さぶられる中——キスティはただ一人、「来たわね」とつぶやいた。
外に出ると、馬車の手前の地面が大きく
「ダニガン、あなたは避難していなさい!」
キスティの指示に、馬主はすぐに遠くへと走り去っていった。
そして全員が、不格好に『喰われ』ていく空を見上げる。黒点のように人が浮いていて——すぅっと地面に降り立ったのは、ムズウだった。彼が口を結び、不機嫌をあらわにしているのを、幾は初めて見た。
「あれが、ムズウ……」とキスティ。
「本当にイクツにそっくりだ。だが……」とゼラ。
「すっごく、嫌な顔。サイテーな感じがするわ」とミール。
ムズウは他の者たちには目もくれず、幾のみに視線を向けていた。
「まさか、あの状況で逃げ出せるとはな。さすがにこれは予想できなかったぜ」
「…………」
「頼もしいお仲間がいてくれて幸いだったなぁ。えぇ、おい? もうちょっとで俺の完璧な計画が達成するところだったのによ」
「完璧な計画ですって?」
ムズウはすぐさま、火の
「勝手に喋ってんじゃねえよ。俺は今、こいつと話をしてんだ」
「……!」
「おい、イクツよ。本当なら俺の代わりにお前が処刑されるはずだった。その間に俺は二つの世界をひとつにまとめるっていう計画を、完遂させるつもりだったんだぜ。空を見ろよ? もう誰にも止められないさ」
「…………」
ふら、と幾が一歩前に出た。ミールが支えようとしてくれたが——今の幾には彼女の手の感触も何も感じられなかった。
「世界の統合……これが、そういう意味なのか……?」
「そう。お前の世界の言葉でわかりやすく言えば、この世界を丸ごと
「そんなこと、できるわけがない……」
「それがな、できるんだぜ」とムズウは鼻で笑った。
フードから抜いた手にはあの、ヒガンの宝玉が載せられている。無尽蔵の
「この宝玉でこの世界を
「さてと――」とムズウが続ける。
「不思議に思ったことはないか? どうしてお前がこの世界の住人と普通に話せるのか。本を読んだことがあるなら、どうしてそれが読めるのか。それだけじゃない、お前の世界にもあるものが、ここの世界にもあるはずだ。お前の世界の知識が、ここの世界にも通じているはずだ。そして——この国の情勢も、お前のいた国と似ているはずだ。違うか?」
段々と——ムズウの言葉の意図が読み取れるようになってきた。だが、それは考えるだけで震えることだった。ありえない、と脳が反発している。だが、彼の言葉を否定できる言葉が見つからない。
「俺はこの二つの世界をひっくるめて——〈
「〈交錯世界〉、だと……?」
「そう。互いに互いの影響を受け合っている、ふたつの世界。わかりやすく例えれば、あっちの世界で戦争が起これば、こっちの世界でも戦争が起こる。こっちの世界で疫病が発生すれば、あっちの世界でも起こる。常に影響し合っているとは限らないが——言葉、食い物、知識、技術、あー……あとはそうだな……土地とか国とか、そういったものも影響を受け合っているのさ」
幾は——いや、他の誰もが絶句していた。
「ただね」とムズウが額に指をつけて、難しい顔をする。
「影響し合っているとは言ったが、どうやら一方には偏りが出てくるらしい。特にお前の世界の方にな」
「どういう意味だ……?」
「お前の世界には魔法も、魔獣もいないだろ? 独自の技術で発展を遂げたようだが、それでも俺からすれば不完全な世界に外ならない。いくら文明が発達しようが飢餓、貧困、戦争、疫病……何やらは起こる。そういうのがあると、こっちの世界にも影響が出てしまう。まったく、迷惑な話だよ」
「…………」
「だから俺はいっそのこと、中途半端な状態でつながっている二つの世界をまとめてやろうというのさ。ここの世界を〈
幾は呆然と、その場に突っ立っていた。
「俺のいた世界が……この世界のコピー?」
「そうだよ。つまり、お前は俺のコピーってことだ」
「————」
「〈一元世界〉のコピーが〈二元世界〉なら、〈一元世界〉のあらゆるものが〈二元世界〉に通じているのは自明の理だろう? それは当然、人も同じだ。俺のコピーがお前で、その能力は俺より格段に下だ。比べ物にもならねぇ。だが——曲がりなりにも俺のコピーが、くだらない、カスにも劣る日常ばかり送りやがって」
「…………」
「気に入らなかったよ。俺が命がけでディザスに潜り込んでいる間、てめぇはのうのうと戦いとは無縁な生活をしていたってわけだ。だからこの世界に飛ばしてやったんだよ。少しでも俺の苦しみを味わってもらうためにな」
「そんな、理由で……?」
ははっ、とムズウは嘲笑った。だが——すぐにその顔が怒りに歪む。
「お前は……運がいい。本当にな。転移させた時点で、〈ガルン〉にはらわたを喰らわせてやってもよかったんだ。だが、お前は生き延びた。
「奇跡なんかじゃないわ」
そう言い切ったのは——アルータだった。
「イクツは自分の力で生き残って、勝ち上がった。あなたみたいに、遊びのつもりでやっていたわけじゃないのよ」
「……そうだぜ。こいつは——あたしの本気を真正面からブチ破ったんだ!」
「わたくしの蹴りに何十発も耐えてみせた。あなたにそれができて?」
「俺の想いを
「手加減してやったとはいえ、仮にもこいつは俺に勝ったんだ。コピーがどうだとか知らねぇが……笑わせんな」
「僕はずっと、イクツさんが努力しているのを見てきました。卑怯な真似などしませんでした。たとえ、あなたのコピーがイクツさんだとしても……あなたとイクツさんには天と地ほどの違いがあります!」
ムズウの頬が引きつり——「喋るなと言って……!」
「何が世界の統合よ、バッカみたい」
ミールが——両手を握り、震わせている。彼女の顔は恐怖などではない、怒りに染まっていた。
「あんた、結局イクツが羨ましいだけでしょ! 今までイクツがどんな世界で暮らしてきたかは知らないけれど――だからといって、あんたのくだらない計画とやらに付き合わせることないじゃない! 〈交錯世界〉がどうのこうのとか言って、わたしの大切な人も奪って……あんたみたいな三流の大馬鹿野郎、わたしは絶対に認めないんだから!」
ムズウの手に火球が浮かび——「喋るなと言ってんだろうがぁ!!」
「〈ガ・ガードラ・ガドガード〉ッ!」
ムズウの放った火球——おそらく、火の
「どいつもこいつも、目障りな奴らだ……!」
右手に火の
ムズウはその光の球を頭上に持ち上げ――「消えろ」と放り投げた。
全員が姿勢を整える間にも、その光球が迫る。
その瞬間——幾は確かに見た。
誰よりも速く起き上がり、誰よりも真っ先に光の球に突っ込むようにして、両手を広げたオルトの姿を。彼が肩越しに、幾に力強い笑みを浮かべたのを。
その光の球がオルトに直撃し——閃光が走った。
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