第33話「激戦の前触れ」

「アルータ、大丈夫か!?」


 修練場から控室に戻る途中で、ふらりと彼女が倒れかけた。それを受け止め、いくつは彼女に肩を貸してやる。アーデルは白杖を持ち、ミールも彼女の手を取っていた。


「まったく、無茶をする!」

「その言葉、そっくりそのままあなたに返してあげる……」


 控室に入り、ベッドに寝かせる。彼女の額に浮かんだ汗を拭いてやりながら、「どこか痛むところはないか?」と尋ねる。「あちこち」と端的に答えた彼女は、満足げな笑みを浮かべていた。


「勝ったのね、わたし」

「そうだよ、アルータ。君の優勝だ」

「見事な戦いでした! 一体、どこまで計算していたんですか!?」

「アーデル、そんなの後にしなさい! 今は休ませてあげないとでしょ」


 不意に——ドアが開いた。姿を現したのは、ゼラだった。殺気立った空気をまとう彼女に、幾もアーデルもミールも言葉を失う。


 しかし、アルータだけは別だった。


「来てくれたのね、ゼラ」

「なんでわかった?」

「足音。あなたの歩き方、クセがあるからって言ったじゃない」

「……まったく、敵わねぇな」


 ゼラは幾を一瞥いちべつしたが——何も言わず、アルータのそばに立った。


「優勝、おめでとうな」

「ありがとう、ゼラ。……あなたが来てくれて、嬉しい」

「…………」


 ゼラは身をひるがえし、そのままドアの方に向かった。彼女の背中が見えなくなってから、ミールとアーデルが息の塊を吐いた。


「めっちゃ怖かったです……」

「同感だわ。あんなのとやり合うなんて、正気の沙汰じゃないわ」


 幾はしばらく黙り込み――「アルータ」


「確認するけど……本当に、本気でやっていいんだな?」

「ええ。そうじゃないと、彼女は納得しないから」

「怪我をさせてしまうかもしれないんだぞ」

「その前に、あなたが自分のことを心配するべき。……今のゼラは〈シル・ガルン〉を倒せるぐらいに強くなっているのでしょう?」

「それはそうだが……」

「あ、あの~……」


 遠慮しがちに割って入ったのはアーデルだ。


「その前にイクツさんが第一戦に勝ち上がらないと、意味がないのでは……?」

「それもそうだな」


 幾がうなずくと、ドラの音が聞こえてきた。闘技部門の大会が始まる合図だ。立ち上がり、背中にあるバチの感触を確かめ――「よし、行くか」


「アルータ、ゆっくり休んでてな」

「ええ。少し回復したら観に行くから」

「無理はするなよ」


 幾は三人に背を向け、ドアを開けた。選手専用の控室付近にはキスティが、壁にもたれて立っていた。優雅な微笑みは初めて会った時と変わらない。


「少しはできるようになったのかしら、イクツ?」

「どうかな。やってみないとわからないことってあるしな」

「そう。……決勝戦であなたに会えることを楽しみにしているわ」


 そう言うやキスティは、自分の控室に歩いていった。彼女の対戦は第四戦なので、出番までまだ間がある。だが、幾はキスティが勝ち上がるだろうという確信があった。


 修練場の入り口に立つと——横に見知らぬ男が立った。敵意と、蔑みの入り交じった視線。こういう目にはもはや慣れてしまったので、幾は別にどうとも思わなかった。


 だが——


「キストウェル様に気に入られてるからって、調子に乗ってんじゃねえぞ」

「…………」

「妙な技を使うらしいが、そんなもの俺には通用しない。一撃で仕留めてやるよ」


 幾は内心でため息をついた。どうしてこう、どいつもこいつもむやみやたらに挑発をしてくるのだろうか。少しは正々堂々と挑んできたオルトを見習ってほしいものである。


 ドラの音が鳴り——ヤカマの実況が始まる。


『さぁさぁ、皆さんお待たせしました! これより闘技部門大会を始めます! 実況は引き続きこのわたくし、ヤカマが務めます! そして解説には引き続き、あまり繁盛していない武器屋の店主のガンデルさんと、ミステリアスといえば聞こえがいいけど悪趣味ともいえる魔闘衣屋まといやのババルさん!! お二人とも、今の心境はいかがですかッ!』

『とりあえずてめぇ、この大会が終わったらツラを貸しな』

『あたしが先だよ、ガンデル。この男には一生口を開けない魔法をかけるから』

『……し、失礼しました! とにかく、繰り返しになってしまいますが、この闘技部門においては魔法の類いは一切禁止しております! 使えばその場で反則負け! 純粋に、己の力と技で戦ってもらいます! それでは、各選手に入場してもらいましょう! まずは——アルダロン・マスガ選手ッ!』


 わぁっ、と歓声が起こり——アルダロンはそれに応えるように手を振った。自分がこの場の主役であるといわんばかりだ。ヴァルガほどではないにせよ、あの男も自信過剰気味らしい。


『次に――シムラ・イクツ選手! 二本の木の棒で鎧を砕き、刃を叩き折るという荒業をやってのけた男だッ! 彼がどんな戦いを見せてくれるのか、期待しかありません! それでは、入場どうぞ――ッ!!」


 足を一歩踏み出すと、一斉に歓声を浴びた。肌がひりつくような感覚。大勢の人々の顔、顔、顔。気を抜けばこの場の雰囲気に吞まれかねないが——同時に、幾はこの感覚に懐かしさを覚えていた。


 仲間と共にコンクールに挑んで、大勢の人々の前で太鼓を叩くあの感覚——


 幾は軽く頭を振った。今、考えることはそのことじゃない。


 アルダロンと向かい合うと——彼はすでに剣を抜き、やや身を低くしている。剣自体も細いので、どことなくフェンシングを連想させる〈構え〉だった。


(一撃で、か……)


 試してみるか、と幾はつぶやいた。体はそのまま正面に向け、左の腰にバチを二本とも添える。腰は落とさず、足はまっすぐに。普通に太鼓を叩くなら、絶対にやらない〈構え〉だ。


 静かに、確かな口調で幾は口にする。


曲目きょくもく五番、〈水の構え〉……」


「ふざけやがって……!」


 アルダロンの声は耳に入ってなかった。歓声も、実況も。ただ、目の前の相手だけを見る。剣先だけではなく、頭部、胴体、両腕、両足——すべての部位を見ている。ほんの些細な震えも——幾には手に取るように感じ取れた。


『両者とも、準備はよろしいですね!? では、始めぇ――ッッッ!』


 ドラの音が鳴った——瞬間、アルダロンが先に前に出た。疾走する勢いを剣先に込め、敵意と共に突っ込んでくる。


 その勢いを乗せるように腕を伸ばし、幾の顔をも貫かんとする。だが、剣先が幾の顔面に触れるよりも速く、幾の右手のバチがそれをずらした。結果——アルダロンの剣はまるで見当違いの方向に突き出してしまう形になった。


「——なッ……」


 それとほぼ同時。幾の左手のバチが、アルダロンの胴をしたたかに打った。まったく無防備の状態で打撃を受けたアルダロンは剣を落とし、ふらふらと腹部を押さえ、がくりと膝を落とす。


「なん、だ、今の……は……」

「曲目五番、〈打水うちみず〉」

「く、くそ……っ……」


 その言葉を最後に、アルダロンは倒れた。


 しん、と観客席は静まり返っていた。ヤカマまでもが唖然としていて——はっと我に返った瞬間、『しょ、勝負あり!!』


一打必倒いちだひっとう! 一撃必殺! アルダロン選手の高速の突きをものともしない! 完勝! シムラ・イクツ選手、完勝ですッッッ!』


 すると、先ほどよりも歓声が盛り上がった。「イクツー!!」とあの店主も叫んでいるのが見えたので、多少恥ずかしい気持ちになりながらも、小さく手を振ってやった。観客席でアーデルとミールも、びしっと親指を立てている。


 修練場からアルータのいる控室に戻ろうとした時——ゼラとすれ違った。目を合わせようとはせず、お互いに横向きで立ったままだ。


「少しはできるようになったみたいだな」

「ああ、それなりに鍛えたから」

「これからあたしが勝てば、その次はお前とぶつかる」

「……そうだな」

「覚悟しとけよ、イクツ」


 そう言い残して、ゼラは歩き出した。


 不意に、苛立ちがこみ上げてきた。額に手をやり、指先で頭を強く引っ掻いた。その場で拳を壁に叩きつけたいほどの衝動が幾の胸を熱く焦がした。


 遠くにミールの姿を認め、幾はとっさに額から手を離した。「やったわね!」と幾の勝利を無邪気に喜ぶ彼女は——気持ちが傾きそうなぐらいに——今の幾には眩しすぎた。


 だから、「ああ……」としか答えられなかった。


「……どうしたの、イクツ?」

「ん、何がだ?」

「今のイクツ、怖い顔してる」

「……気のせいだよ。それより、ミールもアルータの様子を見に来たんだろ? 一緒に行こう」

「う、うん……」

「そういえば、アーデルは?」

「ゼラの戦いを見に行くって」


 幾はミールと肩を並べて控室に入り——アルータに勝利を伝えた。彼女もミールほど感情をはっきりと顔に出してはいないが、喜んでくれた。


 だが——


「い、い、い、イクツさんッ!!」


 突然、ドアを押し破るようにアーデルが出てきた。顔面蒼白で、全身ががたがたと震えている。いくら戦闘が苦手とはいえ、彼がここまで切迫しているのを見るのは〈シル・ガルン〉の時以来だ。


「まずい、まずいですよ、イクツさんッ! 今からでもいい、棄権した方がいいですッ! 今の彼女は——」

「落ち着け、アーデルッ!」


 両肩をぐっと押さえ込む。アーデルの息がやや平常に戻ってきた時——「何があった?」と尋ねた。


「ぜ、ゼラさんが……」

「ゼラがどうしたんだ? 結果は?」

「……ゼラさんが、勝ちました。相手を半殺しにして。相手は、その、普段からゼラさんを馬鹿にしていた人で……でも戦闘が終わる頃には、鎧も武器も顔もズタズタにされていて……そればかりか、とどめを刺そうともしたんです……」

「ゼラが!?」

「ドラが鳴らなければ、危ないところでした。今の彼女は……狂暴です。魔獣そのものといってもいいかもしれません。イクツさん! 今からでも遅くない、棄権をした方が——」


 ばっ、とアーデルの口を無理やり塞ぐ。肩越しに振り返って、アルータを見ると——彼女は小刻みに震えていた。両手はシーツを握り締め、口を固く閉ざしている。そんな彼女の背中に、不安げにミールが優しく手を置いていた。


「アルータ。大丈夫だから。ね……?」

「……うん」


 アーデルもようやく気づいたようで、「すみません……」と力のない声で言った。


 幾はいったん息を吸い——長く細く息を吐いた。アーデルの言った光景を見たわけではないのに、心臓がどくどくといっている。これから始まるであろう戦いに、肌が粟立つ。そして——抑えていた怒りが再び鎌首をもたげる。


(何をしているんだ、ゼラ……!)


 そんなに、自分に負けたのが悔しいのか。


 恥をかかされたのが悔しいのか。


 義手を明らかにされたのが悔しいのか。


 友達を放っておいてまで、魔獣を狩って、人を半殺しにして。


 そこまでする意義がどこにある。俺の——せいなのか。


「い、イクツさん……?」

「悪いな、アーデル。ちょっとどいてくれ」


 アーデルの体を半ば強引に押しのけ、幾は控室から出た。今の顔を誰にも見られたくはなかった。「あら」とキスティが挨拶しかけても、幾は無視した。


 修練場入り口の付近で、闘技大会のボードが目に入った。第一戦は幾が勝ち、第二戦の勝者はゼラ。第三戦、第四戦が終われば準決勝——ゼラとぶつかる。


(上等だ……!)


 幾は背中からバチを引き抜き、ありったけの力で握り締め、ボードを睨みつけた。

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