第27話「実戦訓練」
実戦訓練——文字通り、魔獣などの外敵と「本当に」戦う訓練だ。
普段は立ち入り禁止となっている森に潜り、そこで魔獣を倒し、経験を積む。戦い方は魔法でも剣技でもなんでもいい。チームを組むのもいいし、個人で戦ってもいい。加えて、倒した魔獣によっては報奨金も出るという。
修練場に集まった生徒たちは皆、鬼気立っていた。ひとつに固まって綿密な作戦を話し合っているチームもあれば、特注品と思しき斧を肩に引っ提げて
これからこの場にいる全員が、魔獣を相手に命がけの戦いを挑む。そう思うと、肌がぶるりとしてきた。
「あ、イクツさーん」
頭部にはひし形の帽子、控えめな装飾を胸に、紺色のローブを着用したアーデルが手を振ってやってきた。もう一方の手には、腰ぐらいの高さまでの杖を持っている。そしてイクツの姿を見るなり——「はぁあ」と感激したような吐息を漏らした。
「カッコいいですねぇ、それ……」
「そうか? ありがとう」
現在の
幾自身、籠手と脛当てを除けばどう見ても「これから太鼓を叩きます」という服装だなとしか思えなかった。しかし、この服装に慣れていないらしいアーデルはすっかり見とれている。
「なんだありゃ」
「あれで戦うつもりかよ……」
「ちょっと、調子に乗ってんじゃねえのか」
そんな声が聞こえてきた時、反射的にアーデルは険を込めて視線を向けた。軽口を叩いていた連中は「おー、怖っ」と、そそくさと離れていく。それでもアーデルは
「アーデル」
「あ、は、はい……?」
「肩の力を抜くんだ。じゃないと、いい音が出ない」
「音?」
「あー、つまり、いい動きができないってことだよ。大事な時に体が固くなると、色々とアレだろ?」
「……はい」
アーデルが不承不承といった具合にうなずいたところで——「全員、集合!」と声がかかった。
生徒たちが集まったのを見計らってから、先頭に立つ教官が告げる。いつも修練場で偉そうに声を張り上げているが、判断力にやや欠けるあの教官である。ごほん、とわざとらしく咳払いしてから、胸をぐいっと反らす。
「これより貴様らには森に入ってもらう! 後ろには私がつくが、基本的には貴様らたちで対処すること! 人の力はあてにするな! もし、命を落とすことになったとしてもそれは貴様らの責だと思え!」
それから教官は延々と講釈を述べ——さすがに生徒たちも退屈そうに目を細めていた。「それでは、出発だ!」という一声がかかるや、途端に身を正した者もいるぐらいである。
修練場の門が開き、生徒たちがわぁっとなだれ込んでいく。
その中にゼラの姿を見かけた。しかし一瞬のことで、他の生徒たちに紛れてすぐに見えなくなってしまった。
「イクツ」
「あ、アルータ」
完全に出遅れる形になったイクツとアーデルの後ろに、アルータが立っていた。そういえばこの実戦訓練はどうするのだろう——ふと浮かんだ疑問に答えるように、アルータが口を開く。
「わたしは後で行くことになっているの。みんなの邪魔をしちゃ悪いから」
「そっか」
「ゼラは?」
「もう行ったよ。……あれからゼラとは?」
「寝る時は一緒よ。でも、それ以外は一体どこで何をしているのかわからないの。何も言ってくれないから」
「……そうなのか」
「それよりもイクツ、装備を整えたって聞いたけど?」
「ああ」と応じ、腕を掲げてみせるが——アルータには見えないことを幾は今さらのように思い出した。幾の内心に芽生えた小さな罪悪感——それをかき消すように、アルータがいきなり触ってきた。
ほぼ全身を、くまなく。
「ちょ、ちょっ……アルータ!?」
「なるほど、籠手に下には脛当て。軽装ね」
しかも今度は顔をまさぐってくる。
「頭にも布を巻きつけてる。ほんの少しだけど、
「わ、わかったからやめてくれ!」
「いいなぁ、イクツさん……」
指を咥えているアーデルを蹴り飛ばしたい衝動を堪え、幾はなんとかアルータを引きはがした。いくらなんでも妹と同じ顔をした少女に体中まさぐられて、変な気持ちにならない男はいないだろう。
「おい、お前ら! 何をじゃれ合っている! さっさと行かんか!」
教官の声に尻を叩かれ、三人はようやく門から出た。
少し歩いた先に、あの森があった。ヒートレグの立地的に、初めて訪れることになった場所よりもだいぶ離れているだろう。「立ち入り禁止!」と書かれた看板がいくつも地面に突き刺さっているが、中にはへし折れているものもある。勢い込んだ生徒が壊してしまったのかもしれない。
「さて、どうするか」
森に一歩踏み込み、幾は腰に両手を当てた。
「まずは先に進んで、他の人たちを追いかけませんか?」
「そうだな、それもいいけど……」
ちら、とアルータを見やると、「大丈夫。先に行ってて」と言われてしまった。
「いや、でも、アルータさん……」
「アーデル。……わかったよ、じゃあ俺たち行くから」
「ちょっと、イクツさん……! ああ、引っ張らないで!」
アーデルの襟元を掴み、ずんずんと奥に進む。ある程度の距離が空いたところで、ようやく幾はアーデルから手を離した。
「ひどいんじゃないですか!? アルータさんは……!」
「わかってるよ。でも、大丈夫って言ってたから」
「そんなの、わからないでしょ!? 何かあったらどうするんですか! ゼラさんだって近くにいないし、今、アルータさんを守ってあげられるのは……」
「アルータはそんなこと、望んじゃいないよ」
幾はなおも言いたげなアーデルを半ば無視するようにして、歩き出した。自分でもひどいことをしているという自覚はあった。
(
幾の妹は見た目とは裏腹に、頑固で強情な性格だった。できる限り一人でやろうとしていて、守られることを何よりも嫌う子だった。そんな妹の姿がどうしてもアルータと重なっていて——つい、彼女の意思を尊重したくなった。
一人では無理なことはいくらでもあるのに。
「——イクツさん、上!」
はっと顔を上げると、トカゲに羽が生えたような魔獣が二匹、襲いかかってきた。
幾は素早く背中からバチを左右に引き抜いた。相手は空を飛べるが、速度は〈ガルン〉に劣る。牙に毒が塗られている様子もない。ただがむしゃらに突っ込んでくるだけだ。
二歩、大地を踏みしめ、三歩目で跳躍。トカゲが間合いに入り——二本のバチを最上段に振りかぶって、そのまま首筋に叩きつけた。その反動で幾の体はさらに跳ね、怯んだ気配を見せたもう一匹に、両手のバチを斜めに打つ。
空を飛ぶトカゲはあっさりと地に堕ちた。首筋をまともに叩かれたからか、
「軽い……」
幾は実感を込めてつぶやいた。装備もそうだし、バチもそうだ。自分にあんな動きができるとは思わなかった。全力で振るったわけでもないのに。
三週間近くハードワークをこなしていたことが、ようやく実りを結んだのかもしれない。もしくは、毎日あのリンゴを食べていたおかげだろうか。
アーデルはといえば——木に隠れて、こちらの様子を
「今のなんですか!? なんて技ですか!?」
「あー……
「……二番? 一番とか、三番とかってあるんですか?」
「そういうこと。先を行こう、アーデル。こいつら、たぶんザコだろ?」
「まぁ、はい。〈ドラフラ〉っていいまして、集団で襲ってくる習性があるんです。二頭だけだったということは、他の人たちにあらかた狩りつくされたのかもしれませんね」
「なるほど。……奥に行けば行くほど、もっと強い奴が出てくるんだな?」
「はい。危険度は高いですが、見返りも多くなります。ただし……」
「ただし?」
「ここの森には〈シル・ガルン〉がいます。こいつが厄介なんです。〈ガルン〉で群れを作っていまして、〈シル・ガルン〉に辿り着く前に負けてしまう人が多いんです」
「〈ガルン〉か……」
幾は初めてこの異世界に迷い込んだことを思い出していた。腹部に全力の打撃を加えてなお、〈ガルン〉は起き上がった。いくら武器がただの木の棒だったとはいえ——幾にとっては衝撃だったのだ。
今なら通用するのだろうか。
土や砂利を踏み飛ばし、森を駆け抜けた先に——悲鳴と雄叫びが聞こえた。見れば〈ガルン〉に首筋を噛まれている生徒がいて、幾は反射的に足を強く踏み込んだ。
〈ガルン〉もこちらに気づいた。生徒を放り投げ、口を開き、牙を突き立てんとしたが——幾の一撃が速かった。「邪魔だッ!」と横から顔面にバチを叩きつけられ、唾液と血液と牙をまき散らし、〈ガルン〉はあっさりと吹っ飛んでいった。
「おい、大丈夫か!?」
倒れている生徒に声をかける。顔は青ざめ、呼吸も細く、目が虚ろになっている。何かうわごとをつぶやいている様子だったが、幾には今、それを聞き取る余裕はなかった。
周りには生徒たちが、十数頭を超える〈ガルン〉と戦っていた。そして——大樹の根元に腰を下ろすようにして眺めていたのは、銀色の体毛を持つ〈ガルン〉だった。
「し、〈シル・ガルン〉……!」
やっと追いついたアーデルが状況を見るなり、体をこわばらせる。そのこわばりを吹き飛ばすつもりで、「アーデル!」と幾は叫んだ。
「回復魔法とかは使えるか!?」
「あ、は、はい! できます、使えます……!」
「じゃあ、この人を頼む。急いでくれ!」
幾はアーデルに場を
背丈としても体格としても、銀の体毛であること以外、普通の〈ガルン〉と変わりない。だが、余裕たっぷりに歩いている。周りで生徒たちと〈ガルン〉たちが戦っているのに、まるで知ったことではないというように。
そして——〈シル・ガルン〉は腹をさすってみせた。不敵な笑みと共に。
瞬間、幾は理解した。
「あの時の〈ガルン〉か……!」
幾がバチを握り直したところで——不意に、雄叫びに近い声を聞いた。今しがた〈ガルン〉の一匹を斬り伏せたばかりの生徒が、今度は〈シル・ガルン〉に挑みかかろうとしたのだ。
「馬鹿! 止めろッ!」
「うるさい! 〈シル・ガルン〉は俺が
言い終えるよりも速く、〈シル・ガルン〉はすでに生徒の眼前に立っていた。硬直した生徒の腹部に〈シル・ガルン〉の爪が鋭く伸びてきて——しかし、交差した二本のバチによって、防がれた。
「……!」
「お、お前……!」
「目の前で死なれたら、寝覚めが悪い……!」
バチで爪を弾かれた〈シル・ガルン〉は、大きく跳んで距離を取った。こちらを睨み上げ――口の両端をつり上げる。
そして幾の目の前で、信じがたい事態が起こった。
〈シル・ガルン〉はおもむろに腰を落として半身になり、右手は顔の近くに、左手の爪を相手に突きつけるように〈構え〉たのだ。顔からも笑みが消え、両の眼は幾以外、何も捉えてはいない。
魔獣が〈構え〉た。こいつは——成長している。
「……離れてろ」
幾は腰を抜かしている生徒にそう言い、〈シル・ガルン〉と相対した。
腰を落として半身になり、右腕を伸ばし、左手を右肩に添える。あの日——この〈ガルン〉と戦った時と、同じ体勢だ。通じるか、通じないかはすぐにわかる。
「
どこかで鋭い剣戟の音が鳴った時——幾と〈シル・ガルン〉は同時に地を蹴った。
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