第27話「実戦訓練」

 実戦訓練——文字通り、魔獣などの外敵と「本当に」戦う訓練だ。


 普段は立ち入り禁止となっている森に潜り、そこで魔獣を倒し、経験を積む。戦い方は魔法でも剣技でもなんでもいい。チームを組むのもいいし、個人で戦ってもいい。加えて、倒した魔獣によっては報奨金も出るという。


 修練場に集まった生徒たちは皆、鬼気立っていた。ひとつに固まって綿密な作戦を話し合っているチームもあれば、特注品と思しき斧を肩に引っ提げて闊歩かっぽしている巨漢もいる。兜、鎧などをまとって、しきりに素振りを行っている者もいる。


 これからこの場にいる全員が、魔獣を相手に命がけの戦いを挑む。そう思うと、肌がぶるりとしてきた。


「あ、イクツさーん」


 頭部にはひし形の帽子、控えめな装飾を胸に、紺色のローブを着用したアーデルが手を振ってやってきた。もう一方の手には、腰ぐらいの高さまでの杖を持っている。そしてイクツの姿を見るなり——「はぁあ」と感激したような吐息を漏らした。


「カッコいいですねぇ、それ……」

「そうか? ありがとう」


 現在のいくつは上に袖のない紺色のシャツ―—現実世界での、いわゆる――半纏はんてんに近いものを着ていた。下はやや裾を絞った黒のパンツの上に、軽さを重視した脛当すねあてを着けている。両腕には同じく、軽さを重視した籠手こて。そして黒地に金と赤のラインが真横に走った帯を腰に巻いている。さらに――あの魔闘衣屋まといやの店主、ババルから「サービスさ」ということで、ハチマキに似た赤い布を頭部に巻いてあった。


 幾自身、籠手と脛当てを除けばどう見ても「これから太鼓を叩きます」という服装だなとしか思えなかった。しかし、この服装に慣れていないらしいアーデルはすっかり見とれている。


「なんだありゃ」

「あれで戦うつもりかよ……」

「ちょっと、調子に乗ってんじゃねえのか」


 そんな声が聞こえてきた時、反射的にアーデルは険を込めて視線を向けた。軽口を叩いていた連中は「おー、怖っ」と、そそくさと離れていく。それでもアーデルは憤懣ふんまんやるかたない様子で、両手を固く握りしめていた。


「アーデル」

「あ、は、はい……?」

「肩の力を抜くんだ。じゃないと、いい音が出ない」

「音?」

「あー、つまり、いい動きができないってことだよ。大事な時に体が固くなると、色々とアレだろ?」

「……はい」


 アーデルが不承不承といった具合にうなずいたところで——「全員、集合!」と声がかかった。


 生徒たちが集まったのを見計らってから、先頭に立つ教官が告げる。いつも修練場で偉そうに声を張り上げているが、判断力にやや欠けるあの教官である。ごほん、とわざとらしく咳払いしてから、胸をぐいっと反らす。


「これより貴様らには森に入ってもらう! 後ろには私がつくが、基本的には貴様らたちで対処すること! 人の力はあてにするな! もし、命を落とすことになったとしてもそれは貴様らの責だと思え!」


 それから教官は延々と講釈を述べ——さすがに生徒たちも退屈そうに目を細めていた。「それでは、出発だ!」という一声がかかるや、途端に身を正した者もいるぐらいである。


 修練場の門が開き、生徒たちがわぁっとなだれ込んでいく。


 その中にゼラの姿を見かけた。しかし一瞬のことで、他の生徒たちに紛れてすぐに見えなくなってしまった。


「イクツ」

「あ、アルータ」


 完全に出遅れる形になったイクツとアーデルの後ろに、アルータが立っていた。そういえばこの実戦訓練はどうするのだろう——ふと浮かんだ疑問に答えるように、アルータが口を開く。


「わたしは後で行くことになっているの。みんなの邪魔をしちゃ悪いから」

「そっか」

「ゼラは?」

「もう行ったよ。……あれからゼラとは?」

「寝る時は一緒よ。でも、それ以外は一体どこで何をしているのかわからないの。何も言ってくれないから」

「……そうなのか」

「それよりもイクツ、装備を整えたって聞いたけど?」


「ああ」と応じ、腕を掲げてみせるが——アルータには見えないことを幾は今さらのように思い出した。幾の内心に芽生えた小さな罪悪感——それをかき消すように、アルータがいきなり触ってきた。


 ほぼ全身を、くまなく。


「ちょ、ちょっ……アルータ!?」

「なるほど、籠手に下には脛当て。軽装ね」


 しかも今度は顔をまさぐってくる。


「頭にも布を巻きつけてる。ほんの少しだけど、魔気まきを感じるわ。何かのお守りになるのかもしれない」

「わ、わかったからやめてくれ!」

「いいなぁ、イクツさん……」


 指を咥えているアーデルを蹴り飛ばしたい衝動を堪え、幾はなんとかアルータを引きはがした。いくらなんでも妹と同じ顔をした少女に体中まさぐられて、変な気持ちにならない男はいないだろう。


「おい、お前ら! 何をじゃれ合っている! さっさと行かんか!」


 教官の声に尻を叩かれ、三人はようやく門から出た。


 少し歩いた先に、あの森があった。ヒートレグの立地的に、初めて訪れることになった場所よりもだいぶ離れているだろう。「立ち入り禁止!」と書かれた看板がいくつも地面に突き刺さっているが、中にはへし折れているものもある。勢い込んだ生徒が壊してしまったのかもしれない。


「さて、どうするか」


 森に一歩踏み込み、幾は腰に両手を当てた。


「まずは先に進んで、他の人たちを追いかけませんか?」

「そうだな、それもいいけど……」


 ちら、とアルータを見やると、「大丈夫。先に行ってて」と言われてしまった。


「いや、でも、アルータさん……」

「アーデル。……わかったよ、じゃあ俺たち行くから」

「ちょっと、イクツさん……! ああ、引っ張らないで!」


 アーデルの襟元を掴み、ずんずんと奥に進む。ある程度の距離が空いたところで、ようやく幾はアーデルから手を離した。


「ひどいんじゃないですか!? アルータさんは……!」

「わかってるよ。でも、大丈夫って言ってたから」

「そんなの、わからないでしょ!? 何かあったらどうするんですか! ゼラさんだって近くにいないし、今、アルータさんを守ってあげられるのは……」

「アルータはそんなこと、望んじゃいないよ」


 幾はなおも言いたげなアーデルを半ば無視するようにして、歩き出した。自分でもひどいことをしているという自覚はあった。


有瑠ある……)


 幾の妹は見た目とは裏腹に、頑固で強情な性格だった。できる限り一人でやろうとしていて、守られることを何よりも嫌う子だった。そんな妹の姿がどうしてもアルータと重なっていて——つい、彼女の意思を尊重したくなった。


 一人では無理なことはいくらでもあるのに。


「——イクツさん、上!」


 はっと顔を上げると、トカゲに羽が生えたような魔獣が二匹、襲いかかってきた。


 幾は素早く背中からバチを左右に引き抜いた。相手は空を飛べるが、速度は〈ガルン〉に劣る。牙に毒が塗られている様子もない。ただがむしゃらに突っ込んでくるだけだ。


 二歩、大地を踏みしめ、三歩目で跳躍。トカゲが間合いに入り——二本のバチを最上段に振りかぶって、そのまま首筋に叩きつけた。その反動で幾の体はさらに跳ね、怯んだ気配を見せたもう一匹に、両手のバチを斜めに打つ。


 空を飛ぶトカゲはあっさりと地に堕ちた。首筋をまともに叩かれたからか、痙攣けいれんを起こしている。


「軽い……」


 幾は実感を込めてつぶやいた。装備もそうだし、バチもそうだ。自分にあんな動きができるとは思わなかった。全力で振るったわけでもないのに。


 三週間近くハードワークをこなしていたことが、ようやく実りを結んだのかもしれない。もしくは、毎日あのリンゴを食べていたおかげだろうか。


 アーデルはといえば——木に隠れて、こちらの様子をうかがっている。幾はそれに多少呆れながらも、「終わったぞー」と声をかける。ててて、と駆け寄りながら「すごいですね!」と頬を上気させている。


「今のなんですか!? なんて技ですか!?」

「あー……曲目きょくもく二番、〈稲妻いなづま〉って技。俺が考えた名前だけど」

「……二番? 一番とか、三番とかってあるんですか?」

「そういうこと。先を行こう、アーデル。こいつら、たぶんザコだろ?」

「まぁ、はい。〈ドラフラ〉っていいまして、集団で襲ってくる習性があるんです。二頭だけだったということは、他の人たちにあらかた狩りつくされたのかもしれませんね」

「なるほど。……奥に行けば行くほど、もっと強い奴が出てくるんだな?」

「はい。危険度は高いですが、見返りも多くなります。ただし……」

「ただし?」

「ここの森には〈シル・ガルン〉がいます。こいつが厄介なんです。〈ガルン〉で群れを作っていまして、〈シル・ガルン〉に辿り着く前に負けてしまう人が多いんです」

「〈ガルン〉か……」


 幾は初めてこの異世界に迷い込んだことを思い出していた。腹部に全力の打撃を加えてなお、〈ガルン〉は起き上がった。いくら武器がただの木の棒だったとはいえ——幾にとっては衝撃だったのだ。


 今なら通用するのだろうか。


 土や砂利を踏み飛ばし、森を駆け抜けた先に——悲鳴と雄叫びが聞こえた。見れば〈ガルン〉に首筋を噛まれている生徒がいて、幾は反射的に足を強く踏み込んだ。


〈ガルン〉もこちらに気づいた。生徒を放り投げ、口を開き、牙を突き立てんとしたが——幾の一撃が速かった。「邪魔だッ!」と横から顔面にバチを叩きつけられ、唾液と血液と牙をまき散らし、〈ガルン〉はあっさりと吹っ飛んでいった。


「おい、大丈夫か!?」


 倒れている生徒に声をかける。顔は青ざめ、呼吸も細く、目が虚ろになっている。何かうわごとをつぶやいている様子だったが、幾には今、それを聞き取る余裕はなかった。


 周りには生徒たちが、十数頭を超える〈ガルン〉と戦っていた。そして——大樹の根元に腰を下ろすようにして眺めていたのは、銀色の体毛を持つ〈ガルン〉だった。


「し、〈シル・ガルン〉……!」


 やっと追いついたアーデルが状況を見るなり、体をこわばらせる。そのこわばりを吹き飛ばすつもりで、「アーデル!」と幾は叫んだ。


「回復魔法とかは使えるか!?」

「あ、は、はい! できます、使えます……!」

「じゃあ、この人を頼む。急いでくれ!」


 幾はアーデルに場をゆずり、大樹の元でくつろいでいる様子の〈シル・ガルン〉を見据えた。相手もこちらに気づいたようで——ぴくっ、とまぶたを動かす。そしておもむろに立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。


 背丈としても体格としても、銀の体毛であること以外、普通の〈ガルン〉と変わりない。だが、余裕たっぷりに歩いている。周りで生徒たちと〈ガルン〉たちが戦っているのに、まるで知ったことではないというように。


 そして——〈シル・ガルン〉は腹をさすってみせた。不敵な笑みと共に。


 瞬間、幾は理解した。


「あの時の〈ガルン〉か……!」


 幾がバチを握り直したところで——不意に、雄叫びに近い声を聞いた。今しがた〈ガルン〉の一匹を斬り伏せたばかりの生徒が、今度は〈シル・ガルン〉に挑みかかろうとしたのだ。


「馬鹿! 止めろッ!」

「うるさい! 〈シル・ガルン〉は俺が——」


 言い終えるよりも速く、〈シル・ガルン〉はすでに生徒の眼前に立っていた。硬直した生徒の腹部に〈シル・ガルン〉の爪が鋭く伸びてきて——しかし、交差した二本のバチによって、防がれた。


「……!」

「お、お前……!」

「目の前で死なれたら、寝覚めが悪い……!」


 バチで爪を弾かれた〈シル・ガルン〉は、大きく跳んで距離を取った。こちらを睨み上げ――口の両端をつり上げる。


 そして幾の目の前で、信じがたい事態が起こった。


〈シル・ガルン〉はおもむろに腰を落として半身になり、右手は顔の近くに、左手の爪を相手に突きつけるように〈構え〉たのだ。顔からも笑みが消え、両の眼は幾以外、何も捉えてはいない。


 魔獣が〈構え〉た。こいつは——成長している。


「……離れてろ」


 幾は腰を抜かしている生徒にそう言い、〈シル・ガルン〉と相対した。


 腰を落として半身になり、右腕を伸ばし、左手を右肩に添える。あの日——この〈ガルン〉と戦った時と、同じ体勢だ。通じるか、通じないかはすぐにわかる。


曲目きょくもく一番……〈火の構え〉」


 どこかで鋭い剣戟の音が鳴った時——幾と〈シル・ガルン〉は同時に地を蹴った。

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