第37話「決着——そして、凋落」

 キスティは誰が見ても明らかな通り、まともに歩けない状態だった。足を引きずり、額から汗を流し、美しい金髪も乱れている。くるぶしを強打され、立っているのも辛いだろうに、胸を張って手を置いた。


「イクツ。あなた……これで勝ったとでも思っているのかしら?」

「…………」

「甘いわね。わたくしのこの手が、なんのためにあるとでも思っているの?」


 瞬間、いくつは察した。彼女はその場で足を伸ばした状態で前転を始め――回転しつつ、幾に迫ってきたのだ。手を軸足の代わりにし、弧を描くように足刀を放つ。とっさに身を引くしかできなかった幾の頬に、ひと筋の血が流れた。


(は——速いッ!)


 脛当すねあての重量、遠心力をも加算したキスティの蹴りが、まるで小型の竜巻の如く迫ってくる。片手のバチで防御するが、むしろ弾かれて隙を作ってしまう。両のバチを交差して防げば、それすらも弾かれ、大きな隙を作るだろう。それに——受けきったとしても、腕の方が耐えられない。幾は後退せざるを得なかった。


「はぁ、はぁ……!」

「ふふ……さすがに、この体勢は疲れるわね……」


 回転を止め、片膝を立てる姿勢になったキスティは笑みを崩していない。まるで諦める気配がない。手を軸足代わりにして攻撃を仕掛けてくるなど、幾にはまるで想定外だった。


(どうする、どうする……!?)


 火、雷、風、土、水……どの〈構え〉が一番、今のキスティに有効なのかがわからない。〈風の構え〉で低い位置からの攻撃を見舞うことには成功したが、今度は自分がそれを喰らう立場になるとは思っていなかった。


(もう一度、〈風の構え〉で対抗するか……?)


 幾がそう身構えかけた時——キスティと目が合った。どんな〈構え〉で来ようが、粉砕してみせる。言外にそう語っていた。


『キストウェル選手の予想外の攻撃で、今度はイクツ選手が押されている! 準決勝戦で見せたあの技は披露しないのかぁ――ッ!?』

『したくても、もうできねぇんだろ』

『あれだけの蹴りを何十発も、まともに受けたんだ。あの坊や、腕を上げるのもしんどいはずだよ』


(くそっ、うるさいな……)


 幾は内心で毒づいた。自分のことぐらい、自分でわかっている。キスティの足を殺すために、ダメージ覚悟で勝負を仕掛けたのだ。しかし、キスティは自分の予想などはるかに上回った。威力の増した蹴りのせいで、今も手が、腕が痺れているのだ。


 そして——致命的といってもいいのが、世界樹のバチに両方とも軋みを感じていることだ。ちら、と見下ろせば両方とも、亀裂が走っている。まともに叩くとしても、あと一発か二発が限界かもしれない。


 防御に回そうとすれば、間違いなく破壊される。攻撃に回そうとしても、キスティの蹴りが入ることを覚悟しなければいけない。


(……やるしか、ないか……)


 すうっと、胸が膨らむほどの勢いで幾は息を吸い込んだ。細く、長く――龍の姿をイメージして、息を吐く。胸の前で素早くバチを交差し、そして幾は〈火の構え〉を取った。


 キスティはそれを見、「ふふっ」


「最初に見せたあの〈構え〉ね。防御と攻撃を同時に行うつもり? 今のその木の棒——いえ、ひび割れたバチで?」

「バレてたか」

「当たり前じゃない。わたくしの蹴りにあそこまで耐えたのは素晴らしいわ。あなた自身もね。……でも」

「でも?」


 キスティは片膝をついて立ち上がり、「勝つのはわたくしよ」


 幾もバチを握り直し、「二度も負ける気はないよ」


 わずかな静寂が修練場全体を包んだ。どちらが先に出るか――観客の内の一人が、唾を呑む音すら聞こえるようだった。


 果たして——両者とも、同時に飛び出した。キスティは幾の目の前で前転、かつ無事な方の足で蹴りを飛ばす。


 幾は左のバチで軌道をそらそうとして、失敗した。キスティの蹴りがバチごと粉砕し、わずかに軌道をずらしたにせよ――頸部けいぶに喰らう形になったのだ。


「————ッ!!」


 一瞬、意識が飛びかける。だが、まだ右手を残している。それはキスティも承知のはずだ。彼女は巧みに手を動かし、またしても小型の竜巻となり、幾の足、胴体、胸部を連続で打った。


「がはッ……」


 ぐらり、と体が後ろに倒れかける。残ったバチも手からこぼれ落ちそうになる。この時——キスティの目に、勝利を確信した光が宿った。


 だが、幾の意識はまだ途絶えてなかった。


 ざ、と土を踏む。右手から落ちかけたバチを逆手に持ち替え、ぎゅん、と幾は体を思いきり後ろにねじった。半ば慌てたようなキスティの蹴りを、頭部を下げることで下にかいくぐり——幾は彼女の胴部に、渾身の一撃を見舞った。


「曲目一番——〈火炎太鼓・紫炎しえん〉……ッ!」


 幾の目の前で、木の欠片が舞った——バチが折れたのだ。


 呼吸音が聞こえる——自分の息だ。間違いなく、一撃を見舞った。視界が揺れているが、それだけは認識できた。もはや身動きするだけでも辛かったが、重い動作で振り返る。


 キスティは片手を地面につけ、もう一方の手で膝につけていた。うなだれるようにしていて、全身が震えている。か細い呼吸を繰り返しながらも、なおも彼女は面を上げた。


「さすが、ね……イクツ……わた、くしが、見込んだ、だけのことはあるわ……」

「喋るなよ……腹を打ったんだぞ……」

「そういうあなたも、限界ではなくて……?」


 不意に——すとん、とキスティの両膝が地についた。その瞳は困惑に揺れている。


 対し——幾はまだ立っている。彼の額に巻いてあった布が真ん中から千切れ、はらりと舞った。それを見たキスティは、「なるほどね……」と悟ったような笑みを浮かべた。


『こ、これは一体!? キストウェル選手の蹴りは確かに命中していた! 対し、イクツ選手は一発のみ! バチも両方とも砕けている! あれだけの蹴りを受けて、なおも反撃をしたイクツ選手に、まだ体力があったのかッ!?』

『冗談じゃねぇよ、立つのも辛いだろうぜ』

『……やるじゃないか、あの坊や』


 幾はアルータの言葉を思い出していた。彼が頭に巻いたハチマキには、微弱ながら魔気まきが込められていると。最後の瞬間、ギリギリ踏みとどまれたのは——あのハチマキのおかげだったのだろう。


 そういえば、魔法の類いは禁止ではなかっただろうか。ということは、自分の負けになるのだろうか。魔気でほんのわずかに体力を回復した自分には——勝つ資格なんかないはず。


「あ……」と声を出そうとしたが、言葉にならない。頸部を打ったのが響いているらしい。これではダメだ、本当の勝者は——


「イクツ」


 キスティが膝をついたまま――微笑みを浮かべた。


「わたくし、さすがにもう立てないわ。……あなたの勝ちよ、イクツ」


 呆然とするイクツに——突如、歓声が浴びせかけられる。テープや紙吹雪が飛び、修練場全てが震えるほどの絶叫。誰もが興奮し、誰もが二人の名前を声の限り口にしていた。


 幾は前のめりになり、ぺたんと地に膝をつけた。キスティの顔を見ると、彼女はまったく晴れやかな表情だった。喉を押さえ、じりじりと近づいて、「なん、で……」とかろうじて声を絞り出す。


「せっかくの決勝戦、だもの……たかが布切れ一枚で……あなたの反則負けなんてつまらないじゃない」

「そんな、りゆ……で……」

「イクツ。わたくしは楽しかったわ。とても、とても。……あなたはどうかしら?」


 幾はなんとか、首を上に向けた。鳴り止まぬ、絶叫と歓声。喜びと興奮が入り交じった人々の顔、顔、顔。


 こんな興奮は——生まれて初めてだった。


 幾はキスティに向かって、「はは……」と笑うことしかできなかった。


『決着ッ! 決着ッ!! ついに、決着ッッ!!! 自慢のバチを失いながらもキストウェル選手を見事にくだし、優勝という栄誉を手にしたのは、シムラ・イクツ選手だァ――ッッッ!!!』


 歓声の、雨。


 幾はがくりと肩を落とし——その場でうなだれた。もう指一本も動かせないぐらいの疲労とダメージが、全身にのしかかっている。


(優勝、か……)


 遠い言葉だったな、と心中でつぶやいた時——それは迫ってきた。


「——ッ!?」


 突如、幾の首に鋼鉄の鎖が巻きつかれた。それだけではない、いつの間にか接近してきた黒いフードの男たちに、両腕を拘束される。さらに後ろから頭を地面に叩きつけられ、またしても意識が飛びかける。


「あ、あなたたち! なんのつもり!?」


 キスティが困惑と怒りをあらわに叫ぶ。観客も騒然としていたが——その中でマイクを握り、壇上に上がったのはガンデルだった。


「てめぇら、どういうつもりだ!! 相手は怪我人なんだぞ!!」


 それに答えたのは、幾の首に鎖を巻きつけた男だった。


「この男は、国家反逆罪に問われることになる」

「な、なんだと……ッ?」

「スパイ、略奪、殺人……罪状は数えきれないほどある。この男は然るべき場所で裁かれることとなるんだ」


 ガンデルはぎり、と歯を強く鳴らした。


「ありえねぇ! もし、その小僧が本当にそんなことをやったっていうんなら、魔闘まとう大会が始まる前にでも捕らえればよかったはずだ!! イクツが弱まるのを待ってからとらえるなんて、恥ずかしいと思わねぇのか!!」


 そうだ、そうだ、と同意の声が飛ぶ。観客は男たちに罵倒の声を浴びせかけるが——男の放った雷撃が修練場の一部を砕いてしまったことで、言葉を失ってしまった。


 男は淡々と、「なんにしろ、こいつは罪人だ」


「こいつはイクツという名などではない。こいつの本当の名は——ムズウだ」


 地に頭をつけていた幾は、その名前に絶望的な響きを覚えた。まさかここでこの名前を聞くことになるなど、夢にも思わなかった。


「連れていけ」


 男の声が冷酷に幾の耳を打つ。強引に立ち上がらされ、ずるずると連れていかれる。入り口には駆けつけてきたばかりのアーデルとミールがいて——二人とも、立ちはだかるようにしていた。


「い、イクツを連れて行かせないわよ!」

「そうです、イクツさんはそんなことをする人じゃ――」

「ご苦労だった、アーデル」


 男の声に、アーデルが硬直する。ぽん、と肩に手を置いて——「褒美は後でとらせる」と淡々と告げた。


 アーデルは顔をうつむけ、肩を震わせていた。「アーデル……?」と信じられないような気持ちで彼の名を呼んでも——応えてくれなかった。


「おい、アーデル……どういうことだよ?」

「…………」

「頼む、アーデル、なんか言って――」


 幾を拘束している男が、有無を言わさず殴りつけてきた。「やめて!」とミールが食いつこうとするが、男は手のひらを叩きつけて彼女を地面に押しやった。それでもアーデルは動かず、口も開かなかった。


「アーデル……」


 アーデルが俺を売った?


 俺に近づいたのはそのため?


 その事実は幾を打ちのめし——なすがままに連行されていった。

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