第39話「逆転、そして絶望の兆し」
続けて、足音が響く。
アルータ、ゼラ、ミール、ヴァルガ、オルト、そして——アーデルも。
困惑する幾をよそに、国王がぷるぷると唇を震わせている。
「お、お前たちは……」
「お久しゅうございます、国王様。父がお世話になっております」
キスティが
「そこにいるのはわたくしの友人よ。手荒な真似をして、無事で済むと思っているのかしら?」
びくっ、と震えた衛兵たちがとっさに幾から離れた。すぐさま「イクツ!」とミールが駆けつけてきて、彼の体を起こす。
「ひどい……イクツ、大丈夫? 大丈夫だよね?」
「……なんとか」
そう答えるのが精いっぱいだった。その言葉はキスティの耳にも届いていたらしく――彼女らしからぬ、冷酷無比の言葉を放つ。
「あなた方の顔は覚えたわ。後で覚悟をしておくことね」
衛兵たちはぞくっと青ざめ、うつむく。その光景を見た国王も、身をすくませていた。側近二人が彼を
一歩、一歩と小さな階段を上がり、王の眼前でキスティは告げた。
「さて――国王様、わたくしたちは話があって、ここに参りましたの」
「話、だと……? 一体なんだ?」
「この国を騒がしている張本人、ムズウのことについてですわ」
ちら、と国王は幾を見——「ムズウなら、そこに……」
「違いますわ。彼は異世界から連れてこられた、まったくの別人。そうでなければ、今この瞬間にも世界に変化が訪れていることに説明がつかないでしょう? あなた方が無駄に時間を食い潰している間に、ムズウは己の目的を達しようとしている。そこの彼を処刑したところで——この現象は終わりませんわ」
「むぅ……」
「彼がムズウであるか否か、という話をしましたわね。そのことを証言できる者がいますわ。……オルト、アーデル!」
「はいッ!」
真っ先に応えたのは、予選大会で戦ったあのオルトだった。力強く胸を張るその姿には、前とは違い——誇りを体現化しているかのようだった。そしてオルトは手に持っていた紙束を王たちの前に突きつける。その紙には血判らしい、小さな赤い染みがついていた。
「これは署名です! イクツが無罪であることを信じる者たちの! これでも足りないというのならば、もっと集めてみせます! 彼が裁きの場に引きずられることになろうとも、彼と私の戦いを見届けた父が、全力を以って彼を無罪にすると保証しましたッ! イクツの人間性を、私も父も信じていますッ!」
そして——アーデルが前に進み出る。これだけの衛兵を前にして、さすがに怯えは隠しきれないが、それでもアーデルなりに胸を張った。
「僕は、あなた方に命じられてずっとイクツさんの動向を見張っていました! でも、これだけは断言できます! 彼には悪行を犯すような余裕も時間もありませんでした! それに——あれだけ立派に戦い、
アーデルは涙目になりながらも——最後まで言い切った。
だが、それで王が納得するはずもなかった。
「何が署名だ、何が証言だ……! そんなものではこ奴が無罪であるという証明にはならんわ! ——衛兵!!」
王の声に弾かれるようにして、数十名の衛兵がざっと武器を構える。
だが——キスティは「命知らずね」と半ば
「オルト、アーデル、ミール。……イクツをお願いね」
キスティがそう言うや――王の側近の一人を、真っ先に横に蹴り飛ばした。それに巻き込まれた他の衛兵には目もくれず、もう一人に対しても足先を振り上げ、顎をかち割る。猛然と、槍で突こうとした衛兵もいたが、キスティの一蹴が槍の先端を砕いた。それに呆然としている隙に——容赦なく、膝蹴りを叩き込んだ。
「国を相手にケンカか! つくづく運のない奴だな! ええ、イクツ!?」
両手に剣を、そして——背中から火の剣を生やしたゼラが、迫ってくる衛兵の剣を受け止める。その火の剣はゼラの意のままに動かせるらしく、背後を取られてもあっさりと防ぐ。まるで後ろにも目があるようだった。
「ったく……手間ァかけさせやがって!」
ヴァルガは広範囲に魔法をまき散らし、半ば戦意を喪失しかけた衛兵の武器を片っ端からへし折っていく。その途中で——「おい、イクツ!」
「勝ち逃げなんて許さねぇ! そんなんじゃあ俺の気が済まねぇんだ! そこんとこ、わかってんだろうな!?」
よく見れば、彼の顔には青あざがあった。それを不可解に思っていると、ミールがこっそりと耳打ちしてくれた。
「ヴァルガ、お父様と派手なケンカしたんだって。何がなんでもイクツを助けたかったみたい」
「おい、てめぇ! 余計なこと喋ってんじゃねぇぞ!」
怒鳴りながらも、器用に魔法を連発する。かろうじてかわした衛兵に剣で挑まれても、歯牙にもかけない様子で己の剣を抜き、弾き、蹴り飛ばした。そういえばこの男、剣術でもトップクラスだったっけか——と幾は今さら思い出した。
幾に向かってくる衛兵に対しては、オルト、アーデルの二人が対抗した。オルトの斬撃には以前よりもキレがあり、打撃も交えて衛兵を吹っ飛ばす。
「イクツには手出しさせんぞ!」
不意を突くように背後から襲ってきた者に対しては、アーデルが火の
戦いの最中——
「全員、
キスティの言葉と同時、ミールがばっと幾に覆いかぶさる。ゼラ、ヴァルガ、オルト、アーデルも、とっさに物陰に隠れるか伏せ――アルータは、勢いを込めて白杖の先を、床に突き刺した。
「〈マ・マザンガ・マザガンダ〉!!」
アルータの全身から放たれた雷撃は、大広間など飛び越えて、城そのものを揺るがした。ガラスが散り、城壁も天井も貫かれ、柱も折れ、そして——王の顔の真横にも、槍のごとく雷撃が貫通した。
そして、これだけの雷撃を放ってなお、死者は一人もいなかった。ただし衛兵のほとんどは腰を抜かし、あるいはがたがたと震え、あるいは膝をついてただ口を半開きにしていた。
かつ、かつ、と白杖の音が王に迫る。間近で雷撃を見せつけられた王は、その音に歯を鳴らして戦慄していた。その光景は見えていないはずなのに、アルータは彼の感情を手に取るように——「怖い?」
「イクツはもっと怖かったのよ。そして、言っておく。……わたしの友達に手を出すつもりなら、誰であろうと許さない」
王は完全に言葉を失っていた。目の前の、あまりの惨状になす術もなかった。
不意に——幾にゼラが近づき、拘束具を断ち切った。それから声を潜めるようにして言う。
「気をつけな。今のアルータ、完全にブチ切れてるぞ」
「みたいだな……」
ふと、体が温かくなってきた。オルトが回復魔法をかけてくれている。
「魔法は得意ではないが、少しでも体力は戻るはずだ」
「すまん……オルト」
「謝るな。礼もいらない。俺はこうしたいと思ったから、こうしたんだ。中途半端な力しかない俺でも、お前の助けになれることが俺の誇りなんだ」
「オルト……」
しかし——体が思うように動かない。牢獄に放り込まれてからどれだけ経ったかは覚えておらず、肉体の衰えをひしひしと感じた。
そして、アーデルと目が合った。彼は何かを言いかけたが——幾が先に目をそらした。彼がどんな反応をするかを知っていながら——それでも今は、アーデルの顔を見たくなかった。
「さて、国王様」
キスティが軽やかな足取りで王の前に立つ。彼を守る者は一人もいない——王は半ば観念しながらも、「なんだ……?」とそれでも、威厳ある声を出そうと努めていた。
「確かに……署名と証言だけでは、イクツの無罪を証明することは難しいと承知しておりますわ。事を起こした、張本人を捕まえない限りは」
「なに?」
「ムズウを捕えてみせればよいのでしょう? 期限は、そうね……三日以内で。その間にムズウを捕え、秘宝を取り戻すことができなければ、わたくしたち全員を処刑しても構いませんわ」
「なっ……」
驚きの声を上げたのは王のみならず、幾もだった。アルータたちの顔を見回しても、キスティの言葉に異論を挟む様子がない。そのこともまた、幾を二重に驚かせた。全員、同じ覚悟でここまで来たことが、幾にはとても信じられなかった。
王は蒼白の表情で、「そんなことが……可能なのか?」
だが、キスティはあくまでも堂々としていた。
「アンバート家の娘が、嘘をつくとでも?」
「不可能だ。できるわけがない……!」
「国王様。わたくしが聞きたいのは、そういう言葉ではなくってよ」
キスティはとどめと言わんばかりに、アルータの雷撃とは反対側——王の顔の真横に、蹴りを突き刺した。
「わたくしの提示した条件、呑むのかしら? 吞まないのかしら? ……どっち?」
王はがたがたと震え、目を左右に動かし、やがて——うなだれた。
「わかった、呑む……」
「それでよろしくてよ」
「三日後、だな……それまでにムズウを捕えなければ……」
「ええ、わたくしたち全員を処刑して構いませんわ」
「ひ、秘宝もだぞ! 必ずや、ディザスとヒガンの秘宝を……!」
「言われなくてもわかっておりますわ」
キスティは足を戻し、身を
「イクツ、立てる?」とミールが聞く。「なんとか……」と立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかなかった。ゼラが肩を貸してくれなければ、そのまま倒れていただろう。
「無理すんな」
「……いつも、肩を貸してもらってばかりだな」
「へっ。……いつか、返せよ」
全員で城を出る時——不意に、キスティが立ち止まった。
「イクツ。これから外を見ても、驚かないでちょうだい」
「……?」
「嫌でもわかるわ。……行きましょう」
キスティの言葉の意味は——すぐに理解できた。
太陽が出ているのに、外が薄暗い。それだけではない、空に無数の青黒い線が幾十にも走っている。複数の線が交錯したことで生じた部分が、黒と青が混ざり合ったような模様に染まっているのだ。
雲も空も途切れている。刻一刻とその模様は広がり――まるで空が侵食されていくかのようだった。
幾は半ば呆然と、「なんだよ、これ……」
「あなたが捕えられてから二週間の間に、この現象は起こったわ。はじめは空にただの線が走り、次第にその線が増え、一週間と経たずに——空が『喰われ』始めたの」
「空が……」
「空だけじゃない、海も、大地も。生物も、魔獣すらも。そして——人も」
幾ははっと、空から地上に視線を下ろした。王宮へと向かうつもりだったのか、衛兵らしき人物が何人も、奇妙な模様に染まっている。マネキンに悪趣味な色を塗りたくったようで、歩くような姿勢で固まっていた。
庭木の半分以上も、建物の柱や屋根も、一部もしくは全部が染まっている。そして——広がっている。今、この瞬間にも。
きゅっ、とミールが両手を強く握りしめた。彼女のただならぬ様子に、幾は「まさか……」と口にした。
「……イクツ。モーさんも、『喰われ』ちゃったの」
「なんだって……!?」
「モーさんのいるところだけ、ぐちゃぐちゃな色になってて。どんなに声をかけても反応がなくて。わたし、もうどうしたらいいかわからなくなって……」
今にも泣きそうな彼女を前にして、幾は力なく空を見上げた。
「世界の統合……」
初めてそれを聞いた時には、意味がわからなかった。嘘をついて、煙に巻いただけだと。
だが今、見えているものすべてが——世界が変化に覆われようとしている。
「何をするつもりなんだ、ムズウ……」
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