第26話「うさんくさい品物とうさんくさいお金」

「おう、イクツか!」


 トキトーリの大通りは今日もにぎやかだった。子供は自由に走り回っているし、各商店からの呼び込みも熱い。遠く、山から山へと鳥が飛んでいくのも見える。なぜかはわからないが、路地のあちこちには猫も犬もいるのである。ただ、尻尾が二又だったり首が三つあったりとあなどれないが。


 そんな中、いくつとアーデルは野菜や果物を扱っている商店——八百屋やおやといっていいのだろうか——に訪れていた。店主が帽子をかぶり、エプロンを着け、人懐っこい笑みを浮かべている様を見ると、現実世界とほとんど変わらない。


「やぁ、おやっさん」

「ん、今度はアーデルも一緒か」

「アーデルのこと、知ってるの?」

「そりゃあな。子供の頃から噂話が好きでな……」

「ちょっと、おやっさん!」


 アーデルが顔を真っ赤にしている。どうやら幾周辺の噂の出所はアーデルが関係しているのかもしれない。噂を聞いたにしろ、流したにしろ、幾の中でアーデルの株がやや下がったことは否めなかった。


「で、どうだ? イクツ。今日もリンゴを買っていくのか?」

「うーん、そうしたいんだけど今はあんまり手持ちがないんだよな……」

「じゃあ、このバナナはどうだ? 安いし、ボリュームあるし、すぐに元気出るぞ」

「それは捨てがたい。でも、リンゴの方がよっぽど元気出るんだよな……」


 事実なのである。この商店で買ったリンゴを食べると、どんなに疲れていても翌日には元気になるのだ。このリンゴはゲームでいえば、薬草やポーション――あるいはそれ以上の効力を持つアイテムにあたるのだろう。だから幾は毎日、無茶ともいえるハードワークをこなすことができている。


 薬草学の教科書で疲労回復、体力・身体機能・心肺機能向上の効果が記述されているのだから、なぜみんなこれを食べないのか、不思議に思うほどなのである。アーデルによれば「この商店のリンゴはすっぱすぎる」らしく、だから誰からも敬遠されているのだとか。


 店主は気を好くしたらしく、「そうかそうか」とうなずいている。そして——「あ」と思い出したように声を上げた。


「どうしたのさ、おやっさん」

「いやな、最近とんでもねぇものを仕入れてしまってな」

「とんでもねぇもの?」

「……ちょうどいいや、イクツ。お前だけこっちに来い」

「ええ、僕はぁ!?」

「お前は口が軽いだろ、アーデル。いいからそこで待ってろ」


 がくりと肩を落としてるアーデルの背中をぽんと叩き——幾は店主に導かれるままに店の奥へと入っていった。案内されたこじんまりとした部屋の片隅に、ぽつんと木箱が置いてある。


「おやっさん、これは?」

「イクツ。これは誰にも言うんじゃねぇぞ……」


 いつになく真剣な顔つきで言うので、「ああ……」としか答えようがなかった。


 店主は木箱を丁重に持ち、慎重すぎるのではないかと思うぐらいの手つきで蓋を開ける。爆弾でも入ってる——わけないか、と思った幾は、中身を覗き込んでみた。


 それはリンゴだった。


 しかも黄金に輝いている。


 幾が見たのを確認するや、店主はすぐに蓋を閉じた。「見たな?」と聞き、「ああ」と返すと、神妙な顔でうなずいた。


「おやっさん、これって何?」

「聞いて驚け。これは……世界樹せかいじゅのリンゴだ」

「…………は?」

「偽物なんかじゃない、本当に本物の、あの、世界樹のリンゴなんだ……!」


 わなわなと両手を震わせている。そんなにすごいものだろうか——と思い、もう一度見たい衝動に駆られそうになるが、店主は自分の体で木箱を隠すようにした。


「いいか、よく聞け。世界樹のリンゴってのはな……ひと口かじっただけでも元気満タン、馬なんか置き去りにする速さの足に、〈ガルン〉ごときなら指一本でイチコロ! かのドラゴンとも対等に戦えるほどのパワーとスピードを手に入れることができるんだ!」

「…………はぁ」

「しかもしかもだ! なんでもこいつには死者をも蘇らせる力があるという……! そんな恐れ多いあの世界樹のリンゴを、俺は仕入れてしまったんだ……!」

「…………すごいね」


 生返事しかしない幾に、業を煮やしたように「あ、信じてないな!」


「世界樹のリンゴは数年に一度、一個生るかどうかって代物なんだ! だから売り時と売る相手をきっっっちりと見極めなければいかん。そこでだ、イクツ……お前、キストウェル様やヴァルガ様とつながりがあるんだろ?」


 幾の中で合点がてんがいった。要するに、お金を持っている人間にこの世界樹のリンゴを売りたいということなのだろう。しかし——キスティがそういうものを買うような人間とは思えないし、ヴァルガに至っては論外だ。


(それにしても、世界樹のリンゴか……)


 世界樹の枝で作ったバチを持っているのに疑うのはどうかと自分でも思うが、そこまで都合のいいアイテムがあるのだろうか。死者を蘇らせるほどの効力があるのなら、まず真っ先に国が欲しがりそうな気がするのである。交渉の素材としても使えるだろうし、病に倒れた偉い人に使ってもいいもののはずだ。数年に一度しか生らないほどの貴重品であるなら、まず、普通に出回る代物とは思えない。


 言っては悪いが、この小さな商店で仕入れることができたということは——誰もこのリンゴが偽物だろうと決めつけたのではないか。例えば、身元の知れない商人が売っていたとか。憶測ではあるが、その可能性はありそうに思えた。


 ふと——幾はあることを思いついた。


「ねぇ、おやっさん。このリンゴっていくら?」

「ああ? お前、金持ってないんだろ?」

「いいから教えてくれよ。いくらぐらいなら売るのさ?」


 うーむ、と店主は腕を組み、「銀貨三十枚……いや、五十は欲しいな……」と頭の中で計算している。


「金貨一枚もらえれば御の字だが、それはちょっと高望みというものか……」

「金貨?」


 無造作にポケットから金貨を取り出し——店主は仰天した。その場で飛び跳ね天井に頭をぶつけ、木箱が手元からこぼれ落ちそうになるや、なんとか両腕で庇おうとして——体の側面をしたたかに打った。「うわ、痛そ……」と幾も顔をしかめるほどだった。


「お、おま、お前……そんなの一体どこで!?」

「……えっと、魔獣をやっつけたらもらった」

「馬鹿な!? そこら辺の魔獣を倒した程度で金貨をもらえるはずがない! 貴様、一体それをどこでどうやって手に入れた!?」

「キャラ変わってるよ、おやっさん」


 肩を上下し、息を荒くしている店主の背中を、幾はさすってあげた。落ち着いてきたのか、やがて——店主は幾の手の中にある金貨を見る。ごくり、とわかりやすく喉を鳴らしている。


 そして——店主は幾の顔をうかがい見た。


「……イクツ、このリンゴ、欲しいか?」

「うーん、まぁ。それだけすごい効果があるなら手に入れたいかな」

「その金貨で買うんだな? いいんだな?」

「まぁ、うん」

「後でいらなくなったとか言っても遅いからな! ひと口でもかじったりしたらそれはもうアウトだ!」

「いや、どこでもそれはアウトだと思う」

「……よ、よし……!」


 店主は木箱を——まるで偉い人に献上するように——幾に渡した。幾はといえばなんの気負いもなく、金貨を店主に手渡した。


 店主は両手で金貨を持ち、じぃっと両面を凝視している。


「すげぇ……生まれてから一度も見たことねぇぞ、こんなもん……」

「おやっさん、払った俺が言うのもなんだけど……念のため、鑑定とかした方がいいんじゃないの?」

「……あ、そうか。鑑定もしなきゃだ。危ねぇ、危ねぇ」


 相変わらず金貨を見つめ――ふっと、緊張が解けたように頬をほころばせた。


「いや、さすがにそこまで疑うのはよくねぇな。……すまん、イクツ。人間ってのはとんでもねぇものを手に入れると、人が変わるってのは本当みたいだ。この世界樹のリンゴを仕入れて以来、盗まれるんじゃねえか、もしかしたら偽物をつかまされたんじゃねえかって気が気でならなくてよ」

「別に大丈夫だよ、なんとなくわかるし」


 幾は木箱をそのまま、布袋に入れた。それを注視していた店主が、「イクツ」と真剣な目つきで言う。


「もし、その世界樹のリンゴを食べる時があったら、必ずひと口で全部食え」

「え? 全部?」

「そうだ。難しいと思うが、一気に全部だ。世界樹のリンゴはそのままにしておいても腐らないんだが——ひと口かじっただけで、残りが腐ってしまうんだ。世界樹のリンゴの力を全部引き出すには、一気に全部食っちまう必要がある」

「難しいな、そりゃ……わかった、覚えておくよ」


「ようし!」と店主は膝に手をつけて立ち上がった。


「なんかスッキリしたぜ! ありがとうよ、イクツ」

「いや、こちらこそ。面白そうなものが手に入ったし……あの金貨も手放せてよかったし」

「うん?」

「こっちの話。とりあえずアーデル待たせてるから、俺、行くよ」


 二人が店先に戻ると——すっかり不満顔のアーデルがじろっと見てきた。「何を話していたんですかぁ?」と声も刺々しい。


「まぁ、掘り出し物を手に入れられたって感じかな」

「掘り出し物? こんな店でですかぁ?」

「おいてめぇアーデル! こんな店とはなんだ! ガンデルに言いつけるぞ!」

「父さんは関係ないだろ!」


 ぶすっとそっぽを向く。完全にすねてしまった。そこで仕方なく幾が、「まあまあ」と場を収める外なかった。


 宿舎へと戻る傍ら——「イクツさん、一体何を買ったんですか?」


「あー、どうしようかな……」

「意地悪言わないで下さいよ! ここだけの話にしますから!」

「……なーんか信用できないんだよなぁ」

「ひどっ!」

「嘘だって、嘘、嘘」


 幾は笑いながら、布袋を目の高さに持ち上げてみせた。


「世界樹のリンゴ……らしきもの」

「せか!? ……え? らしきもの?」

「ドラゴンとかと対等に戦えるようになれるとか、そんな感じのチートアイテム」

「ちー……? そんなものがあんな店に?」


 半目でじぃーっと布袋を見つめてくる。完全に疑っているが、気持ちはわかる。そして、当然のことをアーデルは聞いてきた。


「なんでそんなものを買ったんですか?」

「うさんくさい物を買うなら、うさんくさいお金をと思ってな」

「……?」

「こっちの話だよ。さーて、戻るか」

「あ、待って下さいよ!」


 二人は小走りで宿舎への帰路を辿った。

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