第四章 交錯する世界編

第38話「なおも抗う者」

 何も考えたくなかった。


 何も見たくなかった。


 何も、何も、何も。


 手にも足にも拘束具を巻かれて、いくつは暗い監房の中——安っぽい、汚れの染みついたベッドに腰かけていた。どのぐらいの時間が経って、どのぐらい同じ姿勢でいたのか、それすらどうでもよかった。食事を出されても、ほとんど手をつけようともしなかった。


 あの男——首に鎖を巻きつけてきた奴——が言っていたことが本当なら、自分は裁かれる。最悪、処刑を待つのみになる。


 笑える話だ。


 異世界まで来て、魔獣などと戦って、魔闘まとう大会で優勝までして、その結果がこれか。友達にも裏切られて、挙句の果てに国家反逆罪ときた。そんなたいそれた真似ができる人物など、たった一人しか思いつかない。


「しょぼくれた顔をしてんなぁ、おい?」


 幾の眼前で、魔法陣が出現し——中からムズウが出てきた。歪んだ笑い顔で、幾を見下ろしている。今すぐこの場で殺してやりたかったが、まず、幾には確認しなければいけないことがあった。


「このために、俺をこの世界に呼び寄せたのか?」

「やっとわかったか。お前は俺のダミーとして、期待以上に動いてくれた。ヒガンの目を引くほどにな」

「だが、どう考えても不可能だ。俺にそんなことをしている時間なんかなかった」

「馬鹿か、お前。俺には次元を飛び越える力がある。ちょっとした時間に物を盗むなんざ、お茶の子さいさいってところよ。……秘宝を盗むこともな」


 す、とムズウはローブの真ん中を開いた。首からぶら下げているのは三角形の、金色の装飾が施された物体だ。中心の周りに三つの緑色の光が灯っている。


「これはディザスからパクったものだ。次元を越える力——連中、これでヒガンに攻め込むつもりだったんだぜ?」


 そして、ローブの隙間から赤色の球を取り出す。


「これはこの国——ヒガンのものだ。纏石まとうせきに近い特性を持つが、これさえあれば無尽蔵に魔気を使うことができる。次元を飛び越えるには莫大な魔気が必要でなぁ……さすがの俺でも、一日に三回使うのが限界なのさ。だが、この球があれば関係ない。そしてこれがあれば、各地の纏石を引き抜くことができる」

「なに……?」

「纏石は世界中にあるんだ。山に近いサイズのもな。それだけのものを地中から、海中から、あらゆるところから引きずり出して、俺は俺の計画を達成する」


 両手を広げ、得意げに天を仰ぐ。


「世界の、統合……」

「お、覚えていてくれたのか。嬉しいねぇ。俺の言葉の意味が、ようやくわかってきたか?」


 世界の境界線を飛び越える力。無尽蔵の魔気を持つ赤い球。世界中から纏石を引きずり出す。そして、世界の統合を果たす。


 それがムズウの思惑、ムズウの目的——


「なぜ、それを俺に話す」

「もう話してもいい頃だと思ったからさ。お前は俺の代わりに処刑される。なぁんも知らない状態のまま、死んでいくのは嫌だろ?」


 にたぁ、と口が裂ける。唾を吐きかけてやろうかと思ったが——かろうじて自制した。それに、殴りかかるだけの威勢もなかった。段々と、何もかも、どうでもよくなってきた。


「どうした? 俺を殴らないのか? ムカつくだろ? 俺の代わりに処刑されるんだぞ? 魔闘大会も滅茶苦茶にされて、牢獄にブチ込まれて。一発だけなら許してやるから、殴ってみろよ。ほらほら」


 ひらひらと両手を振る。だが、幾はそれでも立ち上がらない。


 ふん、とつまらなさそうにムズウは鼻を鳴らした。


「まぁいいや」と背中を向けて、魔法陣を開く。足を踏み入れ——「あ」と思い出したように声を上げた。


「まだ話してないことがあったな。一体何が起こるのかとかさ。でもまぁいいか。どうせお前、この後処刑されるんだから」


 ムズウは魔法陣に入り——痕跡のひとつすら残さず、消えていった。


 幾はまた、その場でじっとしていた。時おり別の監房から呻き声や悲鳴じみた声が上がっても、身じろぎひとつしなかった。


 やがて——扉が開いた。「出ろ」と高圧的な声が降りかかった。足から拘束具を外されたが、幾は立ち上がる気配もなかった。


「手間をかけさせるな!」


 苛烈な声が鼓膜を打つ。強引に立ち上がらされ、歩かされ、階段を上らされ――そして幾の目の前で、分厚い扉が開いた。


 どうやらここは城の地下だったらしい。ヒートレグの内装に似た、柱が通路に沿って何本も連なっている。どこへ向かうかわからなかったが——それも、今の幾にはどうでもよかった。ただ足元を見て、連れていかれるだけだった。


 しかし、まだ、胸の内でくすぶっているものがある。それをなんと呼べばいいのか、わからない。ただ——ムズウの言葉が頭の中で渦巻いていることと、今の自分の境遇が理不尽を極めたものであるという確信だけはあった。


 やがて、大きな広間に連れてこられた。赤い絨毯じゅうたんがまっすぐに伸び、豪奢な明かりがすべてを照らし、壁の間際には武器を携えた衛兵が並んでいる。わずかな階段を上った先には金色の椅子に腰かけた老人が、赤いマントを羽織ってあごを上げて幾を見下ろしていた。


 おそらく、この老人がこの国ヒガンの国王なのだろう——


「やっと会えたな、大罪人ムズウよ」

「…………」

「お主をディザスに潜り込ませたのは失敗だった。かの国の秘宝を盗み出したと聞いた時にはさすがに肝を冷やした。そして今度は我が国の秘宝までも盗んだ。これは重大な裏切りだ。……お主の目的は、一体なんだ?」

「そんなのは、俺が聞きたい」


 突然、頬を殴られた。口中に血の味が広がる。幾を拘束している男が殴ったのち、「自分の立場をわきまえろ!」と怒鳴った。


「よい。お主が盗み出したふたつの秘宝——どこに隠したかはわからんが、それも時間の問題だ。ディザスには秘密裏に秘宝を返し、ヒガンの手にも戻る。それですべて丸く収まる」

「……本当に、そう思っているのか?」

「貴様、わきまえろと——」


「待て」と王が手を上げる。男は黙り込み、一歩退いた。


「どういう意味だ?」

「ムズウをディザスに送り込んだと言ったな? その事実が明るみになれば、秘宝を返すどころじゃないだろう?」

「…………」

「ディザスは秘密主義かつ、独裁主義の国だと聞いた。そして、ヒガンが軍事力を持っていることを一番強く批判しているらしいな。そんな疑り深い国が、あんたの国から潜り込んできた奴の存在を知って、しかもそいつのせいで秘宝が盗まれたとあったら――どうなると思っているんだ?」

「いい加減にしろ、貴様ぁ!」


 拘束がより強くなる。幾の中でくすぶっていたものが、どんどん燃え上がっていく。この拘束も、男の存在も、目の前でふんぞり返っているだけのただの老人も、何もかも幾にとっては目障りだった。


 すべて叩き潰したいほどに。


 思った通り、王は黙り込んだ。側近と思しき男が耳打ちしている。その間に幾は、周囲に素早く目を走らせた。この拘束さえ解いて、バチ代わりの武器を奪取すれば――全員の脳天をカチ割れる。


 なぜ、俺がこんな目に遭わなくてはいけない。


 なぜ、理不尽に殴られなくてはいけない。


 なぜ、ムズウの罪をかぶせられなくてはならない。


 なぜ、なぜ、なぜ。


 ぴき、と何かが割れるような音がした。とうに失せたと思っていた力が——全身にみなぎってくるようだ。


 これは怒りだ。


 怒りが体中に満ちていくのだ。


「う、う、ううう……!」


 手を拘束している鎖が、軋みを上げている。異常に気づいた男が幾の頭を地に叩きつけようとしたが、すぐさま幾は体を横に振った。床の上を滑り、なおも腕に力を入れようとして——失敗する。


 衛兵が幾の周囲を取り囲み、無数の剣が、槍が、眼前に突きつけられていた。これでは拘束を無理やり解いたところで、即座に殺される。


(終わり、なのか……?)


 全身を焦がすほどの熱が冷めていくのがわかる。何も打つ手が見つからない。下手に抵抗すれば全身を串刺しにされる。それで終わり。好き勝手されたまま、ムズウの目的は達成される。


「無駄な抵抗はやめよ、ムズウ。見苦しいぞ」


 王の威厳ある声——だが、先ほどよりもわずかに震えている。


「俺は、ムズウなんかじゃない……!」

「なんだと?」

「俺は異世界から連れてこられた人間だ。ムズウのおかげでな。……あの野郎の偽物をつかまされてんだよ、あんたたちは……!」

「…………」

「今、この瞬間にも奴は動いている。自分の目的のためにな! 調べりゃ簡単にわかるだろ、俺の周りに秘宝なんかないってことを。わざわざアーデルを——お目付け役もつけていて、その程度のこともわからないのか?」

「黙れ! 何度も言わせるな!」


 踏みつけられても、蹴られても、なおも幾は口を閉ざさなかった。


「不思議だったんだ。なぜ、この国直々の入学許可証が出ていたのか。俺がムズウ本人とするなら、そんなものは必要ないはずだ。……知ってたんだろ、本当は? 俺が異世界から連れてこられたってことを。でも、ムズウと共謀でもしたら困るから、わざわざ入学許可証まで出して、俺を見張ることにした。……違うか?」


 王は口をきつく結んだ。図星だ——そう見抜いた幾は、なおも声を張り上げた。


「俺がこの世界に来たと知った時——いや、ディザスの秘宝を盗んだ時に、ムズウが裏切るかもしれないと思ったんだろうな? そして、その予感は的中した。今頃ディザスも苛立っているはずだ。この国が疑われているかもしれない——そうと考えれば焦るはずだ! いや、あんた自身が一番焦っているだろうな! なにせ、ムズウと共謀しているのは……国王! あんた自身って可能性も——」


「黙るがいい!」


 そう叫んだのは他でもない——王自身だった。


「聞いておけば勝手なことをずけずけと——わしとムズウが共謀だと!? 何を言うか! 証拠も何もない状況でよく喋る! お主がどれだけ声を張り上げようが、お主自身がムズウであることを否定はできないはずだ! それとも何か、確たる証拠があるとでもいうのか!? そんな証明、できるはずが——」


「できましてよ」


 かつん、と床が鳴る。凛とした声が大広間に響く。その声の主は——他でもない、キスティだった。サファイアブルーの瞳が戦意の炎に照らされ、まばゆく輝いていた。


「イクツ。わたくしたちが来るまで、よく持ちこたえたわ。——後は任せなさい」

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