第28話「幾VS〈シル・ガルン〉」

 初手の速度は、ほぼ互角だった。


〈シル・ガルン〉の突き出した片爪を、二本のバチで受け止める。そのまま力比べにはならず、両者は後方に跳び、いったん距離を取った。じりじりと足を運び——もう一度、打撃と斬撃とを交錯する。


 何度も数を重ねていく度に、いくつは確信した。


(やはり、強くなっている……!)


 爪の振り、足さばき、そして幾の打撃を受け止めた上での反撃。力を込めてバチで爪を弾き、一撃を見舞おうとしてもとっさに後ろか、左右に跳ぶ。あの時のように腰を低くして頭を下げ、爪を避けて打撃を加えようとしたが、それも避けられてしまった。


 この〈シル・ガルン〉は前のように、こちらをあなどっていない。確実に幾のことを倒すべき敵だと認識している。


 厄介だな、と心中でつぶやいた。いくらこちらの装備が整っているとはいえ、相手は〈ガルン〉とは比較にならないほど速度も力も増している。そして、知恵もついている。幾の目の前で〈構え〉を取ったのが、何よりの証拠だ。挑発のつもりかもしれないが——この〈シル・ガルン〉に関してはそうではない、と幾は確信していた。


 この〈シル・ガルン〉は両爪で攻撃を繰り出す、ということをほとんどしていない。片爪を必ず、防御か次の攻撃のために残している。少しでも隙を見せれば、猛撃を加えてくるだろう。


〈シル・ガルン〉が距離を詰め、蹴りを放つ。当然爪も生えているため、幾の背後にあった木に大きな傷跡がついた。


 だが、振りが若干じゃっかんキスティより遅い。体格が大きい分、蹴りを体に戻すのに間がある。


(これだ——!)


 蹴りを使わせれば、こちらに勝機が生まれる。ただし、そのためには両手の爪が邪魔だ。両手を使えない、蹴り技を使うしかない状態にまで、落とし込む必要がある――


 幾は〈火の構え〉を解いた。足を肩幅に広げ、両腕を下ろし、体全体を相手に向けた状態だ。


〈シル・ガルン〉は警戒の色を見せ、〈構え〉をさらに強固なものとした。


(それでいい……)


 幾は中腰からやや半身に、両手のバチを背負うように右肩に載せる。


曲目きょくもく二番、〈いかずちの構え〉」


〈シル・ガルン〉はすぐには飛び出さず、慎重に、を描くように歩を進めている。見たことのない〈構え〉だから当然だろう——何を繰り出してくるか、予想がつかないはず。


 ならば、どうする——?


〈シル・ガルン〉は地を蹴り——たった一歩で幾の眼前に迫った。左手はそのまま、右爪を突き立てんとする。例え右爪が弾かれても、左が攻撃もしくは防御として活かせる体勢だ。加えて、幾のやや背後側から狙うようにしている。これではバチは振るいにくいはずだ——そう、踏んだのだろう。


 だが——幾の腕の振りと、腰の捻りの方が速かった。


 その場で回転するように、〈シル・ガルン〉の懐に潜り込む。空ぶった右爪に、二本のバチを迷いなく叩き込んだ。


(〈雷斧らいふ〉……!)


「グゥオッ!?」


 思わず右腕を押さえた隙を、幾は見逃さなかった。残った左爪をも、連続で〈雷斧〉で叩き割る。呻き声を漏らした〈シル・ガルン〉の目に怒りと殺意が燃え上がり――半ばやけくそのように、蹴りを繰り出した。


 幾はその場で跳んだ。〈シル・ガルン〉の背丈よりも高い位置に。右腕と左腕が一体化したように、二本のバチを重ね合わせる。


〈シル・ガルン〉がとっさに、両腕を頭上で交錯した——が、幾のバチの一本が、それを払いのけた。そればかりか、骨が砕ける音がした。そして、残る右腕のバチを〈シル・ガルン〉の脳天に直撃させた。


曲目きょくもく二番、〈稲妻いなづま・二段落とし〉……!」


〈シル・ガルン〉は両手をわなわなと震わせ、たたらを踏み、なおも口を開きかけたところで——倒れ込んだ。額からどくどくと血が流れ、完全に白目を剝いている。ぴくりとも動く気配がない。頭を砕いたのだから、当然だ。


 殺した——


 初めての感触。初めての経験。使い慣れたバチで、命を奪うという暴挙。それは、決して心地いいものなどではなかった。


 ふと、気づけば周囲が静かになっていた。


 まだ残っている〈ガルン〉も、生徒たちも、恐れをあらわにこちらを注視していた。〈シル・ガルン〉にまったく動きがないことから、〈ガルン〉たちは一目散に逃げ出してしまった。


 残ったのは——目。生徒たちから差し向けられる、畏怖の眼差し。


 ここでも、こんな目で見られるのか――


 幾は無言でバチを背中にしまい、生徒に魔法をかけているアーデルに向かった。身を屈めて「どうだ?」と聞くと、アーデルはびくっとした様子で「だ、大丈夫です」と答えた。声が完全に上ずっていた。


「死なないんだな?」

「ええ、本格的な治癒が必要になりますが……ひとまずは」

「そうか……」


 幾が立ち上がりかけた時、遠くから悲鳴が聞こえた。人間のものではなく、魔獣——〈ガルン〉のものだ。


 この時、幾は周囲にゼラの姿が見えないことに気づいた。単独行動を——? と思った時には、すでに他の生徒を素通りして、駆け出していた。木々の合間をかいくぐっていくと、左手に湖が消えた。


 その湖の岸に、ゼラがいた。その足元には——今しがた斬られたと思しき、〈シル・ガルン〉が倒れていた。もう一匹いたらしい。


 それだけではない。湖の周辺にも〈ガルン〉の群れがあった。どれも、絶命していた。首をはねられたものもあったし、左肩から腰にかけて大きな傷痕を刻まれたものもある。


 これを、たった一人でやってのけたのか――


 ゼラは全身、血まみれだった。息は荒く、目は血走っていて——声をかけることも一歩踏み出すこともためらわれた。下手に動けば自分も斬られかねない状況の中——ゼラがこちらを向いた。


「…………」


 ゼラは何も言わなかった。幾の姿を見ても、血塗られた剣がこちらに向くこともない。だが、彼女の双眸そうぼうは明らかに幾を敵として捉えている。〈シル・ガルン〉とはまた違う、明確な敵意を込めて。


「……ゼラ」

「気安く呼ぶな」


 血を振り、剣を鞘に戻す。そのまま一歩踏み出そうとして——がくり、と体が傾いた。「くそっ」と吐き捨て、おぼつかない足取りで幾の視界を横切っていく。


 今の状態で、また魔獣に襲われたら――


 後を追いかけようとして、「来るな」とはねつけられる。


「一人で戻れる。お前の力なんか借りなくてもな」

「…………」


 満身創痍のゼラの背中が遠ざかろうとしている。追いかけるべきなのか、それとも放っておく方がいいのか――幾にはわからなかった。


 けれど、伝えたいことはあった。


「ゼラ」

「気安く呼ぶなと——」

「アルータが心配している」


 ゼラの足が止まった。その背中に、逡巡しゅんじゅんの気配が見える。


「……お前には関係のないことだろ」


 それだけ言って、ゼラは森へと戻った。


 幾は小さく、吐息をついた。元はといえば自分のせいだが——ああなってしまっては、頭を冷やすのに時間がかかるだろう。


 足元に広がる、〈ガルン〉の死体を見下ろす。ほぼ一撃で斬り落とされている。これだけの数を相手にした上で——〈シル・ガルン〉をも倒した。


 不意に、幾の中で合点がいった。ゼラが学業やアルータを放り出してまでやっていたのは、魔獣狩りではないだろうか。経験を積み、己を高め、どこまでも強さを追及して——結果が、この〈ガルン〉の死体の群れ。


「それでいいのかよ、ゼラ……」


     〇


 鐘が鳴った。終了の合図だ。


 幾は修練場へ戻る過程で、アーデルの姿を見つけた。〈ガルン〉に首を噛まれた生徒は顔には生気が戻ってきているが、一人では歩けない状態だ。アーデルと共に肩を貸してやり、森の中を歩いていくと、アルータと出くわした。


「あ、イクツ。アーデルもいるのね」

「なんで僕のことわかったんですか?」

「言わなかった? わたしには第三の目があるの」


 はぁ、としかアーデルは言えなかった。その反応が面白くて、幾はつい、くくっと笑ってしまった。


 白いローブに多少の汚れがついているものの、アルータはまったくの無傷だった。先に行った生徒たちがザコをあらかた片づけただろうとはいえ、魔獣の一匹にも出くわさなかったとは考えにくい。


「アルータ、平気だったのか?」

「そうね、〈ドライフライ〉に襲われたけれど、どうとでもなった」

「ど、〈ドライフライ〉を……!?」

「強いのか、そいつ?」

「ええ、さっきの〈ドラフラ〉より上のランクの中級種です。すばしこいし、毒もあるし、つがいで襲ってくるんですよ。〈シル・ガルン〉が危険な奴だとすれば、〈ドライフライ〉は厄介な奴、といったところです」


 へぇー、と幾は感心したようにうなずいた。


「ところでイクツ、アーデル。その人……魔気が尽きかけている」


〈ガルン〉に襲われた生徒のことをいっているのだろう。「そうだな、早く戻ろう」と言うと、二人はそれぞれうなずいた。


 修練場に戻り、生徒をタンカに載せたところで——


「そういえばアルータ、ゼラには会ったか?」

「ゼラに? ……いいえ」

「そうか……」

「何か、あったんですか?」


 幾は先ほど見た光景のことを二人に説明した。アーデルは仰天していたが、アルータは少しうつむいているのみだ。


「そう、一人で特訓を……」

「い、今のゼラさんは危険なのでは?」

「だろうな」

「だろうなって……怖くないんですか、イクツさん!? 〈シル・ガルン〉のみならず、他の〈ガルン〉も始末したような人ですよ! あの時戦った時よりもはるかに強くなっているはず……!」

「わかってる」


 幾は首筋に手を伸ばし、ぐいっと面を天に向けた。すっかり陽が傾いている——宿舎の仕事があるから、まだまだハードな時間は続く。


「大会まで、あと一週間足らずか」


 感慨を込めずにつぶやくと、「え?」とアーデルが怪訝そうな声を出した。


「お互いに準備は整っているってことだよ、アーデル。こうなったら後は、全力を出し切ってやり合うしかない」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 今のゼラさんと本気でやり合うつもりなんですか!?」

「ああ」

「いや、それは、ちょっと、マズイんじゃあ……」


 アーデルの視線の先にはアルータがいる。彼の言いたいことはわかる。


 しかし——


「イクツ、ひとつだけ約束してくれる?」

「……俺にできることなら」

「ゼラと本気で戦って。あの子の目を覚まさせてあげられるのは、たぶんあなたしかいない」

「……うん、そのつもりだ」


 二人のやり取りを前に、アーデルはすっかり口を閉ざしていた。


 大会まで、一週間——


 その一週間は、あっという間に過ぎ去った。

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