第35話「ゼラの涙」

 本来——太鼓の技は、バチは、人や生き物に向けるものじゃない。


 そんなことは太鼓を学んだばかりの小学生の頃のいくつでも、わかっていた。〈火の構え〉だの〈稲妻いなづま〉だのと名前をつけたのは、単純にその方が格好いいように思えたからだ。


 小学校、中学校の時に太鼓を学び、叩き、修練を積んでいく内に——幾は他にも技を考えた。といっても妄想の範疇はんちゅうを出ない、世に出すことは決してないだろう——危険な技を。


 その技のひとつが、〈曲目連番きょくもくれんばん〉。


 別々の〈構え〉の技を同時に使う——幾にとっては荒業といえるものだった。


     〇


『迫るッ! イクツ選手に、魔気まきまとう刃が迫るぅ――ッ!』


 幾の目から見て左上に火の剣、右上に土の大剣。左下には水の鎌が、右下からは雷を纏う爪がほぼ同時に襲いかかってくる。これだけの魔気を同時に操るのは相当厳しいらしく、ゼラは浮遊した状態のまま、両の剣を握っていた。


 この中で一番厄介といえるのは——もちろん、火の剣だ。いかに世界樹の枝で作られたバチといっても、さすがに火には弱いはず。


〈虎の構え〉で前傾姿勢となった幾は、ためらいなく地面を蹴った。四方向から襲い来る刃、その真下をかいくぐる。髪が燃え、頬に傷が走り、腕に痺れを感じたが——今の幾には、どうでもよかった。


「ガァアアアア!!」


 獣の咆哮——いや、これは幾自身のものだった。両のバチを背中にまで届くほど振り上げ、ゼラ本体に叩き込まんとしたが——土の大剣によって阻まれる。


「——ぐッ!」


 瞬時に熱が迫ってくる。火の剣だ。ゼラにも、これが幾のバチには有効であるとわかっているらしい。土の大剣を踏みつけ、足場にすることで、幾はかろうじて回避した。確実にかわしたはずなのに、服の一部が焦げていた。


 だが、幾はそれで進撃を止めなかった。


 あろうことか、再びゼラ目がけて突撃したのである。当然、真っ先に火の剣が斬りかかってくる。右に、左にと回避し、石柱に跳び、さらに壁を走る。ゼラに近づこうとしても、剣、爪、鎌がそれを塞ぐ。「ちッ!」と壁から離れ、着地した瞬間——土の大剣が幾の真上から振り下ろされ、かろうじて回避した。


 あの四振りの刃のせいで、ゼラに近づけない——


 幾はギリギリと歯を鳴らした。獲物が目の前にいるのに、邪魔者が立ちはだかっているのを苛立つ獣のように。


『い、イクツ選手! さすがに不利かッ!? 火の剣で棍棒を焼かれてしまっては何にもならないとわかっているはず! なのになぜ、あんな無茶な攻め方をするのか!?』

『棍棒じゃねぇよ、バチだよ』

『まぁ、一見すれば不利に見えるさね。まぁ、あたしからしたらあのお嬢ちゃんより、今のイクツの方が怖いけどねぇ』

『え……なぜです、ババルさん?』

『よく言うじゃないか。……追い詰められた獣ほど、怖いものはないと』


 水の鎌が三つに増えた。幾はそのひとつひとつを、上下から叩くようにしてかき消した。その隙に雷の爪が幾の体を掴もうとしてくるが——後ろにではなく、前に跳んで回避する。それと同時——ゼラへの距離も詰めていく。土の大剣が襲いかかったが、動作が鈍い。身をそらし、幾は大剣を足場にするや、ゼラに向かって突き進んでいく。


 火の剣が真横に、幾の体を斬り裂かんとした。


 幾はすぐさま、宙に向かって跳んだ。やみくもにではなく、ゼラの背後に回るように。彼女が気づいた瞬間には遅く、幾はゼラの火の剣を根本から叩き折った。ゼラとつながっていた火の剣は、根本から消失する。


 やはり、と幾は確信した。


 ゼラの放出している四振りの刃は、根本にまで完全に魔気が回っているわけじゃない。今の彼女自身コントロールできていないはずだから、刃さえ避ければ、他の部分を叩き落せるはず。


「な、める、な……!」


 水の鎌が舞い、石柱を切り落とした。雷の爪もたやすく壁に痕を刻む。一番動きの鈍い大剣は、剣先を地面に突き刺しただけで修練場自体が揺らいだ。もはや制御がきかないのか、周囲にあるものすべてを斬り裂かんとしている。


 幾はそれに巻き込まれないよう、いったん距離を取った。激しい呼吸は自分のものだ。心臓も尋常じゃなく跳ねている。


(まだだ、まだだ、まだだ、まだだ……ッ!)


 剣ひと振り叩き落したぐらいで、それがどうした。相手は魔気を使う——命がけでやらなければ、こっちがやられるのだ。そのために——もっと、もっと、理性を捨てなくてはならない。


 体を、命を、惜しんでる場合ではないのだ。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 空気が——震えている。喉から聞いたことのない声が迸っている。観客席から悲鳴が上がり、ゼラの顔にもわずかに恐怖の色が浮かんだ。


『イクツ選手、これは一体どうしたことだッ!? 今までの戦い方とはまるで違うぞ! まるで……まるで、そう! 魔獣のようだ!!』

『あれがあの小僧の本性ってわけか……?』

『めったなことを言うもんじゃないよ、ガンデル。……否定はできないだろうけどね』


 幾が走った。


 雷の爪をかいくぐり、伸びきったところを二本のバチで両断。別方向から仕掛けてきた水の鎌に対しては、あえて石柱と壁を斬らせ、形が崩れかけたところで粉砕。土の大剣が真上から迫りくるも――幾はバチを交錯し、真正面から受け止めてみせた。想像を超える重さに両足が地面に沈むが、幾は耐えきってみせた。


 硬度でいえば、世界樹のバチの方が上だ——


 そうと信じた幾は、大剣をも粉々に砕いた。


「……!」


 四振りの刃が再生する気配はない。魔気が切れたのか、ゼラが地面に降り立った。だが、まだ両手の剣は手放していない。慣れない魔気の放出で疲労しているだろうに――まだ、闘志は消えていない。


「ま、けて……たまるか……!」


 ゼラはいったん、右手の剣を地面に突き刺した。「こんなもの、邪魔だぁッ!」と言って、籠手、肘当、肩当を全部外す。銀色の義手があらわになって——ゼラは地面から剣を引き抜いた。


「ここで負けたら……あたしには何もない、何もないんだッ!」


 その言葉で——幾にわずかに理性が戻った。


「ゼラ……」

「手を、抜くんじゃねぇぞ……!」

「わかってる」

「——うああああああ――ッッッ!!」


 ゼラが最後の攻撃を仕掛けてくる。


 今の彼女ならば、横に回り込んで打撃を打ち込むだけでも勝てる。


 だが——それでは、満足しないだろう。


 幾はゼラに向け、牙に見立てるようにバチを立てた。ぐっと腰を落とし——右足に力を溜める。爆発させる瞬間は、もうすぐそこまでにきていた。


「曲目連番! 〈猛虎もうこ牙大王きばだいおう〉!!」


 土を蹴り飛ばし、幾も飛び出した。全力での疾走、振り上げたバチの勢いと遠心力、そして単純な腕力――それらをすべて、叩き込む。


 幾のバチと、ゼラの剣とが真正面から激突した。


 拮抗する間もなかった。先に砕けたのは——ゼラの剣。


「なっ——」


 幾の——文字通りの——猛攻はそれで終わらなかった。バチを振った勢いは止まらず、ゼラの目の前で幾の体が前に急回転する。一撃目は剣を叩き壊し、続く二撃目は彼女の肩から胴体にかけてをしたたかに打った。


「がッ!」


 その衝撃で幾はゼラの頭上を飛び越え――何度も回転し——滑るようにして地面をえぐり、着地した。


 確認する必要はなかった。


 確実に——手応えを感じた。


 からん、とゼラの両手から柄が落ちる。幾がゆっくりと振り向くと——ゼラは体をふらつかせて、そのまま地面にあおむけに倒れた。


 魔気を纏った剣も、両手の剣も、すべて粉砕した。


 ゼラの全力を——叩き潰した。


『な、なんということでしょう! ゼラ選手が魔気を纏ったにも関わらず、真正面からブチ砕いた! この戦い――準決勝戦は、シムラ・イクツ選手の勝利だぁ――ッッッ!!』


 観客席が一斉にわいた。どこからともなく紙吹雪が飛ぶ。


 幾はそれをなんとなく見上げ――それから、ゼラの元へ歩み寄った。力の抜けた表情の彼女はイクツを見るなり、「くそっ」と恨み言を口にした。


「いつの間に、そんな強くなってんだよ……」

「見て、避けて、叩く。最後の一週間……それだけを繰り返していたからな」

「あの森でか。あたしは……斬ることしか考えてなかったな……」


 ぺたり、と幾も腰を下ろした。体中に疲労がのしかかる。腕も重い。


 ゼラは四肢を投げ出した状態で、ぼうっと天を見上げていた。不意に——「お前の言う通りかもしれない」とぽつりと言った。


「いつの間にか……アルータには、あたしがいなきゃダメなんだって思ってた。でも、違うんだよな。アルータは魔法大会で優勝するぐらい強いし、あたしなんかいなくたって立派にできる」


 お前が邪魔だった、と彼女は続ける。


「アルータはお前のことばっか気にしてて……気に入らなかった。なんの力もないくせに、〈ガルン〉を倒したとかなんてほざいて。嘘だって思ってたよ。こんな嘘つきなんか、アルータを近づけさせたくなかった」

「そっか……」


 幾も同じように、天を見上げ――「なぁ、ゼラ」


「自分にはなんもない、って言ってたよな」

「それが、なんだよ……」

「聞こえるだろ、この歓声がさ」


 幾の言う通りだった。観客席からは、対戦者同士の名前を呼ぶ声が続いている。反則を犯したはずのゼラの名前もだ。誰もが二人の健闘を称えていて——ゼラもようやく、気づいた様子だった。


「アルータが言ってた。ゼラは本当は弱いけど、強くなれる人だって」

「…………」

「ゼラ。もう一度言うよ。……アルータが心配してる」


 ゼラは天を仰いだまま――不意に、腕で目頭を覆った。ひくっと肩を震わせて、ぷるぷると拳が震えている。


「お前なんか、大っ嫌いだ……」

「……そっか」

「お前なんか、大嫌いだ……」

「二度も言われると、さすがに傷つく」


 幾は苦笑する外、なかった。


     〇


 鳴り止まぬ歓声の中——幾はゼラに肩を貸して、修練場を後にした。入口付近で出迎えてくれたのはアーデル、ミール、そして——アルータだ。


 アーデルとミールのやや不安げな顔を吹き飛ばすように、幾はぎこちなく笑ってみせた。二人はほっとした様子で——次に、アルータとゼラとを交互に見た。


 ゼラは幾から体を離し、ふらふらとアルータに近づいていく。その顔には迷いと、怯えの色があった。「あ、あのさ……」とゼラが口にしかけた時——アルータは迷いなく、彼女の体を抱きしめた。


「おかえりなさい、ゼラ」


 その言葉で、ゼラの目元から涙がこぼれた。ゼラはぎこちなくアルータの体に腕を回して、「うん、ごめん……」と抱きしめる。


「アルータ、あたし、あたし……」

「うん」

「あたし……アルータの友達でいていいのかな……?」


 彼女の返答には、少しだけ間があった。幾、アーデル、ミールの三人は固唾を呑んで見守っている。


 やがて——「当たり前じゃない」


「わたしにも、ゼラが必要なの。ゼラがいなくちゃ、なんもできないの」

「そんなことない。アルータは強いじゃないか。あたしなんかに守られる必要なんかないぐらい——」

「バカね。それとこれとは別よ。あなたがいてくれるだけで、わたしは安心できるの。たとえいつか、離れてしまう時が来るとしても……わたしはあなたが大好きよ、ゼラ」

「……うん、あたしも。アルータに負けないぐらい、大好きだ」


 心なしか―アルータの灰色の瞳が潤んでいるように見える。隣を見ればアーデルとミールも、唇をきゅっと結び、涙ぐんでいた。


「さ、医務室に行きましょう。治療しないとね」

「うん……」


 今度はアルータが肩を貸して、ゼラを連れていく。


「一件落着、かな……」


 幾がそうつぶやいたところで——「そうそう、イクツ」


 アルータが肩越しに振り返って——なぜか、目元をきつくして、睨んできている。


「よくもわたしの友達に怪我をさせてくれたわね。この借りは必ず返すから」

「…………え?」


 そう言い残し、アルータとゼラは医務室へ。


 残された幾の背中に、ぽんとアーデルの手が置かれる。


「やっちゃいましたねぇ、イクツさん」


 次に手を置いたのはミールで、「やっちゃったわねぇ、イクツ」


「……え? いや、でも、だって、アルータが本気を出せって……」

「それとこれとは別なんでしょ」

「そりゃあ、あんなにボコボコにしていては……アルータさんが怒るのも無理ないですよ」

「……え、え、え? い、いやいや。だって、魔気とか使ってくるし、生半可な攻撃じゃ止められないって思ったし!」

「言い訳は見苦しいわよ」

「言っちゃあなんですし、同情もするんですけど、今回ばかりはイクツさんの自業自得ってことで」


 幾はその場でぽかんとして——「ええええええええええええええ……?」


     〇


 準決勝戦、第二戦——誰もが予想していた通り、キスティが勝ち上がった。


 相手は決して弱くはなかった。片手に剣を、もう一方の手に盾を。一撃必殺を得意とするキスティの蹴りを盾で受け止め、反撃を見舞おうとしたのだ。キスティがどれだけ蹴っても盾で受け、流し、そして反撃の機会を窺う。非常に堅実的な戦いだった。


 だが——相手にとってはまるで予想外のことが起こった。


 十数発を超えるキスティの蹴りが放たれた時——盾が砕かれたのだ。呆然とした相手はとっさに剣で対抗しようとしたが——真横からの蹴りで剣が中折れした。剣も盾も砕かれた相手の首筋にキスティの蹴りが入り、それで勝負は決した。


『そこまで!! 闘技部門準決勝戦第二戦——勝者はキストウェル選手!! これにて――決勝戦の対戦カードが決まりました!! 一人はバチを操り、魔気を纏う相手とまともにぶつかった度胸あるシムラ・イクツ選手!! そしてあらゆる攻撃も防御も蹴りで粉砕する、闘技部門二連覇の覇者、キストウェル選手!! この決勝戦、どちらが勝つのか!? 刮目かつもくせよ、みんなぁ――ッ!!』

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