第32話「アルータVSヴァルガ(後編)」
「小手調べは無しだッ! 一気にカタをつけてやる!!」
そう言うや、ヴァルガはいきなり石柱から石柱へと飛び跳ねた。上空に躍り出た彼は、右手に火球を浮かべる。それがさらに魔気を吸収し、すさまじい勢いで膨らんでいく。人ひとりまるまる包め込みそうなほどの巨大な火球が、天に向けたヴァルガの右手の先に現出した。
『ああーっと、ヴァルガ選手! ここでいきなり上級呪文かぁ――ッ!?』
『潰しに来たな』
『相当、警戒しているねぇ』
ヤカマの言う通り、あれは火の
ヴァルガはアルータに狙いを定め——「〈バ・バニンガ・バニシンガ〉!!」
ひとつの巨大な火球から、無数の火球が一斉に飛び出した。迫る火球がアルータに降り注ごうとする中——彼女は素早く白杖の先で、自分を囲むように地面に線を引いた。
「〈ガ・ガードラ・ガドガード〉」
アルータを包むように、分厚い地面の壁が四方向に突き出た。それは火球のことごとくを防いだ――が、ヴァルガはそれを読んでいたらしく、さっきよりも小さくなった火球を、アルータの位置目がけて投げつけた。
爆発。四方向にそびえ立った土の壁が、根元から崩れ落ちた。
ヴァルガが着地した。だが、まだ警戒している。土埃の中を注視し——やがて人影が現れたことで、舌打ちした。アルータの衣服には多少の汚れがついているが、まるで怪我を負った様子はなかったのだ。
「壁を作り、後ろに逃げたってわけか……」
「ご明察。壁ってね、いい目くらましになるの」
「相変わらず油断ならねぇな……!」
「失礼ね」
アルータが白杖で地面に線を引きかけた時——とっさに、横に跳んだ。ヴァルガの〈バーン〉がアルータのいた地点を吹き飛ばしたのだ。やはり大きな動きは不得手らしく、アルータの足元はふらついている。
「あの技は使わせねぇぞ!!」
ヴァルガが火の
『ヴァルガ選手の猛攻に、アルータ選手は防戦一方!! いくら火の
『馬鹿みたいな力押しだが、アルータ相手には悪くないな』
『しかし、その焦りが魔法にも現れているねぇ』
ババルの言う通り、ヴァルガの狙いがやや甘くなっていた。火球の大きさもまちまちで、安定して放っているようには見えない。あれでは魔気の無駄遣いになるのではないか——そう思った時、幾はアーデルに尋ねた。
「なぁ、アーデル。もし魔気を使いきってしまったらどうなるんだ?」
「その時点で負けですね。今のところ考えられるのは、アルータさんは徹底的に防御に
「違うのか?」
「たぶん、アルータさんはそれを狙っているわけじゃないような気がします。それでは去年と同じ、繰り返しになりますから」
アルータはまだ防戦に徹している。その場からほとんど動けずにいる。飛び跳ねて避けるような真似は難しいだろうし、何よりヴァルガがそれを許さない。白杖で地面に線を引く暇も与えないのだから。
だが——アルータの表情は崩れない。
「さすがね、ヴァルガ」
「……あ?」
突然のアルータの言葉に、ヴァルガは眉をひそめた。だが、右手には火球を浮かべたままだ。
「わたしに魔法を使う暇を与えない……あなたの戦術は間違ってはいないわ。けれど、あなたはひとつ忘れていることがある」
そう言うや――彼女の足元からにょろっと蛇が二匹出てきた。人間の腕ほどの太さもある蛇で、一匹は真っ黒、もう一匹は真っ白だ。黒い蛇はアルータの体を伝って彼女の腕に巻きつき、白い蛇はヴァルガを狙うように地面を這っている。
「い、いつの間に!?」
「さっき、あなたの火の
「こいつ……ッ!」
ヴァルガの額に汗が流れる。得体の知れない黒い蛇と、白い蛇——あれもおそらく、魔法の一種なのだろう。
『
『ど、どういうことでしょうかッ!?』
『使役魔法ってのは色んな形で使えるのさ。そのまま魔法を使わせるもよし、戦わせるもよし、そして——魔気を貯め込ませるのもよし。非常に使い勝手のいい魔法だが、呼び出すにはちょっと時間がかかるんだよねぇ』
『ということは、先ほどからアルータ選手が防戦に徹していたのも——』
『時間稼ぎ、ってことだろ』
『魔法の特性を理解してないと、なかなかできないねぇ。しかも、決勝戦というタイミングで……いい度胸をしているよ、あの子。うちの店に欲しいぐらいだ』
ヴァルガの手から火球が消える。あの二匹の蛇とアルータが次に何を仕掛けてくるのか、読めないのだろう。
こつ、こつ、とアルータがヴァルガに向かっていく。彼女を導くようにしているのは白い蛇だ。そして黒い蛇はヴァルガの位置に寸分違わず首を向けている。
ヴァルガが一歩、退いた。それに気づいた彼は——「ぐっ!」を歯ぎしりした。
「負けねぇ、負けられるか……!」
「…………」
「俺より上に立とうなんざ、気に入らねぇ! 何よりお前ごときが――俺と互角だなんて! そんなの認めてたまるかッ!」
不意に——アルータは自嘲するように、笑みを浮かべた。
「互角だと思ったことはないわ、ヴァルガ」
「あ……?」
「少なくとも攻撃魔法においては、あなたは抜群に優れている。わたしに土の
ヴァルガは胸を突かれたように、言葉を失った。
幾も小さく唇を噛んだ。アルータの言葉はまったくその通りで——もし優勝して、褒賞をもらえたとしても、その後どうするのか。例え戦場に駆り立てたとして連携もままならないだろうし、一人で戦うにしてもリスクがありすぎる。今のように一対一での勝負ならともかく、汎用性でいえばヴァルガの方が確実に上だ。
どんなに能力が優れていても、それを活用できる場所は限られている。
アルータはそれを知っている。
「だからせめて、わたしはあなたに勝ちたいの、ヴァルガ。……どんな手を使ってでもね」
「……けっ」
ため息をつくと——ヴァルガの顔から険が抜け落ちた。どことなく――気が抜けたような表情だった。しかし右手に火球、左手に稲光を発生させ、魔気も吸い込んでさらに威力を増そうとしている。
「その蛇が何をしでかすかは知らねぇが、やることは変わらねぇ!」
右手に溜めた火の
とっさに黒と白の蛇がアルータの前面に飛び出し、絡まり合い、長い胴体を用いて円を作る。その中央には虹色の、ガラスのようなものが出現していた。火の
「反射魔法かッ!」
「それだけじゃないわ」
ヴァルガが気づいた時には、白い蛇が急速に襲い来るところだった。飛び跳ね、ヴァルガの右腕に巻きつき、凄まじい力で絞めつける。そればかりか——骨の折れる音までした。
「があッ! ……こ、この野郎ッ!」
ヴァルガは強引に白い蛇を引きはがし、左手の雷の
ヴァルガは荒い息をつきながら、右腕をだらりとぶら下げていた。アルータはといえば巧みな手つきで白杖を操り、地面に複雑な模様を描いている。
「——ま、まずいッ!」
ヴァルガはとっさに左手で風の
そして——
「〈メ・メデミル・メルミール〉」
きゅいん、と青白い線がアルータを中心に、修練場の地面を走った。そればかりか、ヴァルガにとっては足場となる石柱すべてにも青白い線が走っているのを見——「くそったれ」と彼はつぶやいた。
『出たァ――ッ! アルータ選手のとっておきの上級呪文!! これでヴァルガ選手にはほとんど逃げ場がなくなったも同じ!! 今は風の
「アーデル、あの魔法ってそんなに凄いものなのか?」
「凄いなんてものじゃないです! あの魔法陣に入れば、あっという間に魔気が奪われてしまいます。魔気がない者でも、足を踏み入ればアルータさんに位置を感づかれるのです。一度発動すれば、ほぼアルータさんの勝利です!」
「でも、去年はヴァルガが勝ったんだろ?」
「ええ。あの魔法陣は長く発動していられません。確か、三十秒程度でした。そこでアルータさんの魔気が尽きてしまい、ヴァルガ様はそのおかげで勝てたという感じでした。でも今なら……おそらく、一分程度は
「一分……」
幾はあごに手を添え、考え込んだ。たった一分でも、ヴァルガにとっては長い時間のはずだ。相手の魔気が尽きるのを待つなんて、彼の性格に合わない気がする。去年の結果を覚えているのならば、なおさらだ。
それを証拠にヴァルガは、左手に稲妻を集めている。これまで以上の魔気を一点に集中している。いつの間にか修練場の上空に暗雲が立ち込め、同時にヴァルガの稲妻がより増大していく。
ヴァルガは魔気が切れるのを待つよりも、攻撃を選んだのだ。
そしてアルータも——重い息を吐きながら——左手に稲妻を宿している。ヴァルガと同程度の魔気を集めようとしている。
「まさか、アルータッ!?」
「そんな、無茶なッ!?」
『両者、魔法と魔法とのぶつかり合いを挑むつもりかッ!? 互いに上級呪文を使えば、その消費は計り知れずッ! 天候はヴァルガ選手に味方しているようだが、風の
ヴァルガとアルータ、両者が同時に相手に左手を突きつける。そして——まったく同時に、収束した魔気を放出した。
『〈マ・マザンガ・マザガンダ〉!!』
稲妻が、空中で激突した。その光は修練場どころか観客席にも及ぶほどで、とても目を開けていられないほどだ。一部の石柱をも粉砕し、地面をえぐり、轟音が修練場を揺るがす。雷撃のひと筋ひと筋が意思を持って、すべてを殴りつけているかのようだった。
稲光が収まった時——ヴァルガは地に足をつけ、右手をぶら下げ、激しく肩を上下していた。彼の足元にあの青白い線はなかったので、効力が消えてしまったのだろう。
そして、アルータは——白杖にしがみつくようにして、両膝を地面につけていた。もはや立ち上がるのも難しい状態であることは明白だ。彼女らしからぬ必死の形相で、灰色の瞳を虚空に
ヴァルガが左手に、稲妻を集めた。あれだけの魔法を使ってなお、まだ魔気は残っていたのだ。
「まったく、とんでもねぇ女だ。俺をここまで追い詰めるとはな……」
「…………」
「喋る気力もねぇか。そりゃそうだ。上級呪文を二つも同時に使って、ただで済むはずがないだろうしな……!」
ヴァルガは稲妻を容赦なく、アルータに浴びせようとした。
「アルータ!!」と幾が叫び、立ち上がりかけた時——瞬時に、違和感を覚えた。アルータの姿に、あるものが欠けているような気がしたのだ。
その違和感は——すぐに解消されることとなった。
「がッ!?」
突然、ヴァルガの背中が爆発した。正しくは——火の
ヴァルガは顔から倒れ込み――「どういう、ことだ……!?」
『あたしから説明しよう。その子、喋るのもきつそうだからねぇ』
『ば、ババルさん! 一体何が!? ご説明をお願い致します!!』
『最後の雷の
「雷の
どん、とヴァルガが地面を叩く。拳をぶるぶると震わせ、なんとか立とうと試みるも、それすらも叶わなかった。
アルータが黒い蛇に支えられながら、ヴァルガに近づいていく。灰色の瞳で彼を見下ろし——「ありがとう」
「なんだと……?」
「わたしと全力で戦ってくれて。それから――魔法だけは互角だと思ってくれて。感謝するわ、ヴァルガ」
「だからって、後ろからってのは卑怯だろうが……!」
「言わなかった? わたしはどんな手を用いてでも、あなたに勝ちたかったの」
「……自分の力を示すためにか?」
「違う。わたしも、負けず嫌いなだけよ」
ヴァルガはなんとか体を起こして、地面に手足を投げ出して——「くそっ」
「やっぱりお前、油断のならねぇ女だ」
すると、アルータは真顔で――「失礼ね」
〇
『そこまで!
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