第29話「魔闘大会の始まり」
もちろん、宿舎での仕事も忘れていない。モップ掛け、朝食の用意、ゴミ出し……座学や実戦訓練と比べたら取るに足りないものだろうが、決して欠かしてはいけない仕事だ。そのおかげでモルガナが給金を弾んでくれたので、ある意味——実戦以上に——充実感を得ることができていた。
「しかし、あんた。これでいいのかい?」
「と、いいますと?」
給金を受け取ったばかりの幾が、椅子に腰かけたモルガナに問いかける。
「あんたには他にもやることがあるだろうに」
「でも、お菓子を買うお金もないと困るだろうって言ったのはモーさ……モルガナさんですよ?」
「そうだけどね……なんか、あんたを見ている内に罪悪感みたいなのを感じてね」
「罪悪感?」
「こんなところでくすぶらせていいのだろうか、みたいなね。あんたは……何か、もっと向いている仕事があるんじゃないかと思ったんだ」
幾は口をつぐんだ。そうと言われてもまるでピンとこなかった。自分に向いている仕事なんて他にもあるのだろうか——
幾の
「これから大会だったね。余計なことを言ってしまった」
「いえ、大丈夫です」
「あんたが順調に勝ち上がっていけば、キストウェル様と戦うことになるんだよね。勝算はあるのかい?」
「……さぁ?」
幾にはそうとしか答えられなかった。わずか一か月であのキスティとまともにやり合えるか――自分でも確証を持てていない。
そしてもうひとつ、不安があった。ゼラのことだ。モルガナが事情を知っているかはさておき、相当厳しい戦いを強いられることは予期される。下手したら予選の時点で負けてしまうことだって、ありうるのだから。
モルガナは呆れたように息をつき——「まぁ、いいや」
「とりあえずこんな日なのにご苦労さん」
「いいえ、いつも通りのことをやっているとなんだか落ち着くんで」
「そうかい?」
「ええ」
「ふぅん……あたしも観に行きたいけどね。こう、体にガタがきているとね……」
「無理はしない方がいいですよ」
「ああ。……ミールには休みを取らせた。あの子から結果を聞かせてもらうよ」
「なるほど」
その後、他愛ない雑談をしてから、幾はモルガナの部屋を後にした。
廊下を歩いていると、向こう側からミールがやってきた。彼女が手ぶらなのは珍しい。モルガナに何か、話があるのだろうか。
「あ、イクツ。おはよ」
「おはよう。……大会に来るんだって?」
「うん。応援してるから」
「そっか、ありがとう」
そこで幾は不覚にも——ミールの頭を撫でてしまった。まだ幼かった頃の妹にそうしていたように。二人とも気づいた時には、はっと頬を染めた。二人とも勢いで距離を取り、ミールがわなわなと指先を突きつける。
「な、何をすんのよ、あんた!」
「い、いや、すまん! つい癖で……頭が手ごろな位置にあったもんで……」
「何よ、それ! チビだって言いたいの!?」
「ち、違う! とりあえず――ごめん!」
素早くミールの横を通り、幾は逃げた。「待ちなさいよ!」と声が飛んできたが、構わず階段を下っていった。やばい、やばい、とそんな言葉が頭の中で繰り返されて——気がついたら幾は、自分の部屋に飛び込んでいた。
「……やっちまった……」
ドアにもたれ、ずるずると体を下ろして、両膝の間に顔を埋める。現実世界だったら一発退場ものだ。噂の的にされ、女子から睨まれるか好奇の視線にさらされ、男子からははやしたてられることだろう。周りに誰もいなかったのがよかった。モルガナには聞こえていたかもしれないが。
「……はぁ」
落ち込んでいてもしょうがない、と自分を奮い立たせる。何せこれから苛烈な大会に挑むのだから。
机の上にあるバチを両手に握る。息を吸い込み、深く長く吐く。世界樹の枝で作られたこのバチは、〈シル・ガルン〉との戦いにあっても、ささくれひとつ立たなかった。たった一撃で、〈シル・ガルン〉の脳天を叩き割ることができた。
そのことに頼もしさを覚えるが——これだけのものを人間相手に叩き込むのに抵抗を覚えてしまう。
ましてや、ゼラとキスティと戦うことになれば――
「……やるしかない、か」
幾は制服に着替え、戦闘衣とバチを鞄に入れ――部屋から出た。
〇
『さぁーあ、始まりました! 魔法を放ち合い、剣術を競い合う第二十五回目の
魔闘大会の会場はヒートレグの修練場だ。円周上に観客席が設けられており、そのほとんどが老若男女問わず埋まっている。その観客席の最前列に陣取るようにしているのは実況のヤカマ、そしてなぜかガンデルと、あの
『ちなみに解説として、現在はしなびた武器屋のガンデルさんと、無駄に豪勢な魔闘衣屋のババルさんをお呼びしております! さぁさぁお二方、現在の心境としてはいかがでしょうか!?』
ガンデルがマイクを取り——『とりあえずお前、殴ってもいいか?』
さらにババルもため息をつき、『それか、燃やしてもいいかもしれないねぇ』
ヤカマはひくっと顔をひきつらせたが、すぐに気を取り直したようにぐっとマイクを握りしめた。
『皆さまもすでにご存じの通りでしょうが——魔闘大会には二種類あります! ひとつは魔法のみで戦い、もうひとつは剣術あるいは体術などで戦ってもらいます! 前者は純粋に魔法力を、そして後者は己自身の体力と技量を存分に競ってもらうのです!』
そしてヤカマはびしっとある一点を指さした。その先にはひげをたくわえた、無駄に偉そうな老人が日傘を差している。彼の手前にはテーブルがあって、白い布が山を作っていた。
『魔法部門、闘技部門ともに優勝者には銀貨三十枚! そしてなんと、あの〈
わぁー、と一斉に盛り上がる。ノリがいいなぁ、と幾はぼんやりと思った。
幾は現在、修練場のほぼ隅に近い場所に立っていた。数十名の生徒たちの中にはキスティ、ヴァルガ、アルータもいたし、当然のごとくゼラもいた。アーデルだけは見かけなかったが。
『さぁ、まずは予選大会だ! 魔法部門と闘技部門に分かれて、それぞれ戦い合ってもらいます! 生き残った八人の勝者が決勝トーナメントに進出できるという具合です! そして——ここで注意して頂きたいことがあります!』
こほん、と咳払いしてから——
『魔法部門では杖や一部のものを除いて、剣といった武器の類いは禁止となります! 打撃、斬撃といった相手への直接攻撃もです! そして闘技部門では魔法は一切禁止!! 使った時点で反則負けとなります! ご注意下さい!』
なるほど、と幾は腕を組んで小さくうなずいた。魔法が得意な者もいれば、剣術・体術が得意な者もいるだろう。その反対——魔法が苦手、剣術や体術に向いていない者もいるはずだ。長所を把握し、役割を分担することで、より強い者を選抜しようという腹づもりなのかもしれない。
『では、まずは魔法部門での予選大会になります! それが終われば次は闘技部門ですのできちんと準備して下さいね! 魔法部門に挑む方々は、その場に残って下さい!』
ぞろぞろと鎧を着けたり、剣を携えたりした生徒が動き始めた。修練場の入り口へ向かっているので、幾も後に続いた。
——と、入り口のすぐ真上、観客席になぜかアーデルがいるのに気づいた。隣にはミールもいる。幾は顔を上げ、じっとりした目でアーデルを見——「何やってんだ、君は……」
「僕は今日はただの観客です! 魔法にしろ剣術にしろ、勝ち残れる可能性はゼロですからね!」
「自分で言うか……」
「とりあえずイクツさんもこっちに来て下さいよ! 僕が解説しますから!」
「あなたの席も確保してあるからね! とっとと来なさい!」
幾はため息をつき、ひとまずアーデルとミールの元に向かった。ちゃっかりともう一人分の席も確保してあり、しかも修練場全体を見渡しやすい位置だ。もしかしたら早朝の内に場所取りをしていたのかもしれない。アーデルが。
ふと——修練場にアルータの姿を見かけた。この日のために設置されたと思しき、いくつかの石柱のそばに立っている。白杖を地につけて、正面を向いて、静かに
ヴァルガの姿も見かけた。彼が魔法部門に出てくるのは、幾には意外だった。彼の視線の先にはアルータがいて——これまでになく張り詰めた顔つきだった。ほとんど敵視しているといってもいい。
「なぁ、アーデル」
「はい、なんでしょう?」
「ぶっちゃけ……アルータって強いのか?」
するとアーデル、そしてミールも信じられないものを見たようにこちらに首を向けた。「本気で聞いているんですか?」と言わんばかりに。
「前回の準優勝者ですよ、アルータさんは」
「準優勝……!? 相手は?」
「ヴァルガだったわ。ギリギリの押し勝ちだったけどね」
「アルータと、ヴァルガが……」
意外な接点だった。なるほど、それならばヴァルガが今、アルータを敵視しているのもうなずける。同時に自分が、アルータのことをそこまで知らなかったことが悔やまれる。
「そうだったのか……」
「イクツさんって、相手のことをよく見ているようで見てないですよねぇ」
「ほんと、ほんと」
どくん、と心臓が跳ねた。アーデルは何気なく言ったつもりだったのだろうが——今の言葉は、幾には痛いものだった。
「あ、ほらほら! 始まりますよ!」
「あ、ああ……」
「アルータ、頑張れー!」
ファンファーレが鳴り響く。魔法に長けた数十名の生徒が杖を手に、それぞれライバルを意識している。心なしか――いや、間違いなく空気の流れも変わってきていた。一人ひとりが空気中の魔気を吸い取り、または自らの体内から放出しているのだろう。
『さぁーあ、これより魔法部門による予選大会の始まりだ! 全員、準備はいいか!? では……開始ッッッ!』
ヤカマの絶叫と同時に——ドラが鳴った。
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