第36話「曲目三番〈風の構え〉」

 ゼラとの激闘で消耗したいくつは、医務室でアーデルの回復魔法を受けることとなった。アーデルで大丈夫なのかと思わなくもなかったが、本人が「どうしても!」と言い張るので根負けする形になった。


 さすがにミールに魔法を使わせるわけにはいかないし、アルータはゼラにかかりっきりだし――今の彼女が自分に回復魔法をかけてくれるとは思えない。悲しいが。


 リンゴをかじりつつ、背中に回復魔法を受けている幾は、確かに自分の体の内側から活力のようなものがじわじわと広がっていくのを感じていた。


「こう見えても僕、回復魔法にはちょっとだけ自信があるんです」

「すごいな、アーデル。火の魔法とかはからっきしなのに」

「それは言わないで下さいよ……怪我とかするの嫌だから、自然に上達したって感じなので」


 横を見ると、ゼラがベッドで寝かされてアルータの回復魔法を受けている。二人とも、こちらには見向きもしない。ちょっと寂しい気持ちが芽生えたが、先ほどの戦闘を思い返せば仕方ないと割り切る。


「さて」と立ち上がる。腕や足が軽くなったし、リンゴも食べたのでほぼ万全の状態だ。


「行くんですか、イクツさん?」

「ああ、かなり効いたよ。サンキューな、アーデル」


 ふと、ミールが不安を隠しきれない表情で、幾を見上げている。


 幾はぎこちなく笑みを浮かべ、「大丈夫だ」


「必ず勝つよ。キスティを超えるぐらいじゃないと、あいつをブン殴れないもんな」

「……うん」


 ミールのそばを通り、医務室から出ようとしたところで——「イクツ」とアルータの声が飛んできた。こちらに背中を向ける形で、彼女が言う。


「ここまで来たんだから、負けたら承知しないから」

「怖いな、そりゃ」

「……いってらっしゃい、イクツ」

「ああ、行ってくる」


 医務室から出、修練場へ。そこで待ち受けていたのは——当然、キスティだった。柔和な微笑みを浮かべ、長い金髪には乱れたところがない。まるで準決勝まで勝ち上がってきたとは思えないほど、余裕が全身に満ちていた。


「よくここまで来れたわね、イクツ」

「運があっただけ……と言ったら、みんなに失礼になっちゃうか」

「そうね。あなたは自分の力で勝ち上がった。それは称賛すべきこと、誇りに思うべきことなのよ」

「誇り、か……」


 キスティは歩み寄り――幾の一歩手前に立つ。彼女の方が背が高いので、自然と見上げる形になる。


「負けないわよ、イクツ」

「こっちもだ。……前のようにはいかない」


 くすっ、と笑い声を立て——キスティは先に修練場に赴いた。


『さぁさぁさぁさぁ、いよいよ闘技部門の決勝戦だ! まずはここまで勝ち残ってきた勝者に惜しみない拍手を!!』


 ヤカマの実況に合わせて、拍手と歓声が飛ぶ。まだ始まってもないのにこの盛り上がりよう――誰もが、この戦いに注目している。自然と体が固くなってしまい、幾は意識してゆっくりと息を吐いた。


『まずは選手紹介です! 文字通り、ほとんどの敵を一蹴! 強靭ながらも、その蹴りはあでやか! 誰もが目を奪われるほどの美しさと強さを兼ね備えたアンバート家のご令嬢、キストウェル選手の登場だぁ――ッッッ!!』


 先ほどよりも歓声がひと回り大きくなった。キスティは場慣れたように手を振って応えて、まるで自分のために敷かれた絨毯を歩くように悠然と歩いている。


『そして続く決勝戦の相手は、シムラ・イクツ選手! 二本の木の棒——失礼、バチで勝ち上がってきたまさかのダークホース! 彼が決勝戦まで上り詰めることなど、誰も予想できなかったでしょう! 謎の〈構え〉で鎧を砕き、剣をも砕いたその技は、果たしてキストウェル選手に通用するのか――ッ!? それでは、入場どうぞ!!』


 修練場に足を踏み入れた瞬間――全身が震えた。誰もが幾のことを見、幾に向かって声を張り上げている。ここまで注目されることなど、あちらの世界ではまずないだろう——体の内側から湧き起こる高揚感に、一瞬だけ自分を忘れそうになった。


 指定の位置で、幾とキスティは相対する。


 キスティはたんたんと軽く飛び跳ね、小さくステップを踏んでいる。そしてその目は——前に見た時よりも、はるかに研ぎ澄まされている。今度は遊びではないことを、雄弁に語っている。


 幾は〈火の構え〉をとった。初めてキスティと戦った時、最初に見せた〈構え〉。

今、これが通用するかはわからないが——わからないからこそ、試す価値がある。


 手は震えていない。バチにも神経が通っているようだ。ただの木の棒でも、手腕のように扱うことができれば、それは第三・第四の腕になる。しかも、このバチは世界樹の枝で作られたもの。いくらキスティの蹴りが強力でも――砕くのには、骨が折れるはずだ。


〈構え〉は万全。後は——全力で叩き込む。


『両者、準備は整ったとみました!! それでは闘技部門決勝戦……始めぇッ!!』


 ドラの音が鳴り——瞬時に幾は自ら仕掛けた。


 右手を後方に、左手を右肩に添えたまま。これまでは受けに近い態勢を取っていたが、このキスティ相手に守りに入るのは危険すぎる。


 キスティはその場で立ったまま、不敵に微笑んだ。まるで幾がそうするのがわかっていたように。


「曲目一番——〈火炎太鼓かえんだいこ〉!」


 両のバチを同時に、キスティの腹部目がけて叩きつけようとし――ものの見事に、かわされた。ステップを踏みつつ、キスティは幾から見て右側面をとった。彼女は左足からの蹴りを見舞おうとしたが——バチによって阻まれる。


「んッ!」


〈火炎太鼓〉を放った次の瞬間に、〈雷の構え〉に移行したのだ。バチを肩に添える〈構え〉であるため、幾の頭部を狙ったキスティの蹴りは不発に終わった。


「やるわね」

「そりゃ、ありがとう」


 幾はキスティの足を跳ね飛ばした。しかし、すぐさまキスティの蹴りが連続で襲ってくる。体全体を狙うような、全方位からの蹴りだ。


 だが、幾はそのほとんどをバチで受け、流し、弾いた。すべてをさばききれるわけではなかったが——頭部への蹴りは確実に防いでいる。どれだけ蹴っても壊れないバチに、さすがのキスティも不可思議そうに目を細めていた。


「頑丈ね、そのバチ……一体、どんな素材で作ったのかしら? 鉄とは違う、間違いなく木で作られているもののはずよ」

「俺に勝ったら、教えてあげるよ」

「……ふふっ、あの時の意趣返しのつもり? だったら——」


 たんたん、とキスティが小さなジャンプを繰り返す。来る――と身構えた時、キスティの蹴りが槍のように伸びてきた。


 バチで防ぐ間もなく――幾は間一髪で、頭部を横にそらした。キスティが足を戻したのを見計らい、幾はバチを交差するように振った。だが、彼女はいつの間にか後ろに回っていた。とっさに幾は前転し、背後からの蹴りをきわどいタイミングで回避する。


「ぐ……!」


『速い! そして強い! さすがのイクツ選手も分が悪いかッ!?』

『おいおい、イクツ! 負けんじゃねえぞ! 俺はお前に賭けてるんだからな!』

『おや、ガンデル。あんたイクツ派なのかい。あたしはキストウェル嬢に賭けたけどねぇ』

『……お二人とも、そういうことはこの場で言わないでくれますかね……?』


 三人の実況はさておき——幾はふぅーっと息をついた。


 やはり、強い。身軽さを重視した戦闘服に、脛当すねあてを着けていることで一か月前よりもさらに威力が増している。


 その代わり――脛当ての重量で、ほんのわずかに速度が落ちている。全方位からの攻撃がきても、ほぼ対応することができたのはそのためだ。防ぎきれなかった蹴りのダメージは残っているものの、〈構え〉を取れないほどじゃない。


 ならば、いける——


「……なに?」


 キスティが初めて動揺の色を見せた。


 幾は右膝を土につけ、左足を前に、背筋を伸ばす。バチは両方とも、腹の前で添えるように。キスティからすれば、ただ姿勢を落としたように見えるはずだ。だが、それだけではないと彼女は見抜いているはずだ。


『ああ――っと、イクツ選手! なぜかいきなり座り込んだ!? これは……勝負を捨てたのかぁ――ッ!?』

『違うな』

『ああ、違うね』

『え、え? どういうことですか、お二人さんッ!?』

『見てわからねぇのか。あの小僧、〈構え〉を取ってやがる』

『しかもキストウェル嬢にとってはおそらく、相性の悪い〈構え〉さね。……彼女の顔を見てみな』


 ババルの言葉通り、キスティはじりじりと距離を詰めながらも——次の一手を取れずにいる。どう攻めるか、それで迷っている。


 反対に、幾は落ち着いていた。目と体をキスティの方に向け、彼女の動きに合わせて膝をじりじりと動かしている。完全に待ちの〈構え〉だった。


曲目きょくもく三番……〈風の構え〉」


 ゼラとの戦いでこれを使わなかったのは、単純にゼラの戦い方とは相性が悪かったのと——キスティの戦いまで、取っておきたかったからだ。幾の読み通り、キスティは警戒している。この〈構え〉の利点のひとつは、的を小さくすることにあるのだから。


「——ふッ!」


 キスティが仕掛けた。右足による、頭部への蹴り。だが、幾は両手のバチで防いだ。しかし、軽い。キスティはわざと蹴りを放ち、幾がどう動くかを確かめたのだ。


 間髪入れず、左足からの蹴り。幾はそれをまともに防ぐのではなく、バチを下から上へと——まるですくい上げるように、彼女の足を持ち上げた。


「っ……!」


 バランスを崩した彼女目がけ——幾は足を動かした。土につけている右膝を一気に伸ばし、代わりに左膝を曲げる。同時、幾は二本のバチをキスティの足に叩きつけんとした。


「甘くてよッ!」


 キスティは自ら跳び、その跳躍力と重力を以って、幾の頭上に振り下ろす。幾は伸びた右足で半円を描き、身をそらし——彼女の蹴りが土を叩いた瞬間、再び下から上へと——彼女のあご目がけて、一気にバチを振り上げる。


「ううッ!」


 大きく身をのけぞらせ、キスティはかろうじて直撃を免れた。たんたんと跳ねて後退し、警戒の色をさらに強めている。


「曲目三番、〈画竜点睛がりょうてんせい〉……」


 そうつぶやいた幾はすでに、元の体勢に戻っていた。息も乱れず、姿勢も崩れず、ただ〈構え〉ている。


『い、意外や意外!! あの独特の〈構え〉からかろうじて、キストウェル選手に一撃を見舞うところまで来たッ! こ、これは、これはもしかすると――!?』

『まだわからねぇさ』

『そうだね、あの〈構え〉には致命的な弱点がある』


 その通りだ。この〈風の構え〉は膝を地につける以上、どうしても移動の制約がかかる。


 つまり――跳ぶ、かわすといった大きな動きもできない。キスティがそれに気づかないはずがない。


「いいわね、今の。ちょっとヒヤリとしたわ」

「かわしておいて、よく言うよ……」


 今の攻防で、キスティは〈風の構え〉の特性をある程度見抜いたはずだ。一撃で仕留められなかったのは痛いが——まだ、風向きが不利になったわけじゃない。キスティの顔に不穏な笑みが浮かんだが、それでも〈構え〉は崩さない。


「それならばわたくしも、本気でいきましてよ」


 そう言うやキスティはたん、たんとその場でジャンプし——着地の瞬間、ほとんど跳ぶようにして距離を詰めた。胴体を狙った足刀——キスティにとってはローキックに近い——幾はほとんど反射的に、二本のバチで受け止めた。


 だが、想像していた以上にキスティの蹴りは重かった。両足が一瞬だけ宙に浮くほどの衝撃で、〈構え〉が崩れかける。


「——はッ!!」


 蹴りが連続で飛んでくる。


「曲目三番——〈まつ太鼓だいこ〉ッ!」


 迎え撃つべく、幾はキスティの蹴りすべてを両のバチで弾く。


 だが、ひとつひとつの蹴りの重さに、手が、腕が痺れそうになる。的が小さくなったぶん、キスティは高く足を振り上げる必要がなくなった。それはキスティに、モーションの大きい上段蹴りを使わせる必要がなくなってしまったということになる。


 キスティはバチの上から攻撃を浴びせ、反撃の暇を与えない。足を組み替えた時が最大のチャンスだが、タイミングがあまりにもシビアすぎる。もし、気を急いて反撃を仕掛けようとすれば、その瞬間がら空きになった部分を狙われるだろう。


 防戦一方——傍目にはそう見えるだろう。


 だが、幾の狙いは別にあった。


『なんという連撃! イクツ選手、健闘しているが——追い込まれつつある! あれではさすがにこれまでの激戦をくぐり抜けてきたバチも、折れてしまうのではないか——ッ!?』

『まぁ、あれだけ受けりゃあ折れるかもなぁ』

『他人事のように言うねぇ。あんたがあれを渡したんだろ』

『失敗作だけどな。……だが、あの小僧。まだ諦めてはいないようだぜ』


 何十発も放つ内にキスティの蹴りが——わずかに、鈍さを見せた。彼女の顔にひくついたものが浮かぶ。それでもと繰り返していく内に、その動きが段々と鈍くなっていく。


 好機が生まれた。


 キスティの右足——そのくるぶし目がけて、二本のバチでする。「ぐッ!」と彼女が苦悶の表情を浮かべ、とっさに退いた。呼吸が乱れ、片足を押さえている。見ればキスティの膝当ては——くるぶしの部分が、半ば砕けていた。


『なッ……こ、これは一体!? 優勢だったはずのキストウェル選手が、足を押さえているッ!』

『あの野郎、最初から狙っていたな』

『ああ、ただの一点をね。どちらの足でも、潰してしまえばまともに蹴りを放てない。そう考えたんだろうさ』


 幾は肩で息をつきつつ、立ち上がった。腕も痛い、足も痛い、脇腹も痛い。ところどころ、蹴られている。さすがにすべてを防ぐのは、無理があった。


 対し、キスティは足のくるぶしを痛めただけだ。だが、これで彼女の勢いは半減される。


 そう思っていた矢先——


「ふ、ふふ……」


 不意に、キスティが笑った。腹を空かした極限状態の中——獲物を見つけた獣のような目。待ち焦がれていたものをついに手に入れたような、恍惚の笑み。


「いいわ、イクツ。そうでなくちゃ。足の一点だけを狙うなんて、今までに一人もいなかったのよ。やっぱり――あなたはわたくしの期待通りの人間だわ」


 ずり、と片足を引きずる。その姿に幾は戦慄せんりつという感情を初めて覚えた。


(まずい、この人……)


 幾はキスティを見誤っていた。足を殺せば、さすがに彼女も敗北を認めるだろうと思っていたのだ。


 だが、彼女は——


(苦戦すればするほど、燃えてくるタイプだ……!)

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